2話
その瞬間、時が止まった気がした。
俺の体感で1分。たぶん、実際には5秒。
苦しくて、苦しくて、吐き出したいのに動けない。
これは、呼吸を止めていたからなのか、せり上がる何かなのか。…どちらでもいいけど。
「おまたせしました、藤宮さん。」
聞こえた慎司さんの声に顔を上げれば、不思議そうな顔をしたアイツがこちらを見上げていた。
パッ、と顔を逸らし、軽く会釈をして厨房に戻る。
「…ごゆっくりどうぞ。」
今の俺には、これが精一杯だった。
ぼんやりとカウンター越しに少し離れたテーブルを見つめる。
何か言いたいわけじゃない。近づいて欲しい訳でもない。…それなのに、目が離せない。
それから20分ほどして、慎司さんとアイツが立ち上がった。
「…では、またご連絡致します。」
「ええ、お待ちしております。」
アイツは、慎司さんに促されるままドアへと向かっていく。ふと、立ち止まってくるりと振り返り、目が合った。
「っ、」
一瞬、こちらを振り返った目が、名残惜しそうに見えたのは俺の願望だろうか。
「…ありがとうございました。」
何とか絞り出したいつものセリフ、何百回と言っているはずなのに、ここまで震えたのは初めてだ。
…本当にいつも通りに出来ただろか。
「…花純くん?」
「え?」
「大丈夫、さっきからぼーっとしてるけど…」
「…あぁ、すみません、大丈夫です!」
厨房から顔を出した真梨さんは、心配そうな顔をしていて、無理やりに口角を引き上げた。
「…ならいいけど。これ、ケース出しといてくれる?」
「はい。」
「オランジェ、上手くできてるんじゃない?」
「…!ありがとうございます。」
渡されたバットには、先程自分がコーティングしたオランジェが並んでいる。
トングで丁寧につまみ上げ、ケースに並べていく。
自分が仕上げたショコラが店頭に並ぶ。
少しづつ増える自分のショコラに嬉しくなった。
「…それ、美味そうだな。」
「……はっ?」
突然聞こえた声に顔をあげれば、先ほどこの店のドアをくぐったはずのアイツがガラス越しにこちらを覗き込んでいた。思わずトングから離れたオランジェがバットの上でコツリ、と音を立てる。
「…おい、なんでお前…、」
「いやー、せっかくだから何か買って帰りたいなぁって思ってさ。…迷って1回やめたんだけど、やっぱ戻ってきた!」
「…はぁ…。」
…さっきこっちを振り返ったのはそれか。
だからあんな名残惜しそうな…。
うわ、はっず。俺やばくね?勘違いも程々にしろっつーの。
自分で自分をぶん殴りたくなる衝動に駆られながら必死に真顔を取り繕う。
「…ご注文は。」
「えーとね、そのオランジェと、マカロン、あ、あとこのボンボンがいい。」
「…はい、かしこまりました。」
ニコニコと楽しそうにチョコを選ぶそいつに気分が急降下する。ようやく冷静になれた頭は今の藤堂に対する正確な感想を浮かび上がらせた。
コイツ…やっぱなんっにも変わってねーわ。
さっきの仕事モードみて大人になったなぁとか思って損した。
えーとね、ってなんだ。がいいって、…可愛いじゃねぇかよバカヤロー。
…あ、俺末期だ。
「…花純のは?」
「あ?」
「だから、花純が作ったのどれ?」
「…は?」
「無い?」
かがんでいるからか、上目でこちらを見てくるアイツは高校の時と変わらない大型犬だ。
…落ち着け俺。こいつはただの旧友だ。
初恋の相手なんかじゃない。そうだ。
「…今日作ったのは、そのオランジェ。まぁ仕上げただけだけど。」
「へぇ…じゃあこれもう1個。」
「…はい。以上で宜しいですか。」
「はい!」
サクサクと慣れた手つきで梱包をして、会計を済ませて袋を手渡す。ドアを開けて半ば強引に帰れと目線で訴える。…すると、立ち止まってポカンと口を開けたそいつ。疑問に思い、ダメ押しで声をかける。
「…ありがとうございました。」
「いやいやいや、……え?」
「…んだよ。」
「…俺、花澄が仕事終わるまで待ってようと思ったんだけど…。」
「はぁ?…なんで?」
「え、ご飯行かない?」
行かねーよ。行かねーよ!!行くわけねーだろ!!
ふざけるなっっ!!この鈍感が!!
俺の態度で察してくれよ!社会人!!
「お前仕事あるんじゃないのかよ。」
「あー、実は今日はもう直帰なんだよね。」
「…行ってやらんことも無い。」
馬鹿か俺は!!!
ぱぁっと効果音がつきそうなくらいに頬を緩めたそいつに今更「ごめんつい口から出ただけ」なんて言えなくて。
じゃあ向かいのカフェにいるから!
なんて笑顔で言われてしまえば俺はもう断ることも出来なかった。
今度こそ追い出して、少し荒く鳴ったドアベルにいつから見ていたのか、真梨さんがニンマリと口を歪める。
「……仲良いんだ?」
「どこがですか。」
「えー、何同級生なの?」
「はぁ、まぁ。」
「何その感じ!久々の再会なんでしょ!テンション低くない!?」
なんで真梨さんがそんなに嬉しそうなのか……。
思わず眉を顰めれば、それを察したのか真梨さんはいつもの柔らかい笑みでこう告げた。
「なんか、いいじゃん。同級生と偶然再会して〜みたいな、運命的じゃん!」
「いやいや、男同士っすよ……?」
その言葉には何も返さず。静かに微笑んだ。
まるで、何もかもわかっているような穏やかな表情だった。
Chocolate・Syndrome きゃらめるもか。 @White_plam
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