第3話 わずかなズレ

 朝、目覚まし時計の音とともにかおりは目を覚ます。隣で寝ていたはずのゆいが見当たらない。慌てて起き上がるが、朝ご飯の匂いがすることで、冷静さを取り戻す。


「唯ちゃんおはよう」

「おはようございます。香さん、ご飯できてますよ」

「ありがとう。唯ちゃん」


 香は顔を洗い、朝食を食べ始める。ありきたりな朝食だが、ろくに朝食をとらなかった香にとって新鮮な出来事だった。


「さて会社行ってくるよ。そうだ唯ちゃんにこれを渡しておくよ。」


 香は自分の部屋の合鍵を唯に渡した。


「香さん、いいんですか?」

「唯ちゃんは悪いことしないでしょ」


 唯は香に信用されていると感じ、嬉しく感じる。


「唯ちゃんも、ちゃんと学校行きなよ」

「はい・・・それと、これも持って行ってもらいませんか?」


 唯は香にお弁当を渡す。


「えーありがとう。大事に食べるね」

「それじゃあ、香さん行ってらっしゃい」

「うん、なるべく早く帰ってくるね」


 香が行った後、唯はため息をつく。


「学校か・・・」


 唯は、もともと母親に家事全部を押し付けられていたため、あんまり学校に行けておらず、友達と呼べる人がいないため、学校は少し辛い場所だった。しかし香のおかげで救われている気持ちが学校へと足を向ける。



 香は会社についたとたんに動き出した。まずは人事部に行き、唯を扶養家族として会社に登録するための手続きについて相談に行った。


「相談なんですけど、訳があって隣の子を預かるんだけど、扶養に入れることってできるのかな?」

「香さん。可能は可能ですが、まずは保護者としての形をとらないと難しいかと思います。」


 香は、少し予想していた答えだった。


「現状、香さんの収入や香さんの仕事ぶりですと、保護者としての立場を作ることははできるのではないかと思いますが、そもそもその子の両親はどうしたのですか?」

「父親はよくわからないんだけど、母親は男と逃げちゃったんだよね」

「・・・とりあえず顧問弁護士の先生に相談しますので、少し時間をください。」

「すいませんが、よろしくお願いいたします」


 困惑した表情を見せられるが、この場でどうにかできる問題でもないので、香は人事部に任せることにし、その場を後にした。



 香は事務所に戻るとき少し不安に感じた。香は唯のことを話をしたのが、まだ早かったのではないかと少し後悔する。しかし唯の背中にあった虐待の傷を、少しでも早く病院に連れて行って治療してあげたかった。いろいろ突っ走って行動しすぎたことを反省しながら、自分の部署に戻り、気持ちを入れ替え仕事に戻る。


 昼休みに入り、後輩が声をかけてくる。


「香さん、良かったらお昼一緒にどうですか?この間ごちそうになったんで、お昼ごちそうしますよ」

「ごめん今日はお弁当なんだ」

「え!!!家事スキル皆無の香さんが・・・?」

「ひどくない?」


 香はちょっとむくれながら、お弁当箱を開ける。それは一生懸命に作られたのがわかるお弁当だった。


「唯ちゃん、最高だよ」


 香は唯に感謝しながら、お弁当を一口一口と味わいながら食べ続ける。その姿を見た後輩は、にやりとしながら。


「香さんにも、春が来たんですね」

「は?違う違う」

「わかっています。最初は照れくさくて隠したくなるんですよね」

「はいはい、ごちそうさまです。お昼行ってきまーす」


 とんだ勘違いをされた。しかし恋人ができたと思われ、つい唯の顔が浮かぶ。少し顔を赤くしながらお弁当を食べる。今日は早く帰るためにも休憩を終わらせ仕事に取り掛かる。


「唯ちゃん。ちゃんと学校行っているかな」


 香は、家を出るときに唯の反応が少しおかしかったことを気にしていた。何気なく言った「ちゃんと学校に行きなよ」その一言に、少し元気の無い返事だったことからだ。もしかしたら、あんまり学校には行きたくなかったのだろうか。学校に友達がいないのではないだろうか。いじめられてはいないだろうか。


「帰ったら少し話をしてみようかな」


 少し話をしにくいことかもしれないが、唯のことをしっかり理解しないといけない、香は少し唯を深く知る必要があると考えていた。






 唯は憂鬱ゆううつな気持ちを抑えて学校に来ていた。普段から学校には行けていなかったので、学校に友達はおらず、誰とあいさつすることもなく、ただ自分の席に座っていた。周囲からはたまにしか来ないことで、距離をとられていた。唯は居心地のいい場所では無いが、香の「ちゃんと行きなよ」その言葉だけで我慢をしていた。なるべく何も考えないようにしていたが、我慢するだけの時間はすごく長く感じていた。


 放課後、唯はすぐに学校をでてスーパーに向かう。晩御飯の準備である。香にまた喜んでもらいたい、その気持ちでスーパーで食材を選ぶ。少し重い荷物を持ち一人香の部屋に戻る。


 香から預かった合鍵で部屋に入り、少し掃除をしてから晩御飯の準備をする。その合間にお風呂の準備までする。手際よく香が返ってくるまでの準備をしているが、唯は頭に痛みを覚える。


「痛い・・・なにこれ・・・」


 しばらくすると痛みは収まる。唯はその症状に違和感を感じたが、すぐに収まることで放置した。その後料理を作り続けていると、香から電話が入る。


「唯ちゃん。今日はすぐに帰れそうだから、7時ぐらいには帰るね」

「わかりました。それまでに夕食を準備しておきますね。」


 また今日も香と一緒にいられることが分かり、唯の気分は高まっていた。料理は何度も味見をし、お風呂の準備も出来ている。部屋もキレイに整え、なぜか寝室は特に念入りにやっていた。




 ドアが開く音がする。香が自宅に帰ってきた。


「ただいま」


 香は久しぶりに発した言葉であった。今までは誰もいない部屋に無言で帰ってくる、そんな寂しさを急に明るくさせた。しかし、自宅に帰ったら誰かが待っている。その環境に嬉しさと恥ずかしさがあった。そして玄関を開けたとたんに感じる、料理の匂いが嬉しく感じた。


「香さん、おかえりなさい」


 香を温かい笑顔で迎える唯をみて、香は一日の疲れを消し去ってくれた。


「唯ちゃん、ただいま」

「香さん、晩御飯出来ていますよ」


 香は、着替えを済ませたら、食卓に並ぶ料理を前にして、香は改めて唯の大切さを感じる。誰かと共に過ごす日常が、ただただしあわせだった。


 香は一言「いただきます」を唯に伝えごはんを食べ始める。


「唯ちゃん。おいしいよ」


 そう言った香は、不思議な状況に気が付く。唯に一言いった。


「唯ちゃんも座って一緒に食べよ。」

「いいんですか?」

「あたりまえでしょ。一緒に食べたほうがおいしいでしょ」


 香は気が付いた。唯は今まで一緒に食事をする子も許されない環境だったこと。料理は作らされても、自分の意志で食べることも許されなかったこと。明るい笑顔を見せるようにはなっても、今までの環境から一歩を踏み出せないこと。香は考えがまとまらない。しばらく黙って考え込んでしまった。


「あの香さん・・・」

「あぁごめんごめんちょっと考え事していた。唯ちゃん料理上手だよね。すごいおいしいよ」


 唯は、あまり人と一緒にごはんを食べることに慣れていないのか、返答はすぐに帰ってこない。香は積極的に会話を始める。


「唯ちゃん、学校はどう?友達はいるの?」

「・・・いえ、・・・あのあんまり・・・普段からあんまり行けていなかったので・・・」


 唯の少しうつむいた表情から、香は地雷を踏んだ気分だった。


「そっか、これからは毎日行けるから、友達を作らないとね。でも学校行くのが辛いときは無理しないでいいからね」


 香は、唯の表情を見ながら、ありきたりなことしか言えなかった。帰宅したばかりの明るい雰囲気が急に暗く感じてしまった。そこに唯が明るくなる言葉を伝えた。


「香さんがいてくれれば、私は大丈夫ですよ」

「唯ちゃん・・・」


 唯の一言で、香の気持ちは楽になった。香は、唯に対しての心配事を先送りにしてしまった気はするが、またの機会にすることにする。


 食後、二人はリビングでゆっくりと過ごす。香は唯に今日の出来事を話し、唯の話を聞く。ゆっくりとした時間が二人を心地よい気持ちにさせる。二人はシャワーを浴び、ともにひとつのベットで横になる。

 2人は唇を重ねそして愛し合う。その後、唯は笑顔で眠りにつく。しかし香はわずかに息苦しさを感じていた。唯の本当の気持ちは私に向いているのだろうか、もしかしたら今までに受けていた虐待から、大人に対して媚びなければいけない性格に作られてしまったのではないだろうか。


「なんか、少し息苦しいかも」


 香は、唯に対して本当は辛い思いをさせていないか、それとも二人で寝るには今のベットが狭すぎるのか。今まで一人で生きてきたことで、同居する人を思うことがなかったため、自分の気持ちがわからなくなっていた。しかし唯の寝顔を見ると心が落ち着いた。香は唯の頭を軽くなで、おでこにキスをする。


「とりあえず引っ越そう。唯ちゃんが使える部屋を用意してあげよう。それと、もう少し大きいベットかな」


 香のひとつの行動目標ができた。どんな部屋に住むかを考えながら香は眠りにつく


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