第8話 やんでれじごくへん2

 未夢と病院に向かう。保険証を準備し、着替えの指示までする俺は、まんま未夢の保護者だ。


「忘れ物はないか?」

「……」


 未夢の方は体調の不具合が機嫌にも反映しているようだ。むっつりとして、ポケットに手を突っ込んでいた。


◇◇


 電車の窓から流れる風景を見ていると、窓ガラスに映った未夢が、じっと俺を見つめている事に気付いた。


「……?」


 見つめ続けると、その頬が、ほんのりと桜色に染まって行く。なんだろう。未夢は言いたいことがあるのか、じっと俺を見つめている。


「お膝、座りたい……」


「ダメ」


 言ってまた車窓に視線を戻す。


「未夢ね……一人だけなら、許すよ」


「?」


 訳が分からん。一人ってなんだ。膝と前後の繋がりがチンプンカンプンだ。俺は首を傾げた。


「なんだそれ……。許さなかったら、どうなるんだ?」


「悪い子になっちゃうかも……」


 未夢はにこにこと笑っている。いつもの笑顔。……ゾクッと来た。

 最近、未夢にビビらされることが多い。


「未夢……いっぱい、いっぱい考えたんだよ」

「ん? ああ……」

「リューヤは、ワガママさん嫌いで、でも、未夢はいっぱい、いっぱいワガママさんで…」


 未夢は足りない頭で、必死に言葉を探しているようだ。その口調はたどたどしく拙い。


「いっぱい、いっぱいリューヤは、未夢によくしてくれて、でも、未夢は足りなくて……」


「……」


 未夢は何かを伝えようとしている。こういう時、俺は口を挟まないようにして、なるべく未夢に話させることにしている。怒らず、辛抱強く。大切なことだ。


「未夢が、もうちょっと我慢すれば、きっとリューヤは、いろいろなことができて……」


「がんばれ」


 未夢の頭をかき回す。ああ、そうだ。コイツは馬鹿なんかじゃない。ただちょっと、人よりペースがゆっくりなだけだ。


「もう少しだ。頑張れ」


 視線を揃え、笑みを浮かべて見せると、未夢も照れ臭そうに笑みを返し、頷いた。


「……未夢、悪い子なの。あの子もすごく悪い子で……」


「うん? キサラギのことか?」


「……ほんとは、仲良くしたくない。でもリューヤが……」


「俺が、なんだ……?」


 そこで、未夢が俯きがちだった顔を上げた。


「だから、一人だけ我慢するの。未夢、きっと悪いこといっぱいするけど、リューヤがそうしてほしいなら……」


「はあ?」


 よく分からん。つまり、こういうことか?  未夢は、キサラギのペット化を認めるということか? 俺は、それを感謝しないといけないのか? ほんとに分からん。


 未夢もキサラギも、あの『飼う』を本気で捉えているのか?


「……」


 胃に軋むような痛みを感じ、俺は大きく息を吐く。

 ヤバい……。俺、また適当なこと言ったかも。だとしたら、キサラギには悪い予感しかしない。


◇◇


 総合病院の婦人科では滅茶苦茶キツい思いをさせられた。


 学生服でロリ体型の未夢を伴い受け付けを済ませる俺。

 痛い。激しく痛い。絶え間なく襲う激痛。診察を受ける未夢を待つ間、俺が座っている針の筵(むしろ)の痛さは最高潮に達した。

 診察の順番を待つ、若い夫婦たちの視線が厳しい。人間のクズを見るような冷たい目。


「……あんな小さい子に……」


「なんてことだ。男の風上にも置けん」


 くそお! 未夢めえ!!


 そして帰って来た未夢は何故かご満悦の様子だった。


「リューヤぁ、スッゴいの――」


「わあ!! 言うなあ!」


 その後、腹が減ったとゴネる未夢と繁華街で食事した。ちなみに昼食代と病院で掛かった金は後日ヒゲから徴収させていただく。


「ようし、未夢。なんでもいいぞう! 焼肉なんてどうだ!?」


「……リューヤの作ったご飯がいい……」


「はぁ? 聞こえんな~」


 俺が登校したのは結局昼過ぎてからだったが、休むよりはいい。担任は俺の特殊な事情を理解してくれている。……もちろん、その説明はヒゲにさせた。俺は無制限にお人好しではない。


「リューヤぁ、学校が終わるまで待ってていい……?」


 もう少しで放課後なので、未夢は校門で待つという。しかし……


「ん……いや、しかしだな……何もないぞ?」


 俺ももう高校二年だ。つまり、一年以上の間、未夢は何もせず、ひたすら俺の姿を待ちわびているという事になる。


「なあ、未夢……」


 俺はその場にしゃがみこみ、未夢の瞳を覗き込む。


「なあに、リューヤ?」


 笑っているが、何処か湿りを帯びている瞳は危うく揺れているようにも見える。


「…………」


 未夢を守らねばならない。俺だけを信じ、ただ待ち続けるだけのコイツを守らねばならない。


「なあ、未夢。そろそろ、何か始めないか?」


「何か?」


「ああ、なんだっていい。勉強でも、スポーツでも、料理でも裁縫でも、なんだっていいんだ」


 必要な金はヒゲが出す。夜間学校でも専門学校でもなんだっていい。俺は未夢を……


「リューヤ。あれ……」


「なんだ、キサマ。この聖帝様の話が聞けんのか……って、ん?」


 ふと校門を見ると、そこは人だかりでいっぱいだった。救急車やパトカーが詰め掛け、大きな騒ぎになっている。


「や、ヤバいぞ未夢。ヒゲの金を使い込んだのはお前だ。俺じゃない。俺じゃない!」


 勿論、俺だ。ヒゲにはいい思いをさせてもらっている。そんな冗談はさておき、嫌な予感に歩を進めると――


「――リューヤ! リューヤっ!!」


 不意の呼び掛けに校舎を見上げると、友人の何人かが隣の校舎を指差して叫んでいる。


 その指先を追って視線を向けると、隣の校舎の屋上のフェンスを乗り越え、壁際に立つ一人の人影があった。見覚えのあるそれは……


「キサラギ……?」


 遠目に見たキサラギの両手首には何本もの赤い筋が入り、白いブラウスは血のような赤い液体に染まっていた。


 キサラギはフェンスを乗り越えた壁際で、ナイフを片手に近寄ろうとする連中を牽制している。


 いかれてる……。


 その場に座り込みそうになった俺が素直に思ったのはそれだ。


「がんばるね、あの子……」


 隣に立つ未夢が、俺と同じように屋上のキサラギを見上げていた。


「キミ! キミがリューヤ君かっ!?」


 慌ててやって来た警官が、俺に携帯電話を押し付けて来て叫んだ。


「説得してくれ! 彼女は興奮して誰の言う事も聞かんのだ!」


「なんで、俺に……」


 その俺の問いかけに、警官は不吉なものでも見るように、一瞬キサラギに視線を飛ばした後、眉根を寄せた。


「キミの名前ばかりを叫んでるよ……もう一時間にもなる……」


「一時間? 死ぬ気、なんですか?」


 警官は首を振った。


「それが、わからん。本人はそのつもりはないようなんだが、飛び降りるつもりではいるらしい」


 なんだそれ……ワケが分かんねえよ……


 困惑しながら携帯電話を受け取り、耳に当てる。


『あっ、先輩ですかぁ。ウチですぅ、キサラギですぅ』


 こんな事態を引き起こしておいて、キサラギはいつものように、声にしなを作って喋り出した。


『あのぉ、ウチぃ、これから見せるんでぇ、よぉく見といて下さいぃ』


「見せる? ……何を?」


『ウチの気持ちですぅ』


 キサラギの俺に対する好意と、屋上からの飛び降りになんの関係があるのだろうか……。


「おまえ、バカか?」


 なるべく冷たく言って、俺は震えそうになる口元に手をやった。


『え……?』


「誰がそんなことしろって言ったんだ?」


 こんな時、どうすればいいかなんて分からない。俺を見る警官は眉間に皺を寄せていて、ひたすら心配そうに見える。


『え? で、でも、リスカ女の時は…』


「あん?」


 困惑混じりの声で答えるキサラギに怒ったように言う。……本当は、滅茶苦茶びびってる。


「おまえ、未夢に張り合ってそんなことやってんのか!!」


 これでいいか? 俺は合ってるか? 答えは……


『……ぐすっ……』


 電話の向こうで、キサラギが大きく鼻を啜る音がした。


『だって……リューヤ先輩、ウチのこと、見てくれないじゃないですかぁ……』


「そんなことしなくても、ちゃんと見てる」


 沈黙があって――


『――ウソだ。ウソだウソだウソだウソだウソだウソだウソだウソだウソだウソだウソだぁ! リューヤ先輩、ウチを見てくれない!! 命張らないと、ウチを見てくれない!!』


「そ、そんなことはない……」


 くそ……しくった。手に負えん……これは……飛ぶ……

 俺は対応を間違えた。

 落下予想地点には、もちろんマットを設置してある。だが、そんなもの、キサラギの意志一つでどうにでもなる。


 もし……いや、もう飛ぶと覚悟して……どうする? どうやってキサラギを助ける!?


『先輩、見てて下さい。ウチも先輩だけなんです。ウチ、先輩に命差し出せますから!』


 その時、未夢が言った。


「長いね。早く、飛ばないかなあ……」


「……なんだって?」


 その時の未夢は、まるで遊園地のアトラクションを楽しみにしている子供のようだった。


 キサラギが笑う。

 これ以上ないくらい晴れやかな笑顔で。


「マジかよ……」


 呆然と見上げる俺の視線の先で、キサラギは空に向かって飛んだ。

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