第5話 ―約束―

 その日の晩、未だ帰ろうとしないキサラギを含め、三人で食卓をこ囲む事になり、良くも悪くも家は賑わいを見せていた。

 そう思う……のは俺だけだろうか。

 未夢とキサラギの放つ殺伐とした空気の中、食事は淡々と進む。


「はい!」


 不意にキサラギが挙手する。嫌な予感しかしないが無視する訳にも行かない。


「何だ、言ってみろ」


「はい! ウチ、これからはリューヤ先輩のペットですから、好きな時に先輩の服着たり、匂い嗅いだりしてもいいんですよね?」


「変態が」


「あうっ」


 キサラギは涙目になって俯いた。どうも変態と呼ばれる事に抵抗があるようだ。ショックを受けるうちは更生の余地がある。


「……」


 一方の未夢は燃えるような目でキサラギを睨み付けている。

 こいつらの関係が修羅場に発展することは目に見えている。早急に何らかの手を打たねばならない。


「未夢……」


 不意に、未夢の頭を撫でた。今のこいつに必要なのは余裕だ。


「あっ……」


 未夢は驚いていたが、これだけでその表情が溶けて行く。こいつのアホさ加減は危険だ。しっかり手綱を握っておかないと、キサラギにやっつけられてしまう。こんなヤツでも預かってる以上、怪我はさせられない。


「先輩……なんで?」


「変態め」


 とりあえずキサラギにはこれで充分だ。

 優越感溢れる笑みとともに、未夢の顔に余裕が戻って来る。しかし……悪そうな顔で笑うようになった。以前の緩んだ天然ロリータフェイスが懐かしい。


「キサラギ、お前は何もしないうちからご褒美を要求するのか?」


 俺も悪どくなった。いくら変態の手綱を握るためとはいえ、こんな思ってもないことを。


「ご褒美、ですか……?」


 ゴクリと息を飲むキサラギは軽く唇を舐め、一瞬だけ未夢に鋭い視線を飛ばしたあと、改めて俺に向き合う。


「そ、それは、どうしたら貰えるんですか……?」


「俺の家ではな……約束が多いヤツほどエラいんだ」


「や、約束、ですか?」


 未夢がコホンと咳払いする。ドヤ顔が激しくウザイ。


「よし、未夢、言ってみろ」


 真剣な面もちで頷く未夢はもう馬鹿の固まりにしか見えない。俺は笑いを堪えるのに必死だった。


「未夢とリューヤのお約束!」


 俺が前振りすると、心得たと言わんばかり未夢が叫んだ。


「一つ! リューヤのパンツは履かない!」


「はうあっ!!」


 キサラギ……何故驚くんだ。お前はいったい何を考えていたんだ。


「一つ! リューヤの家では、オ、オナニー禁止っ!」


 流石の未夢もオナニーと叫ぶのは抵抗があるようだ。少し噛んだ。


「ああっ……」


 ショックを受けたキサラギは椅子から転がり落ち、その場にへたり込んだ。


「一つ! リューヤの家では……へっ、変態禁止っ! うわーん!」


 未夢……泣くほど変態禁止は辛かったのか……いい気味だ。


「……」


 そして呆然とするキサラギは、最早言葉もないようだ。呻くように呟いた。


「そ、そんなぁ。ウチ、何にもできないじゃないですかぁ……」


 知るか! 何考えてたんだ!

 俺は小さく咳払いした後、気を取り直してキサラギに提案した。


「お前も、俺との間に誓いを結ぶか?」


「誓い……ですか?」


 キサラギは、あまりピンと来ないようだ。まあ、無理もない。そこで言ってやる。変態にとって魅力的な条件を。


「……今なら、頭ナデナデが付いてくる」


「!」


 キサラギは一瞬目を見開き腰を浮かせたが、思い直したように不満げに視線を逸らし、再び椅子に腰を下ろした。


「そ、それだけですか?」


 揺れてる。揺れてる。キサラギの視線はあっちこっちと忙しなく揺れていて内心の動揺を隠しきれていない。

 俺は鼻で笑った。


「まさかな……前抱っこでの背中ぽんぽんが付いてくる」


「ま、前抱っこ! あっ、有り得ない……!」


 予想以上の反応に内心ほくそ笑んだ俺は、駄目を押してやる。


「ちなみに未夢は、第三段階のお腹すりすりまではゲットしている」


「なっ!?」


 目を潤ませ、未夢を睨むキサラギは鼻息を荒くしながら俺に向き直った。


「ま、前抱っこでの背中ぽんぽんって、裸でもOKですよね!?」


「……検討しよう」


 裸での前抱っこ、だと? それはお前……まんま前座位……挿入ってしまうではないか。い、いかん。変態のペースに巻き込まれそうだ。しかし……涙目になるほどいい条件か?


「それで先輩、ウチの呼び方なんですけど、ウチの名前はキサラギ――」


「お前はキサラギだ。それ以上でも以下でもない」


 遮って言う。キサラギはキサラギだ。俺の後輩だ。こいつは邪悪な変態だが、それでもやっぱり人間だ。俺のためにも、いつかは更生させてやる。もはやそれしか道はない。


「そ、それで、何を約束したらいいんですかぁ……?」


 掠れた声を出すキサラギは、その目が情欲に曇っている。少し煽り過ぎたようだ。しかし――


「未夢に対する暴力禁止」


 ここはマジで行かせてもらう。


「……」


 おー、おー、目つきが変わったな。それが本性か。


「リューヤ先輩の言う事でも、いや、竜也先輩だからこそ、それを聞くわけにいかない」


 来た。マジ答え。口調もはっきりしてる。だから俺は嫌だったんだ。眉間に険しい皺が寄っていて、さっきまでの表情とはまるで違う。


「リューヤぁ……お風呂ぉ……」


 未夢の馬鹿がこの状況下で爆弾を投下した。


「……」


 おー、キサラギすげぇ、ナイフみたいな目だ。

 俺はキサラギのことをほとんど知らない。ただの変態ならいいが、キサラギはそうでない。危険な変態だ。俺は未夢で変態慣れしている。その直感が告げるのだ。この変態は邪悪で危険であると。


「飲めないならいい。お前は、この場でリリースする」


 本当はそれが一番いい。危険な変態を野に放つことになるがそれはそれだ。身近な変態は一人で充分だ。


「そ、そんなぁ! ウチ……ウチ……せっかく……」


 しどろもどろになるキサラギ。どんだけ未夢を害したいんだ。


「時間切れだ。キサラギ、帰れ」


「うあっ……」


 キサラギの目に、じわっと涙が浮かぶ。危険な変態に考える暇などやらない。ここまでのやり取りでこいつの危険性はある程度掴んだ。後はもうそれを離さん。いや、離れていくのが一番いい!


「わかった! わかりましたからぁ……!」


「よし! では帰れ!」


「なっ! なんでですかぁ! ウチ、約束できます!」


「馬鹿っ、もう夜だ。そういう意味だ」


「ああ……」


 安堵して胸をなで下ろすキサラギは、にこりと柔らかな笑みを浮かべた。


「ウチは大丈夫です。もう先輩のペットですから」


 帰らんという事か。この変態のせいで、今日は学校にも行けなかったというのに、どんだけ俺に飼われたいんだ。


「それに、ウチ一人暮らしですし」


「……」


 一人暮らしだと? この危険な変態を野放しにするとはけしからん! 親の顔が見てみたいわ!

 もはや呆れ果て言葉もない俺に、未夢が先ほどまでとは違う強い不満の色を浮かべて言った。


「リューヤぁ、しんどい……!」


「……っ! お、おう」


 なるべく平静を装い、俺は頷いて見せた。


 俺には未夢との間に、絶対に破ってはならない<秘密の約束>がある。キサラギの相手はここまでだ。


「キサラギ、先に風呂に入れ」


「あ、はい……」


 赤面するキサラギから変態的言動の予感がする。


「あの……ウチ、処女ですからぁ……安心して下さぁい」


 どうでもいい。処女だろうが、あばずれだろうが、俺は等しく冷たく厳しく接する自信がある。


「でも、なめるはめるくわえるしゃぶる、オールOKなんでぇ……」


「変態め」


 何の呪文だろうと思った。こいつは宇宙人だ。別の言葉。別の風習。


 そんなキサラギとは全く関係なく、黙り込み、俯いて身体を揺らす未夢がいた。


◇◇


 疲れたとぐずる未夢を抱きかかえ、真っ直ぐ自室に入る。


「未夢、大丈夫か?」


「お腹、痛い……」


「トイレか?」


 未夢は首を振った。唇を尖らせ、やや不服そうに振る舞うのはキサラギの出現が原因だろう。


「おしっこ、漏れた……」


「……っ。分かった」


 未夢は赤ん坊じゃない。ただ事じゃないと腰掛けているベッドを見るが、濡れている様子はない。

 ひょっとするとあれだろうか。

 いくら幼馴染だからといって、そこまでするのは違うと思う。だが、未夢の両親からは警告を受けているし、そのための準備もしている。なかったのは心構えだけだ。

 未夢は、まだ初潮が来てない。


「リューヤぁ、しんどい……」


 <秘密の約束>だ。

 身体に不調を覚えた時はすぐ言う事。これは、いくつかある変態的な約束とは一線を画する真剣な約束だ。俺は速やかに手を打たなければならない。違えれば、未夢は、今後あらゆる約束を反故にするだろう。それくらい深刻な約束だ。誓約といってもいい。


「未夢、脱がせるぞ。いいか?」


「うん……」


 相変わらず犯罪臭のする無毛の土手が、懸念通り血まみれになっている。


「……」


 持て余す。正直な感想はそれだ。手を拱いていると、未夢も気付いたのだろう。言った。


「未夢、死ぬの……?」


 俺は首を振った。


「違う。未夢、お前は大人になったんだ」


 心と身体のアンバランス。大人の反応をする身体に対し、精神と知識が追いついていない。性知識だけが豊富なのは、何か大きな歪みの発露なのだろうか。これも未夢が抱える大きな問題の一つだ。


「未夢、血を拭き取らないといけない」


 これは非常にデリケートな問題だ。そのため、確認する。


「キサラギに手伝ってもらうか?」


「やだ。リューヤがいい」


 頷く。未夢の両親とはもう話してある。二人が悩んだ末、持ち込んだ問題だ。

 血を拭いて、ナプキンをする。それだけの行為。だが、持て余す。未夢は俺が居ないと食事もしないし、俺以外は身体に触れさせない。この場合もそう。同性であるキサラギではなく、異性である俺を選んだ。

 未夢の両親の悔しそうな顔を思い出す。

 何故そうなったのか。これに関しては誰も答えることができない。理由がないのだ。自然にそうなった。幼い頃からずっとそう。俺一人だけを信頼して依存する。


 ……歪んでいる。


 覚悟を決め、行動に取り掛かる。

 血を拭く作業は、未夢が興奮したため、中々捗らなかった。


「リューヤぁ。そこぉ、もっと強くぅ……」


「変態」


 黙ってやるよりいい。もし、未夢が沈黙を選んだなら、俺にはどうしていいか分らなくなる。ガキの俺には重たすぎて、どうすればいいのか分らなくなる。

 その後、腹痛を訴えたため、鎮痛剤を服用させた。


「念のため、明日病院に行こうな?」


「うん……」


 未夢の生理は重めのものであるようだ。身体が出来上がったばかりの未夢にとって、婦人病がどの程度の脅威になるかわからない。用心するに越したことはない。

 俺は未夢におやすみを言って部屋を出た。当然だが、あらゆる変態行為を禁止した。



 一階の廊下では、キサラギが全裸で、俯けに倒れていた。

 何のワナだろう? 錯覚かと思い目を擦ってみたが、やはりキサラギが倒れているように見える。


「おいこら、変態」


「……」


 キサラギは動かなかった。ぴくりともしない。休んでいるようにも見えない。

 何故、変態は次々と問題を起こすのか。頭の奥に鈍い痛みを覚え、俺は眉間を揉んだ。最近、非日常が俺の日常になりつつある。


「変態!」


「……」


 鋭く呼び掛けてみたが、やはりキサラギは動かない。死んでるのだろうか。……楽でいい。


「キサラギ、大丈夫か?」


「う……」


 抱き起こすと微かな呻きを上げ、キサラギが薄く目を開いた。

 俺は舌打ちしそうになるのを我慢した。


「何があった?」


「からだ、いっぱい洗って……気持ち悪い……」


 途切れ途切れ呟くため断言は出来ないが、おそらく湯当たりしてのぼせた。キサラギの乳首と股の辺りが擦りすぎて少し赤くなっている。何を考えて、どこを重点的に洗ったのかアホでも察しがつく。

 未夢もキサラギも、二人はどこまで俺を賢者にすれば気が済むのだろう。ムードがないせいか、二人には全く色気を感じない。


「……先、輩……」


「大丈夫だ」


 しかし、キサラギは力なく首を振った。消え入りそうな声で呟く。


「トイレ……」


 俺にも武士の情けはある。抱き起こしてトイレに向かった。だがキサラギは悲鳴に近い呻きを上げて――


「あ、あああ……!」


 下半身を濡らす温かい液体がピシャピシャと音を立てて床を濡らした。

 間に合わなかった。

 しかし……こいつは今日1日だけで、どれだけ俺に全てを見せるつもりなんだ。後はもう、脱糞するくらいしか残ってない。


「あ、ああ……ウチ、なんてこと………」


 キサラギは顔色を青くして俯いた。俺の視線から逃れようとする様子から見て、流石にこれはワザとではない。


「忘れろ。見てない。こんな時だってある」


 ボロボロに泣き崩れるキサラギにバスタオルを巻き付けトイレに入れる。変態と罵ってやりたいが、むご過ぎるので止めておいた。


 未夢の様子を見に行くと、大人しく眠っていた。


 俺と未夢には<秘密の約束>がある。


 二人きりの約束。

 未夢は体調不良を押してでも俺と一緒に居ようとする。これがいつか大事に至るのではないか。ヒヤリとさせられる場面も何度かあった。

 だからこれは苦肉の策だ。恋人同士のように共通の秘密と約束という名の鎖で未夢を管理している。

 未夢は俺に嘘を吐かない。その約束を未夢が守る限り、俺には未夢を守る義務が生じる。


 絶対厳守、俺の『約束』。

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