第3話 気分は聖帝
いつものように未夢にエサを与える。毎日、朝っぱらから俺の部屋に入り浸るコイツの存在を気にしたら負けだ。努めて考えない。
「よし、食え」
「はーい!」
今日は日曜日だ。従って、朝メシはいつものように手抜きせず、きちんと米を炊いて、和風の朝食を作った。
「今朝はうまいか?」
鮭の塩焼き。厚焼き玉子に白菜のお浸し。味噌汁もちゃんと出汁を取った。
「いつも、おいひーよ?」
コイツにとって、俺が手抜きしようがしてなかろうが、目の前に出されるのはいつものメシという訳だ。口一杯にご飯を頬張って、朝メシをやっつけるのに必死だ。
「……」
普段はアホな言動に隠れがちだが、未夢の抱える問題は大きい。
未夢は俺を連想させる場所や物が無い場合、平静でいられない。
俺が居ないと出先で泣き出してしまったり、酷い癇癪を起こしたり、とにかく不安定な状態になってしまう。
未夢を特別甘やかしたつもりはないが、結局いつも、なし崩し的に折れてしまい、食事を含めた世話全般をやってしまう俺のせいなのかもしれない。
どうするべきだろう。いくら幼なじみだからとはいえ、ずっと一緒にはいられない。
心を強くする方法を考える。
「なあ、未夢。寺に行かないか?」
「リューヤがイクなら……」
なんだ? 何かがおかしかったな……。
「なにするの?」
「ズバリ、精神修養だ」
「セイシ……? やだぁ……リューヤったらぁ……」
駄目だ。こいつの頭では理解できない。既に曲解を始めている。そもそも、俺も坊主に知り合いはいない。
「デート、デート♪リューヤとデート♪」
未夢は、俺とずっと一緒に居られる週末は機嫌がいい。
どうせ暇なんだったら、夜間学校や通信教育、何でもいいがやってみる気はないかと言ったのは一度や二度じゃない。
「今日は何して遊ぼうか……」
にこにこと笑いながら首を傾げる未夢は、それらの勧めには頑として応じない。必要ないんだそうだ。
「未夢……おまえ、世の中ナメてるだろ」
呆れて言うと、未夢は、ぱぁっと華のような笑みを浮かべた。
「ナメる……しゃぶる、じゃ駄目かな……?」
「…………」
最近の未夢は何かを掴みつつある。俺を困らせる、という一点において何かの技術を獲得しつつある。
俺が頭を抱えるのと同時に家の電話が鳴った。
相手はウチの親父かお袋か。はたまた未夢の親父かお袋か。どっちでも大差ない。
「未夢、出てくれ……」
「はーい!」
にこにこと上機嫌の笑みを絶やさず、未夢は電話の通話ボタンを押して耳に当てる。
――瞬間、その笑顔が消えた。
「……?」
妙な緊張感があった。2、3度気温が下がったかと錯覚しそうな冷たい空気が流れる。
「……いないよ」
未夢は静かに言って通話を切り、無表情で手に取ったままの受話器を見つめ続けた。
時折、未夢はぼんやりしているように見える時がある。
いつ頃からだろう。アホにしか見えないコイツに、陰のようなものがちらつくようになったのは。
進路が別々になり、俺と未夢を取り巻く環境は激変した。してしまった。
おそらく、未夢は変わらざるを得なかった。俺との関係を継続して行く上で、今の変化は未夢にとって必要なものだったのではないか。
「誰からだ?」
なんとなく想像は着いたが、敢えて聞いてみた。
「しらない」
硬質な声で返す未夢には、いつものように無意味な元気も笑顔もない。
もうコイツと10年以上幼馴染をやっているが、最近は分からない事が多くなったような気がする。
未夢には何もない。
昔から勉強もスポーツも苦手だった。今はもう学生ですらない。そんなコイツが見る夢はなんだろう。
また、電話が鳴った。
「でるね」
そしてまた、電話を切る。その繰り返し。未夢は馬鹿だから、この繰り返しを苦痛とは捉えない.キリがないとも捉えない。不意に、目の前の幼馴染が得体の知れない怪物のように思えて……
「俺が出る」
乾いた声が出て、俺は唇を軽く舐める。
俺が未夢にビビるなんて……あり得ん!
退かぬ!
媚びぬ!
顧みぬ!
気分はどこぞの聖帝様だった。
軽く息を吐き、未夢の頭を撫でてみる。何も起こりはしないのだ、と。
「わ……」
未夢は目を丸くしてこっちを見る。今の気分は聖帝だ。サウザーだ。愛ゆえに愛を捨てた男だ。
こうしたのは、いつ以来だ? わからん。サウザーの俺には難しい。未夢を褒めるサウザーの姿が想像できん。
「今日のは口に合わぬ」
「……?」
分からないか。まあいい。電話に出る。
「オラ!このリスカ女!リューヤ先輩出せよ!てめえの汚い肉穴で―――」
「ぐおっ!」
瞬間、耳にキーンと来た。
この殺伐とした男口調。ヤツで間違いない。
「あっ! リューヤ先輩?ウチです! キサラギです!」
うるさい。耳が爆裂したかと思った。
「聞こえてるよ。もっと静かに喋ってくれ」
このキサラギという女のことをただ一言で表現するなら、
「うるさい。お前は本当に、うるさい」
「すみません……でも! あのリスカ女がいけないんですよ!」
キサラギは俺の一つ年下の高一だ。去年まだ中学生だったキサラギを助けてから今年になって、たまに電話をかけてくるようになった。
「リスカ女? 未夢のことか? その呼び方止めろって、何回言わせるんだ。後、汚い言葉遣いも。何遍も言わせんな」
「……すんません」
気のない謝罪が帰って来て、俺はまた聖帝の気持ちになった。滅びるがいい!
「で、なんか用か?」
「あっ! よ、よかったら、ウチと映画でも――」
「行かない」
「……」
キサラギは静かになった。何時もこれならいいのに。
「じゃあな」
俺は未夢の世話で忙しい。キサラギの相手をする暇など微塵もない。
悪く思うなよ。そう心の中で拝みつつ、通話を切った。――瞬間、ゾクッと悪寒が走り、俺は受話器を持ったのとは逆の手に視線を向けた。
「んふ……リューヤぁ」
未夢だ。何を考えたか、俺の指を舐めたのだ。その顔が実に嬉しそうだ。
この変態がっ。
また電話が鳴って、取ると同時に未夢の頭に拳骨を見舞った。
未夢は「ピッ」て言った。
「酷いですよ! リューヤ先輩……なんで、ウチにばっかり、そんなに冷たいんですかぁ……」
最後の方は鼻声だった。
「そんなにリスカ女が大事なんですかぁ……?」
そこまで言って、キサラギは突然泣き出した。とても面倒なことになった。ちなみに聖帝の俺は未夢を含めた皆に等しく厳しく冷たい。だから、キサラギの評価は間違っている。
どうしたもんか考えていると……
「学校辞めたら、ウチのことも飼ってくれますかぁ……?」
「はぁ?」
飼う? も? 複数形?
泣きながらそんなことを口走るキサラギは、きっと変態なのだろう。
変態の相手なら慣れている。
「飼うって、何のことだ?」
「ウチのことですよ……」
「変態」
「…………」
キサラギは黙っていたが、グサッという音が聞こえたような気がした。そしてまた、通話を切った。
ここまですれば、電話が鳴ることはもうないだろう。
鳴った時は、その時はもうキサラギは人ではない。超えてはならない一線を超えた変態だ。変態を熟知する俺がそう思うのだ。間違いない。
変態、と真剣に吐き捨てた言葉はキサラギの全人格を否定する言葉だ。故に、キサラギが本物の変態でない限り、俺に電話を掛けることなどあり得ない。
だが、電話は、鳴った。
それは、運命のベル。
キサラギからの電話は、いつもうるさくけたたましく聞こえるが、この時は何故か静かに控えめに聞こえた。
俺は電話の電源を切った。
変態の知り合いは二人もいらない。さようなら、キサラギ。また来世で会おう。
俺は足元でうずくまるもう一人の変態に視線を向ける。
「リュ、リューヤ、ひ、光が見えたよ……」
「そうか……」
そのまま光に飲まれてしまえば良かったのに……。
俺は何か吹っ切れたような気がした。
未夢とキサラギが変態なのは、俺のせいなどではない。二人には元々素質があった。それだけのことだった。
俺がボタンを押した。
それだけだ。
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