スポット4. 打出商店街 北側




 緑の車道と赤の歩道のならんで走る並木道を、あなたは南へ南へと誘われるように歩いてきたのは確かでした。


 だけれども。

 いつの間に、踏切こえて線路のむこうへ抜けたのか。




 あなたが立ち尽くしているのは、阪神電車の線路をこえたその場所で。

『打出商店街』と描かれた、アーケード街の白い門をいつの間にやら見上げていました。


 そんなに大きな商店街ではありません。

 長さ100メートルにも届かなそうな、小ぢんまりとした通りです。






――― どないです。

――― 貴方のお目には、愛らしゅうに見えますんかいな。


 いつの間にか、あなたのそばには、また老紳士が立っています。




――― わしにはようわからんのですが、ここはひのもとの国でも、2番目に短いアーケード商店街、らしいですなあ。


――― ほんの六十年ばかり前まで、この通りをずぅっと行った浜のほうまで泳ぎにゆくお客さんらで、この通りもにぎわっとりましたのになぁ。


――― まあ今のこの通りも、綺麗にまとまってええと言う気もしますけどなぁ。




 そう言いながら、老紳士がステッキをもてあそびながらゆらりゆらりと振りますと。

 それに誘われたかのように、すい、とあなたの顔をかすめて、なにかがひらりと飛んでゆきました。


 それは一匹の魚でした。


 すい、すい、と。

 一匹どころではなく、何匹も、何匹も、あなたの顔をかすめてゆきます。



――― おやおや、これは。

――― 龍宮からのお使いが来てしまいはったしまわれたみたいですなあ。






 彼の言葉に、アーケード街のむこうにある出口を見やれば。


 これは、どうしたことでしょう。

 あちらは真っ暗、夜闇がおりて。

 さらにしかも、もっと南のかなたにあるはずの海がそこにあるのです。

 黒くうねって、誘うように、波をきらめかせているのです。


 波をきらめかせているのは、夜闇にうかぶ妖しい火。

 海のむこうの街あかりなどではなく、海をゆきかう船舶でもない。

 夜の海にともしびうかべたかのような、火たちがゆらゆら、きらめいています。




――― ご覧なはれ。

――― 海の龍宮が、うたげのあかりをともしてはります。


――― この打出の小槌をおかへとくださった龍神様のお宮ですわ。

    さぞ豪勢な宴ですやろ。




 そう言って、紳士が振るステッキは。

 いつの間にか、握りの部分だけになって、それがさらに大きくなって。

 古めかしい ――― それでも、ずいぶんなじみ深いその道具、ちいさな木製の槌に変わっているのでした。



――― せやけど、うらやましいと思いはることはありまへん。

――― この打出の小槌から、いろんなもんをお出ししたのを、今までいくつもその目でご覧になられましたやろ。


――― 私の屋敷へ、どうぞお招きいたしましょ。

――― お日さんのさす地上にはとうに跡形もありまへんけど、地の底にはいまも立派に建っております。




 その声は、いつのまにか、ぞっとするような響きをおびて。

 小槌をもたぬ左の手が、がしり、とあなたの手を握る。

 その力に、あなたは全身がしびれました。


 ただの老人の力ではない。ただ力が強いといった話でもない。

 まるで千年を超えるほどの長い歳月が、あなたを握りしめたようで。


 潮風のふく暗い海辺にかわった通り。

 おそるおそる向けた目に、老紳士の顔は夜闇につつまれ見えません。


 ただあのお洒落な紳士帽が、いつの間にやら、はるか古のかんむりのような布のかぶり物にかわり。

 なめらかなスーツもまた、奈良に都があった時代の制服じみたものにすっかり変わっていました。




 通りのかなたの出口には、いつ変わったのか、もう夜の海も、龍宮の火もみえず。

 ひたすらに暗い、地の底へと通じていると思えるほどに暗い闇が、ぽっかりと口を開いています。


 その闇に招かれるように、老紳士に手を引かれながら、通りを進んで……。

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