彼らの美徳の跡を

 平民革命の終結から1年。北西部郊外の町を、1台の馬車が訪れた。最新の補助魔動力装置を搭載した大きな車体から、1人の男が降りる。彼は白い弔花を手に、春を目前にした草花が覆う緩やかな丘を上っていった。

男の視線の先、丘の頂上付近には、墓標が並んでいた。斜面の上の方は整然と並んでいるが、道を挟んで下側に建てられた墓標は、高さや傾きが不均一で、急造されたことが窺える。そのすぐ傍の大木の陰では、1人の少年が本を読んでいる。少年は10歳ほどに見えたが、彼が読んでいたのは魔術工学の専門書だった。男は少年の横を通り過ぎ、ある女性の名前を探す。男は、その女性と面識が無かった。彼女の兄についてはいくらか知っているが、彼女自身について知っているのは、名前と、生まれた年が同じであること、そして、1年前に亡くなったということだけだった。

急造されたのであろう墓標の中に彼女の名前を見つけた男は、膝をついて花を添え、祈りを捧げた。男は、右隣の2つの墓標に、彼女と同じファミリーネームが刻まれていることに気がついた。腹の奥底で苦みが渦巻くような感覚に、男は傷の残らない拳を強く握った。

「こんにちは。」

横から聞こえた声に、男は振り返った。魔術工学の本を読んでいた少年が、男に声をかけたのだ。

「こんにちは。」

立ち上がった男は、少しぎこちなく応えた。

「母のご友人ですか?」

少年は慣れた様子でそう聞いた。男は、なんと応えるべきかわからず、顔も知らない彼の母親の墓標に目を向けた。置いたばかりの白い花が、丘を撫でる優しい風に揺れている。丘の足元に見える町には、その3分の1ほどに、未だ瓦礫や焼け跡が残っていた。子供達がその間に敷かれた簡易的な道を駆け回り、はしゃぎ声を上げながら遊んでいる。

「いや。」

男が短く答えると、少年は男と、彼が歩いてきた方向を観察した。

「えっと……あ、伯父のご友人ですか?あの馬車、魔機商工会の最新型ですよね。あれを現段階で入手できるのは、民衆連合の士官や幹部の方だけだと思いますので。」

男は密かに息を整え、言葉を選ぶ。

「君の伯父とは、戦場で一緒だった。1年前も。」

「……そうでしたか。」

少年は、悲しげな表情で町を見下ろした。

「すまない。」

「なぜ謝るんですか?」

「俺は……1年前の北西部での散発的な戦闘、その対応を──援軍を送らないと決めたのは、俺だ。」

少年は驚いた様子だったが、彼から怒りは感じられなかった。それでも、男は少年の方を見ることができず、気を逸らすように遠くを眺める。この町は半島の根元の西側にあたり、広く続く平原の先には海があるはずだ。しかし、澄み渡る空が水平線を霞ませ、海の姿はほんの一欠片しか見えていなかった。あの青くボヤけた線上の一部が空から滲み出しているように見えるのは、本当に見えているのか、海があると知っているからそう見えるのか、男には判別がつかなかった。

「僕、工兵になりたいんです。」

意外な言葉に、男は少年を見た。少年は微笑むと、抱えていた専門書の表紙を指でなぞる。

「伯父は僕の誇りです。僕も伯父のような、明日を切り拓く人間になりたい。」

少年は真っ直ぐにそう言った。

「あの日は……突然のことでしたし、本隊は南東部での作戦中だったと聞いています。不幸だった、としか言えません。でも、その作戦が成功したからこそ、今日があるんです。僕が学校に行けるのも、この本を読めているのも、工兵を目指せるのも、革命を勝利に導いた兵士の皆さんのおかげです。だから、僕もそうなりたいんです。」

少年は母親の墓標を見ると、困ったように笑った。

「まだ伯父には言えてないんですけどね。数週間前に久しぶりに会えたのですが、母のこともあって、反対されそうで。」

男は躊躇いながらも、口を開く。

「君を、戦場に送りたくはないだろうな。」

「そうですよね。でも、僕が戦場に立つことで助かる人がいるのなら、僕はやっぱり兵士になります。伯父もきっと同じように考えると思うので、わかってくれます。」

少年の心は決まっていた。子供とは思えないほどにしたたかさのある物言いだ。それが彼の伯父を思い起こさせ、男は静かに笑った。

「あいつが甥っ子に言い包められるところは、ぜひとも見てみたいな。俺から何か言っておこうか?」

「いえ、大丈夫です。ちゃんと自分で話します。」

「そうか、頑張れよ。」

「はい、ありがとうございます。母への弔問にも、感謝します。お名前を伺っても?伯父に伝えておきますので。」

「俺のか?」

少年は不思議そうな顔をしながら〝はい〟と頷いた。男は自らの発言を振り返り、たしかにおかしなことを言ったな、と思った。男は、国中の人間に認知されていながら、名前で呼ばれる機会も、名乗る機会もほとんどなかった。名前よりも、役割の方が圧倒的に重要だったのだ。男は特に気にしていなかったが、わざわざ名前を聞いてきた数人の中に、彼の伯父がいたことを思い出した。

「クリスだ。ジャン=クリストフ・ヴィラルドワン。」

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その莢は赤く 鈴木 千明 @Chiaki_Suzuki

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