革命晩期 4

 仮拠点からやや西の位置に上げられた信号光を目指して、男と第3大隊は雪山を進む。途中、南部旅団の小隊2つとも合流し、地下道の上を避けて集合地点へと向かった。

 赤い旗を持つ男が通る。それを見た兵士達は、安堵の表情を浮かべた。男はそれが異様であると感じていた。平穏な世が訪れれば、安定を望む者達に自分のような存在が受け入れられないだろうと、男は予見していた。

 男が司令部に向かえば、左のこめかみに傷のある大柄な男は、仮設のテーブルの向こうでいつもと変わらぬ様子だった。

「無事だったか。」

報告と指示の合間で中央旅団長は、地面に旗を突き刺した男にそう言った。

「無事ではないな。」

男はコートの内側を彼に見せ、魔莢まきょうを8割近く消費していることを伝えた。

「補充するべきだと思うか?」

中央旅団長は、男よりも先に革命に参加していた数少ない生き残りだ。当時の西部旅団長として、革命に参加したばかりの男の上官に付いた人物でもあり、2人は戦場で長い時間を共にしてきた。故に男は、彼の今の言葉が、意見を求めているものでないことを知っていた。

「補充できる魔莢なんてないだろう。すぐに撤退しよう。ルートは?」

旅団長は男に地図を示した。

「1箇所、地下道の上を通る地点がある。迂回はできない。」

男は地図ではなく、旅団長の目を見て頷いた。横で状況を確認していた第3大隊長は、その様子を見て、2人の傍から離れた。

「なるほど。近くの入口は、ここだな。」

地図の1点を指で打った男に、旅団長はため息混じりに応えた。

「まだ何も言っていない。」

「失敬、ご命令は?」

旅団長は、自身と同じ答えが既に出ている男を見て、躊躇いが己の中にあることを感じ取った。それは、十数年ぶりの感覚であった。

「捕虜を先行させるという選択もある。地下道からでは、頭上を通るのがどちらの兵士であるかまでは、判別ができないはずだ。」

「賭け事は嫌いなんじゃなかったのか。」

男の言う通り、捕虜を先行させたとして、そこで爆発を起こすとは限らない。仮に起こしたとしても、今は戦意を喪失している捕虜達が、爆発を機に反抗する可能性もある。

旅団長は長く息を吐いた後、男を見た。

「撤退ルートの安全確保のため、地下道に潜伏した術兵を排除せよ。第1大隊を付ける。」

「了解。だが、人手は要らない。」

男は旗を持たずに、旅団長に背を向けた。

「待て。」

旅団長は旗を地面から抜き、男に差し出した。

「地下道では邪魔になる。」

「だったら出口に刺しておけ。」

男はわざとらしく、うんざりしたような表情を浮かべた。

「戦いは直に終わるが、あるべき明日にはまだ遠い。たとえ戦場でなくとも、革命の象徴であるこの旗は、人々の道標となる。旗手は、お前しかいない。」

男は旗を手に取った。

「こいつ、わりと重いんだ。俺が怠けられるように、そっくりな人形を用意しておいてくれ。」

慣れた手つきで旗を丸めた男に、旅団長は魔莢を2つ渡した。

「これは?」

「俺の予備品だ。もう不要だろう。」

雪山での行動は2週間が経とうとしていた。予備の魔莢を保てる余裕などなく、旅団長が彼自身を優遇するような人物でないことを、男は知っていた。

「凍傷になっても知らないぞ。」

「なんのことだ。」

男は今度こそ背を向けた。赤い旗がひとり歩いていく。あるべき明日へと、道を切り拓くため。


 封鎖された地下道の入口を、男はこじ開けた。中は暗く、魔莢灯で照らしても先までは見えない。

男は丸めたままの旗を地面に刺し、しばらく手を離せなかった。母親を犠牲に生き延びてから、この革命の先頭に立ち、15年。皮肉にも、今の男は最も生に前向きであった。それでも、やるべきことは変わらない。旅団長は、最も生き残る可能性のある者を送り出した。

「妥当な判断、だな。」

男は旗から手を離した。風が吹く。革命の旗は解かれ、男の頭上ではためいた。

「戻ってくるさ。」

男は呟くと、地下道へと足を踏み入れた。

 男は、頭の中の地図を頼りに地下道を進んだ。術兵の潜伏場所に当たりをつけ、そこへ向かう。自殺攻撃は計画されたものであり、撤退ルートを予測して準備しているはずだと、男は確信していた。

 分かれ道に出たところで、男は足を止めた。右の脇腹がひりつく。その特異な体質ゆえか、魔力濃度が高い場所では、治りきっていない傷口に電流が走るような感覚がする。男は自身の体からの警告を受け、魔莢灯を消し、耳を澄ました。微かにだが、魔莢から魔力の漏れ出る音がする。それは、正面の壁の中から聞こえた気がした。男が壁に右手を当てると、ピリピリとした感覚が掌を伝う。男はコートの内側から魔莢を3つ取り、湿っぽい壁の窪みにそれぞれ置いた。来た道を少し戻り、拳銃を手にする。小型の濃縮魔力爆弾のピンを片手で抜き、正面の壁近くに転がした。

男が拳銃を構えた数秒後、壁が爆破される。割れた魔莢から魔力が飛び散り、壁の向こうの存在に付着する。魔力変質時のわずかな損失、すなわち発光現象を、暗闇の中で男は見逃さなかった。

魔力の示した一瞬の人影に、男は弾丸を2発、撃ち込んだ。呻き声と倒れ込むような音を確認し、男は拳銃を構えたまま、魔莢灯を点けた。

血を流して倒れた人物は、貴族軍の軍服を着ていた。男はわずかな違和感を抱いた。

「は、はは……」

術兵らしき人物は、男の顔を見て、血を吐きながら笑った。焦点の合っていないその目からは、行動が読めない。術兵は、未だ拳銃を構えた男に向かって、這いずり寄った。

男は壁の向こうにあった空間を見渡した。いくつか魔莢が落ちているが、地面まで吹き飛ばすほどの威力を出せるような量はない。

「爆発物はどこだ。他に仲間がいるのか。」

真っ赤な口をニタニタと広げた術兵は、男の問いに答える様子はない。尋問をしても無駄だと判断した男は、死にかけの術兵を避けて通り、粗末な机に置かれた紙を読んだ。そこには、貴族を異常なまでに称える血文字が、びっしりと書かれていた。

「狂ってるな。」

男が他の紙も同じような内容であることを確認していると、術兵が何か呟いているのが聞こえた。男は銃を構え直し、術兵を警戒しつつ、壁の中の空間から出た。

「不死の、赤旗──」

術兵の声に、男は足を止めた。

「──人々に罪を与えた、愚鈍なる老父の、呪いを受けた者よ。」

男は術兵に拳銃を向ける。術兵は仰向けになっていた。その目は既に光を失っていたが、両手は細い装飾されたナイフを握り、真っ直ぐと天に伸びていた。そこで男は、軍服に抱いた違和感の正体に気がついた。

「今こそ、解放されよ。」

ナイフは迷うことなく、術兵の心臓へと突き刺さった。異様に膨れた軍服の隙間から、魔莢がひとつ、転げ落ちる。

急速連鎖魔力放出は、強制的な異質魔力同士の衝突が火種となる。そして、魔力にはあらゆる力との互換性があり、生命力もその1つだ。つまり、術者が自殺することで起動する爆弾は、理論上あり得る。しかし男は、大多数の常識ある人々と同じく、そんな人道に反した物が作られているとは思いもしなかった。

術者が力尽きる、その瞬間までは。

男は全力で後退した。しかし、地下道を駆ける爆風はすぐさま男を捉え、その体を叩きつける。頭部と胸部を守った両腕に、術者が軍服に仕込んでいたのであろう金属片が刺さる。

衝撃が止み、まだふらつく頭で、全身の感覚を辿る。腹部と両足に強い痛みがある。男は自らの体に目を向けた。腹部に一際大きな金属片が突き刺さっていた。左足は切断され、右足も千切れかかっている。

「死なせてくれよ、まったく……」

男は痛みに耐えながらコートを脱ぎ、断たれた左足を繋がっているべき箇所に置いた。コートを両足に被せ、点灯術式を入力する。両足を再生している間に、刺さった金属片ごと腹部を布で固定する。下手に抜いて失血するよりマシだと、男は判断したのだ。

辛うじて歩ける程度に再生した頃には、コートに備えていた魔莢は、全てからになっていた。男はただの布切れになったコートの一端を腹部の金属片に巻き、もう一端を肩に括る。立ち上がれば、腹部が抉られる感覚に足が竦む。意識が朦朧とする中、出口までの道を体に刻み込み、壁を支えに歩き出した。

男は思い出していた。15年前、興味本位で戦線に近づいた時も、腹部に爆発物の破片を受けた。少年だった男は、自らで応急処置もできずに、迫り来る死に怯えるだけだった。もし、少しでも止血をしていれば、通常の治療で助かったのかもしれない。そうすれば、母親は命を捧げずに済み、自らが革命を先導することもなかったのだろう。この革命は起こるべくして起き、民衆の勝利は必然だと、男は考えていた。自身の存在は、それを早めただけだ、と。もっと時間をかけて革命が為されれば、犠牲者は少なかっただろうか。もっと早くに決着をつけていれば、大隊長の故郷で戦闘が起こることを防げただろうか。もう取り返しのつかない過去について、男は問答を繰り返した。足跡に残る、革命の血。流れ落ちた彼らに、懺悔するように。

 男の足に何かが当たった。そこで男は、目が見えていないことに気がついた。慎重に屈むが、腹部に激痛が走り、男は倒れ込んだ。男の右手が、足元にあった何かを掴む。慣れ親しんだ感覚に、男は笑った。

「旗手は、俺しかいないらしい。」

男は手探りで、ポケットから魔莢を2つ取り出した。雪山の寒さに震えているであろう旅団長のしかめ面を想像し、男は少しだけ気が楽になった。魔莢を手の中で1つ割り、目を覆う。視力を一時的に取り戻した両目を開き、辺りを見た。地下道の出入口は崩落し、男の右手にあったのはやはり、地面と共に落ちてきていた赤い旗だった。それを握り、光の差す方へ目を向けた。

空が見えた。雲ひとつなく、太陽が近くに見える。その眩しさに、男は魔莢を掲げた。

「たしかにこれは、だな。」

男の指先から魔莢へと、魔力が打ち込まれる。魔莢内にあった魔力は、空へと放たれた。男の打ち込んだ魔力は緩やかで、それに応じた魔力光は、太陽の下で赤く輝いていた。


 硬い感触が背中にある。閉じた瞼の向こうから光を感じる。濃度の高い魔力に肌がひりつく。からの魔莢が床に当たる音が響く。男は、これが走馬灯だと確信した。15年前の、教会での記憶だと。

「どうか、目を覚ましてください──」

祈る声が聞こえる。しかし、その声が母親のものではないことに、男は気がついた。

「──!」

急速に意識が引き戻される。呼吸を思い出した喉が軋み、肺が膨張に耐える。咳き込もうとした男は、腹部の傷を思い出し、衝撃を和らげるために金属片を支えようとした。しかし、そこに固い感触はない。横向きに寝かされていた男は、自らの腹部を見た。そこには新しい布が巻かれ、隙間からは大量の魔莢が覗いている。辺りには、からになった魔莢が山のように積まれていた。

「またお前か。」

第3大隊長は、男の嫌味にさえ嬉しそうな表情を浮かべ、周りにリーダーの生存を伝えた。兵士達の歓声が傷口に響く。男は衛生兵が差し出した布を奪い取り、咳き込んだ。

「これだけの魔莢、どこにあったんだ。」

男はその疑問に対する答えを聞く前に、野暮だったと反省した。

「皆、旅団長に倣っただけですよ。」

予想できた答えを聞き、男はからの魔莢から視線を外した。代わりに、ボロボロになった旗が視界に入る。男は、共に革命という力に形を持たせた赤を、初めて誇らしく思った。

彼らはただ、生きていたいだけだった。



1789年 平民革命 終結

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