革命晩期 3

 冬には珍しく晴れたある日、雲ひとつない青空に灰色の煙が上がった。北部側からの貴族軍の攻撃だった。真っ先に投降した中隊長は弁明を聞かれることなく射殺され、各小隊は、拠点に雪崩れ込む敵兵士から逃げ惑うことしかできなかった。背負った盾に銃弾や飛翔用魔莢まきょうが当たる度、心臓が吐き出されそうなほどに跳び上がった。

 なんとか隠し通路から逃げ出した頃には、小隊はたったの5人となっていた。出口を覆う土を崩し、外に出る。眩しく輝く太陽が、生きていることを教えるようだ。極度の緊張から解放された途端、心身への損傷がまとめてやってくる。吐き気に襲われ、その場に屈むと、坂の下で何かが光った。

銃声が響く。すぐ隣の兵士が倒れる。流れた血が広がっていく。

坂の下には、貴族軍の兵士が見えた。信号光が上がる。すぐに敵の援軍が来る。青年は坂の上へと逃げようとしたが、足元に当たった弾丸とその衝撃で舞った土に怯み、体勢を崩した。坂を数回転げ、背中の盾が外れる。銃声と共に弾丸が腕を掠め、青年は死の恐怖に呻き声を上げた。敵兵士を見れば、次は外さないと言わんばかりに、その銃口が光っていた。逃れたい一心で、坂の上へと向く。

赤だ。

ガン!とすぐ後ろで衝撃音がする。何度も聞いた、銃弾が盾に当たる音だ。青年の目の前には、赤旗が突き立っていた。それを握る右腕は青年の顔のすぐ横から伸び、その先には、見知らぬ背中があった。盾に身を隠したまま、その人物は振り返った。

青年は愕然とした。その少年は、どこからどう見ても、妹と同じ子供だった。ただ、わずかな恐怖の滲む表情とは裏腹に、少年の体には一切の無駄も、迷いも無かった。戦う以外許されない。少年からは、そんな苛烈な自戒が感じられた。

再び盾に弾丸が当たると、少年は素早く旗を抜き、斜面を猛然と駆け下りた。盾と共に残された青年の元に、民衆連合の兵士が駆けつける。青年は呼びかけに応じることもできず、敵へと切り込む少年を目で追い続けた。


 民衆連合の仮設テントで手当を受けた青年は、赤旗の少年の居場所を兵士達に尋ねた。兵士達は知っていることを教えてくれたが、誰もが腫れ物を扱うように、その少年について口にすることを躊躇っていた。

 司令部となっている仮設テントの前にいた2人の兵士に、少年に会いたいと伝える。

「お礼を、言いたくて。」

理由を聞かれた青年は、兵士達にそう答えた。2人は珍しいものを見たように顔を見合わせた後、1人がテントの中へと入っていった。

 すぐに戻ってきた兵士に促され、布で仕切られた奥のスペースに入る。そこには少年と、2人の男がいた。

「学生か、大変だったな。」

左のこめかみに傷のある大柄な男が、青年に声をかける。胸元に西部旅団長を示すバッヂが付いていることに気がつき、青年は急いで敬礼した。

「いい、君の尋ね人は私ではないだろう。」

西部旅団長が端へ避けると、椅子に座った少年と目が合った。工兵の紋章をつけたもう1人の男は側に屈み、少年のコートに繋いだ機器を操作している。手を動かしながらも、青年を見てニヤリと笑った。

「えっと……」

緊張した様子の青年を、少年は戸惑ったように見ていた。どんな要件で自らを訪ねてきたのか、見当もつかない様子だ。その表情は、青年の知る子供達となんら変わらない。青年は、やるせない気持ちに息が詰まりそうになった。

「先ほどは、助けていただいてありがとうございました。」

なんとか伝えたい言葉を出し切り、青年はやっと、大きく呼吸ができた。どう応えるべきかわからないのか、少年は答えを求めるように旅団長を見るが、彼はただ微笑むだけだった。

「ありがとう、だってさ。」

工兵は、内気な子供に応答を促すように、少年にかけられた言葉を繰り返した。

「どう、いたしまして。」

少年はぎこちなく応えた。その様子を見た旅団長は、満足げに笑った。

「君、少しいいか。」

 旅団長に連れられ、青年は別のスペースへと移動した。仮徴用を示す橙色の軍人手帳を旅団長は確認すると、感心したように頷いた。

「歩兵科の優秀な学生のようだな。特に射撃科目は追加評定を3つも受けている。素晴らしい。」

青年は、無力さに拳を握った。

「最後は、拳銃すら持たずに逃げました。」

処罰を受けることも覚悟しての発言だったが、旅団長は慰めるように小さく頷いた。

「君たちは学生の身でありながら、6ヶ月も耐えてくれた。君もまだ19だろう。恥じることはない。」

青年は涙が出そうになった。それは、安堵によって引き起こされたのではなく、ずっと抱えてきた不快感が刺激されたせいだった。

「彼は、まだ15歳でしょう。」

そう口にしながらも、旅団長の顔を見れない自分が情けなかった。

「4日前に16になった。だが、まだ子供であることに変わりはないな。」

「そうです。まだ子供です、本当に。なぜあの子を前線に立たせているのか、私には理解できません。」

視線を下に向けたまま、旅団長のつくる沈黙に耐える。青年は、自らの考えが民衆連合の方針に反するものだとわかっていた。いつかは主張するべきだと思っていたが、いざ幹部の1人である男を前に発言すると、彼の反応に怯えてしまう。

「おかしな話だ。」

青年は顔を上げた。まるで別人かと勘違いするほどに、その声は疲弊していた。旅団長が短く息を吐くと、元のどっしりとした声音に戻った。

「君は、〝不死の赤旗〟の本名を知っているか?」

あの少年に関する報告書や新聞記事は、もちろん見たことがあった。しかし青年は、彼の名前を知らなかった。覚えていないのではなく、書かれているのを見たことがなかった。

「いいえ。」

「これだけ存在が認知されているのに、本名が知られていないのはなぜだ?」

青年は、彼の名前が載っていないことを、深く考えたこともなかった。

「機密情報だから、ですか?」

答えながら、青年はおそらく違うと察した。本当に機密情報であれば、こんな聞き方はしないだろう、と。案の定、旅団長は首を横に振った。

「本名などに興味が無い、もしくは、として見ていないんだ。彼が背負い込んだ役割は、子供には大きすぎる。その影に、1人の人間であるという当然のことさえ、隠れてしまうほどに。」

青年は、自らもその1人であったと唇を噛んだ。その姿を直接見るまで、彼を〝不死の赤旗〟という存在で覆い、妹と同じ年の人間であるという事実を、認識しないようにしていた。だから、周りが彼の話をすると、その覆いが捲られるような気がして、不快だったのだ。

「革命とは、あるべき明日のためにある。古い慣習が蔓延した現状を破壊し、押し殺されてきた真の正しさを、新たな秩序として勝ち取る。血を流すことも厭わず、我々はそれを熱望している。にも関わらず、だ。〝不死の赤旗〟がまだ心身ともに未熟な子供であることに、誰も言及しない。〝子供〟という概念を生後に知ったような老兵は、いないはずなんだがな。」

旅団長はこめかみの傷痕を軽く掻いた。

「〝本人が望んだことだ。〟〝普通の人間とは違う。〟〝彼以上の旗手はいない。〟すべて事実だ。だが、〝まだ子供だ。〟という事実だけは、民衆連合の戦力と士気を高めるために、黙殺されている。革命の象徴であり、同じ人間ではないと、誰もが見ないフリをしている。この2年半で、彼に直接感謝を伝えに来たのは、君が初めてだ。それが、この変革の只中にある組織の現状だ。」

旅団長は軍人手帳を静かに閉じ、青年に返した。

「必要なら推薦状を書こう。貴族の傘下でない軍事組織であれば、大方は融通が利く。欲を言えば、民衆連合に参加してもらいたいがな。」

手帳を受け取った青年は、感謝の言葉を口にすべきだと頭ではわかっていたが、思うように喉が動かなかった。

「会議室か戦場かはわからないが、その〝正しさ〟を失うことなく再会できることを願う。」


 半年後、青年は、少年と同じ戦場に立った。



 崩れ落ちる男の左腕は、誰かに掴まれた。

「言ったでしょう。あなたには、まだ責任がある。」

第3大隊長は、男の左手を右の脇腹に置いた。設定された点灯術式の入力を受け、コートに張り巡らされた術式機構が起動し、内側にある魔莢から魔力が流出する。

男は目を開けた。彩度の戻ってきた視界に映る太陽は、眩しすぎた。

「動かさないで。また落としますよ。」

大隊長の言葉を無視した男は、彼が拾ってきたであろう繋がったばかりの右腕で、その胸を叩いた。

「死なせてくれよ。」

男は笑っていたが、その言葉は本心だった。

「生きるんです、あなたは。死なない、死ねないではなく、生きるんですよ。」

大隊長は真っ直ぐにそう言った。男はこれまでにも何度か、彼の的外れな言葉への応答に悩んだことがある。士官としても、いち兵士としても優秀で、比較的堅実な選択をするが、少し変わったところがある。男は10年ほど前にも彼をそう評価し、今でも同じような印象を持っていた。

「どうしてそこまで、俺を生きさせようとするんだ。」

血が喉をせり上がるのを感じ、男は横向きになった。吐血は器官同士が正常に繋がったことを示す。ごく自然に窒息を防ぐ体勢を取った自らに、男は嫌気が差した。口から垂れ流される血が、真っ白な雪を汚していく。

「たしかにあなたは、多くの人間を死へと向かわせたのかもしれません。でも、あなたの周りに立った者達は、死ぬために集まったわけじゃない。彼らの覚悟は、生きるためのものだ。あるべき明日のため、血を流す。革命とはそういうものだと、あなたは誰よりも知っているはずです。」

大隊長は発熱袋を叩き、中の魔莢を割った。徐々に温まる発熱袋を水筒に巻き、男の懐に入れる。

「あなたは〝革命〟そのものだ。あなたという存在は、流された血で充ちている。だから、その身はあるべき明日のためにある。私はそう思います。」

男は咳き込んだ。まだ不安定な内臓が衝撃に揺れ、不快だった。生きようとする体を、死にかけた心が妬む。

「それは、とんだだな。」

大隊長は温まった水筒を男の懐から取り出し、その体を起こした。差し出された水筒を見て、男はあからさまに眉を顰め、諦めたようにそれを手に取った。口を濯ぎ、布で血を拭う。その血が自らのものであるという感覚を、男はたしかに無くしていた。

このさやに溜められた、魔力の一形態。その魔力は、革命のために集められたものだ。それならばたしかに、彼の言う通り、己は〝革命〟そのものであり、明日を見届ける義務があるのかもしれない。

男は、他人に示してもらった生きる理由を容易く受け入れた自分に、呆れて笑ってしまった。

「そろそろ動けますか?」

旗の雪を払いながら、大隊長は男に聞いた。男は水筒を投げて返すと、立ち上がった。

「リーダー。私も、あなたを見て民衆連合に参加しました。まだ少年だったあなたが、責め立てられるように戦場に立つのを見て、この戦いを勝利に終わらせるべきだと思ったんです。あなたが戦場以外で生きていく日々、それが1日でも早く戻ること。それが〝正しい〟ことだと、私は信じています。」

大隊長は、旗をリーダーへと差し出した。

「おかしな奴だな、お前は。」

男は旗を受け取った。革命を共に見てきた赤い旗を軽く振り、肩に担ぐ。慣れ親しんだ重みが、男の足取りを安定させた。

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