革命晩期 2

 ドスッ、と拳銃が雪の中に落ちる。第3大隊長は咄嗟に拳銃を投げ捨てていた。手の届かないところまで放られたそれを、大隊長の荒い呼吸が白く曇らせる。

「何を……何を考えているんですか!いくら再生できるとはいえ──」

そこで大隊長は、男のコートの内側にあるはずの大量の魔莢まきょうが、1つとして無いことに気がついた。一連の出来事の恐ろしさを再認識し、凍える心臓を溶かそうと、冬の空気を目一杯に吸い込む。

「死ぬ、つもりだったんですか。」

大隊長の声は震えていた。つい先ほどまでとは、違う震えだった。

「少し、気になったんだ。俺は、自分の〝死〟を恐れているのかどうか。」

男は雪の中に落ちた拳銃を見た。

「恐くはなかった。むしろ、少し安らいだ。このまま死ねれば……」

男は、大隊長の震える手を見た。強引に男の手を引き剥がしたせいか、表面には引っ掻き傷ができ、血が滲んでいた。

「俺は、多くの人間を死へと向かわせた。俺が先頭に立つことで、戦場に赴く人間が増えた。危険な作戦に志願する兵士が増えた。俺が死んでいれば、死なずに済んだ命は、いくつあっただろうな。」

大隊長の手の甲にできた傷を、男は自らの手で冷やした。

「だからこそ、この革命が勝利に終わらない限り、俺は死ねないんだ。たとえ自らが死を望んでいても、どれほど周りが死を望まずに死んだとしても。必ず、この戦いに意味を持たせなければならない。」

男は手を引いた。彼の手の甲の傷は消えず、徐々に周囲を赤く腫らしていく。

「悪いな。」

「いえ……私の方こそ、申し訳ありません。感情的になって、あなたに、酷いことを言いました。」

大隊長は自らの発言を相当に後悔しているのか、自身への嫌悪を示すように、傷ついた手で、雪に付いたままの膝を潰さんばかりに握った。男は空に向かって、彼に聞かせるべきでない言葉を、息に変えて吐き出す。

「もうすぐ、終わる。」


 敵拠点への到達は困難を極めた。貴族軍は長期の孤立により疲弊していたためか、道中での妨害はしてこなかった。しかし、山奥まで拠点を後退させており、民衆連合の雪山での行軍は、7日間にも及んだ。白い斜面に足を取られた兵士は、先を見上げる。そこには、この革命を象徴する赤い旗。それを目指し、兵士達は不死の如く、歩みを進めた。


 さらに仮拠点の構築と周囲の安全確保に3日。その間に偵察隊や探索班からの報告を受け、作戦を立案する。敵拠点は三方を峰に囲まれており、突入は正面からしかできない。貴族軍は多くの地下道を構築しているが、これは使わずに地上から攻め入る。隣国側へ逃亡する者は追わず、この拠点を制圧することを目的とした。この国を私物化する貴族が居なくなれば、民衆の勝利だ。

 途切れることのない報告と指示の声を聞きながら、男は、自らの内に空白を感じていた。

戦いの日々だった。昨日も、今日も、明日も。戦場でのことばかりを考えていた。男は当然のように、そうするべきだと思っていた。報いなければならなかった。自らの浅はかな行為で捧げられた母親の命と、代わりに与えられた〝祝福〟とやらに。周りで倒れていった者達に、勝利を手向けなければならない。では、勝利した後は?今日この戦いが終わるとして、明日は何をすれば良い?男はその疑問に対する答えを持っていなかった。革命後の世を作るのは、自身のような異常な人間ではない。ごく普通の、大多数の共感し合える者達だ。これはそのための戦いであり、自らのような存在は不要となる。天秤を吹き飛ばす砲弾は、もう降ってこない。

「周囲の地下道の出入口は全て封鎖。爆発物の探知、及び危険区域の規制も完了しています。南部旅団第2大隊が奇襲への警戒を──」

第3大隊長が報告しているのが見える。最終決戦を目前にしても男は、自らの責務の先にある安寧を、ついぞ見つけることができなかった。

もし、あのまま死ねていれば──

大隊長の手の甲には、薄らと赤い傷が残っている。

──平和な明日を、怖れずに済んだのにな。


 貴族軍の最後の砦は、呆気なく落ちた。要人は既に国外へと逃亡した後であった。残っていた貴族軍の兵士達も、気力、体力共に限界だったようで、大多数が投降した。

「残念でしたね。」

敵拠点前で待機していた男に、第3大隊長は声を掛けた。

「戦いたかったのか?」

男の問いかけに、大隊長は笑った。否定はしなかった。

「それはあなたの方だ。我々の勝利を確信して、今度こそ、戦いの中で死ぬつもりだったのでしょう?」

男は、否定しなかった。

「駄目ですよ、リーダー。あなたには、明日を見届ける責任がある。」

「俺が見届けなくとも、民衆達によって世の中は進む。」

「いいえ、あなたはその目で確かめなければいけないんです。死なないあなたの隣に立ってしまった同胞達の死が、どんな未来の礎となったのか。その先で、あなたは自身の存在を正確に評価し、彼らに報告する義務がある。」

男は地面に突き立てた革命の旗を見た。大隊長の言う〝責任〟は、戦いの指揮を執るよりも困難なことのように聞こえた。

「まったく、昔からお前は」

ドォン!と、衝撃が体全体を激しく揺する。背後を振り返れば、敵拠点の後方から煙が上がっていた。

「退避!」

男が叫ぶと同時に、再び爆発音が響く。仮拠点の方角からだ。

男はすぐに、地下道からの爆発だろうと予想がいった。しかし、この辺りは地下水によって火薬は使えない。魔力型の爆弾は探査済みで、敵拠点にも、仮拠点にも反応は無いとの報告を受けていた。

男の脳裏に、北西部での自殺攻撃がぎる。魔莢の扱いに長ける男は、報告書には明記されていなかった自爆方法に、心当たりがあった。

術者の接触による魔力操作が必要な、急速連鎖魔力放出。

男は地面から旗を抜いた。そのさらに下から、よく知った音が微かに聞こえる。それは、魔莢から魔力が流出する際の、細かい振動音だった。

反射的に防御姿勢を取った男の体から、感覚が消し飛ぶ。

体が雪の上を転がり落ち、止まった。なんとか左目を開く。彩度の低い赤い視界に、途中で落としたのであろう右足と、旗を握ったままの右腕が見えた。男は仰向けになり、凹んだ右の脇腹に左手を置こうとした。

空が見えた。雲ひとつなく、太陽が近くにある。男は左手を伸ばした。指の隙間から、血がポタポタと頬に落ちる。

男は目を閉じた。力の抜けた左腕が、崩れ落ちる。


 爆発音が耳を劈く。地面に伏せて身を守った第3大隊長は、頭を軽く振り、周りの状況を確認した。敵拠点後方からの爆発時、近くにいたのはリーダーだけだった。自らはすぐに建物から離れたが、退避を指示した男の行動は追えていない。

「建物に近寄るな!」

駆け寄ろうとしていた隊員を制止する。

「散開隊形で警戒。伝令係を本部に走らせろ。」

指示を出し、平衡感覚の乱された体を、ライフルを支えにして起こす。リーダーのいた位置を見れば、地面は崩れ、白煙が上がっていた。辺りには少量の血痕が広く飛び散っていたが、リーダーの姿は無い。彼の姿を探し、視線を左前方に向ける。片足が見えた。しかし、膝から先に体は無い。

「リーダー!」

まだ衝撃の余韻が残る体で、雪上を走る。片足の近くまで行けば、緩やかな坂の下に赤い旗が見えた。それを握る右腕から少し離れたところに、探していた男の体があった。彼の落とした片足を持ち、転びそうになりながら坂を下る。リーダーは自力で仰向けになった。

「リ……」

男は左手を空に向けた。太陽の光に照らされた彼の血が、手から零れ落ちる。

〝このまま死ねれば……〟

大隊長は雪山での行軍の間、男の言葉の続きを考えていた。きっと、戦いの無い日々をどう生きればよいのか、わからないのだろう、と。それが、ひどく悲しかった。あるべき明日のためにその身を戦場に投じ続けてきた男は、その明日に、自らの姿を描けないのだ。〝責任がある。〟大隊長は男にそう言った。そう言えば、戦いの無い明日に、彼なりの生き方を見出してくれるのではないかと思ったからだ。

大隊長は男に駆け寄りながらも、喉が詰まって声が出せなかった。

〝生きてほしい〟というのは、自らが望んでいることだ。自分の信じた〝正しさ〟を、否定したくない。それを彼に強要するのは、間違っているのだろうか?

リーダーは目を閉じていた。その表情に恐怖は無い。透き通るような陽光が、彼の頬を伝う赤を、輝かせていた。



 革命が始まって2年、形勢は貴族軍が有利であったが、市民連合は多くの志願兵を集めることに成功していた。戦場に赴くことを決心した若い民衆達の心を打ったのは、1人の旗手であった。赤い旗を持ち、最前線を駆け、どんな猛攻をも切り抜ける。〝不死の赤旗〟──それが、まだ15歳の少年に付けられた異名だった。

 後の革命晩期に民衆連合の第3大隊長となる青年も、〝不死の赤旗〟の噂は耳にしていた。大人たちは信じ難い旗手の功績を讃えて酒を飲み、子供たちは想像した英雄の勇姿を真似て遊んでいた。青年は、それが不快だった。妹と同じ年の少年が戦場に駆り出されていることも、それが美談として語られていることも、納得がいかなかった。青年が平民軍学校に入学したことに〝不死の赤旗〟の存在は影響していなかったが、いつしか、その少年を一目見たいと思うようになっていた。それは、他の者達のような憧れや好奇心からくる願望ではなく、自らを安心させるためだった。その少年は、妹や近所の子供達とは違う、異常な存在である、と。

 青年が軍学校を卒業するまであと1年と少しとなった頃、貴族軍は北西部での攻勢を強め、青年のいた中都市は孤立してしまった。数ヶ月前から民衆連合は、西部の大都市を占拠するために多くの人員を投入し、この中都市の防衛を担っていた兵士たちの一部も、そちらに駆り出されていた。駐在していた中隊長は、終わりの見えない持久戦に、学生を投入することを決めた。

 軍学校での最後の年、その前半を、青年は前線となった街で過ごした。幸いなことに物資には余裕があった。物資を送るべき周辺都市との補給経路は寸断され、消費するはずの兵士も少なかったからだ。5ヶ月が経過した頃には、その兵士の数も半分以下になっていた。西部の大都市は1ヶ月前に民衆連合が制圧し、周辺の戦況も優勢となっていた。〝すぐにここにも赤旗が立つ。〟それが、4人目となった中隊長の口癖だった。

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