その莢は赤く

鈴木 千明

革命晩期 1

 空が見えた。灰色の雲が留まることなく流れるが、太陽は未だ見えない。至近距離で浴びた爆発音から戻ってきた聴力は、聞き慣れた戦場の音を拾ってくる。男の無事を確認しにきた兵士達に、再生したばかりの、まだ感覚のない右手を振り、死んでいないことを伝える。その指は、から魔莢まきょうを握っていた。

魔力を貯蔵する無色半透明な容器。親指ほどの大きさのそれは、今や人々の生活に欠かせない物であり、この革命の火種でもあった。

血に濡れた魔莢を、雲に覆われた太陽に翳す。

彼らはただ、死にたくないだけだ。



1610年 兵士革命

〝魔莢〟の発明により、白兵戦のみを行っていた歩兵が軽射出装備を携行、中距離からの戦闘が可能となった。戦術面もこの影響を受け、少数の術兵を基点とする要塞円陣戦法から、歩兵を主体とした集団列陣戦法が主流となった。魔莢の発明、すなわち魔力濃縮技術の進歩は偶発的なものであったが、これに関する研究が、後の魔莢革命の契機とも言われている。


1662年 魔力論争の鎮静化

〝魔力は有限である。しかし、神は十分に与えたもうた。〟

それまでの魔力明滅説が否定され、魔力循環説が認められた。魔力量の計測方法が確立し、広義の魔力変質の前後で、魔力総量が一定であることが証明された。この総量不変の法則を基盤とし、各分野の定義、基礎式、法則、定理が改修、再編纂された。


1689年 〝平等なる子ら〟運動

魔力計測法の統一により、体内の魔力濃度の低下による健康被害が明らかとなり、貴族による平民からの魔力搾取が問題視された。これを機に、倫理学、哲学、魔術学、社会学など、様々な分野で〝平等〟を主題とした議論が活発に行われた。平民の間にも貴族との格差に疑問を持つ風潮が広まり、第三聖歌の一節である〝平等なる子ら〟を掲げた運動が各地に広まった。


1740年 魔莢革命

魔力論争を経て統制された魔術理論により、魔力変質技術は複雑かつ大型な装置の開発へと至った。中でも革新的であったのが、魔莢の大量生産である。当時の魔莢は、兵士革命以前の一般的な魔力携行容器と比べて、大きさは約9分の1、携行可能な魔力量は約4倍であった。一方で、安全性と安定性に問題があり、軍事目的以外での使用は少なかった。しかし、信頼性の高い魔莢の大量生産に成功したことで、民間への普及が爆発的に進んだ。


1774年 平民革命

魔莢革命により、一部の財力ある平民が本格的な魔力貯蔵を行い、強力な私兵を有するようになった。これに危機感を覚えた貴族により、平民の魔力貯蔵への規制と、魔莢の製造、売買への重税が、国王議会に提案された。魔莢革命以降、魔莢は軍事利用よりも日用品や医療品への利用が盛んであり、重税が課されれば、平民の生活を苦しめることは明らかであった。国王議会は貴族のみで構成されており、ここでの採決は不平等であるとして、魔機商工会を中心とした〝民衆連合〟が訴えを起こした。聖法院は民衆連合の訴えを認めたが、国王議会はこれを受理せず、採決を強行した。これに対する反対運動が各地で起こり、一部の下流貴族が民衆連合に加わったことで激化、内乱へと発展した。


    ──〝我が国の革命史〟より、一部抜粋。



 占領した王立工場の屋上で、男は街の残骸を見下ろしていた。階下からは、兵士達の歓びが喧騒となって微かに聞こえる。

「リーダー。」

第3大隊長が湯気の立つカップを持って、男の隣に座った。カップが男に渡されると、2人はしばし何も言わず、靡く赤い旗の下で暗い街を眺めていた。

「これで、形勢はかなり有利になりましたね。」

男は何も言わず、貴重な嗜好品を口にした。それは熱く、苦く、香りが良かった。

「もうすぐ、終わりますよね。」

戦場では頼り甲斐のある大隊長格の男は、まるで眠りにつく直前の幼子のようであった。

「ああ。」

リーダーのごく短い返答に、大隊長は安堵の表情を浮かべた。男は、先ほどの戦闘で吹き飛んだ右腕が痺れるのを感じ、まだ色素の薄い右の拳を密かに握った。

「伝令隊がいくつか到着していたな。報告をまとめておいてくれ。特に、俺たち中央旅団から遠い北西部について。それと、伝令隊が各地に戻るついでに、必要なを渡しておけ。」

大隊長の顔がパッと明るくなった。男は、彼の故郷が北西部にあることを知っていた。

「ありがとうございます!皆にも伝えておきますね。」

大隊長が建物内へと戻ると、屋上はまた、風の音と、それに靡く旗の音だけになった。

男は、からの魔莢を旗に掲げた。半透明な表面が、赤に揺らぐ。

もうすぐ、終わる。



〝もうすぐ、始まる。〟

 母親は悲しげにそう言った。まだ少年だった男は、〝革命〟とはどういうものかを知らなかった。故に興味本位で戦線に近づき、爆発物の破片で腹部に致命傷を負った。

 男は病院ではなく、教会へと運ばれた。それは、死は免れないという宣告であった。母親が祈りを捧げる横で、男は意識を手放した。

 次に目が覚めたとき、男はまだ教会にいた。辺りには散らばった大量の魔莢。表面がひび割れたそれらは、ステンドグラス越しの月明かりを受けて、キラキラと光っていた。男の置かれていた台の傍らで、母親は祈りを捧げ続けている。しかしその目に光はなく、組まれた両手は冷たくなっていた。男は、自らの体から傷が消えていることに気がついた。

医師は〝奇跡〟だと言った。司教は〝祝福〟だと言った。

魔力を用いた傷の即時再生は、高度な技術を要する。医学と魔術学の知識に加え、外部からの魔力が適切な再生段階へと導かれ、患者の体に親和するような、繊細な魔力操作が求められる。これが行える医師は、国内に10人といなかった。

男が失神している間に、母親が何をしたのかはわからない。しかし結果として、男は一定以上の濃度の魔力を浴びるだけで、魔術の行使なく再生する体質となっていた。

 男が受けた傷は、貴族軍の攻撃に起因するものだった。平民革命の初期、活動に弾みをつけたかった民衆連合は、まだ少年だった男を〝英雄〟へと押し上げた。

男は数多の戦場に赴いた。無数の兵士が倒れる中、赤旗を持つ男はただひとり、立ち続けた。

 革命初期の指導者は、ほとんど生き残っていない。掲げられていた崇高な目的は掠れ、人々はただ、安寧を目指して死地を進む。その先頭で男は赤い旗を掲げ、降りかかる死を受けた。命の代わりに、魔莢がカラカラと落ちる。100、200、300……時折男は、この魔莢でどれだけの人々が生活できるのかを考えた。自らが立ち続けることと、100人のひと月を天秤にかける。砲撃がその天秤を吹き飛ばす度に、男は安堵し、安堵する自らを嫌った。



 民衆連合の中央旅団は南東へと進軍、貴族軍は国境間際の山岳地帯へと逃げ込んだ。地理的な問題により民衆連合は攻めあぐね、膠着状態が続いた。民衆連合は貴族軍の補給を削りつつ、冬を待った。

 山が頂から徐々に白く染まっていくにつれ、兵士達は勝利と終結を確信していった。ついに麓にも雪が積もった朝のこと、早駆けの蹄が野営地の地面を抉る。走り続けた騎馬を労いつつ、男は緊急の伝令に目を通した。

赤い旗は、澄んだ冬の空気に乱されることなく、静かに男の決断を待った。


 1時間遅れで始まった集会は、兵士達の騒めきで満ちていた。早朝の伝令が良い知らせでないことは、幹部達の表情を見れば明らかだったからだ。

「静粛に。これより、定時集会を始める。」

中央旅団長の声に、全兵士が口を閉ざし、姿勢を正した。

「まずは本日早朝、西部旅団から緊急の伝令があった。それによると、北西部からの貴族の国外逃亡と、貴族軍による散発的な戦闘が起こっている。被害地域は──」

旅団長が、攻撃を受けた6つの地名を読み上げる。男のひとつ隣で、第3大隊長は俯いていた。故郷の名前が読み上げられれば、彼の喉が大きく動いた。

「戦闘の目的はおそらく、貴族の国外逃亡を援護すること。民衆連合側の被害は軽微だが、敵兵士の死傷者が多数。当該地域の一般市民にも、少なくない被害が出ているとのことだ。」

男は、報告を見た時にも少し気に掛かった。貴族軍の兵士達の士気は高くない。彼らも平民出身の者が多いからだ。しかし報告を読むに、民間人を巻き込んだ自殺攻撃によって場を乱し、貴族達の盾となって彼らを逃がしているようだった。もちろん、平民出身でも貴族主義の者はいるが、そこまでする狂信的な者が相当数いることに、男は驚いた。

「我々は今、貴族軍の本隊を追い込んでいる状態だ。奴らの補給路は東部旅団が抑えている。ここで手を抜けば、この15年が無駄になる。我々に、前線を下げるという選択肢はない。」

静かな広場に、声無き悔恨が充ちる。

「よって本件は、北部旅団、西部旅団に各地域での対応を一任し、中央旅団及び中央予備隊からの支援は行わない。引き続き南部旅団との連携を続け、貴族軍を消耗させる。緊急の伝令については以上だ。次に──」

澄んだ空の端で、赤い旗が静かに揺らぐ。安寧への道標のように見えるそれが、どれほどの死を溜め込んできたのか、男はよく知っていた。


 雪が止み、わずかに和らいだ寒さの中、男は星を見ていた。男はふと、空を見上げてばかりだと思った。なぜか。それは地上を見たくないからだと、すぐに結論が出た。雪を踏み締める足音が、背後から近づいてくる。

「どうぞ。」

第3大隊長は座らずに、少し屈んで男にカップを渡した。受け取ったそれは、いつもより冷えていたが、やはり苦く、香りが良かった。

大隊長は何も言わなかったが、少し躊躇った後に、踵を返す。

「何か言いにきたんじゃないのか。」

男は自らの発言を疑問に思った。男が1人でいる時に飲み物を届けるのは、いつからか、決まって彼であった。二言三言話すが、必ず伝えなければならないような話は、この場ではしたことがなかった。加えて今、彼との関係性は不明瞭だ。北西部への支援をしないという判断は、リーダーである男が最終的に決めたことだった。それらを理解していながら、男は咄嗟に彼を呼び止めていた。

「あなたの判断は、妥当です。」

大隊長の声は、小さく絞り出された。

「兵士の中には、故郷を壊滅させられた者も少なくありません。それを今更、私が……」

抑えた嗚咽と共に、言葉は呑み込まれた。しかし、既に限界だったのか、心はひび割れ、感情が溢れ出す。

「あと少しで、もう少しで終わりだったのに!どうして!」

男は、元々鈍い自らの感情が、形を失うほどに混ざり合い、思考に浸食しているのを感じた。

「俺を恨むか。」

腹部に受けた傷が再生される感覚に似ている。そう他人事のように思いながら、欲望を含んだ無意味な言葉が漏れ出るのを許した。

「あなたを恨めば、私の家族は助かりますか。」

「いいや。」

「あなたを殴れば、私の故郷を助けに行きますか。」

「いいや。」

男は肩を掴まれ、立たされた。手放してしまったカップから液体が溢れ、雪を染めながら溶かしていく。

「手紙が、返ってこないんです。」

大隊長は震える声と拳を抑えながら、静かにそう言った。

「たとえ戦火の下でも、避難先でも、必ず届けられていた、手紙が。1つ前の手紙には、ようやく家に帰れたと、早く私にも帰ってきてほしいと、そう書かれていました。」

彼の震えは抑えきれなくなり、男の体に伝播した。

「死なないあなたを殺せば、誰かが生き返るんですか!」

男は、笑った。

「いいな、それは。最高だ。」

男は大隊長の胸ぐらを掴んだ。反射的に身を引いた彼の足を払い、腰のホルダーに納められた拳銃に手を掛ける。彼の体が重力に従って倒れれば、自然と拳銃が抜かれた。

雪の上に身を打った大隊長は、銃口が向けられていることに気がつき、ゆっくりと膝をついた。

男は近づくと、銃口が額に付く直前で軽く投げて持ち替え、グリップを彼に向けた。

大隊長は拳銃と男の顔を見比べ、慎重に右手を拳銃へと伸ばし、グリップを掴んだ。

男は銃身から手を離した。直後、その手が大隊長の右手を握り込む。男の親指は、引き金に伸びていた。

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