武を歩む者たち

(一)面と剣

 本来であれば人が寄り付かぬはずの廃れた道場でのこと。大多数の武道家たち相手に一人。それは張福成であった。

 向ってくる相手は全員太刀会の者たち。武術の技量は人によって様々であるが、その域は達人に近い者ばかり。

 太刀会の武道家が一人、福成へと拳を振るう。それに対して福成は身体を回し、反りと勢いを作って刀を振るいなぎ倒す。

 一人を倒せばまた一人、それの繰り返しが続く。

 彼にとって大多数を相手取ることは珍しい事では無かった。だがしかし、それはギャングやマフィアといった相手。武道家では無かった。

 いま福成が相手にしているのは武道家たちであり、彼と同じく武を修め、修めた者たち。互いに武のなんたるかを理解しており、戦い方をよく理解している。

 一筋縄ではいかぬことを悟る太刀会の者たち。段々と皆で距離を詰め、福成を囲む。

 袋叩き、その形となろうとしていた。しかし、そうなるであろうと予測していた福成は縮地によって囲んでいたうちの一人に距離を詰めた。

 一瞬のうちに距離は間合いとなる。狙いを定め、突きを入れる。

 突きの入る感覚があった。けれども相手は健在であり、そこに立っていた。

 ――頑による防御である。

 太刀会の者たちの多くが義和拳を修める者たちであれば、当然と頑、避、反のどれかを習得している。そして福成の突きを受け止めたこの男は頑を会得していたのだ。

 男は前へ一歩、二歩と進み刀を身体へと刺しこみ、貫通する。

 すぐさまに抜こうとするも、男は更に前へと進み、刀身を握り、抜こうにもし難い。

 手を離し、一度刀を捨てる。しかしその頃には他の者が目の前に迫っていた。

 拳での攻撃は間に合わない、そう判断したのか福成は足を突き出してけん制する。すれば相手はほんの僅かで止まり、蹴りを避ける。それを見越していた福成は突き出した足を前へ出る一歩とし、その勢いで背中を当て突き飛ばす。鉄山靠に似た技であった。

 突き飛ばされた者は壁にぶつかり、崩れ落ちる。そしてその様に呆気を取る太刀会の者たち、中には後ずさりをする者も。

「どうした、掛かって来い」

 身じろぎせぬ者たちに喝にも似た挑発を入れる。それでも皆は福成への恐怖が勝った。

 皆が思った。今まで、一度でも攻撃が当たったか? 否である。此方が行う攻撃一つ一つが防がれ、避けられのどちら。正に彼は義和拳、避の体現者。

「大きく出るじゃあないか。こいつらじゃ相手にならないか、福成」

 福成を囲む輪をずかずかと割って入り、その男は現れた。大きさは福成の一回りも二回りもある屈強な巨体。この場にいる誰よりも大きい。そして、手には人の腕以上の太さがある棍棒。

 自分の名を呼ばれ、訝しんでその男を見る。どこかで見覚えはあったが、誰なのか分からない。

「誰だ? その顔に覚えはあるが、名を知らぬ。答えるがいい」

 問いに男は鼻で笑い、棍棒を肩に担ぎ言う。

「無理もねぇ。まだアンタが義和団に居た頃だ。そこで俺と会っているはずだ」

「そうか。だが、名前は知らぬ。我は張福成ちょうふくせい。名乗られるがいい」

 倒れ、今は亡骸となり、刺さっている刀を抜き構える。すれば向こうも棍棒を構える。

「俺は賈清かしん――お前ら、手出しは無用だ」

 取り巻き達に手を出すなと警告し、 一対一の形となった。

 福成は避を使い、刀を主体とし、どれほどの腕かは戦いを見ていた賈清は把握していた。けれど福成は違った。頑、避、反のどれを使い、どのように攻めて来るのか知らない。

 情報において一歩有利なのは賈清。その上で福成は戦わねばならず、構えを取り攻撃が来るのを待った。

 受けの構えに乗るかのように、ずっしりとしたその棍棒を振り上げ、身体を前進させる勢いと共に福成めがけて振り下ろす。

 賈清が振り下ろさんとする棍棒はとても刀では受け止められるものではなかった。

 受け止め切れぬ攻撃を刹那で避ける。避を極める福成にとってそれは容易い行為であった。しかし、それでは終わらなかった。

 勢いよく下ろされたことにより、衝撃波が襲う。身体が痺れ、反応が遅れる。

「アンタの真似事をここで一つやってやろう」

 戯言にも似た呟きを一つ。

 棍棒を横に構えて引く。

 ――その構えから何をしようとしているのか福成は理解した。突きだ。

 その突きはただの突きとは違い、回転の入ったものであり、素早い業前であった。

 全身に力を入れて身を固める。今の状況では避けることは不可能と判断したのか、福成はその場で受け身の構えを取ったのだ。

 避を修める者としてその行動はとても愚策であり、それを知る賈清はニヤリと笑みを浮かべる。

 その場で見ていた全ての者たちが倒れ込むであろうと思っていた。だが彼は立ち続け、むしろこの状況を狙っていたかの如く賈清を睨みつけていた。

「ぬかったな」

 ただ一言。その一言がその後の展開を語った。

 福成の左手は棍棒を握り、拘束するかと思えば一度握りを緩め、一瞬のうちに再び強く握る。

 傍から見れば訳の分からない動作であるが、その一連によって賈清が持っていた棍棒が突如と握られた部分を中心に弾け飛び、二つに折れた。

「確かに我は避を極め、回避するだろう。だが、義和拳の武術は身を固めることが初歩。頑ほどではないが、受けはできる」

 流れ作業をするかのように福成は刀で賈清の腹を刺し、抜く。

 自身の使う武器が目の前で壊れ、腹を刺されて呆気にとられる。何か対応を、と思ってもその瞬間には次の攻撃が迫っていた。

 振るわれる刀は賈清の右肩から斜め下を斬り、再度刺す。今回の刺しは確実に心臓を刺した。

「がぁ……くっ。確かに、抜かったな」

 口から血を垂らしながら賈清は呟く。

 そんな言葉など耳に入っていないのか、あるいは聞き流しているのか。福成は何も言わず、彼を蹴り飛ばして刀を抜き取る。

 吹き飛ぶ屍は壁にぶつかり、地に倒れる。

「あり日の我はもう無く。ここに立つのは刺客のみ」

 誰を見るでもなく言う。まるでかつての友にでも言うかのように。

 賈清が倒れたからか、他の一同たちはすっかりと戦意を失い、一歩、一歩と後ろに下がる。

 後ろに下がる彼らにゆっくりと迫り、変わらず圧をかける。

「汝らのボスを出すがいい」

 誰かが一人、圧力とその力の強さに恐怖して口を割ろうとした時だった。

「私が相手をしよう。張福成」

 奥の方から一人。

 その声色は男とも女とも分からぬ。目を凝らして見れば面を付けており、どのような者か想像ができない。

「あまり名を広めた覚えは無いのだが。汝とも何処かで会ったか?」

「いや、顔を会わせるのはこれが初めてだ。貴様が思っている程に張福成という名は知られているのだよ」

 面の者は腰に差している剣を抜き、剣先を福成へと向けるように構える。

 剣を抜いたことを確認した福成は再び刀を構える。

「そうか。であれば名を名乗れ。武の道を歩む者ならば、名乗り合いが礼儀だぞ」

「武、か。貴様の口からそれが出るとはな」

 張福成の事をある程度と知ったような口ぶりである面の者。そこにある感情は疑念、または憤り。けれどその信念は揺るぎない。

 剣がどういう武術であるか福成は知っている。変幻自在、大胆で華麗。そして剣術に求められる技術も。

 ――相手は手慣れだ。

林徳児りんとくじ。林家の剣だ」

「ふむ、林徳児か。知っての通りだが……張福成。いざ、参る」

 受けの構えは取らず、福成は先手を取らんと前へ出て林徳児に迫った。

 迫り、刀の間合いとなり、突きを繰り出す。

 仮面の者はそうした攻撃を避けるのではなく、剣で軽く振るい払う。

 避の動きをこの者が使うのであれば、まずあり得ない行動であった。それを考慮してか、福成は返しの一撃を下ろす。

 下ろされる一撃。この攻撃も返すかと思いきや、この一撃は後ろへとける。

 後退したかと思えば、剣を差し向け突く。

 突きの攻撃は福成の繰り出したものよりも速かったが、一撃は避ける事は出来た。そう、一撃は。

 剣術の突きは一撃で終わらない。剣術の突きは、大抵は二撃目があり、技と技を繋ぐものであり、開始の一打である。

 そして二撃目は剣を斜め上へと斬り上げるものであり、わずかに福成の頬を掠めたのであった。

 技を繋げさせまいと、刀を大きく振るう。すれば仮面の者は再び後ろへと下がる。

「仮面によって目線を隠す、か。剣術は技を見破られれば弱くなる。故の隠し」

「それだけでない。お前のような避の使い手には大きな一打になる」

 本来であれば完全に避けられた技。だが林徳児の言葉通り、目線が見えなければ技を読むのは至難となる。

「実戦が手慣れ、あるいは他流派との戦いに達者と見た」

「避の達人である貴様に褒められるとは。貴様の刀の腕も流石だ。兄さん……いえ、林継殿が言う程はある」

 互いに構え直し、動きを読み合う。

 剣と刀。その両方は似て似つかぬ武術。

 林徳児にとって目の前にいるのは倒すべき敵だ。けれどあの言葉が蘇る。「生かしておくのが武の道のため」、それは兄である林継の言葉。確かに彼の武術は凄く、避の技量に関しては極致だ。

 一歩、二歩、と踏み込んで勢いを付けて迫る林徳児。

 迫る相手を前に受けの構えの張福成。振るわれ迫る剣を刀で捌くも、追撃は止まらない。

 剣撃けんげきは少しずつ彼の身体に傷を付け、体力を奪っていく。

 仮面で目線が隠され、技の出だしが読めない状態が続く。完全に読めない訳では無く、身体の動きからも察する事は出来る。が、それでも目線が見えない事は苦戦を強いられるものであった。

 横から迫る剣。素早い剣撃、常人であれば見極められなかっただろう。だが、福成は違った。

 此度の攻撃はしっかりと刀身で受け止め、かつ弾き返したのであった。

「バラつきが出たな。それに、よく見れば攻めがワンパターン」

 この戦いで僅かなブレ、そして技の繰り出しにパターンを見抜いたのだ。そう、彼はただ受けに回っていたのでは無く、反撃の一打を仕掛けるタイミングを計っていたのだ。

 刀で仕掛ける事は無く、右手を柄から離し、右肘をつき出すかのようにして肘打ちをする。

 強い衝撃が襲い、林徳児は姿勢を崩しふらつく。

 次に来る攻撃の対処をしまいとするも、もう目の前には彼が迫っていた。

 刀を振るうと共に身体を捻り、勢いを増す。林徳児とその距離は――既に間合いであった。

 直ぐ目の前に来ているソレを避けるすべがもう無いことを悟るのは容易であった。自分は助からず、ちょっとした技のミス、熟練の低さに悔やんだ。

 死を覚悟し、眼を瞑ったその時。刃が仮面を割き、二つとなって地に落ちようとした瞬間、何かが自分を掴み、後ろへと投げた。

 尻を付き、自分を投げた主を見れば、そこには驚きの光景があった。

「妹が世話になったようで。また会えて嬉しいですよ、張福成さん」

 目の前に広がる光景。それは、偃月刀で張福成が振るった刀を受ける林継がいた。そして自分の後ろに一人の気配。見てみればそこにはアンナがいた。

「あれは、林継様だ。それに、あそこにはアンナもいるぞ。四拳しけんの二人に、彼女も居れば奴も敵うまい」

 二人の登場に、ふと誰かがそう言った。

 四拳と呼ばれるもの。この場にいる林徳児と林継を指すものであり、太刀会のトップである。

「妹を助けに来たか。いつぞやの続き、ここでするか」

 交じり合う刀と偃月刀。林継は笑みを浮かべ、なんて事のない表情で言う。

「それも良いですが、残念ながらそれはまたいつかの期会にしましょう」

 後ろにいるアンナの方に視線を向ける。すると張福成は何かを察したかのように力を緩め、両者ともに今一度と引き下がった。

「兄さ……林継殿。なぜ下がった⁉ 押し切れた筈だ」

「ええ、出来ましたよ。でも、そうすれば次に斬られたのは僕でした」

 立ち上がり、𠮟責をするも直ぐに反論される。林継は彼の刀の技と武術の技量をよく読み切っていた。

「それに、彼を殺すのは僕じゃありません。言ったでしょ、僕は殺すのに反対だって」

「それって……」

 目を丸くし、兄の言うその言葉の意に半分理解し、半分疑念を向ける。

「貴女のボスが言っていた通り、殺してあげるわ。兄妹さんはそこで見てなさい」

 前に立ったのはアンナであった。

「これなら、私を殺す理由になるでしょ。それとも、まだ私を殺す理由は足りない?」

 あの時のように彼女は刀と銃をその手に。そしてその視線の先にある彼は力の抜けた気概で佇んでいた。

「教えて欲しいな。そこまで過去の我に拘る理由を」

「私が望んでいるから。理由なんてそんなものよ」

 さっぱりと、そして迷いの無い言葉であった。

 訳の分からにやり取りに疑問と戸惑いの眼差しで両者を見る林徳児。そしてその傍らでは見守るように見る林継。二人とも直感的に理解している、口出しは無用であることを。故に口を出したくても出せぬ。

「いいわ。貴方が私を生かし、ほっとくならそれもいい。けど、そうしたら私は貴方の代わりに、林大田と言う男を殺すわ」

 林大田を殺す、たったその言葉だけで福成の眉がピクッ、と動いた。そして今まで放っていた静かな殺気とはまた別の、明確なる殺気、その場に居た者を身じろぎさせるほどの気を放った。

「何かの、聞き違いではないかの?」

「いいえ。貴方が聞いた言葉通りよ」

 やると言えばやる者、そういう事をよく理解している。

 そこらのちんけな輩であればそんな挑発に乗るつもりは無い。だが相手はプロの殺し屋であり、よく知る人物。だからこそ一番警戒しなければならないし、本気を出しても勝てるかどうかが怪しい人物である事を福成は誰より理解している。

 手にしていた刀を地面に落とし、羽織すらも脱ぐ。

「――相手をしよう、アンナ」

 今ここに立つ男は武を歩む者では無くなった。いま再び彼は、暗殺者としての一人である。

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