(六)目指すは上海

 劉玄が気を戻したのは、アンナが去ってから数分後のことであった。

 辺りを見回し、自分が倒れた原因を探るが、当然とその原因はもういない。福成は目を覚ました劉玄に「体調は?」と声を掛ける。

「大丈夫です。周天さんは?」

 身を起こし、立ち上がる。周天の姿が見えぬ事を問う。

「先程の店で水を貰ってきてもらうよう頼んだ」

 福成が顎で店の方角を指す。その方を見てみれば丁度、周天が水筒を持って歩いて来ていた。

 今だ事態の収拾、自分の身に何が起きたのかがいまいちと掴めていない劉玄。何かに襲われ、その感覚だけがほのかにある。けれどもその正体が分からぬ故、得体の知れぬ恐怖が身体を震わせていた。

「福成、貰ってきた」

「ああ。劉玄に渡してやれ」

 その指示通り周天は劉玄にと差し出す。

「ありがとうございます。――にしても、何が起こったんです? いつの間にか僕、倒れたんです。強い衝撃が脈絡もなく、突風のように」

「俺が聞きたいよ。一緒にいたら突然と倒れたんだぜ。殺気とかも無かったし、その瞬間まで女がいた事すら気付かなかった」

 居合わせていたのは周天。だがしかし、彼にも何が起こったのかは分からなかった。

 二人は訳も分からない理不尽さを前にしたかのようにして言うなか、福成だけは冷淡に聞いていた。

「――知っているんだろ福成。教えてくれてもいいんじゃない」

 ただ黙って聞き入る福成が許せない周天は気迫に言う。

 強気に出る理由など決まっている。それは劉玄が襲われたからではない。組織の敵、それもかなりの脅威となり得る存在を知っていたにも関わらず、言わなかったからである。そしてその力を知っているのに未だ話さない福成への怒りからである。

「風斬り。この場合は風打ち、だな。自身の気配を消し、最初の一撃を相手の視界に入る前に打ち込む」

 風打ち、と呼ぶその技は本来暗殺術であり、斬り込む技。故に風斬りと呼ばれるが、劉玄は実際には斬られておらず、峰打ちであった。

「損じる事が許されぬ一撃必殺だが、アンナであればまず損じる事など無いだろう。劉玄、汝は一度死んだぞ」

 その言葉が冗談として二人は疑わなかった。直感とでもいうものなのか、瞬間的にそう悟ったのだ。特に周天は、福成がその道の者であるのを改めて思い出し、警告をしているのだと理解した。

 今一度と福成は劉玄の方を向き、彼の様子を見る。アンナによる風打ちによる影響はさほど見られぬが、今後どのように痛みが出て来るかは分からぬ。

「劉玄。上海に行こうと思うが、来るか?」

「え、えっと、はい。秀伝さんからの頼みですから。ですから――」

「であれば、国利が営業している來福でお前とはお別れだ」

 劉玄が最後まで言う前に割り込んで言う。

「我と周天は裏社会の者だ。本来であれば表を生きる汝とは関わりを持たぬ」

 裏と表の在り方を説く。

 一呼吸を置き、自分がそちらである事、そこにいる少年もまたそうであることを想う。

「そして、そのような汝が此度の襲撃で怪我を負ったのは我と周天の責任であり、けじめを付けねばならぬ。怪我無く国利の所へ送り届ける。それがせめてものだ」

 いつにも増して福成の声色は静かで、冷淡であった。そしてそれとは裏腹にどこか焦りがあるようであった。けれどそのことは劉玄と周天は分からなかった。

 福成の言うその言葉に劉玄は何かを言いたかったが、その言葉を噛みしめて口に出さなかった。

 表と裏を生きる者。秀伝から話だけを聞き、福成たちがそういう者である事は知っていた。そうした事による弊害が出て来る事は凡そ予測できた。そしてそれがこれであった。

「上海に急ぐぞ。そこで今後について語らおう」

 国利が待つ來福へと行くために三人は歩き出し、駅の方へと向かい――彼らがいた所に土煙が落ち着いた頃であった。三人の行く先を静かに見守る者が二人。

「ん~、どうやら上海に行くみたいですね」

 林継はスーツに羽織、と言う組み合わせが妙である服装であったがしっくりしていた。

「それが、本来の仕事着なのかしら?」

 先程まで福成と戦っていたアンナは林継の隣に立ち、彼の服装とその立ち姿を見て言う。その姿は普段の彼からは感じ取れぬ並ならぬ趣があった。

「ええ。これが僕の、林家の羽織です。スーツから羽織るのは僕が初めてですが」

「そう。にしても上海となれば、槍竜の巣窟ね。槍竜とは敵対していると聞いたけど、どうして太刀会はそんな事を?」

 あくまで雇われの身であるアンナは太刀会がなぜ槍竜と敵対しているかは知らない。下された命令をこなす、それが彼女の仕事。

 裏社会を生き、活躍する彼女は槍竜がどのような存在かを知っている。今現在勢力を伸ばし、力を持つチャイニーズマフィアであり、生半に手を出してはならない組織。そしてそれは最近パッと出て来た太刀会に対して言える事である。

「そうですねー。詳しくは分かりませんが、宋星さんは潰したいと思ってるんです」

 何かを知っているかのような口ぶりである林継。笑みを浮かべるその表情は何か含みのあるようなものであった。

「アンナさんにとって、貴女が戦いたいのは暗殺者の福成さんなんですか? それとも、あの場で殺さなかったのに理由が?」

「前者の方よ。暗殺者であった彼と、私は今一度と殺し合いを望んでいる。けど――」

 それから先を言おうとした時、彼女はふと昔の出来事であるワンシーンを思い出す。

 ――刃を先に向けたのは自分。

 ――互いに己の身の上を承知し、殺し合いをしたのも過去の事。

「それは私の甘えでもあるのかもね」

 言葉の意味を理解できるほどに二人の関係を知らぬ林継はただ相槌を打つ。

「それで、アンナさん。貴女は上海に行きますか?」

「愚問ね。あそこなら、彼を本気にさせる素材がいくらでもある。貴方は?」

 はにかんだ笑みを見せる林継。その答えはとうに決まっていた。

「ええ、行きますよ。それに、貴女が言う暗殺者としての福成さんを作る方法が思いつきましたよ」

 ふと思いついた考え。それを聞いたアンナは驚きを見せたが、その次には笑みを見せて「いいわね、それ」と言って承諾した。

 二人は、先に行った三人を追いかけるかのように歩き出す。

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