(五)交わる刃
福成と周天は秀伝の家を去り、駅へと向かって歩いていた。
「なあ。李秀伝、ってどういう人なんだ。太刀会の奴は強く必要としているように見えた。凄そうな人なのは何となく分かったけど……」
変わらぬ速さで歩く福成。周天の位置からは彼の表情を上手く読み取れなかった。
「彼女は、林黒児の直系だ。太刀会が必要とするのはそのためだろう。乱で戦い、率いた者の直系ともなれば好い広報になる」
林黒児の直系、それはつまり林継とは親戚であるという事でもある。そういった事は別に珍しい話では無い。けれども、そうと知ったうえで秀伝は林継の話と太刀会について話した。
「けど、それが分からない程にあの人は馬鹿じゃない」
薄っすらではあるが笑みを浮かべる福成。けれども周天はその笑みに気付かず、ただ「ふーん」とだけ相槌を打つ。
「頭がいい、というよりは状況判断ができる人なんだね」
「それだけではない。影で支える者、動く者がいるからこそ。そしてそれは汝らであろう?」
突如と立ち止まり、福成は後ろを振り向く。周天もそれにつられて立ち止まってその方を見る。見てみれば、そこには一人の男が立っていた。笠を被った農村姿の男、取り柄のない言葉通りの一般人青年のようである。
一見すればただの通りすがりの人のように見え、現に周天にはそのように見えた。けれども彼は違った。足並み、距離の取り方、小さな所作と気配でそうではないと感じ取ったのだ。
「流石は、秀伝さんが仰っていた方だ。これでも、普通を装っていたのですが」
はにかんだ笑みを浮かべる。その笑みに無難な顔色で答え、指摘するように言う。
「武を抑える者は普段の動きからそれが体に現れる。当たり前の事だ」
苦笑いを浮かべ、福成の言うその事に何とも言えぬ感情を抱いた。
「改めて自己紹介を。
「そうか。で、何をしに来たりか?」
「護衛、という同伴ですね。福成さんだけだと色々と大変だろう、との事で秀伝さんに頼まれました」
少し誇らしげに言う劉玄。それもそのはず、彼が秀伝に何か頼まれごとをされるのはこれが初めてであった。そのため、ようやく一人前として見て貰えたと思い、胸を張っていたのだ。
自信に満ちた顔をする劉玄を横目にし、福成は再び歩き出した。そしてそれを追うように周天と劉玄は行く。
「えーと、周天さんですよね。僕も義和拳を修める者ですから、何か聞きたいことがあれば何でも聞いて下さいね」
周天と同じ目線に合わせ、気さくに語りかける。そんな優しい装いに釣られて柔らかな表情で「はい」と答える。
「秀伝さんから頼まれた、って言ってましたが劉玄さんも義和団の一人なんですか?」
「はい。入団したのは結構前なんですが、なにせ
「頑? それってもしかして福成が使う避とかと関係あるもの?」
周天が避の事を知っていたことに驚いたのか、あるいはそれを気にする点に驚いたのかは分からないが眼を見張った後に続いて言った。
「ええ、そんなものです。義和拳の防御術、その一つが頑。大まかに頑、避、反の三つ。頑は防御を、避は避ける、反は反撃の技といった感じです。そして――」
「これら三つのうち一つを習得するのが義和拳を修める者の一つの目標。二つを修めるには、命足りず」
その先の事を代わりに言う福成。それに対して頷き「はい」と言い、続いて劉玄は言った。
「二つ目を習得するには、あまりにも年月が足りません。仮にそれが出来る者がいたとしても、そこから先は仙人の領域と言っても過言ではありません」
とても現実味の無いことを二人は真面目に語る。そのあまりの気迫に周天はどう反応すれば良いか分からず、ただ圧倒されていた。
圧倒され、どう反応すればよいか戸惑う彼を前に劉玄は慌てて付け加えるようにして言う。
「一つずつ、基礎を積み重ねれば誰でもできますよ。僕だって出来たんですから」
「そ、そうですね。僕、頑張ります。ところで、僕はどれを会得すればいいんですかね?」
頑、避、反の三つからどれを選べばいいか、その質問を前に劉玄は苦い顔を浮かべ、何を話せば良いか迷った。
「頑は基本中の基本。避は多くの技を覚える必要がある。反は頑の応用と言えよう」
迷い、答えが出ぬ劉玄に代わって福成がきっぱりと言った。そして続けざまに言う。
「習得のしやすさで言えば頑であろう。どうする? 頑を選ぶのであれば我から教えられることはない」
福成が修めているのは避であったが、頑と反は基本の基の字だけは修めていた。故にそれぞれの特徴がどういったものなのかは知っている。だからこそ、教えられるのは三つのうちの避だけであった。
すぐに答えが出せず、暫しの静寂が三人を包んだ。三つある選択からどれか一つを選ぶ、といったものを簡単に決めることなんてできない。それは周天もまた同じであったし、当たり前の事だろう。故にどのように答えればいいか分からなかったのだ。
先を歩く福成の近くに寄り、劉玄は周天には聞こえないくらいの声で言う。
「あれでいいんですか? 少し冷たいと思うんですが」
「道は己で探し、刻むもの。他社が深く関わるのは愚なり。故に我はああした。父もああした」
「父さんも義和団に?」
「うむ。父は汝と同じように頑を習得し、村では
目を丸くし、劉玄はその事を確認するかのように繰り返して聞いた。そしてそんな反応に対して「そうだ」と冷たく言う。彼はその意味をよく理解していないかのようであった。
「国利って、李国利さんの事ですよね? だって彼は今の義和団で最強の頑使いと聞いてますよ⁉」
頷く福成。そんな事はよく知っている。
「だろうな。李さんは我が知りえる義和団の中でも指折りの実力者。ところで劉玄、汝はこの辺りの事は詳しいか?」
質問の意図が分からないのか、きょとんとした顔で「ええ」とだけ答える。
「ならば義和団の者が運営している茶屋を教えろ。連絡を取る必要がある」
「だったら、駅にも近い郊外の所に行きましょう。あそこなら大丈夫かと」
後ろを振り向き、周天の方へと視線を向ける。彼は思い詰めたかのような顔立ちであった。ここまで色々とあり、ろくな休憩もしていない。連絡を取り次第、休憩にした方がいいだろう。
三人は劉玄が口にした茶屋へと向かう最中、周天はずっと考えていた。難しそうだとか、大変そうだとかは覚悟をする前から分かっていた事だ。考えていたのはその時間だ。修得するまでに随分な時間が掛かる事が問題であった。大田との約束、それを果たすのに掛かる時間が心配であった。大田は出来るだけ早い段階で義和拳を知りたがっていた。それくらいは周天でも分かる。だからこそ、時間が掛かる事が心配なのだ。
周天が考え込む中、目的地であった茶屋の前に辿り着いた。それでも彼はまだ考えていた。
「劉玄、天。今から連絡を取りに茶屋に電話を借りに行くが、目立たぬ為に一人で行ってくる」
言葉をかけられ、やっと我に戻る周天。「うん」とだけ言う。
「分かりました。では、ここで待ってますね」
劉玄もまた承知し、それを確認して福成は店の中へと入って行った。
店の中は疎らである。そして店員の方は福成と、彼が羽織っている物を見て何かを察したかのようにして近づいてきた。
「何かありましたか?」
「特に大きなことでは無き。ただ、電話を貸して欲しい」
「分かりました。すぐにお持ちします」
そう言うと店員は奥から電話を持ってきて渡した。
福成が電話を掛ける相手は国利であった。
電話に応じない可能性もあったが、そうであれば留守電を入れておけばいい。そうした楽観的なものもあったがが、直ぐに返答が来た。
『李国利です。誰だい?』
「張福成。頃合いかと思い、掛けた」
『福さんか。太刀会については少し掴めてきたよ。そっちは?』
「秀伝に会ってきた。宋星について聞いた」
電話越しの国利はそれを聞くなり、真面目な意気込みで言った。
『なら早い。太刀会は不可解な点が多い。そして、武力的に強い。手を出すなら戦力が必要だ』
「それも理解した。必要となれば西の旧友を呼ぶ。金ならある故に」
『うむ。なら取り合えずは戻ってきて欲しい。それからだ』
「そうか。なら、そうする。では、さらば」
別れの言葉をし、電話を切る。それを店員に返し「助かった」とだけ言う。向こうはただお辞儀をし、店から出ようとする彼を見送った。
次の目的が決まり、それを報告しようとした時であった。店の外で何かが倒れる音がした。ただ事では無い、そう直感的に察した福成は急いで店を出る。
見てみれば地面には劉玄が倒れており、周天が彼の身体を揺すっていた。
「福成。あいつが、あいつが劉玄を」
福成が来たことに気づき、犯人の方に指をさす。その方には西洋人の女性が立っていた。
ピッチリとしたタイツに妖艶さを浴びたカーマイン色のドレス。それらの要素は彼女の甘さと刺激さを特徴的に引き立たせていた。そして、彼女が片手に持つ刀は更にその刺激を増させていた。
「安心して。死んではいないわ」
目を見張り驚きを見せたが、福成はすぐに冷静さを取り戻した。いや、冷静にならなければならなかった。
「アンナ。何故にここに?」
「貴方を追って、と言いたいところだけど頼まれてね」
「ふむ。マッド・ラインか。なら仕方のない。――周天、できるだけ離れていろ。流れ弾が飛ぶぞ」
流れ弾、その言葉の意味がすぐ分かった。彼女のもう片方の手には拳銃が握られていた。いつ抜いたかは分らぬが、刀と拳銃という組み合わせがどのような戦術を編み出してくるのか周天は分からなかった。だが、その場が危険であることは一目瞭然であった。
アンナという女を福成はよく知っている。彼女がどれだけ危険であり、どれだけ強いかも。
銃口が向けられ、その先には福成の頭を捉えていた。
けれど避ける動作はまだしない。避ける動作をするのは引き金が引かれる一瞬。それを見極めて福成は動作を取る。
初弾を避ける。だが福成の前には次の一撃、刀が振り迫る。それを刀で受ける。
カチーン、と金属同士が衝突する音が鳴る。鍔迫り合いの向こうでアンナは笑みを浮かべる。一方で福成はいつに増して真剣な眼差しであった。
「こうした殺し合いはいつ以来かしら? 確か……貴方が去って行ってしまったあの日以来かしらね」
「うむ。あの時は負けたが、あれから学んだ」
福成は思いっきり刀を上へと払いあげ、両者に隙が生まれた。
アンナはすかさず銃を向ける。だが福成は当然その行動を読んでいた。アンナと福成との距離は決して遠いものではない。この距離での有効打は縮地であると福成は判断した。そしてその判断と共に行動に移し、距離を詰める。これでは銃は機能しない。
距離を詰められたことによってほんの思考回路に隙が生まれ、一秒にも満たない硬直がアンナに発生する。その硬直の間に福成は背中で体当たりをする鉄山靠に似た技を披露する。
福成は後ろへと下がり距離を取る。見てみれば彼の足からは血が出ていた。
「チッ、やはり汝と我では分が悪い」
「そうかしら。貴方だって中々よ。まだやるかしら?」
技を当てた時、そのたったの瞬間にアンナは福成の足へと銃弾を当てていた。いくら相手の動作から攻撃を避けることのできる福成でも、技を当てる時には膠着が発生する。それは技を的確に当て、衝撃を与え、破壊をする武術であれば猶更。
アンナは生粋の暗殺者である。武の道を歩み、それを暗殺術として使う福成と違い、彼女はありとあらゆるモノを使い相手を殺す。そしてそれを武と比べた際、戦闘において上を行くのは武であるが、殺し合いという観点からでは彼女の暗殺術はその上を行くのである。
「うむ、ここからだ。我も段々と昔の感じを取り戻して来た」
睨み合い、互いの動きを読み合う。
互いの力量を理解しているからこそ、互いの戦術を理解しているからこそ、安易な行動は死につながる事を両者はよく知っている。
再び縮地を踏む福成。そしてそれに合わせるかのようにして発砲をするアンナ。弾丸は三発と放たれ、一打は当たらず、二発、三発は福成の太腿と顔を掠める。
弾丸が掠めるも止まらず、間合いを詰める。福成は右足を思いっ切り上へと突き上げる。それを避けようと後ろへ顔を反らせる。蹴りは彼女の髪の毛を掠める。
突き上げられた足を更に、突き上げた時以上の勢いで地面にと叩きつける。それは衝撃波となってアンナの身体を襲う。
刀を持たぬ方での拳を握りしめ、それを彼女の腹部へと添える。それと同時に福成の眉間には銃口が向けられていた。
「私の知る福成が突き付けるのは、拳なんかじゃない」
「殺す必要はない。汝が我を殺す理由があれど――我には無い」
「そうかしら? 貴方は私を殺す理由があるはず。私が貴方を一度殺したように」
拳を下ろし、瞼を閉じる。自分の中にいる誰かと向き合い、答えを見つけようとする。
「かの日を追い、今も縛られている。けれども、道を歩む。そうするしか無いから、我と汝は別の道を行く事にしたのではないか、アンナ」
「――意地悪な言い方ね。いいわ、今日はここら辺にしとくわ」
刀を下ろし、それを鞘に納める。そして拳銃もしまう。彼女は周天の方を一度見る。そして不敵な笑みを浮かべて「またね、坊や」とだけ言って去って行ってしまった。
呆然と周天はただ圧倒されていた。
「あれが、昔に我が負けた相手だ。今一度と相まみえ、戦うことになるとは」
「それって、前に列車で話していた?」
頷く福成。彼が負けた相手と言うだけでどれだけの実力者であり、恐ろしい相手なのかは分かる。それ以上に、福成の避を難無く対応してのけたあの動きは異常なものに見えた。
彼女との再会は、いつの日か起きるだろうと福成は思っていた。けれど、それがあのような形となるとは少し予想外でもあったし、早いような気もした。けれどそれはきっと運命であり、向き合わなければならない。
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