第12話 恋バナ デーティング・トーク

 ワタクシが六歳を迎えた頃、何もかも嫌になり、自分の邸宅を出て行こうとしました。


 婚約は家と家が、互いの共存共栄の為に決めた、約束ごと。

 しかも、親同士が勝手に決めた縁談なので、相手の顔を知ることはありません。


 一人娘のワタクシは、自分の家名を守ることを強いられ、見ず知らずの相手にふさわしい花嫁にならなければいけないのです。


 高等教育を教えるのは邸宅に招いた家庭教師。

 勉学が終われば教養を広げる為、著名人から芸術を習うなど、同世代と接する機会は到底、ありませんでした。


 形式的な大人との接し方は、息苦しさを感じ、生きた心地がしなかったのです。


 ある日のことです。

 婚約を前提とした両家が顔を合わせる、大事な日でした。

 顔も知らない、どんな人かも知らない、知っているのは名前だけ。

 そんな人と顔を合わせて簡単に結婚が決まる。

 その時のワタクシには、未来を奪う悪魔のように思えて、その場で決意したのです。


 息苦しい邸宅を抜けて、誰も知らない場所へ逃げよう。


 ですが、邸宅を出るにはワタクシの背丈の何十倍も高い壁を、越えなければならなかったのです。

 一刻も早く鳥かごのような家から脱出したい。

 その一心で私は壁に立ち並ぶ樹へよじ登りました。

 木登りなんてしたことが無いので、それは無謀な試みです。

 案の定、半分も登れないうち地面に落っこちて、ケガをしてしまいました。


 落ちた拍子に片足が木の根に当たり、剣で切り裂いたように、深いキズが出来てしまったのです。


 あまりの痛みと止めどない出血で、ワタクシは泣き叫んでいました。

 その時――――。


「おい、大丈夫か?」


 一人の男児がこちらへ歩み寄って来たのです。

 緑色の瞳は爛漫と輝き、翡翠ひすいのような美しい目でした。

 彼はワタクシの足のキズへ目をやると「うわぁ、イタそうだな?」と嫌悪の表情を見せながら、ハンカチを取り出して、深いキズのついたワタクシの足へ巻き付けました。


 「ありがとうございます」と述べると彼は言いました。


「ふん、エレメル家を背負う男として、当然のことをしたまでだ」


「エレメル……アナタはマッテオ・エレメルなの?」


「そーだ! 僕は高潔な貴族エレメル伯爵の跡取り、マッテオだ。オマエ、なんで僕のことを知っているんだ?」


「ワタクシはアラベラ。ヴァルトナ家の一人娘です。アナタの将来の結婚相手です」


「将来の結婚相手? あ~ぁ、そうか、花嫁候補か。そんなのはいっぱいいるから、いちいち誰が婚約者か覚えてられないな」


 最初はヒドイ物言いだと気持ちが耐えられず、痛みとは別に涙が止まりませんでした。

 その後、彼を呼ぶ声が聞こえて。


「マッでオ様ーー!?」


「なんだ、ズデンカ?」


 新たに現れたのは、ダルマのように丸々と太った男児で、息を切らしながらマッテオ様に駆け寄ったのです。


「マ、マッでオ様。ハァ、ハァ、オラを置いで一人でいぐがら、探じまじだよぅ」


「どんくさい田舎の子爵が。少しは痩せろ」


「むじゃ言わねぇでぐださい」


「その下品な方言も何とかしろ」


「ど、努力じまず……」


 二人の男児は、まるで親分と子分のようでした。

 太った男児はワタクシへ目を移して、まぶたをしばたいています。


「お? ごの人は?」


「僕の婚約者候補だ。未来の花嫁の邸宅がどんな物か見ておこうと、歩き回っていたら見つけた。ズデンカ。アラベラ嬢を医者の所へ連れて行け」


「マッでオ様がおづれした方がいいのでは?」


「僕はこの家をまだ見て回ってないんだ」


「照れでまずが?」


「うるさい! 早く連れて行け!」


 マッテオ様に手当てをして頂いたワタクシは、彼の子分のような男児に連れられて、邸宅へ戻り、お医者様の治療を受けることになりました。

 子分の男児に「ありがとう」と告げ、治療が済むと父に大変、叱られましたけど……。


 それからのワタクシは自分でも変わったと感じるほど、学問や習い事に真剣に取り組むようになりました。

 あの日、泣きじゃくるワタクシへ手を差し伸べた、お優しい少年。

 必ずあの人に相応しい花嫁になるのだと、心に決めたのです。

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