第10話 領主館 マナー・ハウス

 話しが終わり気晴らしに窓の外へ目を移すと、夜の林が壁のように続き、浮かれていた道のりが盛り下がって来た。

 どこかの森を走っているかと思ったけど、木のベンチや小さな庭園のような物が点在する。


「なんか~、ずっと林の所を走ってますけど、公園か何かですか?」


 アラベラ嬢がクスと笑った後に答えてくれた。


「いいえ、もう舞踏会が行われる会場の敷地内ですわ」


「ウソ? もしかして……ここって屋敷の庭ですか?」


「はい、その広さは一八〇エーカー(約七二万八千二百八十平方メートル)もあります」


「え〜と……全然、想像できません」

 

「庭園内で乗馬が楽しめ、春にはウサギやキツネ狩りをたしなむことができるほどの大きさです。貴婦人は同じ庭に建てられた塔から、男性の狩りの様子を見守ることもできますわ」


「お庭というより、樹海みたいですね。ハハハ……」


 私は改めて辺りを見回した。

 衛兵に止められた門は彼方に消えて、前も後ろも暗闇で覆われた。

 運転する執事が灯すランプだけでは、明るさが足りず、馬車から降りて一歩進めば迷子になりそう。

 私は急に怖くなくって来て、つい師匠の腕を掴んだ。

 ダーケスト様は怪訝な顔で聞く。


「今になって怖じ気づいたか?」


「い、いえ……別に」


「まだ引き返せるぞ?」


 師匠は頬まで裂けた口をニヤリと見せつけ、からかうように挑発したので、私はすこし腹が立って意地を見せる。


「これぐらいで怖じ気づいてたら、魚の顔した根クラで口の悪い誰かさんのお世話は、務まりません」


「弟子よ。少しは師を敬うことを覚えるべきだ。大体……」


 老害は黙れ!


「えいっ!」


「グボォ!?」


 私は師匠のアゴの裏にある、退化したエラに下から手刀を突っ込み、黙らせた。




 林の壁が続いた道のりを我慢した介があった。

 馬車を降りると見事なアーチを描いた正門へ、大勢の貴族が通る光景に目を見張る。

 それを見たら、私は胸の高鳴りを押さえられなくなった。


 あの門をくぐって屋敷の中へ入れば、私も貴族と同じように扱われるんだ。


 見るものが初めて尽くしの私にとって全てが新鮮。

 正門の先に待ちに待った舞踏会の会場。

 出迎える噴水が、太陽に溶かされた水晶が絶えず流れているように見えた。


 屋敷の広さは首を左右に降っても、視界に収まらないほど。

 高低差がある建物同士を長い壁が繋ぎ、まるで教会、図書館、学校、町に溢れる建物をかき集め、ここで縫合したのではないかと思える造りだ。

 屋敷に装飾された明かりは夜の闇を払いのけるほど眩しく、この場所だけ町の明かりを一挙に集めたように輝いていた。


「スゴイ、スゴい! これが本物の貴族の屋敷なのね。本で読んでいたものと全然ちがうぅー」


 アラベラ嬢が解説した。


「こちらのお屋敷はマナー・ハウスと呼ばれる貴族の一般的な持ち家ですわ」


「マナー・ハウス?」


「マナーとは荘園という意味ですが、同時に『滞在する』という意味も兼ね備えています。こちらのお屋敷ではあるじや住み込みの使用人を含めて、五十人程が滞在できます」


「さっきの庭の話もそうですけど、アラベラさん、詳しいですね?」


「将来の嫁ぎ先のことを熟知するのは花嫁候補として当然のことです。ですが、他の婚約者候補の方は、そこまで熟考している様子がないようでして」


 アラベラ嬢はとても真面目な人なんだと、ふと思った。


 早速、巨大なアーチを描いた正門をくぐり、屋敷が見渡せる庭園を三人で歩く。

 やっぱり上流階級は空気感からして違う。

 情緒、気品、風格。

 村や田舎の町では味わえない風情が、私の心をくすぐった。

 貴族によるお伽の国を堪能していると、こちらの肌を焦がすような視線が気になる。


「何だか、私たち見られてませんか?」


 師匠がさらりと言った。


「ふん、魚の顔をした男前が珍しいのだろう?」


 いつもなら呆れて聞き流す師匠の戯れ言も、門で突っ掛かって来た衛兵のことを考えれば、鵜呑みにできない。

 

 側を通る貴族は、ほとんどが眉を潜めて、たしなめるように師匠の頭から爪先までを見ている。

 それが終わると、付き添い歩く私やアラベラ嬢へ向け、視線を交互に行き来させた。


 なんて言うか、触れたくない物を見て嫌悪しているような眼差しだ。

 ジロジロ見られて良い気分はしない。

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