第11話 僕らは双主の里に着いた。そして遭ってしまった。

 シンシアとロバートが目指しているのは、彼らが最初から予想していた通り双主の里だった。 

 チュパカブラの足跡や餌食になった死骸や糞を調べていると、やはり里へと向かっていたのだ。

 辺りは視界が効かない濃厚なクリームスープのような深い霧であった。

 

 

 

 二人は念には念を入れてその姿を木々に隠し、物音を避けるために茂みを避けて走破しているが、それでも常人よりはずっと速い。

 それは彼らがやはり普通の人間ではないことを証明している。

 

 

 

『予期していたこととはいえ、やっぱり目指すべきところはあそこなのね』




『人が造りしものだからな、人を襲っても帰るべきところは人がいるところなのさ』




 彼らの口はほとんど開いていない。

 音量もわずかで微かに唇が上下するだけだ。

 

 

 

 だがそれでも離れた相手に、しっかり言葉を伝えることができた。

 こう言うところでそれができるだけの、そう言う訓練を受けているのだ。

 

 

 

『でもそうなると沙由理たちのことが、やっぱり気にかかるわね?』




『なんだ? 後悔してるのか? 

 あっちには『風の民』がいるんだ。心配はない』

 

 

 

『それにしても、あの子はひとりしかいないわ……。

 それに沙由理たちと違って私たちもあの子の真の目的は知らないし』

 

 

 

『そう言えばそうだな……?

 あんな力を見せつけられちまったんで、そっちの方は気がつかなかったな』

 

 

 

『敵……、ではないみたいね。

 それにあの子なんだかタツノコのこと意識してるわね』

 

 

 

『そうなのか? 俺は全然気がつかなかったぞ。

 ボーイがいかれちまってるってのは、わかるがな。そうか……、両思いだったのか』

 

 

 

『……鈍いのね。見え見えじゃない。でも変なのよね』




『なにがだ?』




『なんて言うんだろう?

 タツノコとは出会ったばかりでしょ? でもタツノコに一目惚れって訳じゃなさそうなのよ。

 なんて言うか……もっと別な理由がありそうなのよね?』

 

 

 

『互いにメールのやり取りとかあったんじゃねえか?』




 シンシアは意外そうな目でロバートを見た。

 

 

 

『そうね……、それかもね。

 タツノコは最初、『風の民』を男だと思っていたって言ってたわ。

 

 でも意見が合う相手が実は女の子だったりして、それもかわいい子だったりしたら、すぐに恋に落ちても不思議じゃないわね』

 

 

 

『ボーイの方はわかるさ。

 ……でもスーパーガールが、メール相手のボーイを意識するのはわからない。

 あいつ、そんなにいい男か?』

 

 

 

『……わかってないわね、女心を。

 女がみんな、外見だけで男を選ぶ訳じゃないのよ?』

 

 

 

 そう言ったシンシアはロバートをちらりと見る。

 だがロバートは腕組みをした考え顔であった。

 シンシアは誰にも気がつかれないため息を、小さくもらす。

 

 

 

『……複雑だな。

 ま、人の恋路に理由はいらない。日本のことわざに「蓼食う虫も好き好き」ってのがある。

 そうか、それかも知れない』

 

 

 

『あなたって、のん気ね……』




 あきれたようにシンシアは、数メートル離れた木に身を潜めるロバートを見た。

 だが次の瞬間、銃を構えた。

 

 

 

『いるわね?』




『ああ、とうとう見つけた。思えば長い旅だった』




 二人の視界の先には、深い霧の中で蠢く無数のチュパカブラたちの姿があった。

 

 

 

『こっちに気づいちゃいないな。

 おまけにこっちは風下だ。運がいい』

 

 

 

『でも相当の数よ』




『地形を選んで奇襲をかけよう。

 うまくすればいっぺんに五匹はやれる』

 

 

 

 ロバートはそう言って、移動を始めた。

 

 

 

『待って……。様子がおかしいわ』




 シンシアがロバートを静止させた。

 風が流れ、視界が晴れたその先でノロノロと歩き去るチュパカブラの群れが見えたのだ。

 

 

 

『なんだあ? 連中、ヨレヨレしてやがる。

 まるでジャンキーだな』




『そのようね。どうやら薬が切れたみたいね』




『それで全然姿を見せなかった訳だ。

 ……だか待てよ。おかしかねえか?』

 

 

 

『なんのこと?』




『時間だよ。

 午前零時とか正午とかに合わせて薬を使うのが普通だろう? 

 こんな半端な時間に設定するか? 午後のおやつじゃあるまいし』

 

 

 

『そう言えばそうね。 

 チュパカブラの作戦行動時間は十二時間。

 

 ……人が活動する昼間に薬が切れる設定をする馬鹿はいないわ。それに一斉に引き上げさせたら戦力にぽっかり穴が開いてしまう』

 

 

 

『運用方法を間違ってるか、失敗作か、そのどっちかだな?』




『あるいは新種か、機能を限定するために薬の投与量を調整しているか、かもしれないわね?』




『どう言うことだ?』




『あくまで可能性の話。

 でもそれだとすると、あまりにも無謀な特徴の説明がつくわ』

 

 

 

『ああ、なるほど。

 そう言えば確かに間合いなどお構いなく突っ込んで来たしな。……で、どうする?』

 

 

 

『気になる。後をつけてみるわ。

 ……飼い主にも会ってみたいし』

 

 

 

 ロバートとシンシアは、今までよりも更に慎重にチュパカブラの追跡を開始した。

 


 ■

 

 


 僕らは里に着いた。

 長い長い下り坂を降りると麓に真っ白い濃い霧の塊があり、道のまま進むとそこが双主の里だったのだ。

 

 

 

 そこは里と言うだけあって地面は平らで木々はまばらになり、小道があり、小川があった。

 まるで昔の農村のようだった。

 でも電気は来ているようで街灯の姿をちらほら確認できた。

 

 

 

「おかしいですね。電線とか電信柱とか見えないですね?」




 僕が疑問を口にすると悟郎さんと沙由理さんが応えてくれた。

 

 

 

「たぶん地下に埋設してるか、発電機でも使ってるんだろうな」




「あくまで景観の保護ってことなのかしら?」




「そう言うことなんだろうな」




 霧の中にボウッと黒い固まりが、急に浮かぶ。

 どうやら建物のようであった。

 

 

 

「ちょっと怖いわね。

 なんか化け物みたいに思っちゃうわ」




「そう言うことを言うと、また首つり死体とかガス自殺の死体に出会っちゃうんじゃないのか?」




 悟郎さんが笑って言った。

 もちろんシンシアさんたちとの出会いを言っているのだ。

 

 

 

「もー、いじわる。

 でも言わないことにするわ。もし本当にそうなったら嫌だから」

 

 

 

 近づいてみると、それは古い木造家屋だった。

 大きさは現代の建て売り一戸建て住宅と変わらないが、板壁造りの平屋だった。

 

 

 

「誰かいるのかな?」




 僕はこっそり窓を覗く。

 中は居間のようで、ちゃぶ台や茶ダンス、座布団などが見える。

 

 

 

「響……、なにかわかる?」




 僕が尋ねると響は首をふる。

 

 

 

「……おかしいの。どうしちゃったんだろう? 

 ……さっきからよく聞こえなくなってるの」

 

 

 

「響くん、どう言うことだい?」




「たぶん、誰かが私の邪魔してるんだと思うの」




「邪魔? 

 ……もしかしてさっき言っていた同じ音を持つやつ?」

 

 

 

 僕は尋ねた。

 チュパカブラとの戦いの後、響が言っていた言葉を思い出したのだ。

 

 

 

「かもしれない……。

 でも平気。だとすると相手も私たちのこと聞こえないもの」

 

 

 

 僕たちは響を見つめていた。

 響は耳をふさぐ。その顔は少し痛々しかった。

 

 

 

「……とってもとっても大きな音が聞こえるのよ。

 耳が痛いくらい」

 

 

 

「音?」




 まったく僕には聞こえなかった。

 

 

 

「……だから、私には聞こえない。

 だから相手も聞こえてない」

 

 

 

「じゃあ、君のその聴力は、まったく使えなくなったってことかい?」




 尋ねる悟郎さんは不安顔だ。

 

 

  

「……それでも、あなたたちより聞こえてるから安心して。

 この家からは音がしないわ」

 

 

 

 僕たちの顔には安心が戻った。

 響の力は、何物にも代え難い。

 

 

 

「オーケー。

 じゃあ、この家には誰もいないってことだ。

 

 よく見れば家の中は整然としているから誰かが生活してる、って雰囲気じゃないな。

 モデルルームみたいな雰囲気だ」

 

 

 

「そうね。あくまでそのままに保管してるってことかしら。

 悪いことじゃないわ」

 

 

 

 僕たちはそのままその家をあとにした。

 目的はかつて里人が住んでいた一般家屋ではないからだ。

 

 

  

「ねえ、悟郎くん、龍児くん、響ちゃん。

 ちょっと話し合いたいの。いいかしら?」

 

 

 

 急に沙由理さんが立ち止まる。

 なにか思いついたかのように、その顔は考え顔だった。

 

 

 

「なんだい?」




「うん。私たちはこの双主の里……、つまり久山興業にとって確実に招かざる客たちの訳よね? 

 そしてエリーさんたちのこともあるし、シンシアたちが追ってる化け物のこともある」

 

 

 

「そうですね。でもどうしたんです?」




 僕は沙由理さんに尋ねる。

 

 

 

「うん。

 この里で久山の社員と会う前に、私たちのスタンスを決めておかなければならないと思うの。

 

 ……どう言う目的でやって来たのか、エリーさんやリーフさんたちのことはどこまで説明していいのか、化け物ことは黙っているのか、その辺りをはっきりしなきゃならないと思ったの……」

 

 

 

「よし、じゃあ、こうしよう。俺たちは本来の目的である雑誌の取材に来た一行とする。

 つまりそのままだ」

 

 

 

 悟郎さんが言った。

 

 

 

「大丈夫かしら? 

 今となっては、あからさまに警戒されると思うけど」

 

 

 

 沙由理さんが答える。

 

 

 

「俺たちは里の中をあちこち歩き回っていた訳だし、これからも歩き回る訳だから、道に迷った観光客って言った場合はボロが出る」




「それはそうね。

 単なる観光客がこんな山奥にまで来る方がおかしいわ。

 だったら取材と言うはっきりとした目的の方が怪しまれないかもね」

 

 

 

「うん、幾分行動に制限はつけられる可能性もあるけど、森中を歩き回っていた方便にはなるな」




「エリーさんたちのことはどうしますか?」




 僕は訊いた。

 これは僕たちの真の目的ではあるのだが、非常に尋ねづらい質問である。

 

 

 

「俺はたぶん監禁されているだろうと思う。

 だから直接訊いても無駄だろうな。教えてくれる訳はないし、そんなことをしたらミイラ取りがミイラになりかねない」

 

 

 

「場所が場所だけにおもしろい例えね」




 沙由理さんの言葉に悟郎さんが苦笑した。

 ここは天狗のミイラがある場所だからだろう。

 でも別に受けを狙って言った訳じゃなさそうだった。

 

 

 

「……歩き回る訳だから、取材を装って探すのがいいと思うわ」




「うん、それだな。

 つまりこちらからは口には出さないし、向こうが探りを入れてそれとなく尋ねてきても、ひたすらとぼける作戦でいこう」

 

 

 

 全員、頷いた。

 

 

 

「あとは化け物をどうするか、よね?」




「そうですね。これこそ質問できないですよね」




 僕は言った。

 

 

 

「うーん。これこそ知らぬ存ぜぬじゃないかな。

 もともとはシンシアたちの仕事だし、俺たちが襲われたけど、その証拠は一切ないんだし……」

 

 

 

「そう言えばそうね。

 でも用心だけはしておいた方がいいわよね」

 

 

 

「……私のことはどうするの?」




 響が訊いた。

 響は自分の顔を指さしている。

 

 

 

「そうだな。うーん。

 ……よし役割分担を決めよう。俺と沙由理くんは本来のまま取材者だ。龍児もアルバイトのままでいい。

 で、響くんは龍児と同じアルバイト役をしてくれ」

 

 

 

「……アルバイト役? 

 いったい、なにをすればいいの?」

 

 

 

 響は目をまん丸にして驚いている。

 

 

 

「龍児のアシスタントでもしてくれ。

 ……なんか変だな、アルバイトのアシスタント……。まあ、いい」

 

 

 

「……わかったわ」




 響が冗談めかして僕にウインクした。

 ……か、かわいい、と瞬間思った。

 その笑顔に僕の心臓はドクンと跳ね上がった。

 

 

 

「ねえ、もし久山興業の社員と出会ったら、悟郎くんが代表して話すことにしない?」




 沙由理さんが提案する。

 

 

 

「……俺がか?」




「ええ、ひとりひとりが発言したらボロが出そうだし、そうしてよ」




 僕もそれは名案だと思った。

 

 

  

 それから僕たちは双主の里の捜索を再開した。

 だけど誰とも出会わなかった。

 久山興業の社員はもちろん、シンシアさんとロバートさん、そして化け物とも出会わなかったのだ。

 

 

 

「けっこう歩いたけど、この霧じゃ、どこまでが里かわからないわね」




 里には車一台分の幅を持つメインストリートの土の道があり、そこから道は時折枝分かれしていて、その先はすべて家屋につながっていた。 

 僕たちはその一軒、一軒を尋ねてみたがやはり誰も住んでいなかった。

 

 

 

「でも、おかしいな……?」




 悟郎さんが呟く。

 

 

 

「廃村だから誰もいないのは当然かもしれない。

 でもここを管理する久山興業の社員たちがまったくいないのは腑に落ちない」

 

 

 

「そう言えばそうね? 

 常駐している人だっているはずだから、事務所とか作業場みたいなものがあってもおかしくないわね」

 

 

 

 沙由理さんは、首を傾げて考え顔だ。

 

 

 

「そう言えば、エリーさんが投稿した記事の中で管理人さん、て書いてありました。

 きっと管理人がいるんですよ」

 

 

 

 僕は思い出しながら言った。

 

 

 

「そうか、そう言えば管理棟に泊まったと書いてあったな。

 よし、管理棟を探そう」

 

 

 

 僕たちは更に進んだ。

 すると道が二股に分かれた。

 そのどちらも深い霧に包まれていて、先が見えない。

 

 

 

「どっちかな?」




 悟郎さんが僕たちを見た。

 すると響が言った。

 

 

 

「右の道……。小さい家がある」




 僕は目をこらしたが濃密な霧が見えるだけだ。

 沙由理さんがうながし、僕らは進んだ。

 そこには小さい建物があった。

 

 

 

「なにかしら? 社殿? 祠?

 なんて呼ぶのかわからないけど、そう言うものみたいね」

 

 

 

 沙由理さんが言う通り、それはなにかを祭った小屋に見えた。

 脇には古ぼけた木製の立て看板があった。

 

 

 

「ねえ、そうじゃない! やっぱりそうよ!」




 沙由理さんが控えめに叫んだ。

 その看板の板には『天狗堂てんぐどう』と書かれてあった。

 

 

 

「とうとう天狗ミイラとご対面か。

 よし行ってみよう」

 

 


 天狗堂を撮影していた悟郎さんが先頭になって、僕たちは小走りに向かった。

 扉が見えた。

 

 

 

 扉は鍵のかかった木の格子の扉で、向こうは畳一枚程度の広さだった。

 奥が暗くてよく見えない。

 

 

 

「あれ? 悟郎さん。

 僕にはガラスケース以外、なんにもないように見えるんですが……?」

 

 

 

 明かりがまったくない堂の中に、かすかに光に反射する背が高く大きなガラスケースが見えたのだ。

 

 

 

「そうだな。

 それらしいものは、なにも見えない」




 僕たちは、きょとんとした顔で互いを見た。

 

 

 

「ミイラはないわね……。あるのは椅子だけ」




 響がぽつんと言う。

 

 

 

「椅子?」




 目をよくよくこらすと確かにそれらしいものがケースの中に、ぼんやり見えた。

 

 

 

「出かけた、……のかな?」




 悟郎さんが、ふざけて言った。

 

 

 

「やめてよ。怖いじゃないの」




 沙由理さんが悟郎さんを叩く。

 

 

 

「ねえ、もしかしたら修復にでも出したんじゃない」




「そうか、そう考えるのが普通だな。

 残念だけどしょうがない」

 

 

 

 悟郎さんは格子の間から手を入れて空のケースを撮影した。

 ストロボが光ってケースの中の空席の椅子が見えた。

 

 

 

「コンパクトカメラってのが、仇になったな。

 こう暗くっちゃ写りが悪い」

 

 

 

 液晶表示された画像は、確かに暗かった。

 

 

 

「使えないんですか?」




「いや、PCで調整すれば、なんとかなるだろう」




 空振りに終わった天狗堂を僕たちは足早に後にした。

 空はまだ明るかったが、暗くなる前に管理棟を見つけたかった。

 

 

  

 僕たちは再び道の二股へ戻った。

 もう一方の道を行くか、それとも来た道を戻るか話し合っていた。

 響は無言でときおり耳を塞いでいる。

 

 

 

「どうしたの?」




 僕は尋ねた。

 

 

 

「音が強い……」




 響の発言に悟郎さんと沙由理さんが会話をやめた。

 

 

 

「なんか気の毒ね……。

 私たちには、まったく聞こえないのに」

 

 

 

「響くん、音はどっちの方から強く聞こえるのかな?」




 悟郎さんが尋ねると、響は道の脇の茂みを指さした。

 

 

 

「なんか、音の発生源でもあるのかな?」




 悟郎さんは、すたすたと茂みに向かった。

 

 

 

「あ、おい」




 悟郎さんが呼んだので僕たちはその場所に向かった。

 悟郎さんは茂みをかき分けて、地面を指さしている。

 

 

 

「俺、また見つけちゃったよ」




 悟郎さんが指さす先には足跡があった。

 そこはぬかるんでいて、何人かの靴跡がいっぱいに残っていた。

 

 

 

「ねえ、この足跡の方向に行ってみましょうよ」




 沙由理さんの言葉に僕たちは無言で頷くと、その茂みをかき分けた。

 足跡はやがて見えなくなった。

 土が乾いているのだ。

 

 

 

 だが前方に、大きな黒い固まりが霧の中からボウッと浮かび上がるのが見えた。

 行ってみるとそれは密集して生えた大きな木々だった。

 

 

 

「違うわね。また空振りね」




 沙由理さんが残念そうに言った。

 

 

 

「タツノコ……。音はここからみたい」




 響がそういって指さしたのは木々の固まりの中であった。

 悟郎さんが先頭で、それを目指した。

 

 

 

「おい! 驚いたな。小屋があるぞ」




「え?」




 僕は小走りに向かった。

 すると悟郎さんが言う通り、木々にぐるりと囲まれた中に小さな小屋があるのを見つけた。

 

 

 

 小さいとはいっても天狗堂よりはずっと大きい。

 アウトドア用品の展示場で見かけるようなワンルームのログハウスくらいの大きさだ。

 

 

 

「驚いたわね。外からじゃ全然わからないわ」




 沙由理さんはドアを開けようとしたが、鍵がかかっていた。

 僕は窓から室内を覗いてみた。

 

 

 

「無線機……?」




「そうだな。軍隊で使いそうなやつだ。

 山奥だから強力な無線機が必要なんだろう」

 

 

 

 悟郎さんが説明してくれた。

 確かに見たこともない大きな無線機だった。

 

 

 

 僕らは小屋の階段を下りて立ち去った。

 響のことを考えると窓を割って侵入して無線機を止めることはできるが、そんなヤバイことをしたら警察に通報されるしまう。

 だから仕方なく歩いてきた道を戻り、茂みを抜けて、二股の道に戻って来た。

 

 

 

――そして……そのときだった。

 

 

 

「なにをしているんですか? 

 そんなところで」

 

 

 

 突然の声に僕は驚いて飛び上がりそうだった。

 見ると霧の中にひとりの男性が立っていた。



 

 年の頃は悟郎さんと同じくらい。

 背はかなり高いけど、とてもやせていてグレーの作業着を着ていた。

 僕たちは顔を見合わせたが、さっきの相談通りに悟郎さんが代表して発言した。

 

 

 

「すみません。道に迷ってしまったんです。

 ここは双主の里ですよね?」

 

 

 

「そうですよ」




 男性は答えながら歩み寄る。

 口調は温和だったが、目つきに隙がない。

 

 

 

「ここは久山興業の社有地で、立ち入り禁止です。

 あなた方はなんの目的があっていらしたのですか?」

 

 

 

 僕たちは互いの顔を見た。

 だが事前の打ち合わせ通り、悟郎さんひとりが対応することになった。

 

 

 

「私たちは『PCライフマガジン』と言うコンピュータ雑誌の者です。

 この双主の里を取材させて頂きたいと思って、やって来たのですが……」

 

 

 

「取材ですか? 

 ……入り口の警備員からは聞いていませんが」

 

 

 

 入り口? 

 フェンスのことだと思った。

 響が監視カメラを壊した場所の、あのフェンスだ。

 

 

 

「ええ、入り口のフェンスに鍵がかかっているようだったので……」




 男は少し考え込んだ。

 

 

 

「そうですか……。それでみなさんはどうやってここまで来たんですか? 

 まさか歩いて来た訳ではないですよね?」

 

 

 

「入り口までは車で来ました」




「車ですか? 

 どこに駐車されたんですか?」

 

 

 

「フェンスの近くの茂みに停めましたが……」




「茂み? 

 なぜです?」




 質問がいちいちキツかった。

 悟郎さんは苦しそうだ。

 

 

 

「いや……他の車の通行の邪魔になると思って、適当な場所が見当たらなかったものですから……」




「ああ、なるほど。

 ではそこからここまでは歩いて来られたんですね? どこを通って来られたんですか? 

 もしかして……、森の中を通ってきたとか?」

 

 

 

 返答に困る質問だった。

 男の視線が一瞬するどくなったのは僕の気のせいだろうか? 

 

 

 

 ……だが悟郎さんは、あっさりと答えた。

 

 

 

「ええ。かなり歩いて道に迷いかけましたが、なんとか無事に到着して、こうしてここにいます」




「森の中でなにか見かけませんでした?」




 男の目がにやりと笑ったように見えた。

 

 

 

「どうでしょう? 

 鳥とかは見たような気がしますが。……それがなにか?」

 

 

 

 うまい切り返しだった。

 

 

 

「いや……なんでもありません」




 男は遠くの森を見ているようだった。

 

 

 

「取材ならいいですよ」




 いきなり言った。

 僕はとても信じられない言葉を聞いたような気がした。

 

 

 

「……ほ、本当ですか。

 い、いや、ありがとうございます」

 

 

 

 僕たちの顔に驚きが浮かんだ。

 ……こんなことって、あり得るのだろうか?

 

 

 

「当社では別に見られて困るものは、なにもないのです。

 ただ、あくまで社有地なので事故など起こったら大変ですから入り口を閉ざして警備員を置いています。

 そこで取材の件を言ってくだされば、私の権限で許可できます」

 

 

 

 そういって男は名刺を取り出した。

 名刺には「久山興業株式会社 第四地区部長 兼 双主開発地管理人 佐藤一郎」と書かれてあった。

 

 

 

「佐藤さんと言うんですか。

 その若さで部長とは大したものです」

 

 

 

「いえいえ、名前だけの肩書きです。

 なんせこんな僻地の管理人ですから」

 

 

 

 そういって佐藤さんは、悟郎さんと沙由理さんから受け取った名刺を眺めていた。

 

 

 

「フリーライターの方とコンピュータ雑誌の方が、こんな山奥になんの取材なんです?」




「ええ、コンピュータとは関係ない記事で、変わったものを取材するページがあるんです。

 ここに天狗と大亀の伝説があるって聞いたものですから」

 

 

 

 佐藤さんに尋ねられて沙由理さんが答える。

 

 

 

「そうですか……。確かに伝説はありますね。

 ……でもおかしいですね?

 

 ここ何年も伝説のことで訪れる方はまったくいませんでした。

 もともと隠れ里みたいなところですし、知っている人もごくごくわずかだったですが……、最近、多いんです。

 先週も若い女性が二人、そのことでやって来ました」

 

 

 

 僕たちの間に見えない電撃が走った。

 相手の方から切り出すとは思えなかったからだ。

 僕たちはつとめて顔に驚きが出ないように心がけた。

 

 

 

「そうなんですか。

 それは参ったな。スクープと言う訳じゃありませんけど、誰も知らないと思っていちばん乗りを狙っていたんです」

 

 

 

 悟郎さんが上手に話題を利用して話題を変えた。

 なかなか見事だと僕は思った。

 

 

 

「ああ、そう言う意味ですか。

 それなら大丈夫だと思いますよ。その方たちは個人の趣味でいらしたみたいで、出版関係ではなかったと思います。

 あちらこちらを自由に撮影して回って、とても喜んで"お帰り"になりました」

 

 

 

「……帰った、ですか?」




 僕たちは、またしても顔色の変化に気をつけなければならなかった。

 佐藤さんは相当の役者だと思った。

 

 

 

「ええ、小さい里ですから一日あれば十分です。

 お二人は一泊されて帰られました」

 

 

 

 佐藤さんの温和な口調は変わらない。

 

 

 

「そうですか……」




「はい。あなたがたも取材なら一日あれば終わると思いますが、今からだと夜になってしまいます。

 荷物もあるし長旅をされて来たんですから、管理棟で一泊されたらいかがですか。

 取材は明日でもかまわないのでしょう?」

 

 

 

 佐藤さんは僕たちを先導して歩き出した。

 向かう方向はまだ行ってなかった二股の道の左側だった。

 

 

 

「タツノコ……。

 あの人が、たぶん」

 

 

 

 響が僕の袖を引いた。

 唇に人差し指をあてている。

 しゃべるなと言う意味だ。

 

 

 

 僕にはその意味がわかった。

 先頭を歩く佐藤さんと、この場所の僕たちはずいぶん距離が離れている。 

 にも関わらず、しゃべるな、と合図する。

 

 

 

 それは佐藤さんが、耳がいいことを意味する。

 それはたぶん……、響が恐れる響と同じ一族であることなのだろう。

 僕は霧の中に消えてしまいそうなほど身体が細い佐藤さんが、不気味に思えた。

 

 

 

 やがて僕たちは、管理棟に案内された。

 管理棟は一階が駐車場になっている三階建ての木造の建物だった。

 全体の造りはロッジ風で、なんだか高原に遊びに来ているような気になってくる。

 

 

 

 驚いたことに管理人室は別棟だった。

 管理棟から渡り廊下を歩いた先にあったのだ。

 鍵を取って来ます、と言って佐藤さんは廊下の先に消えた。

 

 

 

 チャンスだった。

 僕と響は悟郎さんと沙由理さんに、佐藤さんの正体を小声で手短に告げた。

 

 

 

 いつ佐藤さんが戻ってくるかわからないからだ。

 そして僕たちの説明がすっかり終わったころ、佐藤さんが戻ってきた。 

 

 

 

「今では出張してくる社員のための施設になっていますが、もともとは宿泊施設として設計されたんです。

 だからこんな造りになっているんですよ」

 

 

 

 管理棟の鍵を開けながら佐藤さんは説明してくれた。

 確かに今からすぐにでもロッジホテルとして営業ができそうな造りだった。

 

 

 

「例の景観法、ご存じですよね? 

 まあ愚痴をいっても仕方ないんですが、あれのお陰で造れるものが削られましてねえ、この管理棟と集落にあるいくつかの街灯だけが、許可されました。

 あとはなにも手をつけてません。県の職員の人たちがくまなくチェックしたので本当です」

 

 

 

 佐藤さんは悟郎さん相手に、しゃべりつづけている。

 そのとき沙由理さんが僕に耳打ちした。

 

 

 

「じゃあ、あの無線があった小屋はなんなの?」




「そう言えば、そうですね。

 じゃあ、あれは違法建築?」




「そうかもしれないわ。だから隠してたのね」




 僕は頷いた。

 その後、佐藤さんは管理棟の中を、ざっと案内してくれた。

 

 

 

 階段を上がった二階がロビーになっていて、ソファやテーブルが並んでいる。

 奥は食堂と風呂があった。

 そして僕たちは三階に案内された。

 

 

 

 三階はすべて個室になっていて部屋は八つあった。

 ……きっとエリーさんやリーフさんも宿泊したのも、これらの部屋たちなのだろう。

 僕たちは、それぞれ部屋の鍵を渡された。

 

 

 

「本当に宿泊料は無料でいいんですか?」




 悟郎さんが、すまなそうに聞き返す。

 

 

 

「ええ、かまいません。

 でもそのことはできれば記事に書かないでください。

 営業できないから無料としているだけです。団体で来られたら困りますから」

 

 

 

 佐藤さんは隙のない笑顔で答えた。

 

 

 

 やがて佐藤さんは準備がいろいろあるからと言って、階段を降りて行った。

 僕の部屋の隣は響、そして沙由理さん、悟郎さんの順番だった。

 

 

  

 部屋に入ろうとした僕は、ポケットから鍵を出した。

 そのときポケットから丸い物が落ちた。

 

 

 

 ミカンだった。

 沙由理さんがくれたそのミカンのことを僕はすっかり忘れていた。

 

 

 

「珍しいのね……?

 今の季節にミカンなんて」




 響が落ちたミカンを拾ってくれた。

 

 

 

「ビニール栽培みたいだよ。

 沙由理さんにもらったんだ。すっかり忘れてた」

 

 

 

 響はじっとミカンを見ていた。

 その横顔は、なにかについてじっと考えているように見える。

 そしてふいに口を開く。

 

 

 

「タツノコ……。ねえ、これもらってもいい?」




 響は唐突に言った。

 その目はまっすぐに僕を見つめている。

 

 

 

「え、い、いいよ。ちょっと、すっぱいかもしれないけど」




「ううん、いいの……。ありがと」




 そして響は部屋に消えた。

 

 

 

 響はミカンが好きなのか……。

 ミカンひとつのことなのに、僕はなぜだかドキドキしてしまっていた。


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