第10話 双主の里に関する企業的背景とその仕掛け。

 深い霧に包まれた双主の里に小さな小屋があった。

 そこは木々でカムフラージュされた木造の小屋で無線機が置いてある建物だ。


 


 外には軽自動車の4WDが停車していた。

 中にはその車に似合わない白手袋をした背広姿の運転手が乗っていた。

 いつもなら重役が乗る黒塗りの高級輸入車の運転を任されているのだが、今その車に乗っているのはここが双主の里と言う特殊な場所だからだ。


 

 未舗装の悪路――つまり狭い林道を走るのには、それがいちばん適しているからである。

 その運転手が運んできたのは久山興業本社の戸畑とばた興三こうぞうで、肩書きは専務取締役本部長であった。


 


 その戸畑は小屋の中で、そわそわしていた。

 背は低く腹がでっぷりと出た五十代半ばの男である。


 


 会長の娘を嫁にもらい一男二女を設けた。そして地位も予想外に出世できた。だが、現在はつまずいていた。

 昨年、戸畑よりも十歳も若い男に社長の座を取られたのだ。


 


 キィー、と音がして分厚い木のドアが開かれた。

 戸畑は振り向いたが、そこには誰もいなかった……。


 


「本部長、わざわざ来られたんですか?」




 視線を正面に戻すと、いつの間にかひとりの男が立っていた。

 まるでいきなりそこに湧き出たような登場だった。


 


「……佐藤さとう君。そうじゃなくても最近心臓の調子が悪いんだ。驚かせないでくれ」




 現れた男は佐藤一郎いちろうと言うこの双主の里の管理人だった。グレーの作業服姿である。肩書きは第四地区部長。


 


 ……ただし年は若く、やっと三十歳になったばかりである。

 そして久山興業では最年少の部長でもあった。


 


 容貌はとても背が高くやせており長い手足を持っていた。

 肩はなで肩で、どこかフワフワした印象はヤナギの木を思わせた。


 


「ダイエットなさったらどうです? 

 あなたの入院歴の多さには問題があると、あの方もおっしゃってましたよ」


 


 視線は鋭く、その口調は冷たいカミソリのようだった。


 


「あの方? ……そうか、野本のもとがそう言ったのか?」




 戸畑は自分を追い抜いた男――現社長の名前を口にした。


 


「はい。半分は、そうです」




「半分?」




「ええ、あとの半分は会長ご自身の口からです」




 戸畑の顔は青ざめてそして赤くなった。驚きから怒りに変わったのである。

 ……わかりやすい男だな。佐藤はそう思った。


 


「あのジジイ。余計なことを。老人はさっさと引退すればいいんだ」




 ……それはお前のことだろう? 

 佐藤は口の端だけでニヤリと笑う。


 


「し、しかしだ、佐藤君。君はいったいどこで、そんな話を聞いたんだ」




「会長宅で……。二週間前に呼ばれたんです」




「ど、どうして君が……?」




 戸畑はここにも自分を追い抜く男がいる、と思ったのだ。


 


「ご心配なく。私は雑務に呼ばれたんです。庭木の手入れです。

 ほら、あの大きな松の木ですよ。本部長の話は茶室でお二人が、会話されていたのが聞こえただけです」


 


 戸畑は巨大な和風庭園を持つ会長の屋敷の間取りを思い浮かべた。


 


「茶室と松の木……。ずいぶん離れているが」




「私は耳がいいんです……。

 ちょっと異常なくらいに」


 


 戸畑は、ぞくりとした。

 この男と話すと、最近いつもこんな感じになる。


 


「……しかし妙な話だな。

 庭木の手入れなんぞ、業者にやらせればすむだろう?」


 


「はい、私もそう思いました。

 でも近々向こうの大学に留学している会長の孫娘が帰って来るみたいなんです。

 それはそれは嬉しそうな顔で、会長はそうおっしゃっていました」


 


 戸畑はその意味を理解した。

 会長は孫娘と佐藤を引き合わせようと考えているのだ。


 


「……佐藤君。

 君を部長に抜擢したのは、この私だ。この意味がわからない訳は、ないだろうね?」


 


「ご心配はいりません。私は恩を仇で返す人間ではありません」




「よ、よろしい」




 戸畑はそう答えたが言葉を信用した訳ではなかった。


 


 中途採用で入ってきた佐藤に目をかけたのは、確かに戸畑だった。

 レジャーランドを作るために山深い現場に訪れたとき現地で話題になっている男が佐藤だった。


 


 佐藤は有能な男だった。

 技術や知識がずば抜けているだけでなく、恐ろしく身が軽く、どんな森でも入って行き、どんな場所でも測量ができた。

 その結果、工期は縮まり予算も縮小できた。


 


 植物にも博学で、この里に禁断の作物が自生しているのを見つけたのも佐藤だ。

 そしてその販売ルートを確立もさせ、それから得た資金で景観法が施行されたあとも他企業の買収を続けることで会社は成長してきた。それも佐藤の力だ。


 


 そして会長の娘婿とは言え、能力的には部長止まりであったはずの戸畑の評価も上がり現在の地位を築いた。 佐藤は戸畑にとって、今はなくてはならない存在だった。


 


 だが同時に、佐藤の底が見えぬ怖さも感じている。

 自分を飛び越えて事を起こそうとしていると予感するのだ。

 いつか自分に見切りをつけてしまうのではないかと、思っているのである。


 


 野本が社長に就任したときそう感じた。

 かなりの資金を投入して取締役会の半数は味方につけたはずだったのだが、結果自分は負けていた。

 野本は自分以上に金を使ったとの噂もあった。その資金の元は佐藤ではないかと、戸畑は思っている。


 


 証拠はまったくない……。

 だが佐藤以上に資金力がある人物が思いつかないのである。

 だから会長や社長と直接話ができる地位にまで引き上げてしまったことも半分後悔していた。


 


 佐藤は開け放たれた窓を閉め照明をつけた。


 


「聞かれると困る話ではないんですか? 

 ……わざわざいらした理由は?」


 


「そ、そうだった」




 戸畑は椅子に腰を降ろした。

「佐藤君、先週の件は大丈夫なのか? 

 ほらあのトラックの件だ。君からの連絡がないから、私は夜もろくに眠れなかったよ」


 


 積み荷の麻薬が検問で発見された事件のことである。




「便りがないのは良い便りです。報告しなかったのは、お手を煩わせるまでもないと判断したからです。

 あの車両は完璧な盗難車です。

 二重、三重の経路を経て入手したものですから、そこから割れることはありません」


 


「どう言うことかね?」




「まず盗まれてから三年以上経ってます。

 東南アジアで闇売買されていたのを裏ルートで日本に運ばせてます。


 車検証も車体のシリアルナンバーなども、すべて消してあります。 

 むろんナンバープレートも、似たような経緯で手に入れた盗難車のものを使ってます」


 


 戸畑はしばらく考え込んだ。

 だがその仕掛けを完全に理解することはできなかった。


 


「つまりは安心だと言うことだな……?」




「はい。車体は塗り替えており、身元がわかるような装備はすべて付け替えてます。

 もし元の持ち主が見ても、絶対にわかりません」


 


「……だがドライバーたちはどうなんだ? まだ逃げてるって話じゃないか?」




「ご安心を……。すでに処理は終わっています」




「どう言うことかね?」




「ドライバーたちは、この里に帰って来ました。

 まあ、逃げ込む先はここしかありませんからね」


 


「なるほど……。で、自首するってことはあり得る話だろうか?」




「それはないでしょう。

 もうから……」




 戸畑は息を飲んだ。

 察しの悪い戸畑でも、さすがにそれを意味することが理解できたからだ。


 


「それと、数日前、その積荷の件で警察が来ました」




「な、なんだってっ!!」




 戸畑は叫んだ。


 


「問題ありません。捜査令状を持っている訳ではなく、この辺りのパトロールです。

 あくまで不審人物と不審車両の見回りのためで、ここの捜査に来た訳ではありません」


 


「それで、うまいこと言って帰ってもらったのか?」




「その逆です。

 里をくまなく案内しました」




 戸畑はうむむ、と、唸る。


 


「なんだってっ!? 

 ……わからん。君はいったい、なにを考えているんだ?」


 


「おわかりにならないんですか? 

 彼らが見たものを……?」


 


 ニヤリとほくそ笑む佐藤を見て、戸畑はぽんと膝を打つ。


 


「そうか、そう言うことか」




「警察には非常に好意的だと感謝されました。

 彼らがここに来ることは二度とないでしょう。


 隠そうと思うから疑われるんです。

 むしろ世間では、見せてしまった方が勘ぐられません。まあ……、でも本当に見られてしまったのなら話は別ですがね」


 


「まったく君の判断には恐れ入るよ」




 戸畑は柄にもなく部下を褒めた。

 むろん本心ではない。この男に対してはときどきゴマをすらないと不安になるからだ。


 


「あ、そうそう。

 数日前、単独でここに訪れてあれこれ調査していた男がいました。

 その男はすでに消しました。死体はすでに処分してあります」


 


 戸畑は額の汗を拭いた。

 内心の動揺を隠しているように見えた。

 佐藤は話を続ける。


 


「……それと二人の若い娘が迷い込んでいます。これは保護してあります」




「どう言うことかね?」




「観光客です。

 双主の伝説でも見に来たんでしょう。


 おとなしく帰すつもりだったんですが、小人はともかく畑を見られてしまったので隔離しているんです。

 二人ともかわいい娘ですよ。

 もしよろしかったら今夜、本部長がお相手しますか?」


 


「かわいい娘か……。いや、やめておこう」




 戸畑は頭に浮かんだ妄想を振り払った。

 それは道義心から来るのではなく深入りするのは危険だと自己保身から判断しただけだ。


 


「そうですか。今は深く眠ってもらっています。

 幸いここは施設が整ってますので、頃合いを見て記憶を壊したあと、闇ルートで処分します」


 


「しかし……大丈夫なのかね? 捜索願でも出されたらどうするんだ?」




「彼女たちはこの里から無事に去ったことになってます。

 駅から乗ってきたレンタカーはもう日本にはありません。今頃は外国行きの船の中じゃないかと」


 


 戸畑はいちいち頷いて聞いている。


 


「しかし……、観光客か。困ったものだ。

 本来なら里を鉄条網で丸ごと囲みたいのだが忌々しい法律のため、それもできん」


 


「そのための小人ですよ。

 見張りや番犬を使えば人々は変に憶測しますからね? 


 だからああ言うペットが必要なのです。

 森で化け物を見たと言っても、見た人物以外は信じませんからね」


 


「うむ。そう言えば、ちょうどここには天狗伝説があったな。

 ……だが、小耳に挟んだんだが、例の小人はまだ実用には使えんのかね?」




「調整が難しいのです。

 今時点では共食いをしてしまったり、むやみに人間を襲ってしまうこともあります。

 里の秘密を守るために飼っているペットが死者やけが人を出してしまった場合は本末転倒ですからね。 


 もしそうなったら本当に警察にくまなく捜査されますから……。

 人間を襲うのではなく、驚かすところでやめておく。そこに調整する必要があります。

 ……ですがこれは時間の問題です」


 


 突然、佐藤が立ち上がった。

 そして驚く戸畑を無視して窓を開けた。

 外は一面の深い霧だった。


 


 見通しは悪く、十メートル先もわからない。

 だが佐藤はしばらくの間、無言でその白い闇を睨み続けていた。


 


「どうしたのかね?」




「……いえ、なんでもありません。音が聞こえた気がしたのです」




「音?」




「まあ、人の気配とでも思ってください」




「で、その気配はどうなんだい?」




「気のせいだと思います。

 実はちょっと困ったことがありまして」


 


「ほう? 君でも困ることがあるのか?」




 戸畑は額に浮いた汗をハンカチで拭う。


 


「はい。……実は今、この里に向かっている人間がいます。 

 ……そして昨日から今日にかけて小人が七体ほど戻りません。

 もし捕獲されたり死骸を持ち帰られたりしたら厄介です」


 


「そんなことができる人間がいるのか? あの小人を……。信じられん」




 戸畑は驚いた声をあげる。


 


「わかりません。それはこれから調べます。

 来た人間は複数です。位置が遠いのではっきりとした人数までは把握していません。

 しかし……」


 


「し、しかし……?」




 佐藤は無言だった。

 その人数の中に気配を消している人物がいるような気がしていたのだ。

 先日消した、あの神通霧島と同じような雰囲気……。


 


「ど、どうするのだ? 消すのか?」




「……おとなしく帰れば何もしません。そうでない場合はそうします」




「……」 




 戸畑は返答できなかった。


 


 やがてエンジンの音と共に戸畑は去った。

 残された佐藤は、部屋の壁にある幾重にも積み重ねられた黒い金属ボディの無線機に向かった。

 それは軍隊が使う特製のもので、更に機能強化された特注品だった。


 


 佐藤は電源を入れダイヤルやレバーを複雑に操作した。

 メーターの目盛りが上がり、かなり強い電波が出力された。


 


 とたんに佐藤は自分の耳を覆った。

 耳を聾する大音響が佐藤を襲ったのだ。

 佐藤は逃げるように小屋を出てドアを閉めた。そして深呼吸をひとつした。


 


 音はまだ続いている。だがもう耳を塞ぐほどではない。


 


「これでこっちの秘密はわからない」




 佐藤は森の方を見て呟いた。

 佐藤を襲った大音量は、普通の人間にはまったく聞くことができない特殊な周波数のものであった。


 この男の名が佐藤一郎と言うのはまったくの嘘である。

 だが偽名を使っているのは戸畑を始め久山興業の人間は誰一人知らない事実だ。

 彼の名は影郎かげろう。先日殺した霧島、そして響と同じ『風の民』の人間だった。




 ■


 


 それからも僕たちはしばらく道を歩いていた。

 霧は薄く、見通しは割と良い。ときおり霧の塊が道の上にわだかまっていたが、やはりここは風の通り道みたいで、すぐにそれは運ばれて行く。


 


 僕たちの足下はいつのまにか土から砂利へと変わっていた。

 道には轍がなくて、ならしたように真っ平らだった。

 砂利は粒が細かい白っぽい小石で、足下からは歩くたびにジャリジャリと音がする。


 


「舗装でもするつもりだったのかしら?」




 沙由理さんが、足下の砂利を見て言う。


 


「最終的にはするつもりだったんだろう? 

 林道からレジャーランドまですべて悪路じゃ客は来ないからな。

 道は狭くてもアスファルトを敷く必要はあったろうな」


 


 悟郎さんがつま先で砂利をつつきながら答えた。


 


 僕はその砂利の上を歩きながらも、この道になにか違和感を覚えていた。

 だがそれは頭の中で纏まらず、言葉として浮かばない。


 


「――ちょっと待て。なんか変なモノが見えたぞ?」




 悟郎さんが突然立ち止まった。


 


「なにが見えたの?」




「見間違いかもしれない……。いや、やっぱりそうだ」




 悟郎さんはすたすたとUターンして道の脇に向かって行った。

 そこには背よりも高い茂みがあった。

 だがそれは辺り一面にある草の茂みと同じにしか見えない。


 


「これ、なんだと思う?」




「なにって単なる草だわ。

 それが不満なら草むら、茂み、繁茂した雑草、どれが好み?」


 


 沙由理さんがあきれたように言う。

 僕にもそうにしか見えない。


 


「これカムフラージュなんだよ」




「カムフラージュ?」




 僕は思わず聞き返す。


 


「ああ、偽装されてるんだ。見てみろよ」




 僕たちは悟郎さんが指し示す茂みに向かった。


 


「本当だわ。

 草色に塗った鉄骨に草を巻き付けてるのね」




「巧妙ですね。全然わからなかった」




 僕はおどろいて言った。


 


「俺も最初はわからなかった。

 草の茎が一本だけ妙に金属っぽいなあって思ったんだ。触ってみたらやっぱり鉄だった」


 


「これ動きそう。タイヤがついてる。

 ……ほら」




 響がちょっと押してみた。

 すると驚いたことに少し動いた。


 


「ちょっと押してみよう」




 僕たち四人は力を入れた。

 するとなんなく茂みは動き始めた。


 


「どうなってるんだ? 

 まさか秘密の基地の入り口でもある訳……ないよな?」


 


 茂みの端には軸がついていて、ちょうど大きなドアみたいになっていた。

 今そのドアは完全に開いた。


 


「どう言うこと? この先も道じゃない」




 沙由理さんが驚いて言う。

 僕たちは唖然としていた。


 


 その先には、はるか遠くが霧でかすんでいる今僕たちが歩いていた道とまったく似たような風景の道が続いていたのだ。


 


「一本道じゃなくて、道が『Y』の字になっていたってことですね」




 僕は二つの道を見て言った。


 


「なんのために?」




 沙由理さんが僕に問う。


 


「わかりません」




「俺たち、どっちに進むべきかな?」




 悟郎さんが今見つけた道と、さっき進んでいた道を見比べた。


 


「どっちもどっちだなあ。目印もないし区別できない」




「隠していた……、と考えた場合、今見つけた道の方が当たりだと思うけどな、私」




 沙由理さんが、考え考え言う。


 


「その根拠は?」




「……女の勘。当たるのよ、意外と」




「うーん。私もこっちだと思う」




 響が言った。

 沙由理さんが嬉しそうに頷くのが見えた。


 


「ほら、響ちゃんも言っているじゃない。きっとこっちよ」




 僕と悟郎さんは顔を見合わせた。


 


「ま、俺はどっちでもいいからな。

 ちなみに龍児はどうだ?」


 


「ええ、僕も好みはありません」




 結局、女性二人が選んだ新しく見つけた道を進むことになった。

 そしてカムフラージュされた茂みのドアは閉めて行くことにした。 


 


 道は同じく砂利道だった。

 しばらく僕たちは無言で歩いていた。

 僕はと言えば足下を見ていた。妙に細かい小石ばかりだな、と思っていた。


 


 ときおり響が立ち止まり耳をすますと僕たちの間には緊張が走る。

 そして響が首を振ると安堵のため息を漏らす。

 そんなことを繰り返していた。


 


「そう言えばシンシアたち、どうしているかしら?」




 沙由理さんがぽつりと言った。


 


「どうだろうなあ? 

 俺はやつらが帰らないで任務を続行してくれていると思っている」


 

「怪我してなきゃいいですね。相手が相手ですし」




「シンシアたちは無事よ。ときどき声とか足音とか聞こえてくるもの」




 響がそう言って耳をすます。


 


「……ほら、また聞こえた」




 僕も真似して耳に手のひらを当ててみたが、聞こえてくるのは風に揺れる木々の音だけだった。


 


「戦っているの?」




 僕は響に質問する。




「ううん。今は移動しているだけ。

 あれから獣とは出会っていないみたいね」


 


「ひょっとしてさっき襲ってきたので全部ってことはないのかな?」




 僕は希望的な観測をこめて響に尋ねる。


 


「それはない。

 もっとたくさんの足音聞こえたもの……」




「たくさんて?」




「……十八匹かな?」




「不思議ね。響ちゃんはどうしてわかるの?」




 沙由理さんが、自分の言葉と同じように不思議そうな顔で尋ねる。


 


「えっ? 音を……、数えただけよ」




 つまりそれくらい聞き分けられるってことらしい。


 


「それにしても多いことには違いない。

 俺はこっちに現れないことを祈るよ」


 


 かすかに霧に包まれた道を僕たちは更に進んだ。

 いつのまにか路面はまた土の道に戻っていた。

 さっきまでジャリジャリと響いていた僕たちの足音は、草を踏み分けるガサガサとした音に変わっている。


 


 だがやがて僕たちは再び現れた轍を選んで歩いていた。

 車の行き来が意外とあるらしく、その部分には草が生えてなかった。


 


「あれ……?」




 ……そのとき、僕はふとあることに気がついた。

 そして立ち止まった。


 


「どうしたの? 今度は龍児くんがなにか見つけたの?」




「違います。見つけたんじゃなくて、気がついたんです」




「なにをだい?」




 悟郎さんが僕を見た。


 


「さっきの砂利道、どうも変な気がしながら歩いてたんですが、それがわかったんです」




「なあに? それって?」




 沙由理さんが僕に質問する。


 


「轍がなかったんです……」




 悟郎さん、沙由理さん、そして響が今来た道を振り返った。

 だがその先は霧で真っ白に煙っている。


 


「そうだったかな? 

 でも、それがどうしたんだ?」


 


「おかしいと思いませんか? 

 なぜあそこだけ砂利があったんでしょうか?」


 


「……そうね。舗装する予定だったからじゃないの?」




 沙由理さんが首を傾げた。


 


「だとしたら、なぜここには砂利がないんです? 

 舗装するならここまで一気にするような気がするんですけど」


 


「そう言えば、そうね」




「何かの都合であそこだけ、先に砂利を引いたんじゃないのか?」




 悟郎さんも考え顔だ。


 


「道の途中からですか? 

 敷地入り口のフェンスの近くでもないし、ここからは、まだ里は見えません」


 


「そうね、確かに道の途中だわ」




「おいおい、それにどんな意味があるんだ。

 立ち止まって話すことのものなのか?」


 


「うーん。悔しいけど私は降参だわ」




「タツノコ……、どう言うこと? 教えて」




 響が尋ねた。

 キョトンとした顔だった。その顔もなんだかいいなと思った僕は得意になってきた。


 


「僕も最初はやっぱり舗装するためだと思いました。

 でもそれにしては妙に細かい小石ばかりだと思ったんです」


 


「そう言えばそうね。私もずいぶん細かい石だとは思ったわ」




「そうだなあ。舗装する場合はもっと目が粗い石を使うはずだ。

 砂浜のようだったとは言えないが、あれはそうとう細かい石だった」


 


「僕はあの砂利は舗装するためじゃないと思うんです」




「じゃあ、なにに使うのかしら?」




「車の轍を隠すためだと思うんです」




「ええっ? どうしてだい? 土の道だけじゃなくて石の道だって轍はつくぜ?」




「その通りです。あの砂でも轍はつくと思います。

 でもさっきは轍はありませんでした。あれはすでにトンボなんかで平らにしたあとだと思います」


 


「トンボ? トンボってなにかしら?」




「トンボはグランドなんかをならすT字型の道具です」




「ああ。……そう言えばそんなの部活で使ったわね。なつかしい」




 沙由理さんが遠くを見る目になる。


 


「わからないな。

 龍児の言う通りならば、誰かがわざわざトンボを運んで来るんだろう? 

 そこまでしてどうして轍を消す必要があるんだ?」


 


 そのとき響がいきなり耳をすました。

 僕たちの会話は中断した。が、響は首を振って異常がないことを示した。


 


「轍を消す理由は……、悟郎さんが見つけてくれました」




「悟郎くんが見つけた? ああ、さっきの雑草のドアのことね?」




「俺が見つけた偽装されたドア……。それと轍。

 ……なんかわかってきたぞ。

 うーむ。……でも答えが出ない」


 


「……続けます。

 悟郎さんが見つけたカムフラージュされた茂みのドアは、僕たちが歩いていたからこそ見つけました。

 しかも悟郎さんが、偶然気がついたからです」


 


「確かにそうね。私は全然気がつかなかったわ」




「私も気がつかなかった。……だってあの草、生きてたもの」




 響のその発言は悟郎さんにはとても嬉しかったようだ。

 目がいきいきしてきた。


 


「響くんにも気がつかなかったのを俺は見つけたのか……。俺もなかなかだな」




「単にきょろきょろしてるだけでしょ? 街でも女の子のお尻ばっかり見てるじゃない?」




 沙由理さんが茶化すと悟郎さんは肩をすくめた。

 どうやらすっかりロバートさんの癖がうつったようだ。


 


「これはあくまで僕の推理です。

 でもそうでないと説明がつかないんです。


 細かい砂利を引いて、地面をならす手間までかけて轍を隠す。

 それは茂みのドアのカムフラージュのためなんです。

 つまり轍がないことであのドアの秘匿性が一層高まったのです」


 


 全員が僕を見ていた。

 なんだか名探偵にでもなったような気分だった。

 この気分……悪くない。


 


「なるほど、それは正解だな。

 確かに龍児の言う通りだ。轍が続いていれば、いくらドアを偽装してもすぐにわかるな」


 


「はい。ましてあそこは本来、車で通過する道です。

 僕たちのように招かれざる客でもない限り、歩いて行く人は絶対にいないと思うんです」


 


「そうね。

 車なら、いくらなんでも歩くよりずっとスピードが出るはずだから、あのドアはまず気がつかないわね」


 


 悟郎さんも沙由理さんもあきらかに今までとは違った目で僕を見ていた。


 


「しかし、そこまでして隠す根本的な理由の説明にはなってないなあ」




 腕組みしていた悟郎さんは首を横に振る。


 


「はい。残念ですがその通りです。

 でもそこまでして隠す理由は、きっとこの道の先にあるんです」


 


 道の先は真っ白に煙っている。

 どうやら今僕たちがいるこの場所よりも深い霧の塊が長々と横たわっているようだった。


 


「……ちょっとびっくりかも。

 ……タツノコって実際に会ったときは、なんだかぼんやりしている印象だったし……」


 


「……あのね?」




 ……なんだかずいぶんの言われようで僕はその後言葉が続かなかった。

 だが……、響はそんな僕を見てあわてて訂正を入れる。

 両の手を顔の前でしきりに振っている。


 


「……あっ、こ、これって悪い意味じゃないの。

 ……ええと、ええと、い、いざってときに頼りになるって思ったの」


 


「もう、いいよ。別に気にしていないからさ」




 僕がそう答えると響はなぜだか顔を真っ赤にして俯いてしまう。


 


「ち、違うから……。ホントなんだから」




 そして俯いたまま、小さな声で意味がわからないことをゴニョゴニョ言っている。


 


 ……まあ、いい。

 僕は自分の魅力とやらにほとんど期待していない。


 


 だから凡人以下として見られても仕方がないのだ。

 ……だけど、そんな僕たちのやり取りを見ていた悟郎さんと沙由理さんは、なぜだかニヤニヤ笑っていた。


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