第9話 WWⅡでの風の民の米軍との死闘。そしてこれからの間接的な共闘。

 すでに絶命しているが死骸は、ほぼ無傷だったらしい。

 ロバートさんがその状態を確かめて、しきりに感嘆の声をあげている。

 

 

 

「理想的な状態だ。

 スーパーガールには感謝する」




 ロバートさんがそういってバッグから何かを取り出した。

 それは大きなファスナーがついている遺体を入れる袋だった。

 ただしチュパカブラ用に作られたものなのか、前線で死亡した兵士を入れるものよりずいぶん小さなものだった。

 

 

 

 作業は事務的に行われ、死骸の中でいちばん状態がいいのをロバートさんは袋に入れた。

 だがその顔はどこか上の空で、なにかをしきりに思いだそうとしているように見えた。

 

 

 

「待てよ……。

 そう言えばお前さん、確か『風の民』って名乗ってるんだったな?」

 

 

 

「ええ、そうよ。

 それが私たちの一族を表す名前だから」

 

 

 

 ロバートさんの顔がみるみる変わった。

 なにかに気がついて驚愕へと顔が変化したのだ。

 

 

 

「そうか! 思い出したぞっ!!」




「ロバート、どうしたの?」




 突然の変化に驚いたシンシアさんが言った。

 

 

 

「俺がまだ陸軍に入隊したばかりの小僧っ子だったときだ。

 どうしても絶対に勝てない教官がいたんだ。

もう退官前の老いぼれなんだが、ボクシングも空手もレスリングも滅法強くてぜんぶ勝てない」

 

 

 

「……いたわね。ルイス教官だったかしら?」




「そう、ルイスだっ!! ルイスから聞いた話なんだ。

 その老いぼれは、先祖代々合衆国陸軍軍人の家庭で、やつの親父だか伯父だったかが、昔、南の方の小さな島で戦ったんだ。

 そして生きて戻って来たんだ。……その後、だいぶイカレちまったらしいがね」

 

 

 

「ひょっとして日本軍と?」




 シンシアさんが確認する。

 

 

 

「そうだ。

 それは南洋の大きな島を奪還する作戦で、陸海軍が協力して行ったんだ。 

 そしてそれは我が軍の大勝利に終わったんだ。

 

 ……だがその隣にある小さな島がマズイ。

 行きがけの駄賃でついでに占領しようと思ったんだが、……落ちねえんだ」

 

 

 

「そんな戦史、習わなかったわ」




「そりゃそうさ。大勝利に汚点がつくからな。

 極秘裏にされたらしいんだ」

 

 

 

「興味深い話ね。それでどうなったの?」




 シンシアさんが腕組みをして目を閉じた。

 

 

 

「結局は勝ったさ。

 だがとてもじゃないが、公表できる数字じゃなかったんだ。

 

 そこの島は小さいし、しかも予備の補給基地だったんで日本軍の守備隊は大していなかった。

 いいとこ二十人ってとこだ。そこに何人投入したと思う?」

 

 

 

「さあ、どれくらいかしら?」




「三百だ……」




 ロバートさんは指を三本立てた。

 ひゅー、とシンシアさんが口笛を吹く。

 

 

 

「ひどい話ね。

 戦力比十五倍じゃない。それじゃ勝っても自慢できないはずね」

 

 

 

「アメリカって国は昔から変わらない。

 勝てるケンカほど過剰に肩入れするんだ」

 

 

 

 悟郎さんが皮肉を言ったがロバートさんは動じなかった。

 

 

 

「ところがだ……。

 全滅しちまった」




「どっちがだ? 

 まさかアメリカ軍ってことはないだろうな?」

 

 

 

 悟郎さんが尋ねると、ロバートさんは立てた人差し指を左右に振った。

 チッチッと舌打ちもしていた。

 

 

 

「そのまさかさ……。

 我が軍は一人残らず全滅しちまった。

 しかもやつらは軽装備だ。野砲なんぞ一門もなくて火器は小銃ぐらいしか持ってなかった」

 

 

 

「変ね……、どう言うこと? 

 負けるのがなによりも怖い我が軍だから、空爆だけでなく、戦艦アイオワ・クラスの一六インチ艦砲射撃で、文字通り島の形が変わるくらいにしつこく打ち込んだはずよね?

  

 ……そしてその後それなりの、いや、絶対に負けない重装備で上陸したんでしょ?」

 

 

 

 ロバートさんは重々しく頷いた。

 

 

 

「ああ、その通りだ。

 日本の守備隊が戦艦の艦砲射撃で生き残ったのが、そもそも信じられんことだ。

 

 でもやつらは死んでなかった。

 ……無傷だったんだ。

 

 ……で、後でわかったことだが、銃に撃たれて死んだ味方の兵士はごくわずかだった。

 その死体のほとんどが、なにか薄い物で首とかの動脈を切られてたんだ……。

 

 敵はジャングルに潜み、木の上から襲ってきたんだ。

 声もなく絶命した我が軍の先輩たちは、相手の姿さえも見ることなくね……」

 

 

 

 全員が無言だった。

 ゆっくりとした風が吹いて濃い霧のかたまりが僕たちを包んだので、僕たち全員の姿がボウッとしたシルエットになる。

 

 

 

「それで司令部は更に兵力を増やした。

 その数は二千……」

 

 

 

「戦力比百倍? 

 ……正気の沙汰じゃないわね」

 

 

 

「ああ、だがこの判断は間違いではなかったんだ。

 そして……勝つには勝った。戦いは次の日の夜明けまで続いたんだ。 

 敵は全滅したんだが、そのとき残った味方はわずか百名足らずだったらしい……」

 

 

 

「それじゃ戦史には書けないわね。

 ……ひどすぎる。

 

 勝ったと言うよりも……。いや、それって戦略上、全滅よね? 

 ……で、そのときの戦死者は、先に占領した大きな島の方の奪還作戦で命を落としたとされた?」

 

 

 

「ああ、その通りだ。

 そして生き残った兵士は箝口令がしかれた訳だが、みんな無口になっちまった」

 

 

 

「機密保持のため? 

 事実上の負け戦だものね。あり得る話だわ」

 

 


「いや、そうじゃない。

 みんな、おかしくなって入院しちまったんだ。

 

 今で言う心的外傷後ストレス障害、つまりPTSDになっちまったんだ……。

 つまり、地獄を見ちまったのさ。

 

 それも飛びっきりの地獄だ……。

 島を歩いて前線に向かうには、かつていっしょに酒を飲んだこともある仲間の死体を土足で次々と踏みつぶさなきゃ歩けないほどだったらしい……。

 

 そんなのがビーチからジャングルまで累々と転がってたんだ。

 地面がぜんぶ我が軍の死体で埋め尽くされてしまったんだ。

 ……発狂しない方がおかしいぜ」

 

 

 

「……それが表現できる限り最悪の惨状だったのはわかったわ。

 でも、それがこの子となんの関係があるの?」

 

 

 

「いや……、後からわかったことなんだが、そのときの守備隊は日本軍でも超がつくくらい別格の部隊で、独自のコードネームを持っていたらしいんだ……。


 ある特殊な一族だけで編成された超特別の特殊部隊。

 ……『』ってな」

 

 

 

 ……僕はなにも言えなかった。

 風が吹いて霧が運ばれた。

 僕たちの姿は再び明らかになった。そして響の姿も……。

 

 

 

「その部隊の隊長は神通朝露あさつゆ

 ……間違いなく私のご先祖さま。

 で……どうするの? 敵討ちとして私を殺すの?」

 

 

 

 響の言葉は小さい、だが、しっかり耳に聞こえた。

 

 

 

「いやそうじゃない。気を悪くしないでくれ。

 俺はルイスの話がずっと嘘だと思っていた。そんなことある訳ないって。ジョークだって……。 

 ところが嘘じゃなかった。お前さんを見てそう思った。それが俺には嬉しかった。それだけさ……」

 

 

 

「ならいいの? 

 ……良かった。私、あなたたちを殺したくなかったから」

 

 

 

 響の目は冷ややかで、言っていることは嘘ではないと思った。

 ロバートさんはぶるりと身を振った。

 

 

 

「……お前さんたちの一族ってのは、忍者なのか?」




「違うわ。私たちは『風の民』、かつて天狗とも呼ばれていた。

 荒ぶる神として恐れられた存在……みたいね。

 でもあんまり怖がらないで。見ての通り、私はいたって普通の少女だけどね」

 

 

 

 響は自分を見つめる全員の驚き視線を和らげようとして、ちょっと茶化してみせたのだった。

 

 

 

 □ □

 

 


 ロバートさんが回収した死骸一体を除いてそれ以外のチュパカブラはすべて処分された。

 ここでは焼却できないので深い穴を掘って埋めたのだ。

 

 

 

「オーケー。これで俺たちのここでの任務は終わった」




「終わったって、どう言うこと?」




 沙由理さんが尋ねた。

 その顔は不信感にあふれている。

 

 

 

「文字通り終了って訳さ。

 このスーパーガールのお陰で理想的なサンプルを回収できた。

 あとの実験体たちの処分は後日来るチームが担当する」

 

 

 

「ロバート……、ちょっと待って」




 シンシアさんがなにか言いかけた。

 だがロバートさんはその言葉を切った。

 

 

 

「シンシア。感傷は禁物だ。俺たちの任務は実験体の捕獲及び回収だ」




 ロバートさんはそういって荷物をまとめて霧深い道を戻り始めた。

 

 

 

「ちょっと待ってください」




 僕は言った。

 

 

 

「ボーイ。

 俺たちは仕事なんだ。遊びじゃねえんだ」

 

 

 

「僕たちだって仕事です。

 あなたは途中で逃げるんですか?」

 

 

 

 ロバートさんは足を止めた。

 そして振り返ると、つかつかと足早に戻ってくる。

 

 

 

「仕事? 言っておくがな。お前たちの仕事は遊びだ。エンターテイメントを提供するだけだ。

 俺たちは身体をはった公務員だから、遊びにはつき合えないんだよ」

 

 

 

「仕事に貴賤はないでしょ! 

 なによ、何様のつもり!」

 

 

 

 沙由理さんが食ってかかった。

 だがその手を悟郎さんが止める。

 

 

 

「やめろ。

 やつらは外国の軍隊の人間で、しかも特殊任務なんだ。

 俺たちと行動すること自体が、そもそもあり得ないんだ!」

 

 

 

「わかったようなこといわないでよ。

 悟郎くんそれでも男なの?」

 

 

 

 ロバートさんが沙由理さんの前に立つ。

 その背の高さは歴然としていた。

 

 

 

「な、なによ。暴力をふるう気?」




「いや、忠告をひとつ忘れていた。

 ここでの取材は勝手にすればいい、そして日本語を話す外人たちがいたことも書いていい。

 

 だがな……その外人が陸軍所属だってことや、チュパカブラのことを少しでも書いてみろ?

 お前さんのオフィスの席はなくなるぞ。いや……、会社そのものがなくなるぞ」

 

 

 

 沙由理さんが唇をかみ、悔し涙を浮かべていた。 

 僕にはある怒りがわいていた。それは腹の底から真の怒りで、今までに経験したことのないものだった。

 

 

 

「……ロバートさん。

 言いたいことはそれだけですか?」




「ボーイ。なにが言いたいんだ?」




「……そもそも、そんな化け物を産みだして日本に持ち込んだのは、どこの国なんですか? 

 それにチュパカブラがここにいるってのは、どうして知ったんですか? 

 

 ……『異形たちの森』を見たからですよね? 

 エリーさんたちがここに来て撮影したからわかった、そうですよね?  

 それに、その無傷の死骸だって響のお陰じゃないですか……!」

 

 

 

 ロバートさんは無言だった。

 僕をまっすぐに見つめていた。

 

 

 

 ……僕はいつの間にか泣いていた。

 涙が止めどもなく勝手にぼろぼろとあふれていたのだ。

 ――あまりの怒りで、なにかが切れてしまったようだ。

 

 

 

「他人の国に勝手に持ち込んでっ!! 他人に見つけてもらってっ!! 他人に捕まえてもらってっ!! 

 なにが世界最強のアメリカ軍だっ!! 

 ふざけるなっ!! 乗りかけた船なんだっ!! 最後まで責任持て――っ!!」

 

 

 

 僕は絶叫していた。

 ……気がつくと誰もが無言だった。

 シンシアさんがロバートさんの肩を叩いた。

 

 

 

「あなたの負けね、ロバート。確かに私たちは、なにも自分たちで解決してない。

 いい? 任務続行よ」

 

 

 

「わかったよ。上官殿」




 ロバートさんは肩をすくめた。

 

 

 

「あー、最初にこれを先に言わなくちゃ駄目だったのね」




 シンシアさんが僕たちの前に立つ。

 

 

 

「みなさん、私たちの任務はもうみなさんは知っていると思います。

 私たちは可能な限り実験体の処分に努めます。

 だから私たちの不手際から起こった件は許してくださいとは言いませんが、ご理解ください」

 

 

 

「……そう言う訳だ。

 敵があまりにも手強いんで、俺も臆病になってた。……ドラゴンボーイ、沙由理、悪かったな」

 

 

 

 僕はなんだか感動していた。

 パチパチパチと拍手が鳴った。

 見ると響だった。無邪気に笑ってこどものように拍手していた。

 

 

 

「あー、ただし私たちの任務は里に行ってミイラや亀を見ることではないの。

 ……だからここで別れましょう。

 私たちは私たちの目的で動きます」

 

 

 

「わかった。

 ……だが、俺たちの姿が見えなくなったあと、君たちが、その任務とやらを続行してくれる保証はあるのかい? 

 悪いが響くん以外、俺たちは戦闘の素人なんだ。その辺りが不安だね」

 

 

 

 悟郎さんが言った。

 疑っている訳ではなく意志を確認したがっている表情だった。

 

 

 

「信用しろ」




 ロバートさんが短く言う。

 

 

 

「俺とシンシアは任務を続ける。サンプルは取れた。

 あとはぶっ殺すだけだ。

 だから世界最強のアメリカ軍ってのを期待していい。だから、沙由理……」

 

 

 

「な、なに?」




 沙由理さんが身構えた。

 

 

 

「……書くな!」




「……わかってるわよ。

 私だってあの景色がよくて日の当たる席を、失いたくはないわ」

 

 

 

 ロバートさんは肩をすくめて、袋を背負い直した。

 

 

 

「チュパカブラは馬鹿だが本当の馬鹿じゃない。

 見晴らしのいいところには行きたがらない」

 

 

 

「……つまり森の中は危険と?」




 ロバートさんが背中の袋を指した。

 

 

 

「そう言うことだ……。ああそうそう、聞いてくれ。こいつのことだ。もうひとつ忘れてた。

 確かにこいつらのことは俺たちの落ち度だ。

 

 だがすでに横流ししてたやつは手配中になっている。

 で、こいつらを売った先のことを言ってなかった。東京の不動産会社にどうも売ったらしいんだ」

 

 

 

 なんだって……? 

 

 

 

 僕のこころに暗雲が立ちこめた。

 なにか嫌な予感がしたのだ。

 

 

 

 そしてロバートさんとシンシアさんは、手を振りながら真っ白な深い霧の中に消えて行った。

 

 

 

「……行っちゃったわね」




「本当に任務続けてくれるんでしょうか?」




 僕はまだ不安だった。

 

 

 

「信じるしかないわね。

 ……もし、嘘ついて逃げ出しちゃったら、私、本当のこと書いてやる!」

 

 

 

「その記事が書かれないことを、俺は祈るね」




「あら、記事を書くのはあなたよ。

 私は校正して載せるだけ」

 

 

 

「一蓮托生ですね」




 僕たちは小さく笑った。

 

 

  

「……それにしても正直取材どころじゃなくなったわね。

 天狗の正体は化け物だった。

 

 それにロバートの言葉じゃないけど、問題が大きすぎて正直私の手には余るしね。

 残りはミイラとか亀の背中なんだけど、スケールが小さくなってきた感じ」

 

 

 

「うーん。

 成り行き上、なんだかすごいことに巻き込まれた感じがするな」




「目的はありますよ」




 僕は言った。

 

 

 

「エリーさんたちです。

 僕はチュパカブラの実在を知ったとき、正直彼女らは駄目かと思いました。今もそうだと思ってます。

 でも……遺体だけは見つけようと思うんです」

 

 

 

「エリーさんとリーフさんは生きてる……」




 突然、響が言った。

 

 

 

「どうしてわかるの?」




 僕は尋ねた。

 響は遠くを見つめている。

 

 

 

「感覚的なものだから、うまく説明できないのよね。

 なんて言うんだろう……。気配みたいなもの……。 

 まだ消えてない。小さいけど。どこかに閉じこめられているのかも。二人はいっしょにいる」

 

 

 

「そうだな。響くんが言うんだ。きっと間違いない」




 悟郎さんが元気よく言った。

 そして僕と沙由理さんの肩を叩いた。

 

 

 

「でも、だとしたら……、警察に話した方がいいんじゃないかしら? 

 事件が大きすぎるわ。

 だいいち化け物のこともあるのよ」

 

 

 

 沙由理さんが力なく言った。

 

 

 

「無理だな」




 悟郎さんが即答した。

 

 

 

「どうして?」




「つまらない答えで悪いんだが、まず証拠がない。

 響くんの話だとエリーたちは捕らわれているらしい。

 俺はこの子の力を見てるから信じる。でも警察にはどう説明するんだ? 

 

 この子のすごい能力を証拠として見せたら、警察は間違いなくこの子の能力の方に興味が移るだけだ。見せ物のようにあれこれ調べられて、その間に肝心のエリーたちがどうなるかわからない……」

 

 

 

「さっきのシンシアたちじゃないけど、私のことは公にはして欲しくない。勝手だけど」




 響が言う。

 悟郎さんは頷いた。

 

 

 

「……それに時間の問題もある。

 ここに来るまでどれくらい時間がかかってると思う?

 スマホは使えないんだ。と、すると、泊まったホテルまで戻らなきゃならない」

 

 

 

 悟郎さんは話を続ける。

 

 

 

「……さらに化け物の問題もある。

 証拠として掘り起こした死骸を警察に提出しても、調べるのにとんでもない時間がかかる。

 もしひと目で信じてくれても所轄の警察が直接アメリカ陸軍に連絡するとは思えない。

 

 仮に連絡してくれてもアメリカ陸軍が正直に返答するとも思えないし、それより先に警察の方がびびっちまって事件をうやむやにしかねない。

 

 沙由理……、これは君がもし、この国の首相やアメリカ大統領の大親友だとしても、彼らに助けを求めるよりも、今ここにいる俺たちの方が早く行動できるんだ。

 

 俺たちがやるしかないんだ。

 響くん以外はまったくの素人だけど四人で力を合わせるしか、方法はないんだ。わかってくれ」

 

 

 

「そうね……。ごめんなさい」




「謝ることはない……俺だって怖いんだぜ」




 沙由理さんがうつむいて悟郎さんの胸に顔を沈めた。

 

 

  

「タツノコ……」




 突然、響が僕に話しかけてきた。

 

 

 

「なに?」




「……タツノコ怒るとけっこう怖いんだね。

 正直驚いちゃった」

 

 

 

 響はちょっと恥ずかしそうに言った。

 僕はとたんに耳まで真っ赤になる。

 

 

 

 ……あのチュパカブラを引きずって来た同一人物の発言とは思えなかった。

 

 

 

 そのときだった。

 ふいに響が顔をあげると高い枝に飛び乗った。

 

 

 

「……」




 小さな耳に、手のひらを当てて辺りを見回している。

 ……やがて首を振るとすとんと舞い降りてきた。

 

 

 

「響……? どうしたの?」




「……聞こえたの。でも、もう消えた」




「まさかチュカパブラ?」




 僕は身構えた。

 

 

 

「違う。音が違うもの」




「音? どう言う音?」




「難しいのよね。

 うーん。私と同じような音……」




 悟郎さん、沙由理さんも気になったようだ。

 

 

 

「……同じような音って、なあに?」




 響は俯いた。

 僕にはそんな響が、どこか震えているように見えた。

 

 

 

「私たちは耳でわかるの……。

 いろんなこと。足音とか息づかい。それが同じだったの」

 

 

 

「神通くん、どう言う意味かな?」




「……私と同じ一族の音がしたの」




「つまり、君の同類がいるってこと?」




「どう言うことなのか……、わからない。

 でも……、恐ろしいことになりそうな気がする」

 

 

 

 正直、意味ははっきりとわからなかったが、それが嫌な予感だとは思った。

 そして……それは当たっていたのだった。

 

 

 

 その後、僕たちは一時間くらい斜面を降った。

 クマザサがびっしりと生える斜面は、歩きづらく僕はなんども滑って転んだ。

 運がいいのか、それともなにか事情があるのか、僕たちはそれ以降、一度もチュパカブラに遭うこともなかった。

 

 

 

「道に出たな、どっちだ?」




 悟郎さんが、左右を見ながらそう言った。

 道は下草がいっぱい生えた道で車の車輪の幅にだけ土が露出して轍となっている。

 

 

 

 辺りは道に沿うようにまばらに木が生えているだけで、周りは草原であった。

 風がよく通る場所なのか、霧はわずかでかなり遠くまで見通しが効いた。

 

 

 

「車が通っているんですね。

 でもどっちに行けば双主の里なのか、久山くやま興業の看板があった入り口のフェンスなのか、わかんないですね?」

 

 

 

 僕は道の辺りをきょろきょろと見た。

 

 

 

「こっちよ。早く」




 先頭を歩く響が案内した。

 

 

 

「響ちゃんわかるの?」




「ここまで来たのは初めて……。

 でも、なんとなくわかる」

 

 

 

 僕たちは顔を見合わせる。

 

 

 

「耳と鼻と……あとは気配かな? 

 なんとなくなんだけどね」

 

 

 

 なんの説明にもなっていないのだが響が言うのだから説得力はあった。

 僕たちは響の後ろにぞろぞろとついていく。

 

 

 

「あれ、なにかしら?」




 沙由理さんが指さした。前方の脇に古ぼけた看板があった。

 

 

 

「すっかり錆びてるわね。ほったらかしなのかしら?」




「久山興業のものですね。

 へー、元々はゴルフ場とかにするつもりだったんだ……」

 

 

 

 看板はぼろぼろであちこち読めない部分がある。

 描かれていたのは完成予想図で、ゴルフ場、サイクリングコース、アスレチック、キャンプ場、スキー場、射撃場、温泉健康施設などなどアウトドアの娯楽で考えつきそうなものが、すべててんこ盛りにされた一大ランドだった。 



 それを悟郎さんが撮影していた。

 手にしてるのはいつもの重くて大きいプロ用一眼カメラではなくて、手のひらサイズのコンパクトカメラだった。

 

 

 

「さっきから思ってるんですけど、悟郎さん今日のカメラは小さいんですね?」




「ああ、これか? 

 今回の取材は道なき道ばかりだから重いカメラだと機動力が下がるからね。

 

 ページにしたってテキスト中心のモノクロだ。

 載せる写真は小さいから、それほど写真のクオリティは必要ないだろう?」

 

 

 

「要するに手抜きってことね?

 悟郎くんの考えはよくわかったわ」

 

 

 

 沙由理さんがにらんだ。

  もちろん冗談だ。

  そして悟郎さんは肩をすくめた。それはまるでロバートさんが移ったようだった。

  

  

  

 そんなやり取りをしていたときだった。

 

 

   

「……そうか! 久山興業! そうだったのか! 思い出した! わかったぞ!」




 悟郎さんが突然大きな声を出した。

 沙由理さんがあわててその口をふさぐ。

 悟郎さんは口の中でふがふがいっている。

 

 

 

「悟郎くん、お話は聞かせてもらうわ。

 でも小さな声でね」

 

 

 

「ごめんごめん、すっかり興奮しちゃったよ」




 そして悟郎さんは話し出した。

 

 

 

「思い出したんだ。

 今から四、五年くらい前に施行された法律があったろ?」

 

 

 

「なんでしたっけ?」




 僕にはまったく苦手な分野だ。

 

 

 

「景観保護振興法だ。景観法って普通は言うけどね。

 要は良い景観は変えちゃいけないって法律だ。

 

 久山興業は準大手の不動産業者で全国にいくつかここみたいに僻地を買ってはレジャー施設を作っていたんだ。 

 だが景観法が施行されて、そのいくつかは計画途中で頓挫したんだ」

 

 

 

「じゃあ双主の里もそうだってことかしら?」




「きっとそうだ。いや絶対にそうだろう。

 久山興業にとって痛手だったのは、ここみたいにすでに過疎地の住民に立ち退いてもらった場所なんだ」

 

 

 

「じゃあ大損だってことですね?」




「うん。そうなんだ。

 なんせ住民には高額の立ち退き料をすでに払ってしまったんだからね。

 

 でも、法律で景観を変えることはできない。

 地図で見ればわかると思うけど景観法が施行された地区はそのほとんどが国立公園なんかと隣接した区域だ。

 

 政府も目先の利益よりも自然保護の方が大事と判断したんだから、これはいいことではあるね。

 きっと双主の里もそうだったんだろう」

 

 

 

「じゃあ久山興業は結果として大損したあげく、土地の税金だけは払い続けるってこと? 

 僻地だから税金は安いんだろうけど、かなり広いんでしょ? 

 それに売ろうにも売れないじゃない。買い手はつかないわよね?」

 

 

 

「うん、そうなんだ。

 別に久山興業に肩を持つ訳じゃないが、ある意味かわいそうでもあるよ。

 景観は変えちゃいけないんだから、できる商売は限られているからね。

 

 可能なのは例えば、……山菜採りツアーとか果物狩りくらいだろう。

 これじゃ、とてもじゃないが採算は合わないだろうね」

 

 

 

「でも倒産しなかったんですね?」




 僕はそう言いながらも、時々は響を見た。

 響はこう言う話には関心がないようで遠くを見つめていた。

 

 

 

「そうなんだ。それが不思議でね。

 倒産するどころか、次々と中堅クラスの同業他社を買収してむしろ成長してるんだ」

 

 

 

「景観法って言うの? 

 その法律とやらで先行きが見えないこんな商売に、よく銀行が融資してくれたわね?」

 

 

 

「うん。

 久山興業の本業は不動産及びレジャー施設の開発運営だけど、買収した企業には他業種、例えば医薬品メーカーなんかもあるんだ。

 

 病院相手の医薬品から動物薬までかなり幅広く手がけて、それなりに実績をあげてるんだ。

 ま、新聞なんかのニュースにはならないけどね」

 

 

 

「でもここの双主の里ではなんにもしてませんよね? 

 フェンスで閉ざしてるんですから」

 

 

 

 僕は悟郎さんに質問する。

 

 

 

「そうだね。

 例の危険な小人。……チュパカブラか……。

 

 それをもしここで秘密に飼ってるとしても、それ自体は利益を産むものではないし、ここで何をしてるのかはやっぱり謎だね」

 

 

 

「でもその景観法と秘密主義のお陰で、亀の背中やミイラは残ってると……。

 皮肉だけどこっちにはありがたいわね」

 

 

 沙由理さんの言葉に僕たちは頷いたのだった。

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