第14話ここは地獄か天国か(カイザル・カールライヒ伯爵視点)

「ふむ、これは奇跡…とも言えますかな。七色の髪の乙女が起こせし奇跡」

「レンダー先生、変なことを仰らないで。私は髪の色が変わっているだけのただの女です」


目の前で女神と死神が話している。

こいつを天国に連れて行くか、地獄に堕とすかなんぞ話しているのかもしれない。


「ほっほっほ。まあ、実際に旦那様が倒れた際に、奥様が心の臓あたりを叩いたでしょう。ドンドンと。あれが幸いしたんですわ、恐らく旦那様の心臓は止まっていた。あの衝撃で止まった心臓が動き出した。私が駆けつけた時には僅かだが脈が触れていましたからな」


その言葉にハッとした。

覚えている。靄がかかってぼんやりとしているけれど、すぐに思い出せる。

その時、彼女は泣いていた。


「ゆるさないと…言われたな」

ぽつりと呟いたが、喉が張り付いて上手く発声できない。

しかし、その僅かな発声にわっと反応が返って来た。

「旦那様!」「旦那さまぁ!」

沢山の声が降ってきて、ぎゅうぎゅうに人がしがみついて来た。

「なんだ、なんだ、私を地獄に堕とす気か」

「まあ!あなた達、気持ちは分かるけれど離れて差し上げて!」

幾度も切望した人の声がする。

陽の光に乱反射する髪と、透き通るような陶器の肌が開けたばかりの眼に刺さる。

「ああ、どうやら天国に行けるのか」

言って「ぐう」と唸ってしまう。乾燥した喉が発声を拒否する。

「水を」と差し出された吸い飲みに手を伸ばし、思わず上体を起こした時、ぐわんと天地がひっくり返った。

死神が私の方に駆けつけて来て言う。

「何ヶ月も寝ていたのですから、いきなり起きては眩暈を起こしますわい。少しずつ上体を起こしていきましょう。旦那様、ご自身のお名前は分かりますか?」

「なんだ…お前はレンダーか。死神かと思ったぞ。自分の名前を忘れるものか。私はカイザル・カールライヒだ。二度と聞くな藪医者め」

「はっはっは!それだけ悪態がつければもう大丈夫でしょう」

死神と見間違えた我が家の侍医はニッカリ笑う。

水を僅かに含むと、枯れ木が水を吸い上げるように身体中に浸透して行くのが分かる。


(細胞の一つ一つが水を渇望している)

そう思ってふと自分の手を見る。

まるで枯れ枝になっていた。

(これが私の手か?)

そう思い、身体中をペタペタ触ると痩せぎすのカラカラ。

「なんだこれは。私は本当に私か?」

蓄えた脂肪を探す手を、ぎゅうと温かい手に包み込まれた。

やはり見間違いではない。この女神は、リリアだ。

「君は…まだ、ここにいたのか」

「あら、どうしてそんなことを言うのでしょう。貴方が連れて来たんでしょう?」

「いや、そうじゃない。聞き方が悪かった。私はどうやら長く寝過ぎたようだ。君は逃げ出さなかったのか?」

「逃げ出す?どうして?貴方のお世話はそれは大変だったのよ、重くて重くて最初は十人がかりでしたの。それが、月日が経つに連れ、人数が減って行くんですよ。こんなに痩せてしまって。それがなんだかとっても切なくて」


"向こう側"から聞こえた気がする。

『早く起きて。私白髪のおばあさんになってしまうわ』

そんな声だ。

(あれは君だったか)


変わらぬ美しさのリリアはにっこりと微笑んでそれから堪えきれずに泣いた。

そうしたら屋敷中喧しいくらいに、皆がおんおんと泣き出した。

私はその中心にいた。

(何を泣いているのだろう。どうしてリリアが泣くのだろう。いっそ私が死んでいたらこんなに悲しくならなかったかもしれないのに)

「神というのは残酷だな」

「え?」

「私の目が覚めて君が泣くくらいなら、いっそ私を殺してしまいたいよ」

痩せた手を目一杯握りしめるが、力がいまいち入らない。感傷に浸っていると、ばっちーんというもの凄い音と同時に頬に鮮烈な痛みが走って、視界に星が弾ける。

「お、奥様!!一応病人…」

オロオロしながらソバタがリリアの腕を掴んだ。

「関係ないわよ!なんてことを言うの!?今までみんながどんな思いだったか知らないくせに!私がどんなに心配したか知らないくせに!……あなたの目が覚めてどんなに安心したか知らないくせに…嫌なこと仰らないで」

リリアは私に縋り付いて泣いた。

リリアの腕が私の体を一周しても余る。

(…ああ、痩せたなあ)

「悪かった、すまない。私は君を傷つける奴は死んでもいいと思っているんだ。例えそれが自分でも」

「なぜ私にそこまで?」

「君こそ、なぜ私にここまで…どうやら大変世話になったようだ」

「貴方、裸足だった私のために怒ってくださったでしょう。私は私のために怒ってくださる方に初めて出会いましたの。嬉しくて。恩返しのつもりでお世話をしていたら、なんだか愛情が湧いてしまって。だってあなたったら、丸かったから転がすとくるくる転がるのよ、本当に。可愛いったらなかったわ」

彼女の目尻が下がって、目に溜まっていた涙が一つ二つと零れた。

それがどんなに綺麗か君は知らないのだろう。


「豚みたいな男にそんなこと思うかね」

「あら、鏡で見てみたらいいですわ。旦那様、随分と痩せて豚さんじゃなくてハイエナさんみたいですから」

「随分なことを言うな。鏡を持って来い」

手を出してみたが、反応がないので見回すと、部屋から侍女も執事も侍医も消えていた。

(あいつら!!!!)


ぽんと手鏡をリリアが手渡してくれる。

濡れた頬がキラキラしている。彼女にすっかり笑顔が戻っていた。

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