第15話君に聞いて欲しい長い話し 1 (カールライヒ伯爵視点)
私は今年で四十になる。
二十歳の時、侯爵家の娘と恋仲になり婚約したが、すぐに婚約は解消された。
その婚約者と、ある時些細なことで喧嘩になったのがきっかけだ。
売り言葉に買い言葉だったのだろう。
「あんたなんか家柄とお金以外に何の取り柄があるの」
そう言われた。
あの時の、相手の言ってしまったという青い顔がいつまでも頭にこびり付いて離れない。
きっと言わないまでも心の奥底ではいつも思っていたんじゃないかと思うと、私の自信は失墜した。
しかも、婚約を解消して一月でその女性には新しい婚約者ができ、すぐに結婚した。
あれから二十年が経とうという今も、元婚約者はその貴族男性と仲睦まじく暮らしているそうだ。
私はというと、婚約解消の後、今までにないほど勝手に女たちが寄って来た。
理由は簡単だった。私が半端ではない金持ちだからだ。
当時は見てくれもそこまで悪かったわけじゃあないし、地位も名誉も低くはない。
初めは「金と家柄以外に何の取り柄もない男」に何の用があるというのだろうと思うこともあったが前例があるじゃないか。
そうだ、女というものは、ましてや貴族女性というものは、金持ちであればあるほど好ましく、家柄もほどほどに良い男が好きなのだ。
ならば正直にそう言えば良いものを、近づいてくる女たちは一様に恋愛ごっこをしたがった。期待をもたせようと、まどろっこしい一連の流れをいちいち順を辿らないと気が済まないらしい。
時に私はその茶番に付き合うこともあった。
どうにも虚しく、悲しく、孤独だという思いに苛まれるだけだ。
人というものはこんなにも欲にまみれ、醜くすがるものなのか。
(私は孤独だ)
それを実感することに疲れてきた頃、食欲を満たすことで、手軽に幸福感を得られると知った。
幸いうちのシェフは腕が良かった。
そして太った体の最大の利点は人の良し悪しを見極められることにある。
今まで寄って来た女たちは手のひらを返すように私を侮蔑の瞳で見下し、嘲笑い、陰口を言うようになる。
読んでくださいとばかりに顔に書かれた下心を隠そうともせず、擦り寄ってくるよりどんなに楽だったか!
だが、反対に
「金と家柄以外に何の取り柄もない男」
と言う現実を真に突きつけられているようでもあった。
そんな時は食欲を大いに満たすに限る。
そしてまた肥えた。
侍医のレンダーは言った。
「こんなに太っては後に重大な病になりかねませんぞ」
(だろうな)
と思った。
なぜなら、以前より明らかに息が切れる、汗が止まらない、心臓がバクバクする、夜苦しくて起きる。
そうなると、不安で眠れなくなる。
夜更かしは腹が減る。
夜食を運んでもらい、夕食の2倍の量を食べた。
ある時はち切れんばかりの腹を抱えて、とあるパーティに出席した折、君を見かけた。
君は覚えているかな。
ああ、あれが噂に聞く"七色の髪の乙女"だ。ふうんそうかと遠目にじろじろ見た。
君は誰に対しても笑顔で話し、侍女や執事に対しても、他の貴族達に対するそれと同じように接していた。
私と積極的に話したい人物などあまりいないので、会場の隅で大きな体を小さくして人間観察をする私が今までで一番大きな衝撃を受けたのだ。
(変わった人だ)
君はいろんな人と話していた。
だが、明らかな下心を持って近寄る男は少なかった。何故だろう。不思議だ。
(未婚ならば尚更、噂の乙女を手に入れたいだろうに)
私は観察していてあることに気づく。
"七色の髪の乙女"リリアは男をその気にさせないオーラがあった。
「これ以上踏み込んでくれるな」という圧みたいなものだ。
君は否定するかもしれないが、ある一定の線を越えられない、越えてはならない、越えさせないそんなオーラが発せられている気がした。
例えて言うなら、この地球上に一輪だけ咲いた貴重な薔薇だ。
「欲しい」と誰しも思うけれど、手折って手に入れることを躊躇う、そんな存在だ。
ふむ、と考えていた時、私の前を香水を誤って頭からかぶったのだろうかと思うほどキツい香りのご令嬢が通り過ぎて鼻がむず痒くなる。
ごしごしと鼻を擦っては、くしゃみをしてを繰り返していると
ぽたり、
鮮血が床に落ちた。
(鼻血か)
持っていたハンカチで拭うけれど、すぐに真っ赤に染まる。
(いかんな、量が多い)
周りに拭くものはないかとキョロキョロしてみる。
(…侍女まで距離がある…)
血を垂らしながら歩くのは大分、いや相当恥ずかしい。
ふわりと風が起こる。
誰かが目の前で屈んだのだ。思わず視線を落とす。
やたらとキラキラした髪が床を拭いている。
それからその人物が立ち上がって、その人が持っていた真新しいであろうハンカチ越しに私の鼻を摘んだので、その人が"七色の髪の乙女"ということを知った。
「え…あ、いや」
咄嗟のことに戸惑う。今更ながら、さっきまでじろじろ見ていたことに我ながら穢らわしさを感じた。
「このままここを摘んでいてください。血が垂れなくなりますから。お休みになれる部屋がないか聞いて来ます。後ろを向いて待っていてください」
「う、うむ」
私は言われる通りにするしかなく、横目で小走りに駆けていく彼女を見送った。
(いっそ死んでしまいたい…)
四十が近い男に麗しい年頃の女性が近づいてくるだけでも遠慮したいというのに、それが"七色の髪の乙女"対して私は太っちょのオヤジ。しかも鼻血まで垂らして。
(あの人はなんなんだ…)
「お待たせしました、このお屋敷の執事の方がお部屋をご案内してくれるそうです。では私はこれで」
「あ、あの…」
サラッと髪を靡かせてそのまま人の中に消えて行く瞬間、君の髪に私の血が僅かについているのを見つけた。
(汚らしい血がついてしまった)
だが鼻血を垂らしたまま君を探すのは躊躇われた。
その時理解した。
(床を拭いていたな)
本当にあの人は、私を助けようとしたのだ、と。
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