カールライヒ家の私
第13話身体を拭くのに慣れた頃
「マイロ、鉱山開発の計画書なんだけれど一応目を通してくれる?」
「承知しました」
彼女がぴらぴらと紙を捲る速度は、信じられないほどに速い。本当に読めているのかと思うが、「ここのスペルが間違っていますね」などと言うので、ちゃんと読めているらしい。
「あら、いけない。書き直すわね。確認ありがとう」
二重線を引いて正しいスペルを記したのち、新しい紙に書き直そうとインクをペンに浸した時、ソバタという足の速い青年が紅茶と共に入室してきたので、私は仕事の手を止める。
「奥様、ご依頼されていた『貴婦人ノ会』について詳細をご報告します」
「本当にこの屋敷は隠密活動が得意で驚くわ…」
ソバタは照れているのか、ヘラッとして頭を掻いた。
「それで、ですね」
その言葉に姿勢が自然と正される。
黄金色の液体がいい香りをつれてカップに注がれた。
「件の『貴婦人ノ会』ですが、あれはかなりヤバイです。マッシュ・リー・フォン男爵はご存知です?」
「こないだ結婚式に行ったばかりよ。婦人とは知り合いなの。でも、確か…そうね。あまり良くない噂の人物でしょう?」
黄金色の紅茶を私の目の前に差し出しながら彼は答えた。
「ですです。なんとそれが」
彼は手のひらを口元に当てる仕草をしたが、声量はそのままで言った。
「奴隷売買をしているという噂で」
確かにそんな噂を聞いたことがあった。奴隷の多くは親が犯罪者などの理由で社会的身分が低い出自の者だ。
ソバタは眉を顰めて続ける。
「それが外国から無理やりつれてきた異邦民を奴隷として売り捌いていたり、裏では見せ物小屋を牛耳っているなんて噂もあるんです。あくまで"噂"なんですが、問題は…」
「男爵がその『貴婦人ノ会』に関係があると?」
「ご明察です。『貴婦人ノ会』なんて名前だけ聞くと聞こえは良いですが、この集会、実はフォン男爵邸で行われているらしいんです。じゃあ貴婦人でもなんでもない男爵がなぜ率先してこの会の開催場を提供していると思います?」
「奴隷や異邦民が関係しているから?」
ソバタはパチンと指を鳴らした。
「驚かないでくださいね、この『貴婦人ノ会』は奴隷や異邦民と貴族女性の不純異性交友の場なんですよ」
「…なんですって?貴族女性が望んで、会費を払って、奴隷や異邦民と!?」
「どういう趣向なんですかね。意外と会員数は多いみたいですよ。奥様のお知り合いのエイミー様が件の会を斡旋しているそうです」
私はサッと血の気が引く。
「まさか…まさか…」
「奥様の姉上…前奥様ですが、フォレスティーヌ様はそこの会員でいらっしゃいますね。フォレスティーヌ様とエイミー様はご友人でしょう?」
「ええ、姉と共通の…友人よ。何が、どうなっているの…。旦那様はもちろんご存知ないでしょう?」
「ご存知ないと思いますね。フォン男爵の結婚式まで挨拶以上の交流はありませんでしたし、結婚式に呼ばれたのもフォレスティーヌ様の繋がりですから…えっと…奥様、どちらへ?」
「旦那様のところよ。ごめんなさい、気持ちが参ってしまいそうなの。少し、様子を見に行くわ」
それまで黙って聞いていたマイロが「お供いたします」と言って花瓶を一つ手に取った。
旦那様が倒れてから数ヶ月、私はこの人を守ろうという母性にも似た感情が芽生えた。
「旦那様、失礼しますわね。今日は天気がいいですわよ。カーテンを少し開けますね。…そうだ、庭に咲いていた薔薇がとても綺麗で旦那様にも見て欲しくて、花瓶を用意してもらいましたの。どうかしら」
私の旦那様、カイザル・カールライヒ伯爵の足は冷たい。
「ふふ、いつもに増して冷えていますわね。私、体温が高いんですのよ」
旦那様の足をさすったり、包んで温めたりした。
ベッドに張り付いたその人は、眠ったままだ。
「不思議ね、太っていらした頃はあんなに汗をかいて、いつも暑そうでしたのに。やつれてしまうとこんなに冷えてしまうのね、お可哀想に。今日も隣で眠ることを許してくださいね」
マイロはいつも私たちに背を向けて涙を流している。
倒れた日もそうだったが、いかにこの人が屋敷中の人々から慕われていたかがわかる。
「旦那様、屋敷のみんなが旦那様の目覚めを待っているのよ。早く目を覚まさないと、私、七色の髪の乙女ではなくて白髪のおばあさんになってしまうわ」
ベッドが軋むほどの重さがあった旦那様は、今では羽のように軽くなってしまった。十人がかりの介助は、今では二人で行なっている。
「マイロ、手伝ってくれる?」
「はい、奥様」
「旦那様、お身体を拭きますよ」
着衣を脱がし、肌が露出しないようバスタオルを上からかける。
それから全身を暖かいタオルで拭った。
初め、身体を拭くのは侍女や執事がやるので、と断られたが、奇跡的に一命を取り留めた旦那様に、まだ私との縁があると感じて頭を下げてお願いし、ずっと私とマイロでやらせてもらっている。
「旦那様、こんなに痩せた旦那様を見るのはなんだか複雑な気分ですわ。噴水での約束はいつになったら叶うのですか」
結婚して数ヶ月、夫婦として会話を交わしたのはたった1日だけという思いがいつも私を饒舌にさせた。
横に転がし背中を拭くと、僅かだがぴくりと反応があった。
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