第7話 真夜中の来訪者(人間だとは言ってない)

「おぎゃああああああああ!!!」


後輩の前だろうが女子の前だろうが関係ない。

振り返った先に化物がいたら、誰だって悲鳴くらい上げるだろ!


腹の底から絶叫したヒロが飛び上がって走り出した先は横の壁。

普通ならそのまま激突してしまうが、そこは幽霊。

するりと壁を通り抜け、モンスターから逃れた。

だが様子は気になるらしく、壁から顔だけを出して様子を伺う。

まるで顔が壁に埋め込まれているかのようなシュールな光景だが、今はそれに突っ込む余裕を誰も持っていない。


「なっ何こいつ!?蜂?でかっ!」

「ですが、こんなにも大きくて毒々しくて、おまけに体が爛れている蜂など見た事がありませんよ」


成人男性の平均身長以上はあろうかという紫色の体躯からは、凶悪さしか感じない。

それにもかかわらず、羽音が一切しないのもまた不気味だ。どこからどう見ても普通ではない。


後ずさりする亜紀と双樹の後ろで、まほろが悲鳴を上げた。


「いやあああ!私虫ダメ!虫駄目なんですうう!!」


半泣きになりながら自分の背中に隠れたまほろをなだめつつ、

八雲が相変わらずのマイペースさで蜂を観察する。


「うーん、やっぱり窓は網戸もきちんとかけてないと駄目だよね」

「会長もっと緊張感持って下さい!」


これを見て出てくる感想がそれか!

壁から顔だけ出した状態でヒロが突っ込んだ。


「だ、大丈夫よ。生き物は私達幽霊に触れないんだから・・・」


直接生物に触れる事が出来ない幽霊だが、それはつまり相手からも直接干渉されることは無いという事。

きっとこの蜂も、霊体である自分達の体を通り抜けるに違いない。

亜紀がそう言った、まさにその瞬間。


ひゅん、と風を切る音。

引き裂かれた亜紀のワイシャツが宙に舞った。


「・・・え?」


それは誰が口にしたか定かではない。

しかしこの場の誰もが、一様に同じ反応をした。


既に実体を持たない幽霊のヒロ達には、これまで『傷つけられる』なんて事は久しくなかった。

服ですら、霊体であるが故に破れた事も、汚れた事も無い。

しかし―――今それが目の前で覆った。


「あ・・・あ・・・!」


裂けた脇腹のワイシャツを見て、亜紀の顔が真っ青になる。

すっかり忘れていた、傷つく事への恐怖。

しかし、裂けたのが服だけで済んだのは幸いだ。

一覇が咄嗟に亜紀の襟を掴んで引き寄せていなければ、今頃亜紀の横腹も、宙に舞ったワイシャツの一部と同くズタズタになっていただろう。


「亜紀!」

「大丈夫ですか!?」


思わず壁から飛び出たヒロと、へたりこんだ亜紀に寄り添う双樹。

亜紀はどうにか大丈夫だと答えるものの、体の震えは止まっていない。

巨大な蜂が、シャアアアと狂暴な唸り声を上げて攻撃態勢を取る。

開かれた口から覗く無数の牙と、爛れ落ちる青黒い唾液。よく見れば、体の紫色はその部分が壊死しているからであった。

吐き出される息も濃い紫色で、思わず顔をしかめてしまう程の腐臭がする。


これを生物と呼ぶには、いささか無理がある。


「これは・・・」


ハンカチで鼻を抑える双樹の横で、合点が言ったかのように八雲はにやりと笑う。


「ああ、なるほどね・・・嗅ぎ慣れた臭いだ」


吐き気がする程、忌々しい程慣れた臭い。

目の前のこれは、確かに化け物だ。

自分達と同じ、バケモノ。


金切声を上げて、巨大な蜂がヒロ達めがけて突進してくる。


「危ない!」


震えて未だ満足に動けない亜紀を、ヒロは背後に押し込めた。

自分が危険にさらされる事など念頭にない。

先ほど初めて対峙した時に感じた恐怖よりも強烈に自身を突き動かしたのは、亜紀が目の前で傷つけられるかもしれないという焦り。

ヒロはほぼ反射的に、亜紀を庇って蜂の眼前に立ち塞がった。


「ヒロッ・・・」


目の前で自分を庇うヒロの背を見上げて、短い悲鳴が亜紀の口からもれる。

迫り来る異形の怪物。

どう防ぐか、迎え撃つかまでの思考時間はとっくに無い。


もう既に、タイムオーバーだ。


息を呑んだ、その時。



蜂が目の前から消えた。


正確には、横から割り込んだ猛烈な衝撃に吹っ飛んだのだ。



「ギュ、ビ」


蜂は潰れた声をわずかに上げて、叩き付けられた壁からずるずると床に崩れ落ちる。


「・・・えっ」


電光石火のような出来事を呆然と見つめるヒロ。

視線を右にずらせば、いつの間にか強烈なハイキックを繰り出した一覇の姿があった。

つまり今のは、一覇の一撃。

訪れた沈黙の中で、一覇の冷たく鋭い声がよく響く。


「向こうが攻撃してこられるなら、こっちだってできない訳ねえだろ」


それは最もな意見だった。

だったが、


(流石、伝説の不良は伊達じゃない)


もはや蹴るというより抉ると表現した方が適切な一覇のキックは、蜂の頭部にクリティカルヒットし、一撃で戦闘不能にしてしまった。


その威力はもちろんだが、それ以上に突然現れた化け物相手に全く躊躇も容赦も無い攻撃を叩き込んだその心根に恐れおののく。


「あ、あれ・・・・?何?」


八雲の背中にしがみつき、わずかに顔を出したまほろが蜂の異常に気が付いた。

倒れ伏した蜂の体がボロボロと崩れ、淡く発光し出したのだ。そしてすぐに、水色の光りの粒子となって周囲に飛び散った。


「消えた?」


例えばポルターガイストなど、自分達幽霊が生物や物質に何かしら干渉しようとする時には霊力を用いる。

生きている生物相手に霊力を込めて直接攻撃した場合、強い魂の痺れで最悪ショック死させる事も不可能ではないが、しかし消滅させるなどという事は出来ない。

困惑するヒロ達を余所に、一人八雲は満足そうな顔をして頷いた。


「うん、やっぱり。あの蜂は僕達と同じだったみたいだね」

「お、同じってどういう・・・」


怪訝な顔をする亜紀に、合点がいったかのようにヒロが呟く。


「アンデッド・・・」


腐敗しているのに動く体、霊体に触れられる能力。

おそらく今の蜂と自分達の違いは、肉体か霊体か、ゴースト系かゾンビ系かの違いしかない。

お互い死んでいる事には、変わりない。


「これはちょっと厄介な事になったねえ。異世界でも僕達は幽霊だから大抵は何も変わらないと思ってたけど・・・明確に僕達を害せる存在がいるっていうのは割とゆゆしき事態だ」

「となれば、私達は何処に来て、此処がどのような場所であるのかを早急に把握する必要がありますね」


八雲と双樹が相談する横で、ヒロが地面に座り込んだままの亜紀に手を差し伸べた。

それを見て、まほろも慌てて亜紀の背中を支える。


「大丈夫ですか、新里先輩!ヒロ先輩も、怪我は・・・!?」

「俺は何ともねえよ。ほら亜紀、立てるか?

「あ、ありがとう。ごめん、あたし・・・」

「何で謝るんだよ。無事だったんだからそれで良いだろ。あと礼は斬塚先輩に言え」


意気消沈している亜紀を直視できないのか顔を背けるヒロだったが、素直ではない優しさが言葉で現れている。

そんなヒロに、亜紀はようやくいつもの快活な笑みを取り戻した。


「でも、あんな怖いのがいるなんて、これから大丈夫でしょうか・・・」

「大丈夫だろ。なんせこの学校には『七不思議』がいるんだぜ」


胸元で不安げに両手を握っていたまほろが、ヒロを見上げる。


「あんなのがはびこってる世界だとしても、俺達なら大丈夫だ。・・・やってやろうじゃねえか」


不敵な笑みが自然と浮かぶ。

後戻りできないのなら、立ち向かうしかない。


恐怖は確かにある。

けれど、それだけではないのだ。


異世界という未知なる世界で、これから過ごしていくというワクワクも、この胸に確かに滾っているのだから。


決意を固める意味も含めて、ヒロは再び窓の外の景色を見ようとした。

が、窓からは大きな月も、広大に広がる森も、オーロラのかかった空も見えない。

代わりに見えるのは、窓の外を埋め尽くす―――



アンデッドの蜂の大群。



「・・・・」


思わず石のように固まる面々。無理もない。

輪唱するかのようにシャアアと唸る蜂たちが、ヒロ達を見据えて牙を剥く。

呆然と見やるしかない全員の中、最も早く我に返ったのは生徒会長の八雲。

一度大きく深呼吸し、そして・・・




「全員退避―――――!!!!」


「「「「うわあああああああああああああ!!」」」」




かくして、ヒロ達『学校の七不思議』の異世界冒険が始まった。



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