第5話 終わりの始まり

窓から差しこむ月の光が、まるで舞台上を照らすスポットライトのように八雲に注がれている。


「僕も先輩達から言われたよ。あれにだけは関わるな、とね。あれは僕達のように元人間だったわけでも、人の恐怖心が形を成したものでもない。およそ理解ができない、別次元の存在なんだと」


ごくり、と生唾を飲む音がやけに大きく聞こえた。

西大倉高校はよほど霊的地場が強いのか、自分たち以外にも飼育小屋で育てられていた動物霊やら、いつの間にか勝手に住み着いた浮遊霊やらが住み憑いているが、そんな規格外のものがいるとは思わなかった。


「で、その七番目とやらは何なんだ」


ただ事実だけを要求する一覇の淡々とした言葉に、八雲は急かすなとばかりに人差し指を立てて、得意げに胸を張った。


「ふふ・・・では発表しよう!今こそ明かされる、我が校最後にして最大の怪奇。それは・・・『丑三つ時に異世界へ飛ぶ鏡』さ!」


「「「「「異世界い?」」」」」


全員がうさんくさいその言葉に眉をしかめた。

想像よりも怖くは無く、想像以上に現実離れしているそれに、互いに顔を見合わせる。


「異世界って言うと、よく映画とかアニメとかの題材になるファンタジー世界って事?」

「いや、平行世界を差すのかも・・・」

「よくわかりません」


亜紀の意見は最もポピュラーかもしれないが、一概にそうとも言えずヒロはぶつぶつと自分の考えを呟く。

双樹は思い当たるものがないのか、困った顔をして小首を傾げた。

育ちの良いお嬢様だからだろうか、そういった創作物を目にする機会がこれまで無かったのかもしれない。


「ヒロ君、異世界とは具体的に此処とどう違うのでしょうか?」

「ちなみに何で俺に聞くんですか」

「いえ、何となく詳しそうかなと思いまして」

「まあ否定はしませんけど・・・」


アニメや漫画好きなら、異世界ってフィールドはある意味常識だし。


「思い浮かぶのはいくつかありますけど、実際の所は会長に聞いた方が早いと思いますよ。どうなんですか?会長」

「さあ?」

「知らないんですか・・・」


言いだしっぺなのに、と若干遠い目をして見てくるヒロに、八雲はけらけらと笑いながらサラリとシャレにならない事を答えとして返した。


「いやあ、だって今まで七番目のこの話は誰も聞いた事がなかっただろう?知っている人は誰もいないんだ。という事は、仮にこれまで試した人がいたとしても戻ってきてないって事じゃないか。どんな所か知っていたらそもそも此処にいないよ」


それもそうだ、と納得すると同時に、少し背筋が冷たくなる。

異世界に飛んだが最後、帰ってくる事はおそらくできない。


「だからこそ、今夜にふさわしいと思うんだ。明日にはこの学校は取り壊される。僕達もどうなるかわからないし、どうせならその前に、皆で試してもいいんじゃないかってね。先代『学校の七不思議』に数えられたあのちゃんちゃんこ先輩すら避けてたんだ。ずっと気になっていたんだよ」


赤い紙、青い紙のどちらが良いかという質問を厠に入って来た生徒にどこからともなく尋ね、赤と答えれば全身を斬り裂かれて血まみれの真っ赤に、青と答えれば全身の血を抜かれて真っ青に・・・・という、一世を風靡した子供達の恐怖の怪奇。


それが先代の七不思議「赤いちゃんちゃんこ」だ。


とはいえ厠が水洗式に変わってからは自然と消えてしまったらしく、今となっては実際に会った事があるのは木造校舎の時からここに憑いている八雲だけだ。

そんな幽霊どころか、本物の妖怪すらおののいたという七番目はますます規格外なのだと感じる。


本当にそんなものを試してしまっても良いものか・・・と考えるヒロとは裏腹に、隣の亜紀が元気よく手を挙げた。


「面白そう!やりましょうよ」

「おい亜紀」

「いいじゃない、せっかくの機会だもん。ヒロだって気になってるんでしょ?」


そう言われて言葉に詰まる。

確かにそうだ。

それにどうせ明日には自分達は取り壊される学校ごと消えてしまうのなら、試したって別に怖くはない。


周囲に目をやれば、構わないと笑う双樹と、興味はないが異論も無さそうな一覇の姿。

泣き虫で怖がりなまほろでさえ、びくびくとしながらも小さく頷いた。


全会一致だ。



「よし、じゃあ皆。しっかり鏡に映るように立って」


八雲の指示に従い、全員が鏡の前に立つ。

細長い鏡に6人が映るようにぎゅうぎゅう詰めになっている姿は、まるで大人数でプリクラを撮っているかのようだ。

実際はそんな可愛らしい状況ではないのだが。


「あ、ちゃんと全身映るようにね。腕とかはみ出ちゃうと、そこだけもげたまま異世界に行くかもしれないから」

「怖い事言わないで下さいよ!」


さらりとえぐい事を言ってのける八雲に、すかさずヒロが突っ込む。


「ヒロ先輩、もうちょっとこっちに寄った方が良いですよ」


ヒロの右腕をそっと掴んだまほろが、そのまま腕を絡めてヒロの体を引き寄せた。

意図せず自分の腕がまほろの豊満な胸に押し付けられる形となり、ヒロは内心狼狽する。


(ちょっ・・当たってる、当たってるって!で、でもこうしないと全身入らないし・・・・・・・・・柔らかい)


つい思考が思春期の健全男子としての方向に飛んでしまった。

いや、これは不可抗力であり仕方がない事だ。うんそうだ。


そんな考えでついデレッとなってしまったヒロだったが、鏡を通じて自分の背後にぴったりと張り付く一覇と目が合ってしまい、とたんに凍りつく。

一覇の眼光は鋭く、その目だけで人を殺せそうだ。

自然体で既に凄味がある一覇。本人は無自覚だろうが、その眼光で見られているこちらは萎縮してしまってしょうがない。

右に天国の感触、後ろに地獄の視線。


(この状態、いつまで続くんだ・・・)


色々な意味で精神的負担がMAXに近づいているヒロは、とにかく早く終わってくれと強く願う。


「もうすぐ午前2時ですね」

「じゃあ私、カウントダウンします!」


双樹の懐中時計を覗き込んで、亜紀の透き通った声が踊り場に響く。


最恐の怪談、七番目の七不思議。異世界。

秒針が進み、亜紀の数える数字が0に近づくにつれて、緊張感は増していく。


「5,4・・・」


静かな廊下に響く声と、秒針が刻まれる音。


「3、2・・・」


月光で青白く照らされた冷たい踊り場。廊下の先、教室の中は暗闇に呑まれている夜の校舎内。


「1・・・」


自然と体が強張り、生唾を飲み込んで―――


「0!」


紫色の、光が疾る。






授業の終わりを告げるチャイムが、学校全体に木霊した。

鳴らす者など誰もいないはずのチャイム。その音にうろたえたのも束の間。

次の瞬間には、体が震え、光にバラバラにと溶けていく感覚に襲われた。



「あ―――」



呑まれる。

抗いようのない力に、体はおろか意識ごと鏡の向こうに引きずり込まれる。


紫の光に目がくらみ、立っている場所も、仲間の気配も、自分自身の存在すらも朧げになって―――



そして。






「・・・・・ん?」


気が付けば、相変わらず鏡の前に立っていた。

全員が互いに寄り添った恰好のまま、ぽかんと立ち尽くしている。


「あれっ?・・・・おしまい?」


亜紀もヒロと同じような反応をして、周りをキョロキョロと見渡した。

異世界に飛ぶ、という話だったはずだが、周囲は慣れ親しんだ校舎そのままだ。


「・・・実はまだ起きてないとか?」

「しかし、既に午前2時を過ぎていますよ」


双樹がまほろに見せた懐中時計は、確かに2時3分を差していた。


「デ、デマ・・・とか・・・」


本来、怪談などは単なる噂話や作り話である事の方が多い。

誰も試すな、という話だったからこそ、皆して長い間本当だと信じ込んでいただけで、実は嘘だったのかもしれない。

とりあえず、話に聞くような『最も恐ろしい事』は起きなかった事に安堵はしたものの、同時に肩透かしを喰らった気分でもある。


「なあんだ、結局鏡が変に光っただけか。まあ確かに1つだけスケールが違ったもんね。仕方な・・・」


亜紀の言葉が、不自然な所で途切れる。


「どうした亜、紀・・・」


窓の外を見たまま固まっている秋に声をかけて・・・ヒロもまた、亜紀と同じ反応をした。


校舎内は何も変わらない。校庭も。

見慣れた学校そのものだ。だが・・・

夜空にオーロラがかかっている。


日本でオーロラなど見られるはずがない。

さらに淡い紫と緑、青色にたなびくように流れるオーロラとともに空を彩る、満天の星空。

青白い月は、スーパームーンもかくやと言う程の大きさで空に浮かんでいる。


そして何より・・・学校の周囲に広がる、森。


4階の窓から見渡す限り、どこまでも鬱蒼と生い茂っているそれは、さながら樹海のようだ。

いくら死んでからずっと学校の外に出ていないとはいえ、周囲の風景くらいは覚えているし、窓や屋上から見てもいる。

現代日本に当然あるビルや電柱、住宅街、アスファルトの道路などは一切見当たらない。

自分達や学校は変わりないが、それ以外の全てが様変わりしていた。


と、なれば。

考えられる可能性は一つ。




「もしかして・・・学校ごと異世界に飛んだ?」




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