第4話 七不思議揃い踏み
本校舎4階の北側、階段の踊り場に、壁に埋め込まれた全身鏡がある。
5階に続く階段は左側と西側のみ。
北側の階段は、ここ4階で行き止まりだ。
何故そんな無意味な造りになっているのか、
こんな所に鏡があるのかは、教職員にも知らされていない。
何となく気味が悪いと、よほど4階の教室に近道をしたい場合でない限り、
誰もこの北側階段の踊り場を通る事は無かった。
それは、幽霊となって校内を日々さ迷うヒロ達も同様であった。
しかし学校最後の夜、自分達を束ねるリーダーがここを集合場所に指定したのだ。
「一体どうしたんだろうね。ここにだけは出来る限り来るなって言われてたのに」
「さてなあ・・・?やべっ、もう先輩達来てるぞ」
前方にブレザーを着た2人組を見つけて、ヒロ達は慌てて走り寄った。
「遅れてごめんなさい、室咲先輩、斬塚先輩」
「いいえ、まだ2時ではありませんから大丈夫ですよ。此処に来るまで、何もありませんでしたか?」
ただそこに立っているだけなのに、気品を感じる女子生徒。
シワ一つ無く、きっちりと着こまれた制服。
胸元には3年生である事を表す青色のリボン。
校則通りの長さを順守した膝丈までのスカートが、嫌味のない優等生ぶりを如実に表している。
所作の一つ一つが洗練されていて、良家の令嬢である事は一目見れば誰でもすぐにわかるだろう。
腰まである濡れ羽色の髪は絹糸のように美しく、陶器のような白い肌によく映える。
優雅で、かつどこか儚げな雰囲気を纏う〝
双樹に柔らかく微笑まれ、ほっと一息をついたのも束の間。
打って変わって刺すような視線を感じて、ヒロの体がびくりと強張る。
腕を組んで壁に寄りかかりながら、感情の読めない瞳でじっとこちらを見つめる男子生徒。
双樹と同じ青色のネクタイを緩く締めてブレザーを着崩しているが、だらしなさは感じない。むしろ男としての色気すら感じる。
胸元から覗くシルバーアクセサリーもまた、彼の狼じみた野性的な魅力をより引き出していた。
しかし、獣にしてはあまりに静かすぎる空気を纏い、さながら氷の槍のような佇まいである。
ヒロはこの〝
(いつ見てもカタギとは思えない・・・)
モブ人生を歩んできたヒロにとっては、格の違いすぎる相手である。
実際、一覇は生前、近隣でこの人ありと言われるほどの不良であった。
鉄パイプやナイフを持った不良50人に対してたった1人、しかも素手で全員病院送りにしたという話は、西大倉高校に長い事伝わっている有名な話である。
一覇自身から吹っかけるという事は無く、売られた喧嘩を買っただけのようだが、一般生徒にしてみれば畏怖の対象である事には変わりない。
さらに実家は極道だ、なんて噂すらあり、ますますもって近寄りがたい存在だった。
「おっ遅れてすみません、斬塚先輩!」
腰を90度に折り曲げて頭を下げるヒロを、一覇は何も言わずにじっと見下ろす。
(せめて何か言ってくれ拷問か)
この沈黙が痛い。
緊張と恐れで冷や汗を流しながら、ヒロはひたすら一覇の言葉を待つ。
疑問の言葉を口にする勇気はなかった。
「・・・気にしていない」
そう言って、一覇は興味がなさそうにヒロから視線を外す。
解放感と共に疲労感も一気に押し寄せ、ヒロは気づかれないように深く息を吐いた。
隣を見れば、亜紀も胸を撫で下ろしている。一覇にプレッシャーを感じるのは同じなようだ。
「あのう、先輩。どうして今夜、皆ここに集められたんですか?」
「私も詳しくは聞いていないのです。これから会長にご説明して頂かないと・・・」
まほろが双樹に尋ねてみるが、双樹もまた分からないと首を振った。
とりあえず全員、今日この時間に此処に集合しろとだけしか伝えられていないのだ。
そして、全員にそう伝えた人物こそ、『学校の七不思議』に数えられる自分達のリーダーである。
「やあ、皆揃っているね」
5人の中に割って入った新たな声。
全員の視線が一斉に、窓から差す月光を背にした少年に注がれた。
「こんばんは。これで全員揃いましたね、生徒会長」
「うん。間に合ってよかった」
まほろを覗き、此処にいる全員が制服姿だ。
だが生徒会長と呼ばれた少年はブレザーではない。
黒い学ランにケープと学生帽。おまけに足元は下駄ときた。
今やお目にかかれない、時代錯誤な服装。
それも当然、彼が着ているのは大正時代の制服だ。
彼こそ、此処にいる5人の幽霊のまとめ役―――
西大倉高校の夜の生徒会長・〝
大袈裟とも取れる動きで両手を広げ、高らかに告げた。
「終焉・・・それは寂しく、悲しく、恐ろしく・・けれども甘美な響き」
舞台役者のように謳う八雲は、傍から見てノリノリだ。
急に何が始まったのかと、全員の驚きと若干の呆れの眼差しを受けながら、八雲はなおも続ける。
「今こそ僕達で奏でよう、ラ、ラス・・・ラストナイト・・次何て言えばいいかなヒロ君」
「俺にふらないで下さい」
「いやあ、ヒロ君ってこういう『終わり』とか『夜』とかの単語を上手く表現するの上手そうだから。で、なんて言えばカッコよく聞こえるかな?」
「俺にふらないで下さい!!」
それ、暗に俺が厨二病って言ってるじゃないかやめてくれ!
しかもなまじ間違ってはいないので、余計いたたまれない。
わざわざ名前を筆記体で書き、十字架やら剣やらオリジナルの魔法陣やらを書いたノートが未だに残っている。学校のどこにしまってあるかは最大の秘密だ。
「せっかくだからカッコよく決めようと思ったんだけど・・・慣れない事はするもんじゃないね」
先程とは打って変わり、まるで緊張感の無い顔で苦笑しながら、八雲は恥ずかしそうに頬を掻いた。
「はいはい!生徒会長、そろそろ集合の理由を教えてもらっていいですか?」
「おっと、そうだったね。ごめんごめん」
挙手をして元気よく尋ねた亜紀に笑って、八雲は一つ咳ばらいをした後、ゆっくりと話し出した。
「さて、我が西大倉高校が廃校になると決まった時、最後の夜になったら此処に集合するよう僕が伝えた訳だけど・・・ついにその時がきた。僕達『西大倉高校の七不思議』は、今日で解散だ」
努めて明るく言うも、寂しさを隠しきれていない八雲の声につられて、ヒロ達も俯いてしまう。
「それにしても、自分達がかの『学校の七不思議』に数えられるなんて、最初は思ってもいませんでした」
感慨深そうに双樹が言う。
此処にいる誰もが、自分達が幽霊となってから現代では廃れた怪談に数えられるくらい怪現象を起こしてしまった経験がある。
例えば、亜紀の場合は『誰もいない視聴覚室から放送が流れる』というものだ。
新学期早々、干からびた生徒が発見されるというショッキングな事件は当時ニュースでも報道されたし、成仏できない女子生徒の幽霊だ、
怨念だと騒がれていたのを知っている。
「だって、1日中何もしないでフワ~ッと漂ってるだけなんて暇なんだもん。せっかく1人で視聴覚室の機材全部使えるのよ、楽しみたいじゃない」
「だからって昼間にやったら騒ぎになるのも当然だろ。夜にしろよ」
「馬鹿、夜にそんな事したら近所迷惑でしょ」
「そういうところは気を遣う癖に・・・」
そんなこんなで、廃校が決定した原因の一つには俺達も含まれるんじゃないかな、とヒロは考える。
上級生である3人の正確な死因をヒロは知らないが、此処にいる以上は自分達と同じくこの学校で死んだはずだ。
在校生の死亡報告が多いというのは、醜聞が良いものではない。
怪奇現象よりもそちらの方が、やはり社会的に大問題なのだろう。
学校から出られないので世間でどんな言われ方をしていたかは知らないが、これからも経営していくのは厳しかったのだと推測する。
「そう言えば、俺達が死ぬ前からこの学校に七不思議ってあったんですよね?」
ヒロ達が死んだ年はてんでバラバラだ。
まほろはヒロと亜紀の後輩だが2人が生きていた頃はまだ入学していなかったし、一覇の話も「こんな人がいた」との話を聞いただけで、初めて会ったのは同じく幽霊になった後。
特に生徒会長の八雲に至ってはメンバーの最古参。
元号すら違う時代の人間で、本来ならとっくにお爺ちゃんだ。普通に生きていたらまず出会うことはない。
どうやらこの西大倉高校が木造の小学校だった頃から憑いているらしく、亜紀の疑問を受けて八雲が感慨深そうに頷いた。
「ああ。皆は若いから知らないだろうけど、昔はもっと凄かったんだよ。僕達幽霊の存在が非科学的だって全面的に否定される事も少なかったし、夜も今までよりずっと暗かったから発揮できる力も強かったしね。」
だからか、幽霊どころか妖怪まで、学校にはわんさかいたという。
「赤いちゃんちゃんこ先輩と花子先輩が、どっちのトイレが快適かっていう議論で毎回白熱したり、二宮金次郎像先輩が毎夜ランニングして読書したまま走る時のタイムを計測したり。肖像画のモナリザ先輩があまりにもお腹をすかせて、つい飼ってた人面犬を食べようとしちゃったり・・・いやあ、楽しい日々でした」
「ホラーでしかない」
懐かしさに顔を緩める八雲だが、ヒロはドン引きだ。
「だけどその偉大な先輩方も、校舎の建て替えや本体が撤去された事で学校を去った。前代の七不思議に数えられていた人体模型のジン君や骨格標本のコー君は、もう授業で使われなくなって倉庫にしまわれてからずっと寝ているし、七不思議に数えられないまでもこの学校に憑いている他の幽霊達も、廃校が決まってから腹を決めている。もう終わりが来たんだって。だから、いわば今日は、私たちの卒業式でもある」
卒業式。
自分達にはもう無縁だろうと思っていたそれが目の前に現れた現実に、誰もがどう受け止めれば良いかと口をつぐんだ。
「卒業なんて・・・したくない」
ぽつり、とまほろが呟く。
「私、生きてた頃は引っ込み思案で、何も言えなかった。何もできなかった。男子にからかわれて、女子にいじめられて・・・でも、今は先輩たちがいてくれる。おかしいかもしれないけど、私、死んだ今の方がずっと楽しいんです。だからもっと此処にいたい。ヒロ先輩達と一緒にいたい!」
目の前の現実を拒絶するかのように頭を振りながら涙を流すまほろの頬を、ヒロはそっと撫でる。
「ヒロ先輩・・・」
「・・・・」
声はかけなかった。ヒロ自身、その気持ちは痛いほどわかる。
親しい人など、誰もいなかった。周りは自分とは違って可能性や光に満ちていて、対して自分には誇れる部分など何もない。
だから、居場所なんてこれまでは無かった。
けれど此処には自分と同じ奴らがいる。
そして、そんな奴らとずっと同じ屋根の下で暮らしてきた。
だから今は胸を張って言える。
まぎれもなく、この学校が、この仲間達が、自分の居場所なのだと。
「うっ・・うう~っ」
下手な言葉をかけるより、ヒロの手の優しさがまほろの心に染み渡ったのだろう。
涙に濡れる顔をヒロの胸に押し付けて、まほろは泣き声を噛み殺しながら肩を震わせた。
「終わりは必ず来るものです。ましてや、私たちは既に終わっているはずのもの。丁度良い区切りなのでしょう」
「室咲先輩・・・」
亜紀もまた、慰めるように頭を撫でる双樹に涙腺が緩む。
「中には、納得できない形で死を迎えた子もいるだろう。いや、成仏していない時点で、おそらくは皆そうだ。それでも、幽霊になったおかげで、僕達はこうして出会えた。僕は君達という素晴らしい後輩を持てた。だからこれは悲しい別れじゃない。僕達も明日を向いて歩くためのものだ」
八雲の外見は10代であるが、浮かべる笑みは隠居した老人のように柔和で、その言葉には年長者ならではの重みがあった。
それはヒロ達の沈鬱とした表情を明るくさせる、希望を抱ける言葉。
これを機に、自分達もようやく明日が訪れるのだと―――
少しの寂しさを覚えつつも、安堵の笑みを浮かべそうになった、その矢先。
「・・・それで?」
成り行きを無言で見ていた一覇の一言が、水を打ったかのような静けさをもたらす。
これまでの空気は瞬時に霧散し、言い知れない緊張感が場を支配した。
「あんたの事だ、ただ黙ってこのまま終わりなんて許すとは思えねえな。俺達を巻き込んで何を企んでいる?」
「人聞きが悪いなあ、一覇君。僕を何だと思ってるんだい?・・・まあ、企んではいるけどね」
にやり、と三日月に歪む口元は、先程までとは打って変わって無邪気かつ意地の悪い悪戯っこな子供そのもの。
嫌な予感がして、ヒロは恐るおそる問いかける。
「な、何か他にあるんですか・・・?」
そんなヒロに、八雲が笑って答える。
「皆は一回も疑問に思わなかったのかな?それとももう若い子は知らないのかな・・・まあいいや。改めて見回してごらん。私達は西大倉高校の七不思議に数えられているけど・・・此処に集まっている人数は?」
そう言われ、ヒロはこの場の人間を改めて見渡した。
生徒会長の鍔垣八雲、
3年生の室咲双樹と斬塚一覇、
2年生の新里亜紀と自分・灰月ヒロ。
1年生の白宮まほろ・・・
「6人、です」
「あれ、七不思議なのに・・・7人じゃないですよね?」
「そういえば、7人目さんってお会いした事ないです」
ヒロが答え、亜紀とまほろが顔を見合わせて言う。
「で、でもそれって、俺達が原因で起こる怪奇現象に、学校が分かりやすいように『七不思議』って当てはめただけだと思ってましたけど?」
「いいや。七不思議は全て実在する」
君達が当代の七不思議として数えられる、ずっと前からね。
どこか根底にほの暗さが漂う、怪しげな笑みを浮かべて八雲は謳うように続ける。
「聞いた事あるかな?七不思議の最後。七番目の怪奇は、決して知ってはならないと」
学校の七不思議は地域によって様々だが、最後の七番目は謎である、という話はほとんどの話に共通している。
「『トイレの花子さん』『赤いちゃんちゃんこ』『夜中に動く人体模型』・・・かつて社会現象にまでなった、子供達の身近な恐怖。すぐ隣にある怪奇。かの怪談と同じく、それは昔から存在し続けてきた。そして今の校舎に変わっても、それは残っている」
知る事自体が恐怖なのだと。
そしてそれは、七つの怪談の中で最も恐ろしいのだと。
学校の七不思議の、禁断の七番目。
「だが、今夜で全てが終わる。だから特別に皆には教えよう。人間にも、そして僕達のような怪奇にも語り継がれてきた、恐怖の正体を」
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