第14話 無罪放免と鬼子爬神の出現。

 しばらく呆然としていた小形剛だったが、その後、鬼神たちの水槽ルームを後にした。

 そして長い廊下を歩き巨大ドームの大空洞を抜け、それからいくつかのエレベーターを乗り継いで、ようやく地上に辿り着いた。

 

 

 

 表に出た。

 するとそこは水力発電ダムの出入り口だった。

 空は満天の星空だ。いつの間にか夜になっていたのだ。

 

 

 

「オレ、これからどうなるんです?」




「別になンもしないよ。

 鬼子姫神が暴れて街を壊した、誰かを怪我させた、なんてのはお前さんの罪じゃねえ。だから望むンならそのままちゃっちゃと帰ってくれて構わないよ」

 

 

 

 入り口に立つ初老の守衛に敬礼を返した英子がそう答えた。

 

 

 

「俺が今日見たことを誰かにしゃべったら、やっぱり罰せられるんでしょうね」




 剛が自嘲気味に尋ねた。

 

 

 

「まあね。だが信じるヤツは少ないだろうし、それよりもなによりもお前さんに鬼子姫神が寄生していた証拠がなにもない。

 だから放免したンだよ」

 

 

 

 英子は義理でこの場所まで剛を見送りに来た訳ではない。

 身分証を持たないこの少年を外に出すのには英子の許可が必要なだけだ。

 

 

 

長良ながら希美のぞみはアタシが後で送る。

 彼女には鬼神のなんたるかを説明しなくちゃならねえンだし、若い娘でもあるしな。

 お前さんは別にひとりでも帰れるだろう」

 

 

 


 やがて剛はとぼとぼと歩き出した。

 フェンスを抜けるとアスファルトの道に出た。

 この道は湖水見高校を経て丘の下の湖水見市街へと続く一本道だ。星が瞬き街灯も点っている。

 

 

 

「無罪放免か。……クソったれ」




 剛は駆けだした。

 咲姫を失い希美を助けることもできない。

 あまりにもの無力。目元には悔しさが溢れていた。

 

 

 

 そして街灯が照らすほの暗いカーブを曲がったときだった。

 森の梢の隙間から赤い光が回転して明滅しているのを見つけたのである。

 

 

 

 「な、なんだ?」

 

 

 

 思わず足を止める剛。

 それは間違いなくパトロールカーの赤色灯であった。

 パトカーがこの先のカーブで停止しているのである。

 

 

 

 剛は訝しんだ。

 そして舗装されたこの道をそのまま行くのではなく森の中へと足を踏み入れたのだ。

 

 

 

 森に入ったことには意味があった。警察官に姿を見られないようにするためである。

 こんな夜間の林道に制服姿の高校生が歩いていれば職務質問されることは間違いない。

 無論、薬師寺英子の気武装隊に連絡を取ってもらえれば夜間徘徊の疑いは晴れるだろう。

 だが面倒である。

 

 

 

 それに、だ。

 ここは人里遙かに離れた場所だ。

 こんな所にパトロールカーが停止していると言うことは、なにか良からぬ事態が起こっている可能性も高い。

 

 

 

「様子を見てみるか」




 好奇心がムクムクと膨らんできた。

 そして足音を忍ばせて森の中へと更に進んだのである。

 

 

 

「なっ……!」




 そこで剛は思わず声を漏らした。そ

 の辺り一帯に地磁場現象が起こっていたからである。

 

 

 

「……大丈夫かな?」




 今の剛は咲姫が体内にいない。

 そのことから地磁場現象に対する免疫がどうなっているのか判断がつかないが、記憶を辿ると咲姫と初めて出会った六歳のときに剛は防磁気グッズなしで平気だったことを思い出す。

 

 

 

「やっぱ特異体質なんだろうな……」




 安易な判断ではあったが剛は気にしないことにした。

 目眩や吐き気と言った症状が出ていないことからの判断であった。  

 

 


 その少し前のことである。

 湖水見警察署から夜間パトロールに出た一台のパトカーがあった。

 運転しているのは背の高い高田。そして助手席に座るのが小太りの相棒、重田である。 

 この二人は剛が湖水見に帰ってきた日、職務質問中にヤクシャに襲われたあの二人である。

 

 

 

「なあ、高田。どうしてこんなところを巡回するんだ?」




 重田がもう幾度となく同じ質問を繰り返していた。

 最近の高田はどうにもおかしい。

 相棒である自分とのことばかりでなく、署内で決められたパトロールの時間やコースも自分勝手に変更してしまうことが多いのだ。

 

 

 

「……時期を待っているのだ」




 それまで沈黙を貫いていた高田がようやく口を開いた。

 湖水見高校へと向かうつづら折りの登り道にパトカーを走らせていたときである。

 

 

 

「時期? 時期ってなんの時期だ?」




「その内わかる。…………ふるるる」




 高田の顔を見た重田はぞっとした。

 その笑い顔に人ではないような不気味さが感じられたのだ。

 

 

 

(これも……、あれ以来なんだよな)




 地磁度七と言う驚異的な地磁場現象に襲われた先日のときのことである。

 あのときこの湖水見に鬼神が三体確認された。

 重田たちはその内の一体のトカゲ姿の鬼神と接触したのである。

 

 

 

 経緯はこうであった。

 初めて見るヤクシャの群れに襲われた二人は不覚にも失神し、気がついたときには辺りはガレキの山であった。

 それが少女の鬼神の仕業だと後から聞かされた。

 その後二人は職務に復帰し、そこで新たな鬼神に出くわしたのである。

 通りの角で鉢合わせたのはトカゲのような異形であった。

 

 

 

 爬虫類タイプのその鬼神は二人を見ると突進してきた。

 そこで高田と重田はエアガンで応戦するが直撃にも関わらず制圧不能であった。

 強固な外皮に弾丸が弾かれてしまうのだ。

 

 

 

 そして高田がトカゲ姿の鬼神に路地裏へ引きづり込まれた。

 ハイブリッド装甲のプロテクターごと襟首を掴まれて持ち上げられてしまったのだ。

 

 

 

 そして重田が駆けつけたときに見たものは、ぐったりとして項垂れて地面に腰掛けた高田と、全身血まみれで倒れている四十代くらいの身元不明の見知らぬ男性であった。

 

 

 

 トカゲ姿の鬼神はそこでぷっつりと消息を絶った。

 そして倒れていた男は市役所近くにある都道沿いの建材置き場の作業員と言うことが後に判明した。

 そしてその件以来、重田から見て高田は人変わりしたように感じられるようになったのである。

 

 

 

「――来た」




 いきなり高田がそう告げた。

 そしてパトロールカーを夜の山道の途中に停止させてしまったのである。

 

 

 

「おい、高田。どうしたんだ? こんな山の中で車止めるなんて」




「俺は、このときを待っていた」




「な、なにをだ?」




 そのときだった。

 ヘッドライトに照らされた車窓の景色が一瞬ぐにやりと歪み、無数の紫色のプラズマ放電が飛び交い始めたのである。

 

 

 

「なっ……。地磁場現象だとっ。高田、お前はこれを待っていたっていうのか?」




 重田が叫び声で問う。

 

 

 

「そう。……俺はこれを待っていた。

 ついでに言うと俺はすでに高田とか言う警察官ではない」

 

 

 

 その肝が冷え切るような不気味な声に重田は横の高田を見た。

 

 

 

「ぐ、ぐえっ……」




 運転席に座っていたのは確かに高田ではなく、てらりと光る青黒い鱗にびっしりと覆われたトカゲ型の怪物だった。

 

 

 

「ぐわあああああああああああっ……!」




 剛が太い幹に身を預けて眼下のパトカーを見下ろしたときだった。

 この世のものとは思えないほどの恐怖の叫び声が響き渡ったのである。

 

 

 

「な、なんなんだ? いったい」




 次の瞬間だった。

 ガガンっと衝撃音がしたかと思うと、パトロールカーのドアが吹っ飛んだのだ。

 運転席のドアだった。

 そして、

 

 

 

「なっ……。鬼子爬神きしはじんっ……」




 ゆるりと姿を見せたのは全身を巌のような外皮で覆われた鬼子爬神だった。

 そして爬神は満足そうに、ふるるると笑い声を発したかと思うと地を蹴り山の頂上へと向かう坂道を駆け上り始めた。

 プラズマ放電が舞う闇夜に、その姿が見えなくなるまで、あっという間であった。

 

 

 

「だ、大丈夫ですか?」




 剛は斜面をするすると滑り降り路面に降り立つとパトカーの中を窺った。

 すると血まみれで虫の息を繰り返す警察官の姿があった。

 

 

 

 胸のプレートには重田とある。

 見ると、プロテクターの胸部から腹部が陥没していた。

 

 

 

 時速五十キロの自動車の直撃にも耐える構造を持つプロテクターのはずである。

 間違いなく鬼子爬神の拳を食らったのだ。

 この装甲をいとも簡単にぶち破れるとしたら、それは鬼神以外あり得ないからだ。

 

 

 

 そして肋骨が肺にでも刺さったのであろう。

 ゴボゴボと口から血泡を吹くその顔に剛は見覚えがあった。

 湖水見に帰って来た日に職務質問を受け、鬼子爬神や気武装隊の極光とのバトルのあとの検問で再び出会った警察官のひとりである。

 

 

 

 と、すると、この警官の相棒の高田という男が鬼子爬神ってことか……。

 

 

 

 剛は瞬時にそれを理解した。

 どうりで二回目に会った検問で高田が剛の顔を覚えていなかったはずである。

 あのときすでに高田は爬神に乗っ取られていたのであろう。

 

 

 

「き、君……。気武装隊に連絡を……。今、ト、トカゲの怪物が現れた」




 絶え絶えの息で重田はそう告げた。

 

 

 

 連絡って言われても……。

 

 

 

 人里離れた山の中であるのだからスマホの電波は届いてないので使えない。

 いや、それ以前に地磁場現象が発生しているのだからスマホはおろか、このパトカーの警察無線も使用できないのだ。

 

 

 

 見れば後部座席に非常用の有線通信ケーブルがあったが、それを接続すべく公衆電話機の姿など、この山中にあるはずもない。

 

 

 

 ……だとすると山の上にある機武装隊の施設に向かうしかない。

 あそこには希美がいる。

 そしてなによりも今は変身できない身である鬼立咲姫がいるのだ。

 

 

 

「助けなくちゃ……」




 剛は運転席に乗り込んだ。

 シフトレバーをDレンジに切り替えるとアクセルを目一杯踏み込んだ。

 目指すは人工湖の気象庁施設だ。

 

 

 

「……だけど知らせるまでのないかもしれないな」




 鬼子爬神が駆け去った方角はその湖へと続く一本道だったからである。

 

 

 

 キキキィーと音を立ててパトカーは止まった。

 人工湖の入り口。

 つまり気武装隊の施設前に到着したのである。

 

 

 

 その間に車のあちこちはベコベコに凹んでいた。

 だが助手席の重田警官はなにも言わなかった。黙認してくれたものと剛は考えることにした。

 

 

 

「免許もなしに運転するもんじゃないな」




 剛はパトロールカーを飛び降りた。そして絶句する。

 

 

 

「……なっ」




 鋼鉄製の入り口フェンスが力任せにねじ曲げられ破壊されていた。

 こんな芸当ができるのは、鬼神に間違いない。

 やはり鬼子爬神はここに来たのだ。

 

 

 

 フェンス脇の守衛所は散々な状態であった。

 建物全体が傾き、窓ガラスが吹き飛び、ドアはひしゃげて『く』の字に曲がってしまっていた。

 

 

 

「たぶん、鬼子爬神の尾に……」




 ――尾にやられたのは間違いない。

 中を覗くとプロテクター姿の男性が事務机の向こうに倒れていた。

 見ると、それは意外な人物だった。

 

 

 

「高田って……?」




 胸のプレートには、そうある。

 間違いなくパトカーの助手席で重傷の重田警官の相棒である。

 と言うよりも鬼子爬神に乗っ取られていた警察官であったはずだ。

 

 

 

 剛は慌てて周囲を見回すが、地磁場現象は消滅していなかった。

 まだ数は少ないがプラズマ放電は徐々に増えているのだ。

 

 

 

「ど、どう言うことだ?」




 地磁場現象が消えていたのならわかる。

 鬼子爬神に関わらず、すべての鬼神は地磁場が乱れた状態でしか具現化できないからである。

 

 

 

 だから……、おかしい。

 剛はおそるおそる近寄ってみた。

 するとかすかにプロテクターの胸が上下しているのが、わかった。生きているのだ。

 

 

 

「う、うーん……」




 剛が助け起こすと高田は目を覚ました。

 簡潔に事態を尋ねてみたのだが一切の記憶がない、と言うのである。

 

 

 

 そこで剛はパトカーに相棒の重田が重体であることを高田に告げると、そこを立ち去った。

 去り際に剛自身のことを職務質問された。

 深夜に制服姿の高校生がこんな場所に現れたことを職業柄訊かずにいられないのだろう。

 

 

 

「気象庁の薬師寺英子指揮官に呼ばれています」




 剛はそう告げた。無論、嘘である。

 だが薬師寺英子の名前は効果があったようで、それ以上の追求はなかった。

 

 


 飴細工のようにひしゃげたフェンスを乗り越えて施設内に入る剛にはひとつの疑念があった。

 

 

 

「確かあの守衛所には……」




 初老の警備員が詰めていたはずである。

 だが先ほど覗き込んだときは意識を失った高田警官ひとりがいただけで他に人の姿はなかった。

 だとすると鬼子爬神が宿主を警備員に変更した可能性が高い。

 

 

 

 ……なぜだ?

 そこで剛はハッと気がつく。

 

 

 

「鬼神は宿主の記憶を共有化できる……はず」




 なのである。

 つまりここの専属警備員であれば、この施設内の間取りはほぼ理解していると言うことなのである。

 要は道に迷うことなく目標へ最短距離で無駄なく接近できる、と言う訳だ。

 

 

 

「だとすると……、まずいっ!」




 剛は駆けた。

 鬼子爬神の目的はここに閉ざされている鬼神たちだろう。

 鬼神たちの目的は他の鬼神を倒し唯一絶対の存在となること。鬼子爬神がこの施設に探し求めるものがあるとしたら、それしかあり得ない。

 

 

 

 剛は足を速めた。

 鬼神を倒せるのは鬼神と同じ力を持つ鬼神だけだ。

 一刻も早く水槽ルームに向かい鬼立咲姫と同化して鬼子姫神になる必要がある。

 薬師寺英子自慢の極光も施設の中では飛ぶことさえままならないはずだ。

 

 

 

「急げっ!」




 剛は自らを叱咤する。

 

 

内部通路は濃厚な地磁気であった。

視界が歪み、もうところどころでプラズマ放電が始まっていた。




 施設内に飛び込んだ剛を待っていたのはジリリリリッと鳴り響く非常ベルと、非常灯の赤い光と、もうもうたる爆煙と、タタタタタタッと飛び交う特殊エアガンの射撃音であった。

 さすがに武装施設の秘密基地だけあって非常時の緊急対応に抜かりはないようだ。

 

 

 

 だが、相手が悪すぎた。

 敵は人間ではなく異世界の王である鬼神なのだ。

 

 

 

 通路は惨憺たる有様だった。

 天井パイプは折れ曲がり散水器のごとく四方八方に水をぶちまけている。

 動力用のパイプもやられたようで、高熱の水蒸気もバシューっと耳を聾する音とともに大量の湯気を吐き出していて視界を奪う。

 鬼子爬神は、そうとう派手に暴れたようである。

 

 

 

「うはっ、こりゃ地獄だな」




 剛は壁に手を添えて慎重に足を進める。

 

 

 

 そして膝まで浸かる水の中を更に進んだときであった。

 聞き覚えのある声が突然聞こえたのだ。

 基地のコントロールルームにようだった。

 

 

 

「鬼神ルームへの侵入だけは絶対に阻止しな。

 他の設備への攻撃はヤツの陽動だ。

 ヤツの目的は間違いなく鬼神なンだよ。アタシも間もなくそっちに行く。わかったかい?」

 

 

 

 薬師寺英子だった。英子は守備隊に叱咤していたのだ。 

 だが背後の気配に気がついた。

 

 

 

「来たのかい?」




「相当やられているみたいですね」




「皮肉かい?」




「そんなつもりじゃありません。事実を言ったまでです」




 ジャブジャブと水音を立てて剛は英子に近寄った。

 

 

 

「鬼神が一体現れたンだ。

 こいつがまたイヤらしい鬼神でね。制御室の消磁機を逆回転させやがったお陰で施設内が、みな地磁場現象になっちまった。

 でも、ヤツがどうして制御室のありかや消磁機の使い方を知ってンのか、わからないンだ」

 

 

 

「ヤツは鬼子爬神という爬虫類の鬼神です。宿主を自由に選べるみたいです。そして宿主の記憶を共有できます。

 また、おそろしく堅い外皮に覆われていて鬼子姫神の攻撃でもダメでした」

 

 

 

 剛の言葉に英子は腕組みをする。納得した表情だ。

 

 

 

「記憶の共有か。……どうりでね。

 さっき入り口の警備員が通路で血まみれで倒れていて、それを通報した技術員が行方不明。

 ……おおかたヤツに乗っ取られたンだろうね」

 

 

 

「技術員?」




「ああ、警備員と違って消磁機の使い方や、奥の鬼神ルームへの入り口のありかを知ってるンだ」




 つまり絶体絶命というやつである。

 この地磁気の中で水槽を破壊されたら鬼神たちがこの基地を、そして湖水見市へと宿主を見つけて具現化してしまうということである。

 そして互いに覇を競い争いを始めてしまうことになる。

 

 

 

「それ、かなり、やばいです。……俺でもできることがあるはずです」




 剛は英子に詰め寄った。

 

 

 

「奥歯に物が挟まったような言い方だね。はっきり言ったらどうなンだい?」




「……お、俺に咲姫を返してください。そうしたら絶対に鬼子爬神を止めて見せます」




「鬼子姫神に変身しようってのかい?」




「そうです。あのヘリコプターはこんな狭い場所じゃ使えない。だからヤツを倒すには鬼神しかないだろ?」




「ありがてえ言葉だけどお断りだね」




「なっ……」




 英子はニヤリと笑う。

 

 

 

「まず第一に、おめえさんたちには前科があり過ぎる。

 アタシの指揮を外れて勝手に暴れ回られるのはごめんだね。

 ……第二に、もう手は打ってある。すでに鬼子姫神は目を覚ます頃なンだよ」

 

 

 

「な、なんだってっ……! そ、それってどういう意味ですか?」




「今言っただろ。鬼子姫神はすでに別の人間と同化させてンだよ」




 剛の頭の中で電撃が走った。

 ……それってもしかして?

 

 

 

「も、もしかして、希美を宿主にさせたのかっ?」




 剛は英子の胸ぐらを掴んだ。

 鬼神は宿主経験者に憑依しやすいのは、もちろん剛でも知っている。

 

 

 

「だとしたらどうなんだい? あの子はちゃんと理解して納得してくれたよ。

 鬼神がどれだけ人類にとって危険か、今がどういう緊急事態なのかを話したら自ら志願してくれた。

 勝手気ままなお前さんたちとは大違いだ」

 

 

 

 剛はキレた。

 英子の襟首を絞り上げる。

 

 

 

「勝手なことぬかすなっ。

 どうせお前たち大人が、よってたかって言いくるめたんだろっ?

 希美は関係ない。こんな危険なことに巻き込んじゃだめなんだっ」

 

 

 

「……おめえさん。自分がなにを言ってなにをやってンか、わかってないようだね。

 お前さんは民間人、ましてや未成年のガキだ。

 ……それにだ、オンナの胸ぐらを気安く掴むンじゃねえよっ」

 

 

 

 ガキンっと堅い音がして剛は足下の水に倒れ込んだ。

 英子が拳で剛の鼻っ柱を殴ったのだ。

 

 

 

「甘えンじゃねえぞ。このクソ小僧っ。

 お前さんのような青臭いヤツに正義を語られたくないね。

 何度も言わせンじゃねえ。長良希美は自分の意志で鬼神になるって言ったンだ。

 それもこれも自分の両親が十年前に起こしたことに責任を感じてだ」

 

 

 

 水の中で尻餅をついていた剛が向き直る。

 

 

 

「……十年前? 責任?」




「ああ、そうさね。

 希美の両親は知っての通り、ここの実験施設で働いていた。あの日の爆発事故の責任があるんだよっ。

 それにだ……、お前さんをなぜ無罪放免したと思ってンだい? 

 お前さんの両親も希美の親たちと同罪だ。

 だが、お前さんは親を亡くした孤児で被害者でもあるンだよ。

 それに免じて今までの罪を見逃してやったンだ。

 わかったらさっさと帰ってくれ。仕事の邪魔だ」

 

 

 

「……」




 ぐうの音も出なかった。剛は改めて自分の無力さを噛み締める。

 

 

 

 そのときだった。

 コントロールルームに緊急通信が入ったのだ。

 

 

 

『司令、緊急事態です。

 ……鬼子姫神が暴れ始めましたっ! 

 我々の説得は通用しません。施設を破壊していますっ!』

 

 

 

「ちっ、わかった。……やっぱりダメか。すぐ行く」




 返事も言い終えぬうちに英子はコントロールルームを飛び出した。

 それに乗じて剛も後を追う。

 英子たちにとって緊急事態でも、剛にとっては千載一遇のチャンスだ。

 

 

 

「お前さんは、帰れって言っただろがっ!」




「咲姫が暴れているんだろう。俺の説得が必要じゃないのかっ!」




 ジャブジャブと狭い通路を反響する水音に負けないように英子も剛も叫ぶ。

 

 

 

「勝手にしろ。だけどアタシの指示通り動かないようなら、今度こそ逮捕させるからね」




「指示通り動いたらどうするんだ?」




「……それは今から考えンよ」




 そう言いながら英子は通路にかかっているフード付き防磁ジャケットに袖を通す。

 これは地磁気対策が万全にされたもので、デザインは空自のフライトジャケットとよく似ていた。

 

 

 

 それを剛にも放って寄こそうとするが、剛は首を振る。

 特異体質の剛は地磁場現象の影響を一切受けないからだ。

 

 

 

 それは体内に咲姫がいなくなってからパトカー発見のときに発生したときから今現在まで地磁場現象の真っ只中にいるにも関わらず体調不良がまったく起きていないことからも証明できる。

 

 

 

「……でも待てよ?」




 そこで剛は疑問を感じる。

 湖水見高校へ登校中、剛と咲姫は英子に捕らえられた。

 あのときも今のように地磁場現象は発生していた。

 英子が極光の消磁機を逆作動させたからだ。

 

 

 

 しかしその場面で、英子は生身のままで防磁対策をしていなかった。

 だったらなぜ今は装備するのか……?

 

 

 

 謎が多い人だな。

 剛は思った。

 

 

 

 基地内は最低限の電源しか通電していなかった。

 エレベーターは完全に沈黙している。剛は螺旋階段を駆け下りる英子のハイヒールの音の後を追う。

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