第9話 転校先での希美との登校。

 市の中心部へと続く道には市民の長い行列ができていた。

 その先には数台のパトカーと、救急車と、湖水見市の保険課の車両、そして気武装隊の装甲車の姿が見える。




 簡易検査所であった。

 乱れた強地磁場の影響下にいた人々の健康被害を調べているのだ。

 検査を受けているのは主に地磁場警報の発令中にシェルターに避難できなかった人たちである。




「……まったく」




 剛はため息をついた。

 この異様なほどの長蛇の列に嫌気がさしたのである。




 この光景は地磁場警報が解除された後どこにでも見られるありふれたものなのだが、今回は違った。

 なにしろ磁度七という強烈な地磁場の乱れがあったのだ。

 その規模や範囲からしてみても検査対象となる人物の数が膨大になっていた。




 並んでいる人たちの顔は待ち時間の長さに対する不満は見えなかった。

 強地磁場の悪影響は脳に現れる。

 見た目ではわからない傷害なので誰もが進んで検査を受けたがっているのだ。




 だが、剛はうんざり顔だった。

 元々地磁場の影響を全く受けない特異体質なのだから健康面への被害はあり得ないので、できれば免除してもらいたいと願っているのが顔に出ているのだ。




 しかもである。

 視界の先に無骨な姿の焼き物セラミック造りである白い装甲車が見えるのだ。

 あの薬師寺英子がいるのかどうかは不明だが、今回の検査がただの検査でないことは明らかだ。

 



 おそらくたぶん……、鬼神の検問。

 特殊なスキャンをかけて体内に異世界の怪物を内包する人間をあぶり出し捕獲するのだ。




「仕方ない。パスするか」




 剛はその列からそっと抜け出した。

 ビルとビルの間に向こうの通りに抜けられる狭い抜け道を見つけたのだ。




 長蛇の人々はスマートフォンに夢中なので剛の行動を誰も見とがめなかった。

 ようやく使えるようになった電話で互いの安否を確かめるのに忙しいようである。

 だが、




「ちょっと、そこの君。待ちなさい」




 向こうの通りに顔を出した瞬間だった。




「ちぇ」




 剛は思わず舌打ちする。

 警戒中の警察官に声をかけられたのだ。

 簡易検査所が設けられるとこの剛のようにルールを守らない不届き者が必ず現れるので、彼らは街中を巡回しているのであった。




「君は列から抜け出したんだろう? 

 検査は必ず受けなくてはいけない決まりなんだから、早く向こうに戻りなさい」




「あ、えーと、地磁場警報のとき、ボクはずっと気を失っていたんで……」




 検査の必要はない、と弁明してみた。

 強地磁場の悪影響を受けるのは脳だ。

 そして起きて動いている状態の脳がいちばん影響を受けやすいと言われている。

 そのことから強度の地磁場の中にいたにも関わらず、失神していたことで無事だった人間が何人もいる。




「それは駄目だよ。無事だったことを確認するためにも検査しているんだから。

 ……それにしても君はいったいどうしたんだ? 頭も顔もずいぶん汚れているじゃないか」




 そう言われて剛は髪を掻き毟る。

 確かに髪の毛は土埃でゴワゴワになっている。そして顔を擦ると頬にこびりついた泥が落ちた。




 迂闊だった。

 英子が率いる気武装隊のヘリから逃げる途中、身体は姫神から剛のものへと戻っていた。

 そして着ていた制服は別の服に着替えた。着ていた制服はあまりにも血まみれ泥まみれだったからだ。

 だが、その場を離れることに急いでいたので髪や顔のことまで気が回らなかったのだ。




「えーと、転んだだけです。シェルターに避難しようとして、慌てていて……」




 そしてそこで気を失ったんだ、と嘘に辻褄合わせをしようとする。

 そしてそのときだった。

 胸の警察カードに『高田たかだ』の名前を見つけた剛は思わず息を飲んだ。そしてゆっくりと視線を上げる。そこにあるのは見覚えがある顔があった。




「うっ」




 思わず呻いた。

 そこにいたのはつい数時間前に出会った警察官だったからだ。




 剛はこの湖水見の駅を降りてすぐに地磁場現象に巻き込まれた。

 そしてそのとき剛に職務質問をしてきたのが、この高田とかいう背の高い警官だったのである。




 見ると遠くからこちらに近づいてくるもうひとりの警察官の姿がある。

 小太りのあの警官は確かこの高田のパートナーの『重田しげた』と言う名前だったのを思い出す。




「どうしたんだね?」




 高田が尋ねてくる。しかもまっすぐに視線を向けてきた。

 ……まずい。




 あのときあの場面、剛は決して逃亡したわけではない。

 この二人の警官がヤクシャたちと戦い始めて剛を見失っただけのことだ。

 だがそのことに気がつけば剛を再度質問攻めにするに違いない。 




「あー、ボク、ちゃんと列に戻ります。す、すみませんっ」 




 剛は一礼するとくるりと方向転換した。そして今抜けてきた細道を戻り始める。




(――どうやら、うまく切り抜けたようだな)




 声がした。




「咲姫。もう大丈夫なの?」




(――ああ。だがまだ体中が痛む)




 無理もない。連戦に次ぐ連戦だったのだ。

 鬼立きりゅう咲姫さき鬼子爬神きしはじん、そしてヤクシャの群れとの戦いで疲労は極限に達していた。

 そして身体が剛に変化したのを利用して、今の今まで眠っていたのだ。




「でも、よくばれなかったよ。

 あの警官にさっきのことを思い出されたら要注意人物扱いで身体を完全スキャンされてたかもしれない」




 今の剛にはそれは絶対に避けなければならない事態だったのだ。

 この通常空間では剛は無力である。

 内に巣くう怪物少女の鬼立咲姫、そしてそれを遙かに凌駕する鬼子姫神の身にはなれないからだ。




(――しかし妙だな)




「なにが?」




(――決まっているだろう。あの警官だ。

 貴様はあのとき耐地磁気用のプロテクターもなしに平気で歩き、しゃべりまわり、おまけに避難壕へも行こうとしなかったのだ。そういう挙動不審な人物の顔や声をわずか数時間で忘れるとは考えにくい)




「俺の顔、平凡だから」




(――これはそういう問題ではない。

 貴様の顔が平凡かどうかは別の話だ。例え顔の印象が薄れていても年や背丈、着ている制服まで忘れる訳がない。だから妙だと言っているのだ)




「そういうもんかな? もしかして咲姫の考えすぎかもしれない」




(――まあ、そうだな。確かそうかもしれん)




 剛はそのまま列に戻った。

 だがそれもつかの間だ。隙を見つけて検査が終わった人たちに紛れ、何食わぬ顔をしてそのままうまく立ち去った。




 空は真っ青に晴れ渡りすがすがしい天気だった。

 上空高くヒバリが飛んでいた。ピイピイと鳴き声が聞こえてくる。それだけを見ていると、先ほどの戦いが嘘のように感じられた。

 とにかく、今は平和だった。



 ■ ■



 それから日が過ぎた。

 剛の転校も無事に済み、早くもクラスに打ち解けた。




 元々、湖水見こすみ高校は剛のように中途転学の生徒が多い上に、幼なじみの長良ながら希美のぞみもいたからだ。 

 そして剛は希美と同じクラスになっていた。転校初日のその日の朝にはこんな出来事があった。




「あーっ。剛だっ。ねえ、みんな剛だよっ」




 担任がその名を告げる前、もちろん黒板にチョークで書く前に、剛はその正体がバレていた。

 希美がこの湖水見の街に住み、この湖水見高校に通っていることはヤクシャと戦った鬼立咲姫の目を通して剛は知ってはいたが、そのときには剛の姿を希美に見せていない。

 なので、なんでわかったんだ? と後で聞くと、




「だって顔が剛だもん。間違えようがないってば」




 と希美はあっけらかんと笑った。




 そしてさらに数日後の朝。通学時間である。

 空は快晴。このまま一挙に夏に突入しかけないほどの暑さであった。




 山の上の湖の畔にある湖水見高校への道程は、森に囲まれた小高い丘をどんどん登る坂道である。

 春には桜並木が見事な花を咲かせ、秋が深まれば紅葉が見事な風光明媚な道である。




「しっかしさあ、剛ってホントに昔のまんまだね」




 肩で切りそろえた希美のショートヘアが初夏の風に揺れる。その眩しさに剛は思わず目を細める。




「そうか。これでも一応背は伸びたんだぜ」




「そうじゃないよ。そういうことじゃなくて、しゃべり方とかが全然かわんない。……だから私安心した」




「安心?」




「うん。なんか昔に戻った感じ」




 剛もそれは感じていた。

 転校してきたのにも関わらず湖水見高校には顔見知りが多かった。

 とはいっても十年ぶりの再会なので、容姿も性格もすっかり変わっているヤツもいたが、共通の記憶があることから会話の材料には事欠かなかった。




「希美は変わったと思う」




「へえ、どんな風に?」




「スカート履いているのに驚いた。昔は絶対に履かなかったし」




「当たり前じゃないっ。これ制服なんだから」




 そして身体をクルリと回しスカートの裾を翻す。

 衣替えはすでに終わり希美は白地のセーラー服姿だった。

 しかし襟の部分は冬服と同じで青地に薄黄色のストライプが特徴だった。




「あのさ、前から訊きたかったんだけど、剛の鞄ってなんでいつもパンパンなの?」




 希美が大きく膨らんだ剛の通学鞄を見て言う。




「え……。着替えだけど」




「へえ、けっこう清潔なんだね」




 嘘はない。

 ただし剛のものではなく咲姫のものだ。

 地磁場現象が起こったときに剛が着ている男物の服の姿はイヤだと咲姫が言うからだ。それに正体を隠すためもある。

 いくら剛と鬼子姫神の性別が違っても着ている服が同じならバレる確率が高くなるからだ。




「そういう希美のも、けっこう中身入ってるじゃん」




 剛ほどではないが、希美の鞄もかなり膨らんでいた。




「私の場合は防地磁気グッズ。ヘッドギアとかいろいろね」




 そういって希美はそのひとつを取り出した。

 それは最近広告でよく見かけるカチューシャ型のもので頭部にふたつの突起がある。




「どう?」




 希美は頭に嵌めてみた。




「うーん。似合ってるけどなんだか」




「ケモ耳みたいでしょ?」




「ああ。そういうの好きなのか?」




「かわいいから、いいじゃない」




 そしてそれがご満悦なのか、希美はそのままの姿で歩き出す。

 だがしばらくするとなぜか再び足を止める。




「うん、やっぱ気になるよ。あのさ、もうひとつ前から訊きたいことがあるんだけど」




「な、なんだよ」




「そのズボンの裾なんだけど、流行のつもりなのかな?」




「え? なんのこと?」




「ズルズルだらしなく引きずってんじゃない。

 それがファッションのつもりなら私とは違う価値観ってことで認めてもいいけど、そうじゃないんなら私がなんとかしてもいいよね?」




 剛は足元を見る。

 そしてなんのことだか理解する。丈が長すぎて裾の部分が地面にこすれているのだ。




「ああ、これは注文するときサイズを間違えただけ。裾を折り返してるんだけど、いつの間にか元に戻ってるだけ。流行とかファッションとかは全然関係ないから」




「じゃあ、いよいよなんとかしちゃうよ」




 そういって希美は鞄からなにかを取り出した。そして、




「ーん。これでよし。あー、すっきりした」




 と、満足げに微笑む。

 それは安全ピンだった。最近出回り始めた地磁場の影響を受けない安全規格のプラスチック製のものである。

 その安全ピンを使って折り返した裾を留めたのだ。




「今夜でもいいから私の部屋に持ってきて。裾を直してあげるから」




「わかった。そうする」




 もはや完全に希美のペースだった。



「おっはよー。希美っ」




 角に出ると同じクラスの女子たちと合流した。

 彼女らは自転車で通う自宅組だ。希美の速度に合わせて徒歩になり手でハンドルを押している。




(――しかし希美も貴様と同じ寮だとは驚いた。元に住んでいた家はこの街にあったんだろう?)




 咲姫が話しかけてきた。

 希美たちがすっかり話し込んでいるのを見て会話を聞かれることはないと思ったのだろう。




 ここ数日、この街に暮らし始めてから剛がひとりになることは少なく、その登場回数は減っていた。

 だが話しかけてこない理由はそれだけではなかった。鬼子爬神や極光オーロラとの戦いの傷が未だに完治しないことから、眠ってばかりいたのであった。




「うん。希美の家は俺の家の隣だった。だからいっしょによく遊んだし、ケンカもした」




(――気安い関係だったのだな)




「そうだね。でもその後いろいろあったらしい」




 希美の境遇は剛に似ていた。

 剛がこの湖水見を去らなければならなくなった理由と同じで、希美も十年前に引っ越していたのだ。




「お父さんはあの事故で死んじゃったし、お母さんも結局そのときの怪我が原因で半年もたなかったんだ」




 数日前そう話していた希美の顔には悲痛な雰囲気もはやはなかった。

 すっかり過去のこととして吹っ切れているのだ。




「それから叔父さんのトコでずっと暮らしてた。

 叔父さんも叔母さんも好きだったし、従姉妹たちは元々姉妹みたいな関係だったから、暮らしは良好だったかな」




 だがやはり気遣いが絶えなかったらしい。

 そのことで中学の進路指導では全寮制の高校を希望していた。

 生活費はバイトで賄うつもりでいた。

 叔父の家を出るという考えはかなり本気だったのだ。




「でね。担任の先生が湖水見高校を教えてくれたんだ。私びっくりしちゃってさ」




 そして屈託なく笑っていたのを剛は思い出す。




「だから俺とは似たもの同士だと思った。……それにそれだけじゃない」




 湖水見高校生徒寮にはかつての幼なじみが多数暮らしていた。

 みな十年前のあの事件で親を失って、各地へと住む場所を代えざるを得なかった少年少女ばかりがこの湖水見に戻って来て入居していたのである。




(――原因はあの事件か。つくづくあれは貴様たちの運命を変えてしまったのだな)




 咲姫の口調はしんみりとしていた。




「悪いことばっかじゃない。少なくとも俺は咲姫と出会ったし」




(――気遣い無用だ)




「そんなつもりはない。これは俺の本心だ」




(――そうか。感謝する)




 そのとき希美が戻ってきた。

 同級の女子たちは寄り道してから学校に向かうと言って再び自転車に跨がったからだ。




太平堂たいへいどうに行くんだって。私、お使い頼んじゃった」




「太平堂? ……ああ、あのパン屋、まだやってんだ」




 剛はその店の名前に記憶があった。

 小さいながらも自前のパン窯を持っていて、そこで焼き上げたパンはふっくらしていて噛むとほんのり甘かったはずだ。




「あれ食べると胃にズシンと来るのよね。腹持ちいいから放課後になっても、お腹減らないし」




 と言うことで弁当代わりに朝立ち寄って来る生徒が多いらしいのだ。




「そんなこというと俺も食べたくなってきた」




「あとで分けてあげる。

 私ね、太平堂のパン食べたときやっと湖水見に帰ってきたって感じがしたんだ。やっぱ、あれってふるさとの味よね」




 そういって希美は色気より食い気の視線で麓の町並みを見下ろした。

 かすかに見えるあの公園沿いに太平堂はあったはずだ。




 だが、そのときいきなり希美の足が止まった。

 そして腹を押さえて蹲ってしまったのだ。




「希美、どうしたんだ?」




「ん。ちょっと痛いだけ」




 ちょっとどころではない。

 見ると額には大粒の汗が浮かべて顔を歪めている。




「おい、大丈夫かよ。医者に行くか?」




 剛は屈んで希美の顔を覗き込む。

 肌は青ざめ目をつぶってじっと絶えている。相当の苦痛なように見える。




「いい。お医者さんは私苦手だし。それにいつもすぐに直るし」




じっと蹲っている希美だったが、やがてすっと立ち上がった。




「ね。すぐ直ったでしょ。もう全然痛くないから大丈夫」




 嘘ではないようだ。

 顔には精気が戻り、いつもの満開の花のような笑顔になっていたからだ。




「だからってさ。そういう問題じゃないだろ。大変な病気だったらどうすんだ。ちゃんと調べたもらった方が絶対にいいって。それにいつもってなんだよ」



 

「うーん。あのときからなのよね」




「あのときって?」




「ほら、こないだの地磁場警報があったでしょ? 

 あのときちょっとしたことがあったんだ。私はそのとき駅前の避難壕に逃げたんだけど変なのがぶつかってきたんだ」




「変なの?」




「うん、黒い影」




 なっ……?




 剛は足を止めた。




「どうしちゃったの? 大丈夫?」




「大丈夫だ。黒い影ってどんなやつだった?」




「うん。なんか水たまりみたいな感じで真っ黒いの」




 嫌な汗が流れた。




「詳しくいうとね。避難壕にお巡りさんが来たんだ」




「お巡りさん?」




「うん。やせて背が高い人だった。

 その人が扉をドンドンって叩いて警報は解除されたって叫んでるの。でさ、私がいちばん扉に近かったから、つい開けちゃったんだ。でも……」




「でも?」




「嘘だった。空は真っ赤だし、いつの間にかそのお巡りさんも姿消してたし。だから私慌てて扉を閉めようとしたのよね。

 そのときにね、黒い影が中に飛び込んで来たんだよ」




「そ、そして……?」




「そして私とぶつかった。でも消えた」




「消えた?」




「うん。だから私の錯覚かと思ってまわりの人に訊いてみたんだけど、間違いなく私にぶつかって姿を消しちゃったって言うのよね」




 嘘みたいな話でしょ? と希美は笑う。

 そしてそのとき以来ときどき謎の腹痛が起こるというのだ。




(――由々しき話だな)




 咲姫が話しかけてきた。剛は小声で返答する。




「や、やっぱそう思う?」




(――ああ、確証はないがおそらく間違いないだろう。貴様が墨汁の川みたいだと表現したあの鬼神だ)




「で、でもさ。サイズがだいぶ違う。俺たちが見たときは三十メートルくらいあったはずだ」




(――弱って小さくなったのだろう。宿主なしにこの世界に具現化したのだ。

 例え鬼神と言えども衰弱する。

 だが今は別だ。希美を宿主にしたのなら力はすでに戻っている。いや、もはや機会があれば実体に変身できることになる)




「な、なんだってっ……? 咲姫、確かめる方法なないの? 鬼神の力でさ」




(――無茶を言うな。私とて万能ではない。例え希美の腹を裂いたとしても見つかる訳がない。

 鬼神は、がん細胞とは違うのだぞ。人間の身体の外から鬼神を探せるのは薬師寺英子の気武装隊だけだ)




 憎々しげに咲姫は言う。

 鬼神ハンターの異名を持つ薬師寺英子が使うスキャナーなら確かに可能だ。




 英子は多くの鬼神を捕らえてきた。だがそのすべては戦いで打ち破ったのではない。

 鬼神に変身できぬ通常空間で人間の体内に潜んでいるのを見つけた場合の方が多いのだ。

 戦えば姫神ひじんでさえ苦戦する強敵が無防備に囚われの身になったのを咲姫はよく知っている。




「じゃあ、どうする? このままだと地磁場現象が起こったら、希美は鬼神に変身しちゃうんだろ?」




(――そう言うことになる。しかも同化して数日経つのに未だにその鬼神は宿主になんの語りかけもしていないようだ。

 これは事実を知ったら希美は相当苦しむぞ)




 剛の場合は別だった。

 咲姫は同化した直後から剛に語りかけてきたし、そのことで剛も変身に心の準備ができていた。

 そして変身にともなう身体の苦痛にも耐えられた。すべては咲姫が事前に話してくれたからだ。




 だが希美に取り憑いた鬼神は違うようだ。

 その証拠に希美は今自分に置かれた運命をなにも知っていない。




(――どうするのだ?)




「事実は伝えられないよ。そして希美を変身させちゃいけない。なんとかなるかも」




(――なんとか、とは?)




「うん。幸いにもさ、希美は自分が地磁場現象の悪影響をまったく受けない身体になったってことを知らないだろ? 

 だから、警報が発令されたら自分でシェルターに避難すると思う。それに耐地磁気グッズもお気に入りみたいだし」




 剛は希美の頭を見る。

 そこには本人曰くケモ耳みたいなヘッドギアがつけられている。




(――なるほどな。だが一時しのぎに過ぎないぞ。いつかは事実を知ることになる)




「そうだね」




 確かに咲姫の言う通りだった。

 避難壕がいつでもそばにある訳ではない。そして例えばグッズは入浴中には身につけないだろう。

 剛は思わずため息をつく。




「あのさ。剛、やっぱ性格変わった? 独り言となんて癖あったっけ?」




 希美が剛の顔をのぞき見る。正確にいえば上から見下ろしたことになる。希美の方が十センチ以上高いからだ。




「あ、ちょっと考え事してただけ。なんでもないから」




 剛は慌ててごまかすが、話題を変えるのに手間はかからなかった。プワンッと小気味よいクラクションが後方から迫ってきたのだ。




「あ、ラッキーかも。ねえ剛、せっかくだから乗ろうよ」




 希美が道端から走り出し、やって来たバスへ向かって大きく手を振る。

 そのバスは湖水見高校専用のバスだった。

 高校は山奥にあるのだから駅からの通学客を乗せてこの道を通るのである。

 そして車内に余裕があるときは、こうしてクラクションを鳴らしてくれるのだ。

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