第8話 すぐさま現れた新たな強敵。極光。

鬼子爬神の姿はやはりなかった。

 姫神は細心の警戒であたりの気配を調べたのだが、鬼神の存在はすっかり消えていたのである。




 そして地磁場現象が発生してからすでに二時間は経過していた。

 原因不明、発生場所も発生条件もいっさい謎の地磁場現象だが、こんなに長い時間が経過しているのは珍しい。




 そんな中、剛は咲姫、つまり姫神の体力回復のために、湖水見高校の寮に行こうと提案した。

 だが姫神はあの黒い影が、気になっていた。剛が墨汁の川と称した実体なき鬼神だ。




「まだ宿主が見つからぬのなら、それこそ幸いだ。実体化する前に……」




 潰したいと言うのだ。




(――気になったことがある。あのさ、あのとき鬼子爬神の邪魔が入ったから追跡できなくなったよね?)




「そうだ。ヤツさえ現れなければ今頃はこんな目に遭わなくてすんだのだ。まったく忌々しい」




(――鬼神同士は覇を争う。だとしたら、なんで鬼子爬神は黒い影を狙わないんだ?)




「……っ!」




 確かにそれは大いなる疑問だ。

 鬼子姫神は爬神の一撃で建材置き場へと叩き飛ばされたのだ。

 そして、その直後なら影を殺せたはずだ。

 だが爬神はそれをしなかった。あくまで鬼子姫神への追撃にこだわっていた。




「ヤツと私の間には遺恨がある。それが理由かもしれん。しかし……」




 気になる。




(――もしかしたらさ。鬼子爬神はわざと咲姫と戦ったとか)




「どういう意味だ?」




(――いや、えーとさ、もしかしたら、咲姫を足止めしたかったとか)




「足止めだと? なんのためにだ」




(――あの影を逃がすため。更に言えば、あの影に宿主を見つけさせるため)




「それになんの意味があるのだ。例えそれがヤツの狙いだとしてもだ。影が宿主と同化すれば敵が増えることになるのだぞ」




(――意味なんて知るか。だけどそうじゃないと説明がつかない。

 爬神はなんで尻尾を咲姫に噛まれた後にすぐに姿を消したんだ? あれは深傷だけど致命傷じゃない。まだ戦えたはずだ)




「……むぅ」




 咲姫は唸った。確かに剛の言う通りである。あのとき正直助かったと思った。余力は爬神の方が残っていたからである。




「やはり確かめてみる必要が、あるな」




 咲姫はひとり頷いた。



 ――そのときだった。



 最初に口にしたのは剛だ。




(――ちょっと咲姫。なにか変だよ。これ絶対に)




「そうではない。今まで様子見していたのだ。今の私なら倒せると思ったのだろう」




 真っ赤な空に光りが走る。プラズマ放電だった。

 そして互いに融合しあって、ゆらゆらと地上へと舞い降りた。

 ヤクシャたちだった。




(――さっきまでは、咲姫と鬼子爬神がいたから出てこなかったってわけだ)




「そういうことだ。まったくいらぬ贈り物だ」




(――うはっ。確かにこんな引っ越し祝いは欲しくないね)




 ブオンッと地響きのような音がした。

 実体化した最初のヤクシャが、空気の固まりを飛ばしてきたのだ。




「甘いっ」




姫神は地を蹴り飛び越しざまに、かかとで頭頂部を蹴り上げた。




「ヴボボオォーンッ……」




 断末魔の叫び声をあげて一体が粉砕される。

 そして着地するとそのままの勢いで、もう一体に肩から激突した。

 そのヤクシャは不意をくらい仰向けに倒れる。そこへ左腕の爪を突き立てた。

 グシャと音がしてシャボン玉模様の人型が粉になる。




 即座に辺りを見回す。

 前方に九体。後方に十四体。

 だがこれは現在の数字だ。宙には無数のプラズマ放電が融合し始めている。時間が経てば経つほど不利になる。




「切りがない」




(――いったいどうなってたんだよ? この街に帰ってきてから、ヤクシャ、ヤクシャ、ヤクシャがうじゃうじゃ。こんなの初めてだよ)




「そうだな。だが倒すまでだ」




 ブオンッ、ブオンッとうなり音がした。咲姫めがけて空気の固まりが迫る。




「ちっ」




 地を蹴り、きわどいところでかわした。




(――えっ?)




 剛は思わず驚きの声を上げてしまった。今の姫神の避け方は、相当やばかったからである。




(――咲姫、大丈夫? ぎりぎりみたいだったけど)




「案ずるな。体力の消耗を最小限に抑えているだけだ」




 声に張りがない。力をかなりセーブしているのだろう。

 鬼立咲姫の姿ならこういうことは確かにあった。人にあらざる力を持っているとしても神ではないからだ。

 だが……、鬼子姫神のときは別だ。

 まごうことなき鬼神の力を持つ姫神にこんな鈍い動きはあり得ない。




「仕方ない。気を飛ばす」




(――無茶はやめろよ。体力使うんだから)




 剛の言葉に姫神は頷く。

 そして鬼子爬神は身の内から力を振り絞る。

 ゴゴゴッと音を立て大気が歪む。それだけで眼前のヤクシャが気の渦に巻き込まれ宙を舞う。




「ってえええええいぃ……っ!」




 気合いの一撃だった。大気が爆ぜて二十体ほどのヤクシャの人垣を飲み込み吹き飛ばす。その威力はまるで爆弾だ。

 だが、




(――ダメだ。距離があり過ぎるよ。端っこのヤツにまで届かない……)




 悲痛な声で剛が告げる。

 被害を出さず人目につかずのこの広い空間が災いした。

 姫神の気の爆発の必殺半径は約三十メートル。見通しのいいこの造成地では威力は拡散して半減してしまうのだ。




「ならばこちらから攻め寄るのみっ!」




 姫神は疾駆した。

 密集しているヤクシャの群れを狙って、そこで気を爆ぜる作戦に転じたのだ。




「ちいっっ……っ!」




 だが盛大な舌打ちをした。

 逃げ遅れた一体を蹴りつぶし、群れの中央へと到達したときだった。

 ヤクシャたちがサササッと波が引くように距離を置いたのだ。




「ならばっ」




 と再び地を蹴ると、そこでもヤクシャたちが引いてしまう。

 まるでライオンに追われたサバンナのヌーの群れだ。

 だが異なるのはこのウシの群れは弱者ではないことだ。去りながらもブオンッと空気の固まりを飛ばしてくる。




 手詰まりだった。




 姫神の力を持ってすれば、腕や足で一体一体をつぶすのは造作ない。

 だが今こうした瞬間にもプラズマどもは融合しあい、次々とヤクシャとして地に降り立っていた。

 つまりつぶすよりも増える方が速いのだ。




 しかも姫神は連戦に次ぐ連戦状態である。

 疲労は息を上がらせ、動きを鈍らせ、判断力を低下させる。




(……限界だな。咲姫、ここはいったん引こうよ)




 剛はそう判断した。

 機を見るに敏だ。ここは潮時と確信したのだ。

 だが、




「できないできないできないっ。それだけは絶対にできないっ」




 姫神は拒否した。そして振り向きざまに、背面に迫ったヤクシャの一体を手刀で砕く。




(――咲姫。冷静になれっ)




「イヤだイヤだイヤだっ。できない相談だっ」




 ブオンッと迫った攻撃を背面跳びでかわす。



 

「ここで引ける訳がない。今、私が引いたらどうなる?」




 長い髪が翻り風に舞った。




(――無茶だよ。逃げるのがそんなにイヤなのかよ。負けるよりずっといいよ)




 この状況はまさに多勢に無勢。

 いくら一騎当千の鬼神だとしても相手は無尽蔵なのだ。

 こんな状態では例え手負いじゃなくても勝てる訳がない。




「これはすでに私個人の問題ではないのだ。考えてみるのだ。

 今ここで私が引けば、ヤクシャたちは街へなだれ込むのだぞ」




(――っ!)




 姫神の言う通りだった。

 今ここに湖水見市中のヤクシャが集結していると言って間違いはないだろう。

 なにしろ鬼神を倒せる絶好の機会なのだ。




 だから今、姫神が撤退すれば街は瓦解する。

 つまり間接的に姫神は街を救っている状況なのであった。




 剛の脳裏には長良ながら希美のぞみが浮かぶ。

 今おそらく希美たちは、シェルターの中で地磁場現象が消滅するのを、息を潜めて待ち続けているのだ。




(――ごめん、咲姫。とにかく対策を考える)




 剛はそう答えた。

 だが状況は最悪だった。この瞬間にもヤクシャは増え続けている。

 剛は視界を巡らせる。起死回生のヒントのかけらを探しているのだ。




 ――そのときだった。

 視界の隅にキラリと光るなにかを見たのだ。




(――さ、咲姫っ。そ、空、空だっ!)




 この地と湖水見の街とを隔てている丘の雑木林の上に、あり得ないものがその姿を現したのだ。




「な、なにっ。……ヘリコプターだとっ?」




 逃げ遅れた群れの最後尾を背面から蹴り潰した姿勢で姫神が呻く。




 まず音が妙だった。

 距離は間近なのにパラパラパラッと聞こえるローター音が圧倒的に小さいのだ。

 それはなんらかの防音措置が取られているのは間違いないだろう。




 次にスタイルが奇怪だった。

 おそらく地上からの着弾を弾くためなのだろうが上部から底部に向かって細くなる逆三角形をしている。

 そして機体構造も変わっていた。

 防護板に思えるタイル状の金属板が機体にびっしりとはめ尽くされている。




 だがなによりもいちばんあり得ないのは、だった。




 この強地磁気影響下で飛べる航空機があると言う事実が剛と姫神を驚愕させた。

 あらゆる機器や装置が磁性化して暴走するのはもちろんだが、まずなによりもエンジンそのものが動かないはずだ。地磁気影響下ではシリンダーやシャフトが溶接でもしたように、がっちりと固まってしまうはずだからである。




 そしてそのヘリだった。

 グンッと高度を落とすと尾部を持ち上げ這うように蛇行し始めた。

 それは猛禽が地上の獲物を追う姿に似ている。圧倒的優位からの捕食行為。

 つまり戦闘体制に入ったのである。




「気、気象庁だとっ!」




 高速で接近する機体の側面文字を姫神の視力が捕らえた。




(――ま、まずいっ。咲姫、気武装隊きぶそうたいだっ……!)




 剛が叫んだ瞬間には、姫神は横っ飛びに地を蹴っていた。

 その勢いは己の受け身すら考慮せぬ緊急脱出である。




「ぐっ……」




 ズザザザザッと衝撃が来た。

 あまりの痛みに声が漏れる。側頭部から着地したのだ。

 だが姫神は瞬時に身を起こすと脱兎のごとく林の中に身を投じた。




 その瞬間、大地が沸き立った。




 ビリビリビリビリッと大気が悲鳴を上げた。

 大地が爆ぜ、人の背の数倍の高さまで猛煙があがる。

 耳を聾する轟音。まるで地面が噴火したような錯覚に陥る。




「なにごとだっ?」




(――わ、わかんないけど。たぶんあのヘリの武器……)




 剛の言葉は続かなかった。




「ヴボボオォーンッ……」




 と、辺り一帯から野太い断末魔が響き渡ったからである。




(――咲姫。これはもう戦いですらないね。圧倒的過ぎる)




 複雑な感情がこもった声で剛が告げた。

 そしてきっかり十秒後だった。大気を切り裂く音が止まり、静寂が辺りを支配した。

 そして更に十秒後、土煙に覆われていた視界が風のおかげで鮮明になる。




「……むぅ」




 姫神は思わず呻いた。半ば予想していたとは言え、これほどとは考えていなかったからである。




 圧倒的な面制圧だった。

 地表にある命あるすべてのものが消滅していた。

 無論ヤクシャが例外であるはずがない。




 これこそが気象庁特別武装隊の新兵器だった。

 秒間二百発の速度を誇る新鋭バルカン砲。それを機体前方下部に十二門。

 弾丸は強地磁気の干渉を一切受けない超硬質セラミックニードル弾。

 通常兵器が使用できないこの限定状況下における人類最強の武器だった。




 鬼子姫神は過去のしがらみが蘇り思わず唇を強く噛みしめる。牙が皮膚を破り流れた血液が顎を滴った。




 □ □




「機体のペイントはどうしようかね?」




 モニター越しに地上を見下ろす薬師寺やくしじ英子えいこがそう呟いた。

 極光オーロラの機体に描かれている星形の撃墜数のことだ。




「おおかた七十くらいですかね。目視なので確証ありませんが」




 操縦桿を握った機長の亜門あもんがそう答える。

 瞬時に屠ったヤクシャの数のことだ。




「そうかい? じゃあ適当にやっちゃっておくれよ。所詮雑魚の釣果なんだから、適当にさ」




 機内にフッとした含み笑いが広がる。

 それは余裕からくる笑いだった。

 この圧倒的な極光の武装、そしてそれを指揮する英子に対する信頼から来る余裕だ。




「なあ、あねさん。姫神ひじんって言うから確かに女の子だとは思っていたけど、ずいぶんかわいい子じゃないか。

 本当にいいのかい?」




 亜門大尉が横目で背後に仁王立ちしている白衣姿を見る。

 気象庁特別武装隊技術少佐。そして本日付をもって西東京方面隊総指揮官である薬師寺英子だった。




「見かけでごまかされるンじゃないよ。相手を誰だと思ってンだい。相手は鬼子姫神きしひじんなんだ。

 そんじょそこら鬼神じゃない。ヤクシャのようにはいかないさ」



 そしてニヤリと笑む。




「かまわない。全力でつぶす。じゃあないとこの極光を持ってしてもこっちがやられちまうよ」




 亜門はヒューと口笛を鳴らす。




「そいつは豪勢だ。相手にとって不足はありませんな。じゃあ、いっちょやりますか」




 亜門は操縦桿を一気に傾けた。

 すると極光はホバリングから逆落としに地に迫る。




 速い!

 見かけによらずのその機動は、対戦車ヘリのそれと酷似していた。だがそれを為し得ているのは、機長の腕によるものだ。




「姐さん。ホントにいいんスよね?」




 副長を務める火器担当の三十代の男が、視線を送ってきた。古葉こば昌幸まさゆき中尉というやせ形の生粋のヘリ搭乗員だ。

 ただし前職は海上自衛隊である。




「アタシがいいって言ったンだ。以後の責任はアタシが取る」




 古葉副長は親指をパチンと慣らして突き出した。

 英子も同じ動作で音を返す。




 このチーム、二十八歳の英子よりもすべて年上であった。しかも英子以外は荒くれ男ばかりだ。

 にも関わらず結成して数日だがすでに完璧にまとまっていた。




 機内のすべての搭乗員たちは実力本位の判断基準で英子が引き抜いた連中だったからだ。

 彼らはいわゆるエリートではない。すべて実戦たたき上げの連中だった。




「アタシは、頭でっかちは嫌いなンだよ」




 その一言が回答だった。

 理論よりも実践。

 相手が相手なのだ。


 出世のための経験値を欲しがるような者たちは書類選考の段階で容赦なく落とした。

 理由はシンプル。

 これは戦争だからだ。




「いちおう規則だからね」




 傾いだ機体の中で英子は微動だにせずに外部音声用マイクを手に取った。




「聞いてるかいっ? アタシだよ。降伏しな。そうすりゃ命までは取らないよ」




 □ □




 ビリビリビリビリッ。っと衝撃が来た。

 これは威嚇射撃だ。

 むろん英子が命じたのである。




 だが頭上の大枝が瞬時に木っ端になった。

 巻き添えを食らった無数の葉が宙に散り、辺りは闇夜のように暗くなる。

 だがその葉たちも地上へとは降り立つことはなかった。

 すべては直径二ミリのニードル弾に貫かれ四散した。




 だが地上はもっと凄惨だった。

 なにしろミリ単位の面制圧だ。

 幾年にも渡って落ち葉が蓄積された腐葉土が瞬時に沸き立つ。



 空から隙間なく槍が突き刺さったようなものだ。

 制圧下にある立木はすべて木片と化して物理的衝撃を受けるすべてのものは細々に分解されて粉となる。




 だがこの地獄にも例外があった。

 鬼子姫神である。

 威嚇射撃を事前に察知して雑木林の深部へといち早く跳躍していたのだ。




(――咲姫、これはちょっとマズイかも)




「わ、わかっている。薬師寺には返しきれない程の負の借りがあるのは事実だが、今の状況は……」




 圧倒的に不利である。




(――俺は撤退を進言する)




「くやしいが、……同意だ」




 鬼子姫神はすでに満身創痍である。さらに体力も限界に近づきつつある。

 そしていちばんの課題であった多数のヤクシャが消滅したのだ。

 だから今は無理に戦う必要はない。




(――森の中をずっと奥まで進もう。これだけ広い雑木林なんだから、上空から姿は見えないはずだし)




「同意だ。それに姿も鬼神のままでは見つかりやすい。貴様の姿に戻ろう」




 こうして元の剛の姿に戻り、起伏ある山中の奥へと進み始めた。

 この先に行けば住宅密集地へと到着する。そうすれば気武装隊にも、手出しはできない。




 □ □




「姐さん、完全にロストしました」



 機長の亜門がそう告げた。




「憎ったらしいったら、ありゃしないね。おそらく人間に姿を変えて逃走したンだろうね」




 英子が苦渋に満ちた顔で答える。




「人間? どういうことっスか?」




 副長の古葉が尋ねる。




「鬼神は人間を宿主としてるンだ。そうなったら、そう簡単には見つからないンだよ」




 極光に装備されたセンサーはあくまで対鬼神用である。

 つまり、人間を索敵することはできない。

 極光はあくまで鬼神退治を目的に作られた兵器だからである。




 湖水見市に地磁場警報が発令されてから、すでに二時間以上経過していた。

 極光が飛び立ったのはこの湖水見。

 本来ならば発令直後には到達できるはずだった。にも関わらず到着したのは、ついさっきである。

 それは英子の判断だった。英子が気象庁長官に直談判して無理やり出撃を遅らせたのだ。




「なにしろさ。こいつの稼働時間に、まだまだ問題があったンだ」




 英子は、機長の亜門の脇にある制御装置に視線を落とす。

 それはこの極光を最強たらしめている消磁機イレーサーであった。

 これに比べれば、鎧同然の機体装甲も、毎秒二百発のバルカン砲も、脇役に過ぎない。




 この極光の開発費のほとんどは、この装置に費やされた。

 これがなければ、この地磁場状況下での飛行など不可能なことから必要不可欠な装備であった。




「エコノミーモードで三十分。フルに使えば十分程度。……まだまだ実用にはほど遠い、ってとこだね」




「姐さん。あの娘はいいとして、他の鬼神はどうするんスか?」




 古葉が頬杖の姿勢で尋ねてくる。

 見るからに手持ち無沙汰だが、それも仕方がない。

 ニードル弾の残弾はすでに一回戦分を切っていたし、なによりも今回の主目標である鬼子姫神をすでに見失っているのだ。




「おいおい、姐さん。この湖水見はいったいどうなってんだ? さっき鬼子姫神と戦っていた鬼神以外にももう一体いたみたいじゃねえかよ」




 亜門が端末を操作しつつ英子を振り返る。

 どうやらこの機長は情報部から本部の親機のパスワードを盗み出しているようであった。




「この湖水見は異常なンだよ。

 ……まあ、いい。それよりも鬼子姫神の探索を急ぐよ。こんな山ン中で人間を見つけたら間違いなく鬼神の宿主に決まってンだからさ。

 ……って言ってるそばからかよ。……コンチクショー」




 ガツンと堅い音がした。

 その音の大きさに亜門も古葉も思わず身をすくめた。

 英子がハイヒールで金属床を蹴飛ばしたからである。




「な、なんなんだよ、こいつはっ。クソッ。背広組どもの縦割り行政ってヤツかっ」




 端末に割り込み表示されたメッセージを見て亜門も悪態をつく。

 そこには気武装隊への緊急帰還命令が、発令されていた。

 それは有無も言わせぬ絶対命令だった。




「姐さんの力でなんとかならないんスか? せめて十五分だけでも」




「無理だね。こればっかりはできない相談さ」




 副長の古葉の頼み事を英子は即座に却下した。




「相手が国交相の親父ならアタシもあの禿頭を蹴飛ばしてもなんとかできるさ。

 でもね、こういう状態になっちまったらアタシでも手も足も出ないンだ。

 防衛大臣や公安委員会は所属が違うンだ。……まったくアタマに来ンなっ」




 英子はモニタ越しに赤から青空に転ずる空を凝視した。

 澄み切ったすがすがしい空なのだが、英子たちには憎らしげに写る。




 途端に響き渡るサイレン。

 二時間以上この湖水見を支配した地磁場警報が解除されたのだ。




 英子が所属する気象庁特別武装隊。

 それは警察、消防、自衛隊をも超える強い権限を持っている。

 理由は地磁場現象は天文気象に属する災害として、気象庁の守備範囲だと内閣や政府が判断したからだ。




 だがそれは、あくまで地磁場警報が発令しているときだけだ。

 解除されたらその権利は、警察などの既存の機関に速やかに譲る決まりがある。

 それは例えば台風の接近情報などこそ気象庁が行うが、その後の台風直撃による大災害については気象庁になんの指揮権もないのと同じだ。

 つまり、今の英子たちには鬼神と戦う権利も捕獲する権限も一切なくなったのだ。




 極光は機首をぐるりと回頭させた。基地へ帰還するのである。




「姐さん。警察から連絡だ。湖水見こすみ市中央で二体の鬼神を発見したそうだ」




 亜門がレシーバーを耳に当てていた。地磁場が消滅し無線が使えるようになったのである。




「で、なんて言ってンだい?」




「一体はトカゲみたいな鬼神で警戒中の警官と接触した模様。ひとりの警官が襲われたようで意識不明になっちまったんだが、その後回復。そしてトカゲ鬼神は行方知れず」




「ふうん。で、もう一体はどうなったンだ?」




「よくわからんようだ」




「わからん、ってどういうことなンだい?」




「なんでも真っ黒な水たまりみたいなヤツだったらしい。追跡したんだが、それがいきなり消えた。どっかのバカが避難壕の扉を開けちまって、そこに飛び込んだんだが、そこでロストしたようだ」




「避難壕の中の民間人は? 無事なのかい?」




「みたいだな。負傷者はいないようだ」




「一応礼を言っておいてくれよ。わざわざ教えてくれたンだからさ」




 視界の隅で、亜門が向こうとやり取りしている様子が見えた。 



 

「姐さん。いったいどうしたんでしょうね? 警察のヤツらずいぶん好意的じゃないスか」




「皮肉のつもりなんだろ。アタシたちに対する嫌みさ」




 英子はチッと舌打ちをする。

 鬼神やヤクシャの群れと戦えるのは気武装隊だけだ。これは間違いない。

 だが警察と比べると圧倒的に劣る面があった。それは組織力である。




 出先機関を全国すべてに持ち、地域と密着している警察と少数精鋭の打撃部隊である気武装隊とは組織としての厚みが違うのだ。

 それが情報収集能力の差として、こうした形で現れる。




「姐さん。警察がこっちの鬼神の報告を求めてる。なんて答える?」




「逃げられた、って事実を伝えておいてくれ。当機の損害はなし。

 謎の鬼神に多大な有効打を与えたため目標は逃走、ってことにしてさ」




 鬼子姫神を警察の手に委ねる気は英子にはまったくなかった。

 これは役所の縄張り争いだけが理由ではない。

 英子いわく、




「ヤツらはまったくの素人なンだ。例え鬼神を捕らえても見慣れぬ珍獣でも拾ったときみたいに動物園にでも連れて行きかねない。でなけりゃ病院にでも閉じ込めて、尿と血液をにらめっこして首を傾げてお終いさ」




 と言うことになるらしい。




「鬼神ってのは生物学や医学じゃわかんないンだよ。いちばん近いのは電子工学さ」




 極光オーロラはすでに湖水見市街の上空に到達していた。

 眼下には長時間の拘束から解放された市民たちが避難壕からぞろぞろと出てくる様子とそれを誘導する警察官たちの姿が見えた。




「俺たちが、あのヤクシャの大群を仕留めなかったら今頃はどうなっていたんスかね?」




 副長の古葉が尋ねてきた。

 火器担当の彼は今はまったくすることがなくて、モニタをじっと見つめている。




「答えるまでもないね。街は壊滅さ。だから胸を張って帰還すればいいンだよ」




「それはそうなんスけどね。どうもすっきりしないっていうか」




 英子は無言で頷いた。 




「次の手は能動的に行こうと思ってンだよ。ま、バレたらアタシは頸だね。いや、それどこじゃないね。たぶん真下の連中が手錠を持って迎えに来るンだろうね」




 英子は眼下に目をやった。そこには警察官たちの姿があった。




「ぶっそうな話だな。いったいどんな手を使うんだ?」




 機長の亜門も気になって会話に参加してきた。




「なあにさ、ちょっと以前に仕掛けた罠を使ってみようと思ってンだ」




「罠?」




「ああ、罠さ。鬼子姫神がどうしてこの湖水見に今日に限って現れたンだい? これはアタシの仕掛けに引っかかったからだと思ってンだよ。

 それにね。アタシは待ってるだけの女じゃないンだ」




「なんスか? ずいぶん謎めいてますけど」




「それは次回のお楽しみさ。鳴かぬなら鳴かせて見せようホトトギスってね」

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