第5話 再会した幼馴染み。

 カフェの中はまるで砲撃の跡だった。

 四散したガラスと、かつてのテーブルの残骸ばかりが目についた。

 割れたガラスや壁材のジャリジャリとした足音をさせて咲姫は店内へと入る。



(――ひどいもんだね)



「ああ。だが人は生きている」



(――ひとつだけいい? なにを言われても怒ったらダメだよ)



「私は助けたのだ。感謝の言葉で怒りなどあり得ない」



 ヤクシャより強いと言っても咲姫は鬼ではない。

 戦いながらも再び店の中がヤクシャの標的にならぬように位置を計算していたのだ。



 店の奥。かつてカウンターだったそこに生存者は身を寄せて固まっていた。

 そこには店員と客の関係もなくただ震える子羊が群れているだけであった。



「ど、どうか、……い、命ばかりは」



 近づいてきた咲姫を見て、店長と思える蝶ネクタイ姿の三十代の男性が、両手を合わせて両膝をついた。

 咲姫はため息をつく。

 思い出した。そう言えばいつもこうだったのだ。助けてやったのに人間はいつも自分を畏怖する。



「バカなことをいうな。私が貴様になにをするというのだ」



 咲姫は思わず語気を強めた。声色は幼いから迫力はないはずだ。だが、



「ひいぃ」



 と、店員は手を合わせたまま土下座を繰り返す。

 声色がどうであろうとあの強さを見せつけられたのだから、どうあっても恐怖らしい。



「もういい。私は非常に不愉快だ」



 咲姫はプイッと膨れた。こうして見ると咲姫もただの少女だ。

 そのときだった。



「あの、ありがと。助けてくれたんだよね」



 女子高生の一団の中央からひとりの少女が立ち上がった。

 その少女は少女たちのリーダー格に見えた。その背丈は咲姫と同じくらいでこの年頃の少女では背が高い方だ。



「驚いたよ。あなた、とっても強いんだね。おまけに美人だし」



 女子高生は真夏のヒマワリのような笑顔を見せた。

 髪は肩までのショートヘアで、全身から活発そうな健康美が匂っている。

 そして咲姫に握手を求めてきた。それに応え手を差し出したものの咲姫は思わず下を見る。



(――どうしたの? まさか照れちゃったとか?)



「……うるさい」



 咲姫は小声で呟いた。

 まさに照れていた。自分を怖がらないだけでなく、お礼をいい、美人だと褒めてくれ、おまけに握手まで求めてきた人間は初めてだったからだ。



(――でもさ、俺もちょっと嬉しい)



「ああ。そうだな」



 咲姫もうれしかった。それは目の前の少女はもちろんだが、それ以上に剛が共感してくれたからだ。



「あのー。私さ、長良ながら希美のぞみって言うんだ。湖水見高校の一年生やってる。あなたは?」



 尋ねられ咲姫は視線をあげた。すると目の前に少女のまん丸な瞳があった。



(……あっ)



 思わず咲姫は目を見張る。

 いや、目を見張ったのは剛だ。直接的な視覚はないが咲姫と視線は共有している。



(……ながら、のぞみ? ……あの希美ちゃんか……!)



 驚いた。目の前の少女は幼い頃に隣に住んでいた少女だったからである。

 更に言えばたぶん初恋の相手だ。

 剛よりも背が高く、いつもはきはきとしていて、剛を引きづり回していた女の子だ。十年ぶりの再会はかくも衝撃的だった。



(……きれいになったな。それに大人っぽい)



 剛はまじまじと希美を見つめていた。

 だがいきなり視界が途絶えた。咲姫が目をつむったのである。そしてくるりと希美に背を向けた。



「わ、私は鬼立きりゅう咲姫さきだ。この街には着たばかりだ。

 そしていつまでいるかもわからない。次に地磁場警報が発令されたら今度は自分で自分の身を守れ。

 それとだ。私と関わるな。絶対に後悔する。……あばよ」



 こう告げると咲姫は店の外へと歩き出した。背後から希美が呼び止める声がする。



(――ちょ、ちょっと。いったいどうしたんだよ)



「不都合はない」



(――不都合だらけだよ。希美のぞみは俺と幼馴染みなんだ。もっといろいろ聞きたかったし)



「騒々しいぞ。そういうことは貴様の姿のときにしろ」



 咲姫はフンと鼻を鳴らすと風を切って歩き出した。



(――なに怒ってんだよ?)



「怒ってなんかない。ただ不機嫌なだけだ」



(――それを怒っているって言うんだよ)



「……もう貴様とはしゃべらん」



 通りは人っ子一人いない。ただいまも地磁場警報発令中だからだ。

 そう……、今も地磁場は乱れているのだ。



「なっ!」



 ブウウンッとうなりが襲ってきた。

 突然だった。咲姫はとっさに片手を地に着けてそれを支点に身を捩る。



 躱した。

 だが次弾が迫っていた。それも多数だった。



「ちっ!」



 咲姫は両の手と片足ずつを軸にしてその度に際どいところで避け続けた。

 だが数えて七度目の攻撃は避けられずアスファルトに叩きつけられた。

 直撃は免れたものの髪の毛ひと束とこめかみの皮を少し抉られた。鮮血が頬へと伝う。



 完全に包囲されていた。迂闊だった。剛との問答で気が動転していたのだ。



(――ごめん。咲姫。俺のせいだね)



「貴様のせいではない。私が油断しただけだ」



 咲姫は地を蹴って体勢を立て直す。

 ヤクシャたちにも知恵はある。

 ただ人間とは言語と理性が異なるだけだ。やつらは先ほどの戦いで咲姫が手強いとわかったとき、いったん退却し機会を窺っていたのである。そこへ咲姫がフラフラと迷い込んで罠にはまったのである。



 包囲の輪は狭まっていた。

 ヤクシャたちは四方八方から空気の固まりを飛ばしてくる。完璧な波状攻撃。強敵を前にしたオオカミたちが使う戦法だ。

 目視しただけでヤクシャたちの数は二十体を超えている。



「実際はそれ以上だな」



 この厚みのある攻撃は包囲網が一重ではないのが咲姫にはわかっていた。



(――咲姫、もういいよ。早く変身してよ。じゃないと咲姫がやられちゃうし)



「だが、そうすると貴様の幼なじみたちはどうなるのだ?」



(……!)



 剛は絶句した。

 変身した咲姫の能力は今の比ではない。戦いの最中さなかに巻き添えを与えない保証はないのだ。

 だが剛に迷いはなかった。



(――お、同じことだよ。

 ここで咲姫がやられちゃったら希美だけじゃない。あの店にいた人たちだけじゃなくて周り全部の建物に避難している人たちだってどうなるかわかんないし。だから……)



「わかった」



 二十一回目の攻撃をかわしたときだった。

 横倒しになっていた十トントレーラーを踏み台にして咲姫は信号機の上へと舞い降りた。

 そこへ八方からの密度濃い空気の固まりが迫った。動きを止めた咲姫にもはや直撃は免れない。



 そのとき咲姫が吠えた。



「あなどるなヤクシャども。私を鬼神と知っての狼藉かっ!」



 憤怒。

 長い頭髪が総毛立ち炎のように舞う。

 尖った耳は角を思わせ、あご先まで伸びた牙は獣のごとく、そしてゆっくりと開かれた五指の爪すべてがピキピキと音を放ちながら、猛禽のかぎ爪の様にへとその姿を変えたのである。その穂先はとがれた刀のごとく。

 そして、ガガーンッと気が爆ぜた。


 

 ――鬼子姫神(きしひじん)、降臨。



 まさに空気の爆発だった。

 鬼子姫神に迫っていたヤクシャたちの攻撃はことごとく爆発に巻き込まれて倍の速度で逆流したのだ。

 ただの一撃。

 それだけで勝負は決した。



「ヴボボオォーンッ……」



 断末魔の悲鳴が響き、すべてのヤクシャたちが粉となる。

 だが被害はそれだけではない。

 いや、それ以上に深刻だったのは建造物だった。

 姫神を中心とした半径三十メートルは修羅場だった。

 自動車も電柱も根こそぎ地面ごと抉られて鉄筋コンクリートの建造物は半壊していた。



「ふう」



 鬼子姫神は地へと降り立った。

 そして静かに目をつむる。すると牙もかぎ爪も元に戻った。鬼子姫神から鬼立咲姫へと身を変えたのだ。



 地磁場警報はまだ解除されない。辺りには濃厚な地磁気が漂っている。

 しかしヤクシャもその元となるプラズマ放電も姿を消したことで静寂に感じる。

 だが咲姫が姫神から姿を変えたのは敵が消滅したからだけではない。



(――鬼神の姿のままでいると別の鬼神を呼び寄せることになるんだっけ?)



「よく憶えていたな。その通りだ。鬼神は互いに覇を争っているのだ。

 それに今ではそれだけが理由ではない。例のたちに気づかれる」



(――気武装隊のヤツら、か)



「そういうことだ」



 咲姫は歩き出す。

 カフェの方角だった。足下に砂山のような固まりがあった。

 咲姫が踏むと風に舞った。ヤクシャたちのなれの果てだ。 



(――さっきは一撃だったね)



「ああ」



(――あのさ、前に聞いたけど、咲姫もヤクシャたちと同じ世界から来たのに、どうしてこうも力が違うのかな)



「以前にもにいったはずだ。鬼神はヤクシャたちの王だ。そして私も王のひとりだ。

 王と民とでは持つ力は違う」



(――暴君だね)



「そんなことはない。誰彼かまわず襲いかかるヤクシャの方がよっぽど悪質だ」



(――そりゃそうか)



「それにだ。剛のこの世界でも王と民は持てる力が違うぞ」



(――そうか? 人間にはこれほど力の差はないよ)



「いや違う。この世界にいる大統領や首相の方が私より強力だ。

 彼らが指揮する軍隊は、民はおろか国すらも簡単に滅ぼし支配できるではないか」



(――そういう意味か)



「そういう意味だ。彼らはむしろ私以上だ」




 カフェは爆心地から離れていたとはいえ、やはり被害甚大だった。

 先ほどまではかろうじて残っていた柱も今は折れ、建物自体がこちら側に傾いている。



(――希美たち、うまく避難してくれているといいけど)



「そう願う。だがこのビルはいつ圧壊しても、おかしくはないな」



 店内に入る。



「ひどい、な」



 咲姫は顔をしかめた。非常事態だったとは言え、己の力を改めて理解したのである。

 希美が握手を求めた店の奥、その壁がごっそりとなくなっていた。

 先ほどまであった壊れたテーブルやガラス片などが、きれいさっぱり消えていた。

 すべて爆風で崩れた壁から外へ飛び散ったのである。



(――咲姫……)



「剛。案ずるな。これは私の業だ。私の罪だ。私と関わった人間はいつも死ぬ。

 ……私は戦い続けなければならない。それが鬼神の宿命だからだ。そして戦う以上絶対に負けたくない。

 ……でもな、私は心のどこかで常に負けた方がいいのではないかとも思っているのだ。

 ……私が負けてヤクシャたち同様に砂となれば、少なくとも私が原因で死ぬ人間がそれ以降はいなくなる」



(――ねえ、咲姫)



「ん?」



(――咲姫と関わると、誰でも彼でも死ぬわけじゃないよ。少なくとも俺は死んでない)



「屁理屈をいうな。貴様は私と同化しているからだ。そうでなければまっさきに貴様が死んでいる」



(――そうさ、確かに俺は死んでいたはずだ。あのときの父さんや母さんと同じように……。

 だから俺は咲姫に感謝している。今、咲姫が変身したことで後悔しているのなら、足りないかもしれないけど改めていうよ。ありがとう)



 咲姫が顔を赤らめた。



「……やはり貴様とは契約すべきではなかった。

 貴様に礼を言われると、なぜだかわからないがどうにも調子が狂う」



 咲姫が剛と同化したのはちょうど十年前だった。

 剛の両親が巻き込まれて死んだある事件から咲姫は剛と生きてきた。

 剛がその後小学生、中学生、そして高校生と成長したように咲姫も幼い少女から年頃の少女へと姿を変えてきた。



 最初の頃、地磁場が乱れヤクシャが出現すると咲姫はすぐさま鬼子姫神へと変身を遂げ、己の力のままに暴れ回った。

 だがそれは鞘のない刀だった。

 敵はおろか抜き身に触れた周りの人、物をすべて巻き込んだ。

 それは未発達な肉体が力を制御できなかったこともある。だがそれ以上の原因が咲姫の心だった。



「私が生まれた世界は力がすべてだ。強い者が君臨し、弱い者を喰らう動物界と同じだ」



 ずっと昔、咲姫は剛にそう言った。

 だが成長するにつれて咲姫に変化が現れてきた。

 それは剛を通して人間社会というものを理解し始めたからであった。



 剛が学校に通い友人という存在を作り始めたことで、他者とは強弱では割り切れない関係もあるものだとわかり始めたからである。



(――ねえ、咲姫)



「なんだ?」



(――咲姫って希美と会ったことあったっけ? ないよね?)



「その通りだ。先ほどが初対面だ」



(――そうか。やっぱそうだったんだ。

 やっぱあの事件の後、俺はすぐにじいさんの家に引き取られたから希美とは会ってないんだよね。そうか。

 でもだとしたら変だよね)



「な、なにがいいたいのだ?」



(――いや、さ。なんで咲姫が希美のことを心配してこの場所に来たのかな、ってさ。

 確かに俺と希美は幼馴染みだけど、咲姫とは会ってないんだし)



「気になったのだ。あの女からはなにかを感じた」



(――なにか?)



「そうだ。貴様と初めて出会ったときに感じたものと似ているかもしれない。

 それが気になってここに戻ってきた。……だが後の祭りだ」



(――そうか……。でも仕方ないよ。俺も忘れることにするから咲姫も忘れようよ)



 剛の声は力がこもっていた。

 咲姫は思う。剛は自分を励まそうと強がっているのだ。



 剛は他の人間が戦いに巻き込まれると、いつも悲しそうだった。

 初めの頃はそれでよく咲姫と対立した。



 咲姫にも言い分はあった。咲姫の敵はいつもヤクシャで被害にあった人間を狙った訳ではないからだ。

 だが剛に辛抱強く説得され続けるうちに咲姫は変わった。

 だから反省した。極力被害は押さえた。しかし、それでも時には他人を巻き込む。



「仕方ないよ。咲姫の責任じゃない。咲姫はできるだけ努力したんだし」



 戦いの後、落ち込んで不機嫌になった咲姫に剛はそう言ってくれた。だから咲姫も仕方ないと思うようにした。

 だが、今回は違った。

 巻き込まれた希美は剛がよく知る人物だった。だから本当は違うに違いない。剛は悲しくてどうしようもないのに自分を励ましてくれるのだ。



「……やはり前言撤回だ。貴様と契約してよかった」



(……へ?)



「なんでもない。ひとりごとだ」



 咲姫はうつむいてそっぽを向く。だが次の瞬間身構えた。



「だ、誰だ」



 厨房の方角だった。かすかにカタンと音がしたのである。



「ほら、私の正解でしょ。やっぱり咲姫ちゃんだった」



 驚いた。希美だった。

 希美が床板を開けて笑顔を見せたのだ。そしてその後から他の女子高生や店員たちも姿を現した。だが、真から笑っているのは希美だけだ。その他も笑ってはいるがだいぶ顔が引きつっている。



「よく無事だったな」



「自分の身は自分で守れ、ってさっき咲姫ちゃんがいったじゃない。

 だから、私ぴーんと来たの。

 ああ、これは咲姫ちゃんがまた私たちのために戦ってくれるってことだとね。だからさ、私は考えたんだ」



「なにをだ?」



 咲姫は希美に尋ねた。

 咲姫が店を出たのは、なにも希美たちのために再び戦うためではない。結果的にそうなっただけだ。



「うん。ヤクシャたちが空気の固まりを飛ばしてくるのはわかったから地下に潜れば身を守れるかな、って。

 だからお店の人に尋ねたら、お店の地下が簡易避難所になっているって言うから」



 そこへ避難したと言うのである。



「貴様は利発だな。おまけに判断力もいい」



(――え? 珍しい)



「……うるさい」



 咲姫が小声で言う。剛は驚いたのだ。咲姫が他人を褒めるのは珍しい。



「しかし、どうにかした方がいいな。この建物はいつまで持つかわからないぞ」



「うん大丈夫」



 希美は答える。



「この地下にさ、伝声管があったんだ。

 それで連絡を取ったら隣のブロックの避難壕にまだ余裕があるんだって、だからそこに行くつもり」



「わかった。地磁場警報はまだ発令中だが、ここにとどまるよりはそちらに向かった方が安全だろう。

 それに今ならヤクシャたちはいない」



「さっすがあ、咲姫ちゃんがぜんぶ倒したんだ」



 いきなり希美が抱きついてきた。だがすぐに離れた。

 感謝のつもりらしい。

 しかし咲姫はなにがなんだかわからずに目をぱちくりとさせていたが、やがて真っ赤になる。



「いいから早く行け。貴様と話していると調子が狂う。それにだ、なぜ貴様は私を恐れないのだ?」



「んーとね。なんだろうね。たぶんアレっしょ。頭がいいやつがいる。スポーツが得意なやつもいる。 

 だから美人でケンカが強いやつがいてもいいじゃない、ってこと」



 と、いって希美がいきなり拳を繰り出した。

 ただの少女にしてはキレがあった。だが相手は咲姫だ。なんの苦もなく手のひらで受け止める。

 パチンとした乾いたいい音がした。



「ん。さすがね。私のパンチを瞬きひとつもしないで見極めるなんてさ」



 といって希美は、かははと笑った。

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