第4話 ヤクシャと呼ばれる夜叉たち
立場代わって高田と重田の二人の警官なのだが、突然の衝撃で吹っ飛ばされたのは剛と同じだった。
だが、未だなにが起こったのか理解できない様子で尻餅をついたままの姿勢であった。そして唖然として呟く。
「……な、なんだアレ? もしかしてアレか?」
そこに異形の者がいた。背後の剛のことではない。それは正面に立っていた。
ヴボボオォーンッとそれが発した唸り声が空気をビリビリと共鳴させる。背丈輪郭は人間。直立歩行で腕が二本。
だが人に似ているのはそこまでだった。身体の輪郭はおぼろげで頭髪はなく目鼻口もない。だから男か女かもわからない。
身体の色は赤色系がベースに見えるのだが、向こうの景色がかすかに透けて見える半透明。
つまり実体が伴わない。
おまけに光が反射している部分は虹色にヌルヌル蠢いている。その様子は例えて言えばシャボン玉だった。うすい膜を持つシャボン玉が人型になって動いているというのがわかりやすい。
「そうだよ。アレだよ。……ヤ、ヤクシャだ。とうとうこの街にも現れやがったんだ」
警官たちは互いに顔を見合わせた。
「あ、あれがヤクシャ……」
高田と重田の二人の警官にとっては、初めての生の接触だった。
原因不明の地磁場現象。
地磁場が乱れ、空は深紅に染まり、青紫のプラズマ放電が飛び交い、手当たり次第に金属類を強磁性化させてしまうことは単なる前座だ。
強度の地磁場の乱れは異世界への扉の出現であった。
そして扉が開かれたとき真の混沌が姿を現す。それがヤクシャだった。ヤクシャとは夜叉のこと。つまり鬼である。話し合いも妥協も一切拒絶。あるのは破壊と殺戮。まさに鬼の所行である。
「キャーっ!」
チェーン店のカフェは恐慌状態だった。
ドスンドスンと見えない空気の固まりが、店内のガラスを、テーブルを、カウンターを、食器を、そして客をなぎ倒す。
ヤクシャ自身の動きはかなり緩慢だ。だが、かすかに透ける両腕をユラリユラリとくねらせて発射させる空気の固まりはブルドーザーの突撃並の破壊力を持っていた。
そして周囲からはバシュッ、バシュッとくぐもった音がした。
小太り警官の重田がヤクシャに向けて容赦なく銃を連射していたのだ。
それは強化プラスチック製の大型ガス銃だった。スタイルは銃身を切り詰めたショットガンに似ている。これは高圧ガスの力でセラミック製の弾丸を発射する地磁場地帯限定の武装である。原理は素人が買えるエアガンと同じだが破壊力は桁違いだ。なにしろ国家が認めた武器なのだ。
だが、制圧できない。
距離が離れているので確かに命中弾は少ない。しかし原因はそれ以前の問題だった。
ヤクシャは空気の固まりを飛ばしてくるのだ。
そのことで弾道が逸れ、鉄より固い超硬質セラミックは跳弾となってむなしく周囲のコンクリを削りまくる。
「ク、クソっ。お前は『
『気武装隊』とは
そして自分はカフェ客の避難誘導を行うと言いたかったのだろう。重田はそのことを相棒に告げるために脇見をした瞬間、身体を道路向こうまでゴム鞠のように吹っ飛ばされた。むろんヤクシャの攻撃だ。
だが、もうひとりの高身長の高田は冷静だった。
やみくもに仲間の救出に向かうのではなく、中腰でパトカーへと向かっていた。
彼らが全身に身につけているハイブリッド素材の対地磁気プロテクターは、とんでもない強度を持つ。時速五十キロの自動車が直撃しても、かすり傷程度しか衝撃はない。
その証拠に吹っ飛ばされた重田は、頭を振りつつも立ち上がった。だが茫然自失状態だ。
そして無事な高田はパトカーにたどり着くと、助手席からシールドされた太いケーブルをずるずると引きずり出した。有線での非常通信だった。この強地磁気では無線は一切使えないからだ。
そして公衆電話の緊急通信用プラグへ差し込もうとした瞬間だった。ガガンっと堅い音がして持っているケーブルに手応えがなくなったのだ。
「な、なにっ!」
頭上を巨大な影が通り過ぎた。驚いたことにその黒い影は手にしたケーブルと繋がっていた。
パトロールカーだった。
金属を極力減らし結果的に1トンを切った軽量車体が災いした。ヤクシャの一撃をまともに喰らって吹き飛んだのだ。
パトカーは地にガガンっと激突した。その瞬間ケーブルはブツリと切れ、車体はセラミックフレームをぐにゃりと曲げて二転三転してベチャリと潰れた。
ヤクシャがもう一体増えていたのだ。いや、その向こうにもシャボン玉模様の人型がいくつも蠢いている。
「……ああ」
高田はがっくりと肩を落とした。
新たなヤクシャの一撃で相棒の小太りの重田がまたもや道路向こうに飛ばされて失神でもしたのか動かなくなってしまったのが目に入ったからだ。
それだけではない。ヤクシャはその後も増え続けた。
飛び交っていたプラズマ放電が互いに身を寄せ固まって雪のように宙からユラユラと舞い降りて地についたとき、ヤクシャへと変わるのである。そしてムクムクと身を起こすと、歪んだ空気の固まりを砲弾のようにまき散らすのだ。
自分たちの武力では、この地の治安は守れない。
頼みの綱の気武装隊には連絡手段がない。
カフェの中の民間人を、救えない。
……だとしたら、せめて。……そこで彼は忘れていたことを思い出した。
「き、君。逃げろ!」
振り返った。そこには先ほど職務質問した少年がいたはずだった。剛のことである。
だが、いなかった。
もはやすでにヤクシャどもに……、と首をぐるりと巡らせたが、地に倒れた姿も見つからない。
――そのときだった。
「そこの官憲。避けるのだっ……!」
叫び声がした。背後からだ。若い女の声だった。
「……な、なにっ? おい、君っ!」
ブウンっ、と風を切ってなにがが迫った。
バスンッと衝撃がきて高田はねっとりと生暖かいシャボン玉模様に巻き込まれて宙へと舞い上がる。ヤクシャと激突したのだ。そして頭から地に落ち気を失った。
だがその寸前に見えたのは、長い髪を翻す半袖と濃紺膝丈のショートパンツ姿の背の高い少女だった。驚いたことに高田と衝突したヤクシャは少女が投げ飛ばしたのであった。
半袖膝丈パンツは言い過ぎであった。着衣は男子高生の夏服だ。
この少女は元の男よりも十センチ以上背が高い。確かにつんつるてんではあるが、せめて七分丈袖で膝下パンツといった方がしっくりくる。
しかしサイズはやはり小さめで、ぴっちりと身体のラインが露わになり、少女のそれほど豊かでない胸でもシャツのボタンは弾けそうになっていた。
「だから着替えたいといったのだ。……ま、いい。予期せぬ損傷が一か。だが素人ではない」
少女は包囲を始めたヤクシャたちに身構えながら、失神した背が高い警官を見てつぶやいた。
「標的は多数。地磁場の乱れは継続中……か。剛、こうなったら手加減はせぬぞ」
再び少女はひとり呟く。
乱れ飛ぶ空気の固まりの中で長い髪を翻弄させるその姿。新雪のような肌に深紅の唇が際だつ。
――
(――ちょ、ちょっと待った。ヤクシャ相手に鬼神はダメだよ。強力すぎるし)
頭の中で声がした。剛だ。
地磁場現象が発生し咲姫が表に出てきたとき、剛の身体と魂はその身の内側へと姿を隠す。
誰にも知られず神出鬼没を信条とする鬼立咲姫の能力だ。
「無論だ。鶏相手に牛刀を使うほど私も愚かではないぞ」
そして唇の端を引き締めた。楽しんでいるのだ。
「ヴボボオォーンッ」
新たな一体が迫ってきた。
「遅いっ!」
振り返った咲姫は、ぬるりと光る虹色の顔部に左腕を叩き込む。
「くっ」
ガツンと音がした。
ヤクシャの身体は意外と硬い。その強度は美術室の石膏像ほどもある。シャボン玉なのは見た目だけだ。
だがその堅さにヒビが入った。
ピシリと割れ目が生まれたとたんそのヒビは虹色の全身へと広がり網目模様ができあがった。
「グボッボッ!」
ヤクシャは苦悶の声をあげた。
そして見る見る間に頭部から砕け始め、やがてその残骸は飛び交う空気の固まりにサラサラと粉雪のように舞い上がる。
「まず一体」
(――やったね)
「でもない。傷を受けた」
左拳の先から糸のように一筋の血が流れていた。
ヤクシャの顔に叩き込んだときわずかに力点が逸れたからだ。人ならざる存在である咲姫でさえ真芯を外すとこうなる。
「久しぶりで身体がなまった。血を流すなどあの天気屋連中と一戦交えた以来だ」
咲姫はペロリとなめた。自分への戒めのその味は錆びた鉄だった。
その直後だった。
ブオンッ、ブオンッと大気がうなった。
前と後ろからほとんど同時に空気の固まりが迫ってきた。暴れ回っていたヤクシャたちがその目標を咲姫へと切り替えたのだ。
「てやっーーーっ!」
一瞬屈んだ咲姫は気合いを発して地を蹴った。
そしてその直後、咲姫がいた地点にヤクシャたちが放った空気と空気が激突した。ガガンッと衝撃音がして地が震える。まるで局地地震だ。
哀れだったのはその場に居合わせた郵便ポストだった。
1トンの自動車を吹き飛ばす強烈なプレスを左右からくらったのだ。それは完全に、のしイカのごとく平べったくなっていた。
地に着いた咲姫は、そののしイカからはがれ飛んだスクーターを小脇に抱える。
そこへブオンッと衝撃がきた。ヤクシャたちの第二弾である。
「ぬうっ」
身をよじった咲姫はスクーターの前輪を右手に持ち直す。そして投げた。
ブウウウンッと風を切るスクーターは空気の固まりにまともに飛び込んだ。
そして突き抜けた。
当たり前だ。空気とスクーターでは質量が初めから違いすぎる。
グシャッと音がした。ヤクシャがつぶれた音だった。
八十キロ近い物質が直撃したのだ。石膏像並の強度ではひとたまりもない。
もう一体の第二弾も咲姫には当たらなかった。
姿が見えぬ気体だとして風切り音がある。まして単発。人外の能力を持つ咲姫にとって躱すのは容易い。
そしてもう一体ヤクシャが砕けた。第三弾を咲姫にかわされた直後、通学靴の踵を頭頂部に落とされたのだ。
「ふう」
咲姫はヤクシャの頭から胸元まで蹴り裂いた足を地に降ろす。
振り返ると他のヤクシャたちの姿がなかった。異世界に帰ったとは考えにくい。地磁場現象はまだ消滅していないからだ。
「だとすると……」
咲姫は首を振る。
(――なに?)
「いや、なんでもない。私の考え違いだ。きっと」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます