第3話 地磁場現象

 湖水見市メインストリートはその景色を一変していた。



 見上げる空は血のように赤く、無数の飛び交う紫色のプラズマ放電は悪意を持った人魂のようにあらゆる金属に触れその特性を変える。



「うはっ……!」



 剛は瞬時に屈んだ。突然目の前の放置されたスクーターが唸りを上げて路肩の真っ赤な郵便ポストに激突した。



 ガガンッと激しい音がする。

 そしてそのまま張り付いてしまった。カラカラと車輪が空回りを三分の二周ほどすると、やがてぴたりと停止する。こうなるとがっちりと固まってもはや梃子でも動かない。



 強力な磁性を帯びた物質の結合。

 まさに磁石と磁石のなせる業だった。スクーターも郵便ポストも減地磁気マークが表示されているが、その安全は絶対ではなかった。程度の軽い地磁場現象なら効果を発揮したかもしれないが今回は違った。



「ほ、本気ですか?」



 唖然とした。信号機脇に表示された地磁気計は磁度五を示している。かなり強烈な地磁場現象だ。こうなると固定してない金属は、かなりヤバい。



「うはっ」



 剛は首をすくめる。ヒュンとうなりを上げて頭上を飛んでいったのは誰かが落としたカメラかスマートフォン。



「やばいぞ。……これは出るぞ。咲姫、準備は?」



(――望むなら、今でも)



「いや、ここはまずいって。人目がつかない場所じゃないと。……うはっ」



 今度はマジでやばかった。駐輪場から自転車が束になって飛んできた。そして歩道の立木にぶつかるとそこをたまり場にしてガチャンガチャンと合体した。幾重にも重なった見上げるほどの自転車の固まり。それはシュールな前衛アートとも言えなくはない。




 ――今から十年ほど前から全世界的に突然起こった地磁場現象ちじばげんしょう




 局地的に地場が乱れ観測不能なほどにあらゆる周波数の電磁波が爆発のように溢れ出す。そしてあらゆる金属を強磁性へと変化させる新種の大災害であった。



 ――原因は不明。



 人類が未だかつてなく遭遇した天災である。



 死に至る伝染病のような直接的な脅威こそないものの、それが与える社会的影響は中世ヨーロッパを恐怖のどん底に突き通した黒死病ペストと等しい。



 だが対策はもちろん始められていて、大都市の一部では街ぐるみで脱金属宣言がされた。



 そしてその結果、絶対に磁性化することのないプラスチックや複合素材を使った建材や素材が建築物や自動車や家電に徐々に普及し始めているが、まだ始まったばかりである。



 そしてこの地方都市である湖水見市も、もちろんまだ無防備だった。


 全世界のほとんどがそうであるように警報が発令されると人々は自動車やスマートフォンなどの文明の利器を捨て、シールドされた空間へと避難せざるを得ないのであった。



(――地磁気が濃くなってきた)



「だね。だとすると、そろそろまずいのかな?」



(――お前にとってまずくても、私にとってはまずくない)



「うん、確かにそうなんだけど……」



 剛は辺りをうかがう。



 ……まずい、逃げ遅れた。



 メインストリートにはもはや人影はほとんど見えない。

 だが、だからといってそれが安心とは言えない。シェルターに避難した人々はごく一部であり、他のほとんどは建物の中から外を窺っているのだ。つまり人目につくのである。



 そんなときサイレンが聞こえてきた。やっと警察が登場したのだ。



(――姿を隠した方が、いいのではないのか?)



「そ、そうだね。でもどこへ?」



(――誰にも姿が見られない場所がいい。更に要求していいならできれば着替えたい。その荷物の中に、私の着替えはあるんだろう?)



「あるけど。でも、そんな都合がいい場所なんてあるわけないじゃん」



(――探すのだ)



「無理」



(――ならば見られてしまうぞ)



「それは困る。俺はまともな人間として生きたいから」



 半径五十メートル以内に人の姿がないことをいいことに、剛は咲姫とひとり問答を繰り返す。



 だがそれもお終いだった。角を曲がり白黒ツートンカラーのパトロールカーが、その姿を見せたからだ。



 濃厚な地磁気現象の中、辺りに動くものの気配がまったくない世界で、パトカーは悠々とその姿を剛に見せつける。むろん公安関係は最優先で防地磁気対策がされていることから、機械の暴走の兆しが見えない。



 そしてパトカーはいきなり速度を落とし停車した。原因は剛だった。この事態にも関わらず、避難もしなければプロテクターも装着していないアホウが目についたのである。



「そこの少年。止まりなさい」



 告げられた。わ、……やば。



(――どうするのだ?)



「逃げる? でも下手に逃げると怪しまれるし、荷物は重いし」



(――だから私はさっき逃げろと言ったのだ)



「そりゃそうだけどさ。別に俺自身は避難することないから、つい、ね」



 なんとも歯切れが悪い返事である。

 だがそれもそのはずだった。剛はある意味特異体質なのだ。十年前のある事件をきっかけにして以来、地磁場現象に対して完全なる免疫を持っているのだ。

 だがそのことは他人には絶対に知られたくない。



「そこの君。君は避難しないのか?」



「見たところプロテクターもしていない。スマートフォンや腕時計のスイッチは切ったのか? 知ってると思うが、まだならすぐにした方がいい」



 パトカーから降りてきた警察官が口々に剛に告げる。もちろん防地磁気対策が完璧に施されたプロテクターを全身に装着していた。



 それが歩くたびにガシャンガシャンと音がする。その姿はまるでアメリカ映画のロボコップだ。ただし素材は完全非磁性超硬質セラミックと超強化プラスチック製である。



 警察官は一方はやせて背が高く、一方は小太りの二人組だった。胸の警察カードを見ると背が高い方が高田たかだ。小太りは重田しげたと言うらしい。



「えと、この街は久しぶりなんで逃げ遅れただけです」



 嘘ではない。

 だがその凸凹コンビの警官たちは剛の返答よりも存在そのものに興味を持ったらしい。目の前のこの小柄な少年が、この赤い空、飛び交うプラズマ放電、あらゆる金属が磁性化したこの状況で、なぜ、無事なのか、に好奇心が刺激されたのだ。



 その証拠に、



「君、名前と住所は?」



「見たことのない制服だな。どこの高校の生徒だ?」



 と、身辺調査へと質問が移ったからであった。



 頭の中でため息が聞こえた。もちろん咲姫だ。



(――こいつらに答える義務はないと言え。……まったく自分たちの立場がわからないヤツらだ)



「バカなこと言うなよ」



 そんなことできるわけないじゃないか。そう思った。



 だがなんとかしないと本格的にやばくなる。たぶんあと少しで鬼立咲姫が姿を現すかもしれないのだ。いや、それ以上の存在が、だ。



「な、なに? 見た目と違ってずいぶんと反抗的だな」



「……君はちょっとパトカーに来てくれないか。家出少年の可能性もある。場合によっては親御さんか学校の先生に問い合わせなくては、ならないかもしれないよ」



 焦った。これは間違いなく誤解だ。剛が答えた相手は咲姫なのだ。だがそれを説明することは絶対にできない。



「ちょ、ちょっと待ってください。ボクは別にあやしい者じゃ……」



 無駄な弁明だった。剛は警官たちに両腕をがっちりと固められてしまった。



(――安心しろ。もう少しの辛抱だ)



「な、なにが?」



(――簡単なことだ。私の力を使う。まずすべての歯をへし折る。そしてあごを砕く。

 そしてのどをつぶす。それで足りないのならば舌を引き抜いて最後にはなにも考えられないように脳みそを握りつぶして見せよう。

 そうすればつまらん言葉は二度と言わなくなるぞ)



「冗談に聞こえないよ」



(――冗談ではない。本気だ)



「マジにやめろって、このバカ」



 剛の言葉に両脇の警官たちは目を丸くする。



「な、なにっ?」



「ちょっと君、いったい君は……!」



 そして怪訝かつ一歩引き気味な視線を剛に送った。そして苦笑する。ひとりでぶつぶつつぶやくこの小柄な少年がまともじゃないと思ったからである。



(――あはは)



 脳内で咲姫が笑う。やられた。剛はチッと舌打ちする。



 最近の咲姫は剛をからかうようになっていた。基本的に朴念仁なのは変わらないのだが、ときおり冗談をいうようになってきたのだ。それはこの人の世に順応してきたことなのだから悪いことではない、と剛は思う。

 だが時と場所だけは選んで欲しい。


 

 ――そのときだった。



「キャー……!」



 と、いう悲鳴とガシャーンというガラスが割れる音が同時に聞こえてきた。



「なっ! ……ぐはっ」



 いきなりだった。剛たちは背後からどすんと押されてアスファルトの上に転がされた。見えない空気の固まりが押し寄せてきたのだ。



「ご登場かよっ。……し、仕方ねえな。咲姫出られる?」



(――無論だ)



 ゴロゴロと転がった勢いのまま姿勢を立て直した剛は片膝をついた。



「くうっ」



 そして呻いた。身体の芯にやけどするほどの熱源が生まれた感じだ。全身から吹き出した汗が瞬時に蒸発しもうもうと湯気が立ち上った。



「ぬうっ」



 そして脳天からつま先まで鋼の堅さで筋肉が波打ち躍動する。人の限界をはるかに超えた力がみなぎったのである。

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