第2話 十年後。薬師寺英子と気象庁特別武装隊「極光」、そして湖水見市。

 そして同じ空間の同じ場所の十年後。



 真っ暗な空間にカツカツとしたハイヒールの堅い靴音が響いた。

 音はこだまとなって反響する。それだけでもこの空間がかなり広いことがわかる。やがてセンサーが反応した。そして天井の照明が次々と灯されて一転真夏の昼下がりのような明るさになる。



 その広さ高さはドーム球場よりも大きい。だがこれは人工の空間ではない。天然の地下空洞なのである。

 ハイヒールが止まった。



 技術少佐の襟章をつけた女性がニヤリと笑う。こげ茶色の制服の上に袖を通しただけの長い白衣姿が妙に似合っていた。そして両手をメガホンのようにして叫ぶ。



「おめえさんたちよ。中止だ。中止になったんだよ。おいこら、聞いてンのかいっ?」



 返事はなかった。

 部下たちはみな目の前に鎮座する堅い金属の中に籠もっているようだった。



 はあ、とため息をついてこの女少佐殿はガシガシと頭を掻き毟る。その頭髪は昨夜も帰宅できずに施設の机で仮眠したため側頭部にピンと跳ねた寝癖があった。



「ったくよっ」



 この女性、素材としては妙齢の美人である。だが化粧っ気がまったくないこの士官は、チッと舌打ちをして、めんどくさそうに歩を進めた。



 この女、名は薬師寺やくしじ英子えいこと言う。

 生まれも育ちもチャキチャキの先祖代々江戸っ子である。遠い祖先は徳川将軍に仕えた厳格な武士だったらしいのだが、この本人は蓮っ葉な町人風の姉御肌で面倒見はいいが口が悪くおまけに人使いも荒い。



 ここは格納庫だった。

 巨大な地下空洞中央に大型の奇妙なスタイルをしたヘリコプターがあった。二つの回転ローターが機体の両脇に張り出しているのも見慣れぬが、それ以上に特徴的なのは機体そのものだった。



 まず窓が小さい。

 パイロットが座る前方部に小さく二つ、前方下部に二つ、側面にそれぞれひとつずつと覗き穴程度のサイズのものがあるだけだった。まずこれだけで航空機としてはあり得ない構造からこの機体が特殊な目的で造られたというのがわかる。



 そして機体である。

 機体は上部から下部に行くに従って細くなると言う逆三角形型で、ぱっと見は船体のような印象である。居住性を無視して地上からの攻撃による被弾面積をできるだけ減らした構造であった。



 更に機体表面が異常だ。

 機動性や燃費を考慮してできるだけ軽量に造られるのが空飛ぶ機械の常なのだが、この機体は表面に分厚いタイル状の金属板がびっしりと貼られていた。まるで装甲板のようである。



 だがそれは間違いではなかった。本来の目的は別にあるのだが結果的に地上からの攻撃を軽減させる効果も併せ持っていたのである。



 この機体の構想は今より十年前から存在した。

 だが当時、限定され過ぎた使用用途だけでなくあまりにも高額な製造費用に国会が製造を拒否した。

 だがその後に突如起こった異常災害がこの機体を認可した。人ならざる者たちと戦える唯一ともいえる手段だったからだ。



 それがこの十五試強襲機「極光オーロラ」であった。



 空飛ぶ装甲フライングアーマーの異名を持ち、試作を含めても全世界に三機とない地磁場現象時における唯一かつ絶対的な戦闘力を持つ人類の切り札だった。



「おいこらっ、これなら聞こえンだろうが!」



 英子はハイヒールのかかと部分で機体をガンガン叩いた。確かに乱暴な英子らしい所作ではあるが、その蹴り方には一定の法則があった。



 それは今ではめったに使われないモールス信号で肉声では返答せぬ部下たちに身体を使って機内にメッセージを送っていたのである。タイトスカートからすらりと伸びた真っ白なその生足が眩しい。



「な、なんだよ。誰かと思えばあねさんかよ」



 ガタンと音がして機体の一部が開いた。

 機体上部に設けられたハッチから機長が顔を出したのである。刈り上げた短髪で引き締まった四角いあごを持つ四十代前半の分厚い胸板の男だった。襟章には大尉の階級がある。



 この男は亜門あもん清嗣きよつぐと言う。

 元は航空隊幹部学校の教官だったのだが組織改編でこの組織に引き抜かれたのである。本人は事務仕事に嫌気がさしていたことから大空への復帰に即座に応じたのであった。



「で、姐さん。なんでまた訓練飛行が中止になったんだ? 本部から警報が出されそうなんだろう?」



 モールス信号を理解したのだ。手にしたスパナで頬の無精ひげをゴリゴリと掻きながら言う。



 亜門は未明からの待機時にも関わらず極光オーロラを整備し続けていたのだ。開発段階の特殊機材や特殊素材が多いことから海自のイージス艦並に費用がかさむこの極光試作初号機は、とにかく故障が多かった。動かすそばからどこかが壊れるのだ。



「アタシが中止を進言したンだよ」



 英子は胸ポケットから四つ折りの紙片を取り出した。

 それは政府公式の書面だった。英子はそれをポイッと投げて亜門へと渡す。それを見た亜門がヒューと口笛を鳴らした。



「おいおい、国土交通大臣閣下の署名捺印入りかよ。しかもコイツの使用目的が空欄だ。これってこの極光をどうにでも使っていいってことだよな。……なあ、前から一度訊きたかったんだけど姐さんって何者なんだ?」



「アタシかい? アタシは単なる偏執狂さ。この世界にやってくるヤツらがただ嫌いなだけだ」



 英子はニヤリと笑むと【気象庁】の文字がペイントされた極光の機体を右手でバンと叩いた。

 そこには星形のマークが多数描かれていた。



 数えると十七個ほどが白ペンキで小さく星形にペイントされている。それらはすべて異世界からの招かざれる訪問者を屠った数だった。つまりは撃墜数と言う訳だ。



「まあいい。訳有りってことはわかった。で、姐さんはこの極光を使って、どこへ空の旅をしようと考えてんだい?」



 亜門が尋ねる。



湖水見こすみへね。飛ぼうと思ってンだよ」



「湖水見? 湖水見市ってこの真上じゃねえか。この街にこれからいったいなにが起こるんだ?」



 亜門の問いに英子はニヤリと笑んだ。



「おい、機内にいるお前さんたちも聞いておけ」



 そして英子は生足で再び機体をガンガンと蹴った。中にいる搭乗員たちにもメッセージを送ったのだ。モールス信号は今度の敵――『』と告げていた。亜門がニヤリと笑う。不敵な笑みだった。



「姐さん。ずいぶんと思い切ったな。それじゃ今までのは準備体操だったって訳だ」



「ああ、そうさ。今度の相手はヤクシャじゃねえンだ。知っての通り相当手強いぞ。お前さんたちも気ぃを引き締めてかかっておくれよ」



 英子はそういうと目を細めて極光を見る。その視線はまるで成長した我が子を見るようだった。なにしろ英子は企画初期の段階から携わってきたのだ。こいつの本来の目的がようやく実現する。



 英子はそれまでその敵とは数度対戦していた。

 だがいずれの作戦も失敗に終わった。敗因は簡単だ。満足できる装備ではなかったからである。だが、



「今回は違うよ。この子がある」



 極光がようやく英子の支配下になったからだ。



 前の担当者はなにもわかっていなかった。

 高価なこの機体を傷つけずに帰還させることを第一の目的にしていたからだ。だがそいつの本当の目的が違っていたのは英子にはわかる。そいつが傷つけたくなかったのはこの極光ではない。自分の経歴だ。壊してしまって自分の出世に影響が出ることを恐れていただけなのだ。



「姐さんよ。ようやく極光の実力を発揮できるって訳だな」



「ああ、そうさ」



 亜門の問いに英子は頷く。相手はフル装備の自衛隊でさえ逃げ帰った相手だった。



「気象災害はウチらの担当分野だからね。アタシたち『気象庁きしょうちょう特別武装隊とくべつぶそうたい』にしかできない仕事さ」



 天井スピーカーから緊迫した声が聞こえてきた。それは目下人類最大の気象警報を告げるアナウンスだった。



 ■ ■



 その数時間前。

 その日その時に小形おがたつよしはかつて暮らした街に帰ってきた。



「ある意味、凱旋とも言うべきなのかな」



(――すべての戦いに勝って貴様の生まれ故郷に足をつけたのだ。だからそう思って間違いはない)



「なるほどね」



 背にした荷物が果てしなく重い。なにしろ当座の生活に必要な一式がすべて入っているのだ。

 光が白くて初夏到来を思わせる町並み。



 日は傾き始めたが、まだ余熱が残る湖水見こすみ市のメインストリートには早くも半袖姿の人々が目についた。季節は五月中旬だった。



 湖水見こすみ市は東京都下の西の外れに位置する街だが中央線から枝分かれしたローカル線が乗り入れていることから二十三区内への通勤通学圏として成り立っていた。

 そのことから夕方以降になると、下り電車から降りたった人々で駅前は溢れ出す。



(――懐かしいか?)



「うーん。正直言うとさ。よくわかんない。咲姫さきはどう?」



(――別に私にとってここは故郷ではない。とくに感慨はない。あえて言えばここも異郷だ)



「……確かに」



 剛はひとり苦笑する。話しているのは鬼立きりゅう咲姫さき



 相棒とも居候ともいえる体内に巣くった異世界の怪物少女だ。年齢は剛と同じだが声は十年前のままである。

 物言いはぶっきらぼうだが声色はかなり幼い。



「なんか昔とあんまり変わんないな。もっと懐かしさとかをさ、感じるかと思ったんだけど」



 見慣れぬ制服姿で駅から降りてきた剛であった。実は明日付で湖水見高校に転入する一年生。つまり転校生である。



 剛は十年前の六歳までこの街で暮らしていた。

 だが小学校に上がる直前にある事故で両親を亡くし、それ以来父方の祖父の家で成長してきた。



 祖父は昭和生まれらしい古風な男で剛を厳しくも暖かく育ててくれた。

 そのため剛は肝が据わった少年に育ったが、祖父そして父譲りの低身長の遺伝は如何ともしがたく十六になってもまだ百五十二センチである。おまけに細身なことから体重計にまともに相手にしてもらえないほどの身体である。



 そんな剛だがこの春に異変が起こった。正確に言えば異変を起こしたのは剛自身である。



「――いや、ホントに偶然で運が良かっただけなんだけどね」



 祖父が勧めたこともあり、また通学に便利ということで当初は最も家から近い私立高校に入学した剛だったのだが、祖父が経営する小さな町工場の状態は実は楽じゃなかった。



 そんなこともあり剛は公立高校への転校を考えていた矢先、担任教師から都立湖水見高校が給費特待生の中途募集を行っていると教えられたのである。



 湖水見市。かつて暮らしていた街。

 すっかり忘れていた幼なじみたちの顔が浮かぶ。



 更に言えばである。試験にさえ受かれば学費が無料なうえに全寮制なことから住むところまでただで提供してくれるのである。剛の視線は案内パンフレットに釘付けになった。



 そして見事に合格した。

 試験は楽ではなかったが剛はそれなりの学力があったのが幸いした。


 背にした重いリュックを背負い直したときだった。咲姫が尋ねてきた。



(――十年一昔と言うが? 街の様子はまったく以前のままなのか?)



「ん? そうじゃない。そうじゃないんだ。湖水見といっても昔は小さい湖があっただけなんだ。今みたいに大きなダムができたのは最近だし……」



 剛は前方を指さす。



「他にもある。あそこにあったはずの煙草屋はコンビニに変わってるし、その向こうにあるビルは昔はなかった気がするし」



 そのビルをのぞき込むと一階は喫茶チェーン店になっていた。最近流行している板張りのアーリーアメリカンスタイルの小洒落たカフェで、剛が昨日まで暮らしていた駅にも支店があった。



 Uの字型の磁石に赤いバッテンを記した減地磁気の安全マークが張ってあるガラス越しに見えるのは、セーラー服姿の女子高生たちだった。丸テーブル一席を占拠しているその制服は青地に薄黄色のストライプの襟が特徴の湖水見高校のものだ。



(――あの制服が、剛が通う高校の女子用か?)



「そう。咲姫も着てみたい?」



(――いや、いい。あの服では動きにくそうだ)



「そう言うと思ったよ」



 咲姫にとってはファッションも流行もあったものではない。すべて実用的か否かが判断基準だ。



 そのとき辺り一帯の空気がぐにゃりと歪んだ。



「えっ!」



 バチバチッとあちこちの宙に紫色の放電現象が起こった。

 プチな稲妻状態なのだが、辺り構わず飛び交うので街は逃げ惑う人々でちょっとしたパニックになる。そしてシャワシャワとした耳に不快なホワイトノイズ。



「あ。もしかして……」



(――みたいだな)



 脳内の咲姫がそう返答した瞬間だった。信号機や電柱に設置されたスピーカーからウーウウーウとサイレンが一斉に響き出す。



 ――地磁場ちじば警報発令。



 すると街が一変した。



 信号が三色ともに点滅を繰り返し、緊急時の救急車の到来のように通行中のトラックもバスもワゴン車も、一斉に路肩に停車しエンジンを切った。



 そして行き交う人々はスマートフォンの電源を切り、通りのあちこちに設置された安全マークを表示する地下壕へと足早に避難を始めたのだ。



  だが地下壕は街のすべての人々が収まるほどのスペースはない。そのことから準備がいい人は持ち歩いている防地磁気プロテクターを頭部へ装着し、手近な建物へと避難する。

 とにかくすべての通行人が避難し始めたのである。



 地磁場の強烈な乱れはあらゆる電子機器を破壊する。そしてそれだけではなくて脳細胞への悪影響も計り知れない。運良く死を免れても記憶障害が残った人々も多いのだ。

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