第24話 ローレライ・ヴァルド公爵令嬢について

 騎士団の会議からの帰り道、サザナミはアキナから言われたことを思い返していた。

「おい、聞いているのか。おまえを、ユクスさまの護衛に命じると言っているんだ」

 サザナミが返事をしなかったのが気に食わなかったのか、アキナは厳しめの声色でそう繰り返した。

「すみません、聞こえています。ひとつ、伺ってもよろしいでしょうか」

「なんだ」

 アキナは片眉を上げた。

「なぜ、俺なのですか。騎士団には俺よりも腕の立つ剣士が大勢います」

「騎士団に所属しているメンバーのほとんどが、男爵以上の家柄の者だ。彼らのことは信頼しているが、家自体が政権争いに興味がないとは断言できない。そんなやつらをユクスさまのおそばに置くには、いまの状況を考えるとかなり危険だ。その点、おまえは根無し草。おまえがユクスさまに取り入ってもなんの旨みもないんだよ。だから候補に上がった」

「ですが、俺は東の出身です」

「それがなんだ? おまえがこの国に来た事情を上層部は知っている。それに、おまえがこの国ですごした四年で、東の密偵である可能性はないと見てよいだろうと結論づけている。魔力に関しても、先日の診断で医師から『暴走する危険性はない』と言われただろうが」

「ええ、ですが」

 まだ口ごたえをしようとするサザナミに、アキナは大きなため息をついて言葉を遮った。

「これはユクスさまのご希望だ。陛下も了承した。おまえの意見は聞いていない」

 アキナは乱暴に肩をたたいて、会議室を去っていった。

 サザナミは王宮の外廊下を歩きながら、鬱陶しげに伸びた前髪をかきあげる。

 たしかに平民の自分が意見を挟めるわけがないか。それならいつものように自分の感情をころして、ただ王子の一番近くで願いを叶えて差し上げればよいだけ。

 サザナミは、己の内に渦巻く黒々とした欲望を腹の奥に鎮め、これからのことを考えた。

 ――今日の夜から任務に就くようにと言われたけど、とりあえずユクスさまのところに行けばいいのだろうか。よくわかならないが、夜のうちは寝室の前で警護していればよいか。

 夜になる前に自室でシャワーを済ましてしまおうと考えていたそのとき。

 ふと視界の端にユクスと見知らぬ令嬢が映った。ユクスと令嬢は、外廊下の向こうにある庭園で花を眺めていた。

 サザナミは反射的に柱の陰に身を隠す。

 風に乗って二人の会話が耳に届く。

「ユクスさま、こちらのお花はなんという名前なのでしょうか」

 そう問われたユクスが令嬢に顔を寄せ、耳元でなにか囁いたのが見える。ふだんから夜のしじまのように小さいユクスの声は、サザナミには聞こえない。小柄な令嬢に聞こえるように、そっとしゃがんだのだろう。

 おそらくあの少女はヴァルド公爵家の令嬢だ。ユクスの婚約者候補として上がっている、箱入りの美しい娘。

 ふわりと風が二人の頬を通りすぎる。令嬢のハーフアップにした栗色の髪と、ミモザ色のドレスの裾が風になびいた。

 ――お似合いだな。

 自嘲気味に笑うことしかできない自分に嫌気がさす。

 サザナミは二人の視界に入らぬように柱の陰に身を潜めたまま、気配を消してその場を通過しようとする。

 そのとき、「あら?」と令嬢がサザナミに視線を向けた。

 サザナミは舌打ちをしたい気持ちを隠して、その場に片膝をついた。

 令嬢が近づいてくる気配がする。

「ヴァルト公爵令嬢、どうしました」

「そちらにいらっしゃる騎士さまは東のお生まれなんです?」

「え、ええ」

 令嬢を追ってこちらに歩いてきたユクスは、サザナミの姿に気づくとわずかに体を強ばらせた。

「めずらしいですわね。お名前をおうかがいしても?」

 ユクスが「サザナミという者です」とローレライに伝える。

「サ、ザ、ナ、ミ」

 令嬢のヒールが地面を蹴る小気味よい音がどんどん近づいてくる。

 その音はサザナミの正面で止まり、鈴の音のような声が上からふってくる。

「お顔を上げてちょうだい」

 サザナミは言われたとおりにする。

 純真無垢であどけない瞳を向けられる。見た目の雰囲気から自分と同じくらいの年齢かと思ったが、近くでみると幼い印象を受ける。

 そんな失礼な感想を顔に出さぬようにしつつ、かつ令嬢を直視しないように遠くに視線をやるる。令嬢の傍らにユクスが立っているのが目の端に映った。

「まあ、ほんとうに燃えるような朱い瞳だこと」

 好奇心からか、令嬢がサザナミの頬に手を伸ばした。

 サザナミはぎょっとして固まる。

 その手が届く前に、控えめにユクスが令嬢の腕をつかんだ。

「ヴァルト公爵令嬢。どうやら彼は困っているようです。その辺にしていただけませんか」

「あら、それは失礼しました。でもずいぶん気にかけるのですね」

「国を守る大事な剣ですから」

 ユクスがにこりと微笑むも、令嬢は顔色ひとつ変えない。彼女はついとユクスから目を逸らすと、片膝をつくサザナミを見下ろした。

「あなたは、令嬢の好奇の視線なんて気にもとめないのですね。そういうのは慣れていらっしゃるの? 不思議なお方。あんまりにもめずらしかったから、不躾に見てしまいました。どうかご無礼をお許しくださいね」

 サザナミは黙って頭を下げた。

「ヴァルド公爵令嬢、庭園でお茶の続きでもしませんか?」

「ええ」

 ユクスから差し出された手を取ると、軽やかな音を響かせて庭園の奥に消えていった。

 二人がいなくなっても、しばらくサザナミはその場を動けなかった。

 その日の夜、サザナミは予定どおり任務のためにユクスの寝室に向かった。

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