第21話 少年サザナミ、16歳

 サザナミは暁の薄明かりを瞼の裏に感じ、短い睡眠から目覚めた。

 腕のなかで規則正しく寝息を立てる王子を確認し、顔にかかる髪をそっとはらいのける。

 ――髪、ずいぶん伸びたな。

 サザナミがアルバスに来てから四年。

 元奴隷の少年はたくましい騎士団員に成長し、その少年のおかげか引きこもり王子はそれなりに外に出るようになった。

 サザナミの身長は、あっという間にユクスを抜いた。背丈だけではなく、騎士団の鍛錬のおかげか体もぐんぐん成長し、十六にしては大人びた見た目の男に育った。しかし己の容姿に興味がないのか、幼少のころから変わらず適当に伸びた前髪に、オルロランド公爵家のミルダ夫人に譲ってもらった服がほつれるまで着ている。

 もうすこし身なりに意識を割けばいいのに。いつからかそうユクスが苦笑いをすることもなくなった。

 一方のユクスは、今年十八歳を迎える。

 背は伸びたものの骨格は華奢なまま。彼が意味ありげにまばたたきを落とせば、そこかしこから嘆息が漏れる。そろそろ成人するとは思えない、蠱惑的な青年に育った。

 ユクスが起きないのをいいことに、サザナミは彼のやわらかな髪に指をからめる。

 月日が過ぎ、サザナミの魔力が安定してからも、ときどきユクスはこうしてサザナミを寝室に呼び、夜をともにしていた。

 ただ、他愛のない会話をして、二人で眠るだけ。言葉は交わさないときもある。

 最初はユクスがサザナミを抱きしめて眠っていたのに、気づけば立場は逆転して、サザナミの腕のなかにユクスがいた。

 サザナミは、この時間に特別な感情を抱かないように細心の注意をはらっていた。ただ、王子のユクスが望んでいるから、自分は従っているだけ。

 髪で遊ばれていることに気がついたのか、ユクスがぱちりと目を開けた。起き抜けのぼんやりとした表情でサザナミを見る。

「髪、切らないんですか」

「……起きてそうそうなんですか」

「いや、かなり伸びたなと思いまして」

 ユクスの金の髪は、胸あたりまで伸びていた。日中はひとつにゆるく結んでいるが、寝るときは下ろすからサザナミの顔にからまることも多い。サザナミはそれを煩わしく思っていた。

「どうでしょうね」

 ユクスはあまり興味がなさそうに返事をして、また瞼を閉じた。

 ユクスの菫色の瞳が隠れ、金色のまつ毛が呼吸に合わせて揺れる。その微かな震えをサザナミは無意識に目で追っていたことに気づき、はあ、と内心ため息をつく。

「起きてください。今日は早いとおっしゃっていましたよね」

 腕のなかの王子に向かって問いかける。少ししてからユクスは不満げに顔を上げた。

「敬語、どうして、使うんですか」

「……あなたは王子で俺が平民だからです」

 サザナミはここしばらく、誰もいない場所でもユクスに敬語を使っていた。咎められても、けっして直さなかった。

 この夜の時間だって、サザナミは数回に一度は断っている。頑なに距離を置こうとする理由を、まだユクスは気づいていないように思う。

 今日も満足のいく返答が得られなかったユクスは、緩慢な動作でサザナミの腕を押しのけて体を起こした。

「先日、ヴァルト公爵家から縁談の話をいただきました」

「はあ」

「はあ、って。おまえ、それはどういう返事なんですか」

「あの元引きこもり王子がようやくご結婚される気になったのかと。アルバスの民としてうれしく思っています」

 ユクスが身支度をはじめる気になったのを目の端で確認し、サザナミもベッドから離れる。鏡台の前に座って思うことを正直に口にすると、鏡越しにユクスがあ然としているのが目に入る。

「おまえは、私が、結婚してもいいの?」

「俺がなにか関係あるんですか? あなたはこの国のために結婚して、子どもを成さなければならないでしょう」

「それはそうですが」

 ユクスが背後で言葉を探している気配がする。

 ――言いたい言葉を理解したうえで正解を探しているのか、なにもわからずただ考えているのか。

 助け舟は出さずに鏡台の自分と向き合い、簡単に髪を整える。

「私は、」

「なんです?」

 続きを促すと、ユクスはまた黙り込んでしまう。

 はあ、とサザナミはため息をついた。

「俺、もう行きますよ。あんまり遅いと団長に怒られるので」

 ベッドサイドで立ちすくむユクスの肩を抱き、彼の頬に自分の頬を寄せる。

 これがアルバスの親しい人間同士の挨拶だと幼少のころに彼から教わって以来、二人きりのときは欠かさずそうしている。

 今日のユクスは人形のように微動だにしなかった。

 サザナミは黙って寝室を辞した。


 本人の前ではなんとか落ち着かせていた苛立ちは、王城の長い廊下を歩いているうちにすぐにサザナミの心を混ぜ返した。

 この四年でサザナミは、自分がユクスに抱いている感情の正体に気づいてしまった。

 思慮深い菫色の瞳、目を伏せると微かに揺れるまつ毛、そして自分にだけ見せるとびきりの笑顔。

 サザナミは鬱陶しげに前髪をかきあげる。

 しかしあの見た目だ。ユクスに懸想している人間は男女問わず多いことを、サザナミは知っていた。王族だからおいそれと簡単に手出しされないだけだ。

 この感情の正体に気づいたとき、自分も有象無象の輩どもと一緒かと心底嫌気がさした。恋心と欲情と嫌悪感と独占欲の間で感情が行ったり来たりのサザナミは、正しく思春期を迎えていた。

 ――最悪だ。よりにもよって、なんであんなボンクラ王子なんだよ。

 サザナミは廊下に誰もいないことを願いつつ、盛大に舌打ちをした。

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