28 目覚めの刻
カイが目を覚ました時、彼の意識は真っ暗な暗闇の中に存在した。
右を見ても、左を見てもそこは何処でもない場所であり、正に虚無と呼んで正しい場所だっただろう。
彼の意識が、その空間で覚醒してから暫く、カイはただ何をするでもなく、その空間を脱力したまま漂っていた。
ここが、死後の世界と呼ばれる場所なのか、はたまた死にかけていたせいで、意識が何処かに飛んでしまって夢を見ているのか、それは分からない。
意識が途切れる直前に視界に映ったイリーナの顔を思い出して、カイはぼんやりとそこに広がる暗闇を眺めていた。
(イリーナの治療で俺、助かったのかな……重症だったからなぁ……あ、そういえば、スレイにご飯奢るって約束してたっけ)
他人事のようにそんなことをのんびりと考えたカイは、それからふと何かの前に辿り着く。
(あれは……朱の王?)
気が付くと、彼の意識は朱の王の前に辿り着いているようだった。
だが、彼はカイとは違い、目を閉じたままその空間に浮いて留まっているようだった。よく見ると、その傍らには黒猫の姿もある。
(リプカは無事に王様の体に戻れたのだろうか)
黒猫は暗闇に同化していて、その距離では見つけにくかった。だが、辛うじて黒猫が目を開けた事により、そこにリプカが寄り添っているのだと分かる。
そこに見えた深紅の瞳に、カイは自然と笑いかけていた。
(もしかしたら、アレが本物の……)
カイが思考を巡らせて、そんなことを考えていると、彼の体は目を閉じているアルヴァールの側から、遠ざかっていく。
それは、時間に流されていくように、段々と果ての無い場所に向かっていく。
(もう、大丈夫そうだな……良かった)
自分自身が今後どうなるのかも分からない状況だというのに、そんな事を考えていると、そこへ眩しい光がその場に射し込んでくる。
(なんだ……?)
それは、カイの視界を覆うほどの眩しさで輝きを放ちながら、彼の元へと降り立った。
光はやがて人の姿を形どり、カイへと手を差し伸べてくる。
光のシルエットには、六枚の翼が背中から生えているようだった。
『貴女は……』
カイが茫然とその光景を眺めていると、そこから突如姿を現した天使は、愛らしい顔立ちに美しい笑みを浮かべて語りかけていた。
『お疲れ様、カイ。キミはまだ、ここでは終われない、そうだろう?』
『――っ!』
そこに現れた守護天使セリカの台詞に、カイはハッとしたように目を見開くと、まだ生きたいと強く思い、手を伸ばす。
すると、彼女はカイの手をしっかりと握り返すと、まるで迷子になっているカイを導くように続ける。
『さぁ、帰ろう。キミの目覚めを彼らが待っているよ』
その言葉が耳に届いたと同時に、カイの視界は再び真っ白に包まれていた。
***
「――っ!!」
ハッとして目を覚ます。
意識が急激に戻される感覚にカイが目を見開ければ、視界の中にはカイを心配そうに見つめる二つの眼が映りこむ。
そこに映りこんだ青色の眼差しは、カイが目を開けた事により、大きく震えるのが分かった。
「カイさん! 目が覚めましたか!?」
「……イリーナ?」
カイが茫然とその名前を口にすれば、イリーナは今にも泣きだしそうな表情で微笑むなり、震える声で笑いかけてくる。
「良かった……間に合ったみたいで……体は? どこも痛くありませんか?」
そう声をかけたイリーナの姿は、随分とボロボロだった。
純白のマントには、誰かの返り血がべったりと染みてしまっており、地面を転がった痕と思われる、土埃もついている。おまけに、その裾は激しい戦闘により、ところどころ衣装が破れている所も見られた。
空を見上げる形で、イリーナを下から見つめていたカイは、そこで漸く自分が彼女に膝枕をされている事に気が付く。
「えっと……そう、だな……体は大丈夫……だけど……」
よく見ると、彼女の口元には赤い血が付いているのも分かった。
それはまるで紅化粧のようにも見え、少しだけ普段とは違った雰囲気に、カイは戸惑いながら思考を巡らせる。
何故こんなことになっているのか、と。
そんなカイの焦りを悟ったのか、イリーナは真剣な表情でカイの容体を心配してくる。
「もしかして、手足が動きにくいとかありますか?」
「だ、大丈夫」
話の流れから察するに、あの致命傷を治してくれたのがイリーナだという事は分かった。だが、彼女は一体どうやって腹に空いた風穴を塞いだというのだろう。
何とか身を起こそうと試みるものの、どういうわけかカイの体は、指一本動かすことも叶わない。
「どうかこのままでいてください。今は傷を無理矢理治した反動もありますので……」
「やっぱりイリーナが傷を治してくれたのか」
「はい。少し荒療治になりますが、回復薬の強めの物を使いました……」
そう説明を受けて、カイは自身の置かれた状況について更に納得する。
カイの体が動かないのは、どうやらそれが原因らしい。
回復薬には、傷の深さによってまれに反動が出る事があった。
細胞を活性化させるせいで、治療を終えた後は暫く体が動かなかったり、酷い倦怠感を伴ったりする場合があるのだ。
恐らくカイの体が鉛のように重たいのも、その反動の一種なのだろう。
魔力の方は、イリーナが持ち運んでいた回復薬のお陰で少しは回復しているようで、体に浮かんでいた模様はすっかり消えているようだった。
視界を動かして状況を確認したカイは、それからイリーナにお礼を告げる。
「そっか、有難う。お陰で命拾いしたよ」
「全くです! どうしてあんな無茶を……!」
まさかここに来て、そんな悲しそうな顔をされるとは思わず、カイは狼狽えながら口を動かした。
「ご、ごめん。でも、水分があれば足止めが出来るかと思って……そういえば、皆は……?」
カイは彼女の説教に対して、謝罪を口にするなり、話題を逸らすように仲間達の安否を確認する。
「スレイさんは、近くで今眠っています。リプカさんは私が起きた時には既に姿はありませんでした……アルヴァール王はそこに」
「……!」
イリーナが周囲の説明をしたタイミングで、カイの視界に影が差す。
するとそこには、カイが先ほどまで刃を交えていた相手がそこに映りこんできた。
赤色をした癖のある長い髪に、猫を思わせる深紅の瞳。
民族衣装を思わせる、美しい装飾が成された布を身に纏う男は、寝転んでいるカイとは打って変わって元気そうな姿を見せていた。
相手は、カイと目が合うなりはっきりとした声で彼の名前を呼んでいた。
「助かったぞ、カイ・エレフセリア」
「……じゃあ、体は無事に……」
「あぁ、お前のお陰だ……感謝する」
どうやら、無事に体は戻ったらしい。
カイはそのことに安堵したように笑いかける。
その気の抜けた表情を見て、アルヴァールは猫の時と同じように、何とも言えない視線を向けると、踵を返してしまう。
「イリーナ、そいつの事は任せたぞ……俺はやるべきことを成してくる」
「はい。お任せください」
王はそれだけを残すと、その場を後にしてしまう。恐らく、この不毛な戦争を止めに向かったのだろう。
岩が立ち並ぶ乾いた大地から、その背中が見えなくなったのを確認したカイは、何処か寂しそうに口を開く。
「行っちゃったな」
「はい……」
イリーナの返事を受けて、漸く体力が回復してきたカイは、ゆっくりと身を起こしていた。
「有難う、イリーナ。少し動けるようになってきた」
「良かったです。やはり回復も他の方と比べて早いんですね」
「そうなのか?」
「はい」
他と比べた事が無いのでよく分からないが、そこに浮かぶイリーナの表情が安堵を浮かべているので、きっとそうなのだろう。
カイは体が重たい以外の症状が現れていない事を確認してから、ふと思い出したようにイリーナに体調を尋ねた。
「そういえば、イリーナの方は平気か?」
「はい、私は皆さんが守ってくださったので。一番怪我が少ないです」
「そっか……口の端、血が付いているみたいだけど……もう血は止まってるんだな」
もしかしたら、それはもう傷が治った痕なのかとカイが安堵を浮かべながら指摘をすれば、見る見るうちに少女は顔を赤く染めて俯いてしまう。
「え? どうしたんだ?」
突然の反応にカイが戸惑っていると、イリーナはか細い声で、服の裾を握りしめながら呟いた。
「……どこまで覚えていますか?」
「え? 何が?」
戸惑うカイに対して、イリーナは青い瞳を潤ませながら上目遣いで尋ねてくる。
そうしていると、本当に愛らしい少女だなとカイは思った。
「私が傷を治した時の事は覚えていますか?」
「あぁ、いや……ただ、イリーナが視界に映ったのは分かったけど、あとは全く……それがどうしかしたのか?」
「――い、いえ! 覚えていないなら良いんです……あは、あははは」
急に視線を彷徨わる少女の姿に、カイは不思議そうに首を傾げた。だが、イリーナはそれ以上、そのことを話題に出すことはなく、自分の服で口元を拭うなり、なぜか少しだけ恥ずかしそうな雰囲気を漂わせていた。
そんな二人の様子に、すぐ側で仰向けて倒れていたスレイが他人事のように声をかけてくる。どうやら目を覚ましたらしい。
「相棒も罪な男だねぇ」
「――! スレイ……どういう意味だよ」
一瞬、気が付いたのかと思ったカイだったが、何故か物言いたげな視線を向けられてカイは眉を寄せる。
恐らくその真実に気が付いていないのは、カイ一人だけだっただろう。
イリーナは何かを知っていそうなスレイに体を向けると、大きな声で話しかける。
「す、スレイさん! 良かった、目が覚めたんですね。お体の方は大丈夫ですか?」
「お陰様で。もうすっかり良くなったよ」
少女に声をかけられたスレイは、素早く身を起こすといつもの様子で笑みを浮かべる。
その姿をよく見ると、彼もそれなりにボロボロのようだった。
濃い紫色をした衣装は、ところどころ避けており、土埃にまみれているのが分かる。その表情には、少しばかりの疲労が滲んでいるのも分かった。
普段なら何を考えているのか分からない表情を浮かべて、飄々と笑っている男も、今は顔を作るだけの気力もないのか、薄く笑みを浮かべて二人に視線を向けているようだ。
「それは良かったです……あの、スレイさん! さっきの事は……」
「大丈夫。そんな野暮なことはしないから安心しなって」
「そう、ですか……有難うございます」
「ところで、例の王様は何処に?」
二人だけにしか分からない会話がそう続けられる中で、カイは不思議そうに首を傾げていると、イリーナはそんなスレイの質問に穏やかな笑みを浮かべて口を開く。
「アルヴァール王は既に戦争を止めに向かわれました。私たちの作戦は無事に成功しました」
「そっか、なら一安心だ――ってことは、相棒に旨い飯をたらふく奢って貰わなきゃだね……俺だけ報酬をもらうのもおかしな話だし……相棒は命を救ってもらったお礼に、イリーナちゃんにも何か買ってあげなよ?」
急に思いついたような顔をして、視線をカイに向けたスレイに、驚いた表情を浮かべたのはイリーナだった。
「……え!? 私は別に、何も出来ていませんので」
「何言ってるの、イリーナちゃんの回復魔術が無ければ、今頃俺たち死んでた訳だし」
「確かに……元々、スレイにも奢る約束してたから、イリーナにも後でお礼させてくれ」
スレイに指摘されて、カイは真面目な顔をしてイリーナを見つめる。
その視線に戸惑いを浮かべつつも、イリーナはスレイからのウインクに苦笑を漏らし素直に頷いて見せるのだった。
「はい、では宜しくお願いします」
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