27 死に損ないの意地

 相手から放たれた殺気は、凄まじい気迫が感じられた。そこに立つだけで、肌に重い空気がのしかかってくるのが分かる。

 カイは早く脈打つ心臓を落ち着けるように、息を吸い込んだ。すると、目にもとまらぬ速さで、アルヴァールの持つ槍が襲いかかってくる。


「――っ!!」


 相手の動きに、最大の集中を向けていたカイは、その速度に辛うじて反応を見せる。

 至近距離から真横に振れた切っ先を、目と鼻の先で何とか避けたカイは、息を詰めながら相手の動きを空気感で探る。

 次はどんな動きで襲い掛かってくるのか、その行動パターンを予測しつつ、カイが身を翻せば、アルヴァールはその動きに眉を寄せて小さく呟いた。


「ちょこまかと面倒だな」


 苛立ちに乗せて、槍を力いっぱい振り下ろしてくる相手に、カイは今自分が出来る対処を何とか頭の中で絞り出そうとする。

 攻撃を避けるだけでは、相手を止める事は当然出来ない。ならば相手の動きを封じる手立てを何か考えなければ。


(一体、どうやってこんな素早い動きの相手を止めれば良いんだよ!)


 冷静に考えてみたものの、相手の動きに合わせて攻撃を避けるだけで精一杯のカイからすれば、方法なんて検討もつかない。

 スレイのような素早さも無ければ、リプカのような魔法の得意さも無いのだ。完全に詰みに等しい状況の中で、カイは必死に歯を食いしばりながら、動き回る。


「っ!」


 振り下ろされた槍の一撃を、剣で受け止めて耐えたカイは、その背後に仲間が居る事に気付き、必死で槍の切っ先を跳ね返す。

 だが、カイが弾き返した動きなど、相手には全く堪えていない様子で、再びアルヴァールは槍をカイに叩きこんでくる。

 その総てを避けきる事は不可能に近い、故に肩や腹部を軽く掠りながら、致命傷だけを避けて動き回った。


 長時間戦闘が続いた影響もあり、手足が少しずつ重たくなる感覚を覚え始めた頃、朱の王は皮肉にも息一つ乱す事無く槍を薙ぎ払うと、カイを真っすぐに見つめて口を開いた。


「まずは貴様から消してやろう」


 槍の攻撃が激しさを増し、次々に体に傷が生まれていく中、致命傷を避けながら、カイは必死にそれでも、この状況を打破する手立てを考える。


(何かあるはずだ、考えろ、考えろ!!)


 自分自信を奮い立たせるように、そう心の中で唱えていれば、アルヴァールから振り下ろされる切っ先が鋭い威力を持ち、カイに襲い掛かる。


「――っ!?」


 受け止めた筈の切っ先が、重たい一撃により跳ね返されてバランスを崩せば、その隙を突かれて相手に斬りかかられる。

 咄嗟の事にカイが、障壁を張るも集中力が散漫となっていたせいで、その魔法障壁はいとも簡単に相手の切っ先により貫かれる事となる。


(不味い!!)


 砕け散るように、障壁が形を失えば、咄嗟にカイは身を捩りアルヴァールの一撃を避けていた。だが、その動きは反応が鈍っていたせいで、全てを避ける事は敵わない。

 腹部を掠る程度には、傷を受けることとなってしまい、咄嗟にカイは相手の間合いから距離を取る。

 抑えた傷口が思ったよりも深かったことを悟ると、カイはその表情に焦りを浮かべて相手を見据えた。


「くっ……」


 どくどくと心臓が脈を打てば、カイが身に纏う黒衣には染みが生まれていく。

 だが、それで相手が攻撃の手を止めることは当然無い。

 更なる追い打ちをかけるように、カイに向かい飛び掛かりながら、槍を振り下ろしていく。


「っ!」


 その一撃をふらつきながら、何とか避けると、相手は動きが鈍ったカイを軽くあしらうように、槍の柄でカイの体に殴りかかってくる。


「……か、はっ!」


 その動きは予想していなかったのだろう。腹部を強く打ち付けられる事で、息を詰めたカイは、そのまま後方に吹き飛ばされる形で、地面の上を転がった。


 激しい痛みが全身を襲い、腹部から滴る血が地面に飛び散る中で、カイは何とか意識を繋ぎとめて、立ち上がる。

 その姿はもうボロボロだった。


「はぁ……はぁ」


 痛みと、長時間の戦闘による疲労を滲ませながら、カイは手のひらを強く握りしめて、相手を見据えていた。

 その漆黒の瞳は、そんな状況を以てしても、まだ諦めてはいない。

 その真っすぐな眼差しを受けて、不愉快そうに顔を顰めたアルヴァールは、舌打ちを零し、槍を構えた。


「そのまま地面に転がっていれば、楽に死ねたというのに……愚かだな」


 その吐き捨てるような言葉と共に、カイは自嘲を浮かべると小さく息を吐く。

 その言葉は、最もだと思った。本当なら、カイだってもうすべてを投げだしてしまいたいほど、体が痛かった。


 先ほど受けた傷は、自分が思うよりも状態は悪いらしく、体が徐々に痺れてきているのを感じる。

 それでも、カイは抗い続けなければならない。彼の背後に、仲間達が居たから。


 カイは覚悟を決めたように、アルヴァールの前に立つと、ゆっくりと顔を上げる。

 そんなカイの心に呼応したように、彼の瞳は漆黒から、高温の炎を思わせる青へと変化を遂げていく。

 彼の命は、この状況でも尚、強い輝きを放ち燃えていた。


「生憎と、アンタを止めるまで終われないんだよ……リプカの体は返して貰うぞ、偽物の王!」


 カイの高らかな宣言と共に、アルヴァールもその一撃を以て終わらせる覚悟を決めたように、槍を構える。

 両者互いに一歩も退かず、睨みあった。

 そして、その場に風が吹いた瞬間、カイは渾身の力を込めて走った。


「はぁっ!!」

「――っ!」


 これまでの彼の動きとは比ではない速さで、カイの手に握られた剣が振り下ろされる。

 鉄と鉄のぶつかる激しい音が周囲に響き渡る中で、カイは必死に隙を生ませるべく、悲鳴を上げる体を動かし続けた。

 恐らく、なけなしの魔力を無理矢理攻撃に割いているのだろう。

 わずかな風が、カイの体を無理矢理動かすように、吹いていた。それと同時に、魔力の限界を現す刻印が、彼の肌に浮かび上がっていく。


 それに気が付いたアルヴァールが、一歩も退く素振りを見せない相手に苛立った様子で声を荒げた。


「ふっ、そのような魔力切れの状態で、一体何が出来るというのだ!」


 カイが何とか絞り出した最後の策により、辛うじて相手と互角に斬りあっていれば、徐々にカイの表情が苦悶に満ちていく。

 きっと限界が近いのだろう。額に汗を滲ませながら腕を動かすその姿は、今にも倒れてしまいそうな真っ青な顔色をしていた。


「息まいていた割には、その程度か」


 鼻で笑ったアルヴァールが、渾身の一撃をカイに叩きこめば、その衝撃を剣で受け止めきれなかった彼の体は、後方に吹き飛ばされる形で地面に叩きつけられてしまう。


「――ぐっ……!」


 息が詰まる感覚に、カイが顔を顰めて地面の上を転がっていけば、その体はもう限界のようだった。

 投げ出された体は、カイの意思とは裏腹に、もう一歩も立ち上がる事を許してくれない。

 視界の中で、美しい青い空が映りこめば、次の瞬間影が差した視界の中でアルヴァールの赤い髪が見えた。


「――これで終わりだ」


 ヒュッと息が肺から漏れる音がする、カイは満身創痍になりながらも相手の動きに何とか反応を見せて地面を転がると、背後にあった岩の壁を頼りに、ゆっくりと立ち上がり相手を見据えた。

 そこにあるカイの瞳は、まだそんな状況でも抗う事を諦めてはいない。

 青に変わった瞳は未だに強い光を宿していた。彼の体に刻まれた模様が、今にも命を燃やし尽くしそうなほど、弱々しく光り輝いているのが分かる。


「おのれ、忌々しい! その眼をに向けるな!!」


 カイの魔力が宿った瞳に、激高したように偽物の王が声を荒げれば、槍を手にした相手は、これまでの動きとは打って変わって、荒々しい動きでカイの腹部を強く貫いた。

 それは致命傷となる一撃だった。その衝撃でカイは口から血を吐き、咳き込むこととなる。


「――ゴホッ、ゴホッ!!」


 一瞬、その衝撃で意識が飛びかけたものの、それでも、腹部が強い痛みを放つおかげで、何とか彼は意識を繋ぎ留める事が出来た。


 すると、これまでのアルヴァールとは打って変わって、まるで憑き物が表に現れたかのように、醜い顔で笑う偽物の王の姿がそこにはあった。


「お前の負けだ!!」


 声高らかに叫ぶ相手の姿に、カイは死にかけながらも血が付いた口元をニッと不敵に笑ませて口を動かした。


「――まだ、だ……」


 ポタポタと滴る鮮血は、カイの足元を濡らし、大地へと染み渡る。

 その血液は、そこで留まる事を知らない。

 体を槍で貫かれている影響で、彼の血は槍の柄を伝いアルヴァールの足元や、彼が柄を掴む手を濡らしていた。


 カイの狙いは、全てにあった。

 それはあまりにも無謀な賭けであり、無茶な作戦だった。

 けれど、彼には絶対に成功する自信があった。何故なら、カイには頼れる仲間が居たからだ。


「お前は、絶対にここで止める……」


 真っ直ぐな目をしたカイがその言葉を口にした直後、肌を刺すような寒さが彼らを襲った。

 そこに漂う冷気は、カイの血を経由してアルヴァールの足元を氷漬けにしていく事となる。

 周囲に漂うその冷気は、決して自然にできたものではない。

そのことに気が付いたアルヴァールはハッとしたように、背後を振り返った。


「――っ!!」


 すると、そこには岩に背を預けながらも、魔力を込めているスレイの姿があった。

 傷だらけになりながらも、最後の力を振り絞るようにスレイはその言葉を口にした。


『「氷の封印コキュートス」』


 その直後、アルヴァールの体はカイの血を介して強くその場に固定されることとなる。カイの狙いに気が付いたアルヴァールは、声を荒げてその拘束から逃れようと、藻掻いた。


「っ、死に損ないが!!」


 しかし、カイはそれを阻止するかの如く、自身を貫く槍の強く柄を握りしめると、自嘲を浮かべながらも、歯を食いしばり続けた。


「ぐっ……っ、死に損ないにも、意地はあるんでね……アンタの、負けだ朱の王!!」


 その言葉を口にしたカイは、この時を待っていたとばかりに、自身の手のひらに魔力を込めた。

 カイの瞳が世界の“異物”を捉えるように青く光り輝き、目の前の男を捉える。


 すると、何かを悟ったその王は、その瞳に悔しさを浮かべてカイを捉えると、負け惜しみのように嘲笑いながら言葉を吐き捨てた。


「ふっ、まぁ良い。どうせこれで貴様はもう助からないのだからな」

「そうかもしれない……だが、アンタの思惑が阻止できればそれで十分だ」


 偽物の王が口にしたように、この体はきっともう助からない。それだけの致命傷をカイは受けてしまっていた。

 満身創痍で今にも倒れそうな体を奮い立たせ、何とか立っているだけがやっとの状況で、それでもカイは満足げに笑っていた。


(……あぁ、これで終わりだな)


 魔力が光の鍵を作り出し、カイの手に収まれば、その光は強く眩しい輝きを放つ。


『「汝よ、開け!!」』


 手にした鍵がその言葉と共に、バリンと砕け散れば眩しい程の光が当たりを包み込む。


「――あの天使にあの世で伝えろ、我々は目的の為なら手段を厭わないと……その為なら、どのような手段をも厭わないと」


 その直後、王によって無理矢理槍が引き抜かれれば、カイの体は支えを失い、そのまま地面に倒れ込んでしまう。


「うっ!」


 それとほぼ同時に、スレイの魔法が解けたようで、目の前にいた男も動きを止めて地面にひれ伏していた。


 槍を抜かれた影響により、カイの体からは次々に血が溢れ出す。

 息が苦しい筈なのに、手足の感覚は終わりの時へと向かい、少しずつその苦痛を和らげようと感覚を麻痺させていく。

 肩で呼吸を荒く繰り返し、仰向けのまま地面に横たわったカイは、空を見上げて思った。


(綺麗な空だな……)


 と。


 重たくなっていく瞼の中で、カイが目を閉じようとした直後、何かが視界の中に現れる。

 それは、宝石を思わせる美しい青色の瞳だった。色素の薄い水色の髪の毛の間からは、愛らしい顔立ちが覗けており、そこには真剣な表情が浮かんでいたのが分かる。


「――貴方は、私が助けます……ごめんなさい、カイさん……」


 薄れる意識の中で、彼女がそう唱えたのが分かった。


(イリーナ……?)


 一体、何を謝る必要があるというのだろう。

 カイがそう思った直後、彼の意識はそこで途切れた。

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