21 王冠の魔術師
森の中を走りながら、スレイたちの元に向かっていた一同は、イリーナから呟かれた言葉を受けて、複雑な表情を浮かべていた。
『姉だと? なるほど、そういう事か』
イリーナが何故王冠の魔術師を探しているのか、その理由について納得がいった様子のリプカは、魔物と交戦している二人の元に突っ込もうとしていたカイに声をかけた。
『おい小僧! あの獣は自ら放電する事で獲物を行動不能にして襲う習性がある、迂闊に近づくな』
「近づくなって言っても、じゃあどうやってスレイたちを助けに行けばいいんだよ」
『術者だ、あれは恐らく魔法による精神汚染を受け、操られている。どこか近くに潜んでいる王冠の魔術師を探せ! 小娘、貴様はあの者らの支援を頼んだぞ、魔術師に関してはこちらで手を打つ――今は私情よりも現状を納める方が先だ、良いな?』
「……分かりました」
リプカの言葉を受けたイリーナは、一瞬だけその表情に迷いを見せるも、杖を手にするとしっかりと頷き、スレイたちの方へと向かっていく。
そこで二手に分かれる事となったカイたちは、雷獣より少し離れた森の奥へと進むことにした。
「それで、魔術師の居場所は検討がついてるのか?」
『いや……だが、そう遠くない場所に居る筈だ。見つけ次第、奴を叩く』
「この森の中で人一人を探し出すのか? 相変わらず滅茶苦茶だな」
リプカの返答にカイが呆れた声を漏らせば、カイの肩に乗っていたリプカは深紅の瞳をゆっくりと細めて告げる。
『そんな訳がなかろう――貴様の眼を使う』
「……俺の眼?」
ここに来てそんな事を言いだしたリプカに、カイが戸惑いの声を上げれば、黒猫はカイの肩から飛び降りると、下から彼を見上げて真剣な眼差しを向けた。
『良く聞け小僧。お前は、仮にも天使の力をその身に宿している。お前のその眼は、この世界にとっての異物を探知する事にも長けている筈だ。お前は、この森に存在する違和感を探れ』
「違和感を……探る?」
一体どうやってそれを探れば良いのかと、カイが首を傾げていると、森の奥では更に激しい戦いが繰り広げられている音が聞こえてくる。
「急げ、あまり時間は無いぞ」
「――っ、分かった……やってみる」
リプカに急かされるようにそう言われて、カイはひとまずやってみることにした。
周囲は少し離れた場所で戦いが行われている以外に、何の音も聞こえてこない。近くに獰猛な獣が居るせいか、生き物の声すら聞こえなかった。
集中を高めるように、カイが周囲の音に耳を澄まし、視線を動かす。
木々の中に潜む人間の気配、魔力の気配を探知する為にカイは神経を研ぎ澄ませていく。
彼の集中が高まるにつれて、森がざわざわと揺らぎ始める。まるでカイに応えるかの如く、風が周囲を通り抜けていくと、カイの瞳が違和感を探るように、漆黒から青へと変化していく。
それを近くで見ていたリプカは、紅い瞳を細めてその様子を見つめていた。
「――あれだ」
カイが何かに気が付いた様子で、導かれるように歩き始める。
ふらふらと吸い寄せられるように、歩き出したカイが視界に捉えていた物は、黒く淀んだ魔力の気配だった。
『気配は何処にある?』
「この奥だ」
カイと共に森の中を進んでいくと、やがて小さな水の湧き出る場所へとたどり着く。そこは恐らく、この森に住む動物たちの水飲み場となっている場所だったのだろう。
水の湧き出る小さな泉の側には、黒いフードを深く被った人物の姿があった。
背格好は、以前カイたちが
向こうはカイ達の気配に気が付いた様子で、独り言を口にする。
「――まさか、ここの居場所がバレちゃうなんて、勘が鋭い奴も居たのね」
その声は、カイが知る人物の声によく似ていた。相手の姿に、カイが警戒を滲ませれば、近くに居たリプカが唸り声を上げながら叫んだ。
『今すぐに、あの獣を使役する魔術を解け!』
そう叫んだリプカの放つ殺気は、今にも相手を丸焦げにしてしまいそうな気迫があった。
しかし、相手は向けられた殺気に怯む様子もなく、確信を突いた言葉を返してくる。
「あら残念、今しがた術式が完成したの。あれを止めたいなら、雷獣を殺すしかないわ。命を奪う事は貴方の専売特許でしょ、朱の王?」
『――やはり、貴様も奴らの仲間か!!』
リプカを目にして、朱の王と言い当てたという事は、その事情を知る人物らの仲間という事になる。
怒りを露わにするリプカに、魔術師は冷静な声のまま続けた。
「だったら何? 猫に姿をかえられたアンタに、私が止められるとでも?」
『試してみるか小娘?』
互いに一触即発の空気を出す二人に対して、カイは細心の注意を払いながら動向を探っていた。
すると、先に動いたのは、魔術師の方だった。
その人物は、自身の指をパチンと鳴らすと、無数の魔法陣をそこに出現させて、多くの魔物を召喚する。
「悪いけど、私の仕事はこれでお終いだから」
『逃がすと思うか!』
一瞬にして敵に周囲を包囲されたカイたちだったが、リプカの魔法により瞬く間に魔物達は灰と化す。
(熱っ!!)
凄まじい熱気に周囲が包まれたことで、カイが顔を覆うように腕を動かすと、魔術師はフードの奥から苛立った様子で声を上げた。
「全部焼き殺すなんて、芸の無い黒猫ね!」
気が付くと、そこには空間を裂くような、黒い歪が現れていた。
そして、そこからは、カイが以前苦しめられた黒い形をした槍が出現する。
「――これは!」
『ぼさっとするな、来るぞ!』
ハッとした時には、周囲に無数の槍が降り注いでいた。
とっさの出来事に、カイが障壁を展開すれば、その力は圧倒的な質量を持ちカイに降りかかる。
(凄い数だ)
以前、カイが
その槍の勢いは、周囲の地面を抉り、木々をなぎ倒しながら土埃を上げて視界を塞いでいく。
そんな槍の雨を受けながら、カイは妙に冷静だった。
あの時とは違い、今の彼にはそれを凌ぎきれるだけの余裕があったからだ。
向こうが数で攻めてくるなら、それを凌駕するほどの威力で跳ね返すだけ。
その直後、自然と体が動いていた。
自身を守るように障壁を張りながらも、照準を魔術師に合わせて魔力を込める。
『「――
その言葉と共に、森の中を激しい風が吹き抜けた。
「――なにっ!?」
魔術師の狼狽える声を聞いた瞬間、彼らを狙っていた槍が、激しい風と共に何処かへと吹き飛ばされていく。
その勢いは、少し加減を間違えているようにも感じられた。
周囲の木々全てを吹き飛ばす勢いで魔法を使ってしまった事で、近くにいたリプカが慌てた様子で声を張り上げる。
『馬鹿者! やり過ぎだ!』
「……ごめん、つい力が入って」
周囲が砂塵により見えなくなれば、カイは慌てて辺りを見渡した。
魔法の影響で相手がどうなったかが、その視界の中では確認できなかったからだ。
「あの魔術師、大丈夫だったかな」
カイが心配の色を滲ませて、周囲を窺っていると呆れたような返事が返ってくる。
「――私を何だと思っているわけ? その程度の魔術で死ぬわけないでしょ」
どうやら、相手は咄嗟にあの風を凌いでいたらしい。
そこに佇む人物の周囲だけが、カイの放った爆風に呑まれずに済んでいたようだった。
さすが、王冠の魔術師と呼ばれるだけはある。
相手は服に着いた塵を余裕にも払いのけると、ため息を零す。
どうやらフードの中には、黒を基調とした服を身に纏っているらしい。随分と丈の短いスカートを履いている事が分かる。
白くスラッとした足が、動いた服の隙間から覗けていることが分かった。
「――はぁ、やめやめ。私の今回の仕事は、あの人間の抹殺……アンタたちの相手じゃないんだから、無駄に労働させないで」
魔術師は大きな声で言葉を口にすると、うんざりとした様子を見せる。
それを見ていたリプカは、警戒を続けながら口を開いていた。
『何の為にあの者を殺した?』
「さぁ、私はボスの命令に従っているだけだから知らないわ。邪魔だったから殺したに過ぎないんじゃない?」
そう答えた魔術師は、その言葉と共にフードを外すと、その顔を露わにする。
そこに映った姿に、カイは目を見開き固まった。何故なら、そこに現れた人物がイリーナと瓜二つの顔立ちだったからだ。
魔術師は、腰に手を当てて苦笑を浮かべると、続けてこう呟く。
「まぁ、逃げる途中で王様と遭遇したのは、予想外だったけど。その途中でまさか、水の精に邪魔されるなんて運が悪かったわ」
相手はどうやら、不意打ちで王と遭遇し襲撃する事を決めたらしい。だが、王を襲ってみたものの、ネレイデスの阻止を受けて、撤退に至ったという事だった。
その言葉は、随分と人の命に対して軽い印象を受ける。
恰好をよく観察すると、身を隠す為の黒い布には血のような染みが付いている事が分かる。
相手の見た目は、イリーナと瓜二つではあったが、髪は肩より短く切られている事から、その区別は髪の長さで簡単に判別できる印象だ。
それ以外の特徴と言えば、胸がイリーナよりも、彼女の方が大きいところだろうか。
カイは正面に立つ少女を見るなり、茫然と言葉を口にした。
「イリーナと姉妹だったのは本当だったんだな」
すると王冠の魔術師――フローラ・セイクリッドは、自身の妹の名を耳にした瞬間、不快そうな表情を浮かべてカイを睨んだ。
「その名前を私の前で口にしないでくれない? 不快すぎて殺したくなるから」
「……どうして、こんなことを……?」
名前一つで殺意を向けられた事に戸惑いながらも、カイは眉を寄せて訴えた。
すると、フローラは小馬鹿にしたように鼻で笑うと、腰に手を当てて言葉を吐き捨てる。
「どうして? そんなの、目的の為に決まっているじゃない」
『目的とは何だ、貴様らは一体何者だ!』
「質問ばかりで面倒くさい人たちね……良いわ答えてあげる。我らはロキ、この世界の終わりを望む者よ」
自身の胸元に手を当てて、そう呟いたフローラは不敵な笑みを浮かべ宣言する。
『ロキ……それがお前たちの目的か』
世界の終わりを望むと耳にした途端、リプカから放たれる気配が鋭さを増した気がする。
今にも飛び掛かりそうな体勢の黒猫を一瞥したフローラは、真っ直ぐな瞳と共に答えた。
「そうよ」
「何で、そんなことを……」
「その理由をアンタに教えると思う? それよりも、こんなところで油を売ってて良いのかしら? 今頃貴方のお仲間はあの雷獣に殺されている頃かもね」
「っ!」
口元を歪めた相手に、カイはハッとした表情を浮かべた。
先ほど、彼女が「術式が完成した」と口にしていた事を思い出したからだ。そうなってしまえば、もう彼女を攻撃したところで、今暴れている魔物を止める事は出来ない。
今すぐにでも向こうの応援に向かわなければ、カイがそう思った時だった。
「お喋りの時間はそろそろお終い」
不意に目の前に立っていた少女が指を鳴らす。すると、再び周囲に魔物が姿を現すと、カイたち目がけて襲い掛かってきた。
フローラはその隙に、時空の歪みを出現させて撤退の準備を始めてしまう。
「それじゃ、さようなら。明日生き残れる事を願っているわ」
『貴様、待て!!』
リプカが、怒りの声を上げたものの、相手はそれを鼻で笑うなりその場から姿を消してしまう。
『邪魔だ、どけ!』
苛立ちを露わにするリプカが、襲い掛かって来た魔物を全て灰に変えた頃には、既に彼女の姿は何処にも無かった。
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