20 普通であるということ

『――お前でもそのような顔をするのだな』


 その日、カイは最悪の目覚めを迎えていた。

 カイと同じ部屋で眠っていた黒猫は、カイの起床の気配に顔を動かすなり、少しだけ面白そうな様子で口元を緩ませている。


 それは、朱の王との戦いを控えた一日前の朝であった。


 目を開けて早々、黒猫に冷静な指摘をされたカイは、否定もせずに身を起こす。


「最悪だ」


 体は疲労が抜けたように軽いのだが、要は気持ちの問題である。

 事情を説明せずとも、彼に何があったのかを理解している様子のリプカは、カイと同じようにゆっくりと身を起こすと尋ねた。


『一体何を視ていたのだ』

「天使様と少し話をしてきた……俺が一般人になる事を認める気は更々ないらしい……」

『だろうよ』


 あの反応から見てまず間違いなく、カイをその任から下ろす気はないらしい。

 そのことを漸く自覚したカイは、早朝にも拘わらず頭を抱えて唸り始める。


「なんでだよ!」


 召喚者の選定はその魂の在り方で決めると語っていたが、彼女が本気を出せばもっといい逸材は他にもいる筈だとカイは心の中で訴える。


「そもそも、俺はルクスと比べてどう見ても聖騎士向きじゃない訳で、それは既に試験結果で分かってる事だろ」

『まぁ、そうだな。俺は聖騎士とやらを見たことは無いが、お前の器ではない事は分かっている』

「だろ!? かといって、イリーナみたいに、魔法がうまいわけでもない、スレイみたいに戦いが出来るわけでもない……おかしくないか!?」


 急にねじが緩んで壊れたみたいに、現実を嘆き始めたカイに、リプカはため息を零す。


『そもそも、お前は良い意味でも悪い意味でも普通の人間だな』

「だよな!?」

『まぁ、だからなのだろうよ』

「……は?」


 魂の形はどうであれ、もっとこの力に相応しい人物が居る筈だと、一般人である事をカイが主張し続けていれば、リプカは意外にも彼女の考えが少しだけ分かるような口調で語り始めた。


『人間という生き物は、所詮欲深い生き物だ。俺が力と戦いを求めてしまうようにな……人は他者より秀でた力を与えられると、その多くが特別なのだと傲慢と化す。それは良くも悪くも周りのバランスを掻き崩し、均衡を崩す。ましてや、天使の力なんてものは以ての外だ。ひけらかそうと思えばどれだけでも威張り、見せびらかせられる』


 リプカから語られる言葉は、王として特別であり、武者として優秀だからこその言葉だったのかもしれない。

 黒猫は、瞳を伏せながら語り聞かせるような口調で、言葉を続けていく。


『なんせ、この世でそれを扱えるのは他に二つとないのだ。故に、セリカはお前を選んだのだろう。良くも悪くも、そんな化け物染みた力を与えられながらも、人としてあり続けようとする貴様の在り方を気に入り……まぁ、あまり深く考えずともお前はお前らしく立ち振る舞えばよい。天使は気まぐれだ、飽きればもしかすると気が変わるかもしれんからな』


 他人から見た自分は、そんな風に映っているのかとカイは驚く。

 それと同時に、リプカから確証の無い希望論を持ち出されて、肩を落とした。


「それじゃ、いつになったら俺は一般人に戻れるんだよ」

『知らん、あの天使は人の話など聞く耳を持たぬからな』


 神は傲慢だからなと、堂々と呟いたリプカに、これ以上考えていてもしょうがないと気持ちを切り替える事にする。

 それに、今は明日に向けて集中しなければ。


 カイがそう考えていると、部屋の外も慌ただしさに包まれている気がした。


(なんだ?)


 早朝の時刻だというのに、外では足音がバタバタと響いているのが聞こえたからだ。

明日は朱の王国マールスとの全面戦争を控えているからだろうか。

カイが怪訝な表情を浮かべて扉へと視線を向けると、リプカも同様の表情を浮かべている事に気が付く。

 

「何かあったのか?」

『さぁな』


 カイとリプカがお互いに顔を見合わせて話をしていると、不意に部屋の扉がノックされる。


「カイさん、起きてらっしゃいますか!?」


 どうやら、扉の外に現れたのは、イリーナのようだ。その声からして随分と慌てている様子が窺える。

 不思議に思ったカイが部屋の扉を開けば、そこには息を切らし慌てた姿のイリーナが立っていた。


「良かった……朝早くからすみません、実は城内で大変な事が起きており……」

「大変な事?」

「実は、今朝がた城の中に不審者が潜入し、王の命を狙う事件が起きたようでして……犯人の目的は、城の地下牢に捕えられていた誘拐犯の主犯の殺害だったようですが、運悪く犯人が逃げる時に王と遭遇してしまったようでして……」

『それで、青の王は無事なのか!?』


 イリーナの言葉を受けて、リプカがカイの肩に飛び乗って状況を確認すれば、彼女は慌てながらもはっきりと情報を伝えてくる。


「はい、幸いかすり傷で済んだようなのですが……犯人が逃亡したらしく……その騒ぎに気付いたスレイさんとカノンさんが先に追跡をしているのですが、どうやら敵は多くの魔物を使役しているようでして……」

「分かった、応援に向かえば良いんだな?」

「はい、お願いします」


 イリーナがカイを呼びに来た目的は、応援要員の確保のようだった。

 カイはそれを理解した瞬間、急ぎ部屋を飛び出る。


「場所は何処か分かるのか?」

「それが、王都を囲む湖を超えた向こう側に居るそうでして」

「分かった、じゃあ急ごう」

「はい」


 イリーナから情報を聞き出したカイは、そうしてリプカを肩に乗せて走り出した。





 イリーナに案内されてカイ達が辿り着いていた場所は、王都を囲む湖の側にある森の中であった。

 どうやら、そこでは既に激しい戦闘が繰り広げられているらしく、遠くからでもけたたましい戦闘の音が鳴り響いていた。


「何だあれ」

「あれは……雷獣です!」


 視界が開けた先でカイが見たものは、彼が見たことも無い巨体な獣の姿であった。見た目はライオンを思わせるシルエットをしているようだが、その大きさはそれの比ではない。

 鋭い牙を口元からのぞかせる獣は、咆哮を上げてスレイ達に苛立ちを露わにしているようで、体からはバチバチと電流を放っているのが分かる。


 大きく声を張り上げたイリーナが、そこに居る魔物の名を口にすると、カイの肩に乗るリプカが怪しむように声を漏らした。


『何故アレがこのような場所に……?』

「本来、雷獣のような獣は深い森の中に生息するのですが、どうやら犯人が召喚して使役しているようでして……」

『それは、もしや……?』

「はい、リプカさんが考えた通りだと思います。彼女・・がこの件には関わっているようでして……」

「彼女?」


 リプカとイリーナの会話を聞きながら、カイが未だに理解出来ないような声を漏らすと、イリーナは走り続けながら真剣な表情を浮かべて告げた。


「王冠の魔術師です」

「――! それって……」


 以前、カイがイリーナから説明を受けた人物の事を思い出し反応を示せば、イリーナは真っすぐに目の前に存在する魔物を見据えて一つ頷いた。


「はい、私の姉が関わっているかもしれないのです」

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