19 可能性の話
カイが佇む世界に存在したのは、以前彼が夢で見た景色と同じ光景だった。
大きな大樹の周りには、静けさに包まれた湖と夜空が広がっている。
大樹を背にして立っている一人の少女は、緑色のグラデーションが入った短い髪を揺らしながら楽し気に微笑んでいた。
『キミはおかしな事ばかり言うね。一般人とは、基本的にキミみたいな力を与えられた人を指したりはしないんだよ?』
『一体誰のせいで、こんな事になってると思ってるんですか……』
セリカから冷静にそう指摘されたカイは、呆れたように言葉を返す。
目の前の天使は、カイが不満そうな態度を取ろうが、気にした様子はなく寧ろ楽しそうに目を細めていた。
『けど、その力のお陰でキミは何度も命拾いをしている、違うかな?』
『ぐっ……』
痛いところを突かれ、カイは苦虫でも潰したような表情でセリカを見上げる。天使が立っている位置は、カイより少し高めの位置にある、樹の根の上だ。
カイを言い負かした事で、満足そうに微笑んだ少女は「ごめんね、大人げなかったね」と形だけの謝罪を口にして、カイの反応を楽しんでいる姿が窺える。
セリカからすれば、これほど素直に感情を露わにする人間も珍しいのだろう。
天使相手に口で言い争いをしても勝てないと分かったカイは、気持ちを切り替えるように彼女の目的を尋ねた。
『それで、今回は何の用で俺を此処に? 漸く代役の人が見つかったって報告ですか?』
『代役? あぁ、そんな話もしていたね……ボクが今日キミをここに呼んだのは、朱の王との戦いについて、キミに迷いが見えたから心配になって呼んだんだよ』
『……』
迷いがある、そう断言されたカイは図星を突かれ言葉を詰まらせた。彼女の言う通り、心の準備がまだ整っていないのは事実だったからだ。
あの脅威を前に、自分は本当にやり切れるのか。そんな不安が彼の心にはずっと渦巻いていたのだ。
カイは大樹の足元に佇む少女へと視線を走らせ、先ほどとは違った雰囲気で質問を口にする。
『貴女から見て、俺たちは勝てると思いますか?』
『正直厳しいだろうね。あの王は戦いの才能にあふれた人物だから、例え中身が偽物であろうとも、その実力は脅威に等しい』
ちょっとした好奇心だった。だが、そんな残酷な現実を突きつけられる事となり、カイは少しだけ後悔する。
『……聞かなきゃよかった』
カイが心の底からそう呟くと、天使は残酷にも他人事のように笑みを深めた。
『聞いたのは、キミの方なのに』
『そこは普通、嘘でも励ましてくださいよ……』
『嘘を伝えたところで、キミは納得する人間じゃないだろう? それよりも、今のキミに大切なのは、事実であり、甘やかしなんかじゃない』
愛らしい顔立ちで微笑む割には、中々に容赦がない。だが、確かにその通りだとカイは思った。
真実を突きつけられた事で、カイの中に身を引き締めるような思いが生まれたからだ。
そんなカイの変化を悟ったのか、セリカは満足そうに頷くと、視線を空に向けて呟く。
『勝てる、勝てないなんて未来は、無数にある選択の一択にしか過ぎない……ねぇ、カイ。この空を見上げてごらん。そこに広がる星は、今キミが選ぼうとしている、無数の未来を現していると仮定しよう……そこに見える可能性や、選択肢をキミはまだ選びもしない段階で諦めてはいないかい?』
天使の視界の先には、空いっぱいに枝葉を広げる生命の樹の、生き生きとした姿が映っているようだった。
カイもそれにつられて空を見上げると、星が無数に流れ落ちていく神秘的な光景がその隙間から覗けている事が分かった。
それは、あまりにも絶景で、その美しさは言葉を失うものがある。
光っては消えていく、その一つ一つの光が、今カイの選ぼうとしている未来の一択であるならば、可能性はまさに無限大と言えただろう。
『戦いの結果は、キミが尽力を尽くした果てにしか存在しない。だから、今のボクには何も言う事は出来ない、だけど……キミの描く未来は、これだけの可能性がある事を忘れないで、歩み続ける限り、キミにはそれだけの選択肢があるんだよ、カイ』
セリカの語り掛ける声に呼応したように、周囲に優しい風が吹く。
頬を撫でる風は、暖かくそれでいて不思議と優しさを纏っている気がした。
ゆっくりとカイが視線を下げると、セリカは薄く微笑んで続けた。
『戦いの結果について、ボクは何も言えないけれど……キミに与えたその力は、キミの覚悟を絶対に裏切らない……それだけは忘れないで』
『……有難うございます、セリカ様』
『うん、良い顔つきになったね』
カイの中で気持ちが固まった瞬間だったのかもしれない。そこに浮かぶ彼の表情には、少しだけ覚悟が宿ったような気がした。
それを見ていたセリカは、満足そうに目を細めて見つめている。
セリカに励まされた事で、改めてカイが戦いに向けての気持ちを固めていると、彼はふとある事を思い出して尋ねてみる事にした。
『そうだ……一つ聞きたいことがあるんですが、良いですか?』
『どうぞ』
『セリカ様から見て、あの王の中身はやはり“偽物”ってことで良いんですか?』
『それはどういう意味かな? キミは長らく旅をしたあの黒猫が、キミに嘘を吐いているって言いたいのかい?』
『そうじゃありません……ただ、そう簡単に人の体を乗っ取るなんて出来るのかと思って……』
カイはリプカの言葉を信じている。あの黒猫の中身が、朱の王であることも信じている。
だがよく分からないのは、人間の中身を易々と入れ替えて暴れ回っている“敵”の存在についてである。一体どうやって敵はそれを可能としているのだろう。
カイがどうにもよく分からないと言いたげな表情を浮かべたことで、セリカは納得したように語り始めた。
『あぁ、そういうことか……何者かに体を乗っ取られるという出来事は、本当にあることだよ』
『え!?』
『それはキミ自身がその証拠として存在している……キミがこの世界にやって来た時、正確にはキミたちの魂は、この世界の器と壁の向こうの器の中身を入れ替えて召喚しているんだ』
どうやら彼女は、異世界から人間を召喚する仕組みがこの件に深くかかわっていると踏んで話を始めたようだった。
『世界には、複数の並行世界が存在するのはもう知っているだろう? それはつまり、同じ魂を持つ人間も次元を超えた壁の向こうに複数存在する意味になる。だけど、異世界から同じ人間を二人同時期に存在させる事は許されない。だから、
『……魂だけを入れ替える……?』
『そう。それなら、異世界から人間を召喚しても、世界の理を犯したことにはならないからね。そもそも、どうしてキミはこの世界に来て魔法を使えるようになったと思う? それは、元々、ここにあった“カイ・エレフセリア”の体が魔法適性を宿していたからだよ』
『この世界の俺の体が……ですか?』
『そう』
世界の垣根を超えるという事がどういうことなのか、そう説明を口にした天使は驚くカイを尻目に話を続けていく。
『異世界から召喚される人間に共通するのは、魂が元の世界に適していないモノを選定するんだ。ほら、キミは元の世界では、魔力が一切使えないにもかかわらず、固有スキルを所持していただろう? キミの魂は、魔力の順応が元の世界では行えないちぐはぐな魂だったというわけさ。そういう人間が、世界の垣根を越えて魔力に順応した器を得た時“化ける”んだよ』
まさか、そんな理由が召喚の裏に隠されていたとは知らず、カイは驚きに目を見開きながら口を動かした。
『だから、俺を力の依り代に選んだんですか?』
『そう。キミは元の世界ではちぐはぐな魂の形をしていたから、こっちに呼んだら面白そうだなって思って。それに言っただろう、キミの魂の在り方を気に入っているって』
確かに、彼女は以前そんな話をしていた気がする。
まさかその言葉にそんな意味が隠されていたとは知らず、カイはここに来てその言葉の意味を理解した。
そしてそれと同時に「どうしてその可能性に気が付かなかったのか」と頭を抱えたくなる。
その原理をもし敵が利用する事が出来たなら、同じ世界の中だけであれば、人の肉体を奪うという事が可能になるからだ。
『そういう、事だったのか』
カイが漸くその事に納得していると、セリカは首を傾げながら尋ねた。
『初耳だったかい?』
『そんなこと、
『ふーん。けど、これで分かっただろう? 行き場を失った魂がもし、空いた体を手に入れたら、乗っ取るなんて出来てもおかしくないかもね』
『そもそも、何でそんなことをする必要が……?』
『それを調べるのがキミの仕事だろう? 少なくとも、何者かがこの世界を滅茶苦茶にしようとしていることだけは分かる。敵は一体、アルヴァールの体を乗っ取って何をしていたんだろうね?』
生命の樹を通して世界を見守る事が出来る彼女にも、分からない事があるのかとカイは思った。
それもそうだろう。敵の思惑が分からないからこそ、自分を手足の代わりとして使っているのだから。
そう考えて、カイは心の中で突っ込みを入れる。
(いやいや、待て待て! なに普通に受け入れようとしてるんだ、俺!)
一瞬、納得しかけてカイは慌てて首を振る。
(俺はこの任から降りて、鍵開け職人をしながら旅をするんだぞ!)
本来の目的を忘れるなと、カイが心の中で自分に語り掛けていると、目の前の天使はけらけらと笑って見せる。
『だから、キミは鍵開け職人じゃなくて、守護天使なんだってば』
『人の心を勝手に読まないでくださいよ! てか、俺が以前お願いした代役の件はどうなったんですか?! セリカ様が本気を出せば、そんな人間異世界から何人でも呼べますよね?』
『――あ、そろそろ時間だ。大丈夫、キミならきっとうまくやれるよ』
『は!? 待ってください、まだ話は――……』
まただ、と思う。
彼女は聞きたくない会話についてはとことん話し合うつもりはない様子で、そう言うなりカイを強制的に追い返そうとしてくる。
『っ……!』
急激な眠気に抗うように、カイが眠気をこらえると。
視界の中で彼女はふと慈しむような表情を浮かべて告げた。
――アルヴァールを、よろしくね。
最後に聞こえたそんな言葉に、カイはとうとう意識を手放すのだった。
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