15 嵐の予感


 各国に聖域の異常が起きている事はすでに周知の事だろう。汚染が始まったのは今から三年前だという事は、各国に共通する出来事だ。

 本来、エスイアには多くの雨季が存在し、常に大地が枯れぬように水が湧き出る循環が行われていた。だが、それが今から三年前に突然、青の遺跡に水の精霊ネレイデスが閉じ籠った事で異変が起き始める。

 何故彼女がその地に閉じ籠ってしまったのか、原因は定かではない。だが、彼女が遺跡に閉じ籠った影響で、本来王都を守っていた結界が消失したのは有名な話だ。


 今代の青の王キース・コリエンテが、若くしてその座に就任した事も相まって、当初彼女の失踪は彼に対する不満によるものではないかと言う噂も立っていた。

 だが、その真実は闇の中に飲まれたまま、気が付けば青の王都エスイアから結界が消失して三年もの月日が経っていたのだった。



***



「雨だ……」


 遺跡の中から外へと足を踏み出した一行が、最初に目にしたものは、大地を潤す雨だった。

 遺跡に入る前には、想像もつかない曇天が上空には広がっている。

 手のひらに雫を受けたカイは、後ろからやって来た仲間たちを振り返り、声をかける。


「帰り道、濡れる事になるけど大丈夫か?」

「え、雨が降ってるのか?」


 カイの言葉に驚いたような声を漏らしたスレイに、カイは一つ頷いて答える。

 すると、その背後から追いかけてきたイリーナも、驚いたように目を見開く姿が見える。


「驚きました……ネレイデス様が遺跡に姿を隠してからこの地は滅多に雨が降らなくなっていたと聞いたのですが……もしかしたら、先ほどネレイデス様がここを離れたからでしょうか? でも、困りました。雨に濡れるのはあまり好きじゃないのですが……」

『心配はない……おい小僧、貴様の出番だぞ』


 イリーナの呟きに、問題ないと答えたリプカは、何故かカイの方を見て声をかけた。


「え? 俺?」


 突然指名を受けたカイは、何の事か分からない様子で自分を指さす。

 すると、スレイはリプカが何を言いたいのか理解した様子で、納得の声を上げる。


「あぁ、そういうこと……」

「何だよ? 雨に濡れない方法に俺が関係あるのか?」


 カイがスレイの言葉に疑問を投げかければ、相手は察しの悪いカイに説明を始める。


「相棒は得意だろ? 風魔法」

「風魔法?」


 それがどうかしたのかと疑問を浮かべれば、リプカが代わりに説明を始める。


『王都までの間、俺たちが濡れぬように上空に範囲的に障壁を張れ。長時間魔力を使う訓練にもなり丁度良いだろう』

「……はぁ!?」


 まさか、自分の魔法を雨よけに使われることになるとは思わず、カイは驚きの声を漏らすのだった。



***



 カイたちが王都アイオライトに辿り着いた時には、あれから数日が経っていた。遺跡を出た頃に降っていた雨は、王都に近づくにつれて雨足が弱まり、王都を囲む湖の側まで来た頃には、雲一つ見当たらない青空が広がっていた。


 その空を眩しそうに見上げていたカイは、最初王都を訪れた時には無かった異変に気が付いた様子で声を上げる。


「……あれ、何だ?」


 彼の視界に映っていたのは、王都全体を囲むように出現していた水の膜である。それは王都を守るように広がっており、不思議な事に人々はその空間を不自由なく出入りしている姿が遠くから観察できる。

 カイの疑問を受けて、穏やかな表情を浮かべたイリーナは説明を始めた。


「あれが遺跡でお話したネレイデス様の結界です。本来青の王都アイオライトは、あの結界により長年守られていたのです」

「じゃあ、あれが本来の王都の姿なんだな」

「はい」


 イリーナの説明に、カイが納得したような声を漏らせば、湖の畔に一人の騎士が立っているのを見つける。


「あれは……」

「確か、あの時の……」

「四番隊隊長のカノンだね」


 彼はその話声でカイたちの気配に気が付いたのか、視線を向けてくるなり穏やかな声で話しかけてきた。


「お待ちしておりました、皆さま。青の遺跡の探索ご苦労様です」

「どうしてきみがここに?」

「王の命令で貴方がたをお迎えに参りました。戻り次第、王の間へ案内するようにとの命を受けておりますので、お疲れのところ申し訳ありませんが、ご一緒いただけますでしょうか?」

『良かろう』


 どうやら彼の用件は、カイたちの出迎えであったらしい。

 リプカの返事に、誰も異を唱える者はない。その様子にカノンは安心したような笑みを浮かべて、言葉を続ける。


「有難うございます……ちなみに、怪我をされている方はいますか?」

『心配は無用だ。皆無事だ』

「承知しました。ではご案内いたしますので、着いてきてください」

「――相棒は例外だったけどね」

「煩い、黙れ」


 カノンが歩きだしたのを見て、わざとらしいくその言葉を呟いたスレイに、カイは「余計な事を言うな」と鋭い視線を向けて、騎士の背中を追いかけるのだった。





 カノンの案内を受けて、一同が王の間に足を踏み入れれば、広いその部屋には王の姿しか見当たらない。どうやら今日は人払いを行っているらしい。

 その空間で口火を切ったのは、王の元へ歩み寄りながら、声を上げたリプカの方であった。


『――戻ったぞ』


 玉座の前に辿り着くなり、カイの肩から地面へと降り立ったリプカは、その場に腰を下ろして青の王――キースを見上げる。

 その姿を目にした王は、薄っすらと唇に笑みを浮かべて返事を返した。


「あぁ、ご苦労だったな」


 それはまるで、遠くから帰郷した友人とのやりとりを見ているようである。

 キースとのやり取りに関して、全てリプカに任せる事にしたカイたちは、静かにその様子を見守る事にする。すると、リプカは真剣な面持ちで本題を語り始めた。


『俺が朱の王、アルヴァール・エクスハティオであることは認めるな?』

「そうだな、君はまごうことなき、あの王だ。私の権限をもってそれを認めよう……それで、君の本来の望みは何だ?」

『俺の体の奪還だ。不届き者に制裁を加える』

「成程それはつまり、あの偽物の王を止める意思がある、という意味で取って良いという事だな?」

『無論だ』

『そこで、お前に頼みがある』

「へぇ? 君が素直だなんて、やっぱりおかしな事が起きているんだね」

『真面目に聞け』


 無事に依頼を完遂したリプカが、一体どんな交渉を始めるのかと固唾をのんで見守っていれば、話は思ったよりもサクサクと進んでいるらしい。

 あまり王について詳しく知らないカイだったが、二人の様子は随分と親しい関係にあるように思えた。

そして今更ではあるが、よくよく考えると、白の王国ファティルでフィリオールがリプカに親し気だったのも、彼が朱の王だという事を理解していたからかもしれない。


 キースの言葉に、不服そうな視線を向けたリプカは、気を取り直したように言葉を続ける。


『俺の望みはただ一つ……俺たちに奴の相手をさせろという要望だ。我らはお前が契約をしている精霊を救い出したのだ、それくらいは許されても構わないだろう?』

「なるほど……やはり彼女を解放したのは君たちだったというわけか」

『おい小僧、アレを出せ』


 二人の邪魔をしないように、黙って様子を見守っていれば、急にリプカに呼びかけられてカイは慌てて鞄の中を探り始める。

 黒猫の要求が、水の精霊からもらった宝石だとすぐに理解したからだ。

 彼は青色に輝く宝石を手に取ると、リプカの少し後ろに立って口を開いた。


「――青の王、これをどうぞ。遺跡に居た精霊から、王に渡すように頼まれたものです」


 カイがそう言って口を挟めば、キースは水色の瞳を細めて納得したような声を漏らす。


「そうか、彼女はそれを君に渡したのか……良いだろう。では偽物の対応は君に任せる、アルヴァール王。ネレイデス、顔を出して挨拶をしてやれ」

『――はい』


 どこかに向かい、キースが声をかければ、玉座に腰かける王の側に一人の女性が姿を現す。そこに現れたのは、カイが青の遺跡で救い出した精霊であった。


「あなたは……!」


 彼女は、カイの驚いた声に優しい眼差しを向けると、凛とした美しい声で話しかけてくる。


『先日ぶりですね……改めまして、私はネレイデス。この国を守護する水の精です。貴方がたが私を助けてくれたおかげで、の国からこの地を守護する事が間に合いました。感謝申し上げます』


 頭を下げたネレイデスに、カイは慌てて首を振る。


「い、いえ! 無事に解放できたみたいで良かったです。あの……それで、これは王様にお渡しすれば良いでしょうか?」


 カイがネレイデスに話しかけて、宝石の行先を尋ねると、王は口元に笑みを浮かべたまま答えた。


「いや、それは君が持っていてくれ」

「……え?」


 見るからに高そうな宝石をやると言われ、カイは驚く。

 すると、キースは玉座に腰かけたまま両手を組むと、穏やかな表情を浮かべてカイへと視線を動かした。


「それは君への報酬だ、カイ・エレフセリア。君たちに詳しい事情を説明せずに、遺跡の調査を依頼したが、彼女は三年前、あの場所で出現した魔物達と交戦し、その際に起きた異変に巻き込まれ、高濃度の魔力に閉じ込められてしまった……君は、それが何か言わずとも、もう分かっているのだろう?」

「……結晶化ですね……虹の王国イストーリアの話は、フィリオールさんから窺いました」

「その通りだ。あれは、我らではどうする事も出来ない。だから、せめて彼女に危害がいかぬよう、あの場所を封じたのだ」

「……そうだったんですね」


 青の王国エスイアに属する騎士団が、全力をもってしても彼女を結晶の中から救い出せなかったという説明を聞き、納得する。そうでなければ、王がわざわざあの地にカイたちを行かせるわけがないからだ。

 彼にとって、それは最後の賭けに等しかったのかもしれない。

 そこに浮かぶ王の表情に、疲労の色は窺えるものの、彼らに向ける眼差しは、最初会った時よりも優しいもののように思えたからだ。


「だから、それは君が持っていてくれ」

「分かりました……では有難く頂戴致します」


 王から賜った物を無下に突き返すわけにもいかず、カイは素直にそれを受け取る事にする。


「君たちにも、何か褒美を用意しよう。後で私の使いを送る」


 カイに続いて、背後にいたスレイとイリーナへと視線を向けた彼は、そう言葉を続ける。

 その言葉に素早く反応を見せたのは、スレイだった。

 彼は自身の胸元に手を当てて軽く頭を下げると、礼儀正しくその申し出を辞退する。


「光栄です、陛下。ですが、私には不要です。私の望みは王の望みである、エスイアとマールスの和平のみです」

「……そうだったな、君はデュナイアルだったな……尽力感謝する」


 スレイの一礼を受けたキースは、次はその隣の少女へと視線を動かした。


「あの、わ、私は……一つだけお尋ねしたいことがあります……」

「構わない。聞きたいことがあれば答えよう」


 イリーナの問いかけに足を組んで話に耳を傾けたキースは、ゆっくりと何かを見定めるかのように瞳を細める姿が見えた。

 その視線を真っすぐに受け止めたイリーナは、臆することなく答えた。


「王冠の魔術師をご存じでしょうか?」


「王冠の魔術師」その言葉にカイには聞き覚えがなかったが、周囲にいたスレイやリプカは何故か驚いたように彼女に視線を向けているようだった。

 キースはイリーナの言葉を受けて、静かに息を吐くと首を傾げて質問を投げた。


「……噂には耳にした事はある……それが?」

青の王国エスイアに居るという話を耳にしたのですが、居場所を探してほしいのです」


 どうやら彼女の望みというのは、人を探してほしいという内容らしい。

 もしかしたら、彼女が旅をしている理由は、その人物にかかわりがあるのかもしれない。

 深い事情を聞くまでもなく、何かを悟った様子のキースは静かな声で精霊の名を口にする。

 

「……なるほどな……分かった。ネレイデス……」

『はい』

「我が国に居ると噂の人物を探してくれ」

『承知しました』


 キースの言葉に、すぐさま反応を見せたネレイデスは、自身の力で鳥の形をした分身を作り出すと、空に向かって放つなりその場から姿を消してしまう。

 それを見ていたイリーナは、心底ホッとしたように肩を落として微笑んだ。


「感謝いたします、王様」

「君の望む答えが得られるかは分からないが、情報は後に彼女から伝わるだろう」


 どうやらそれで話は終わったらしい。

 イリーナが深く頭を下げれば、それから彼は気持ちを切り替えたように真剣な表情で語りだす。


「――それで、今後の話についてだが……我々は今から三日後に朱の軍勢との戦いを始める……君たちも既に見てきたとは思うが、彼らは確実にこの王都まで距離を詰めている。これ以上の侵略は我々も到底受けいれられるものではない……偽物の対応は全て君に一任する、で良いんだな、アルヴァール王?」

「っ!」

『無論だ。そのつもりで我々はここまで来た』


 黒猫の返事を受けたキースは、しっかりと頷くなりそこに居る三人へと視線を落とす。


「突然の事でまだ迷いがあるだろう。当然、我々も全力を持ってサポートはする。まずは騎士団に顔を出すと良い。カノンには事情は説明済だ、きっと力を貸してくれるだろう――話は以上だ!」

『――感謝するぞ、キース』

「全てを終わらせてから、その言葉は受け取ろう」


 すっかり話は王たちによってまとめられてしまったらしい。

 カイ達は、お互いに顔を見合わせると、今後どうするかをしっかりとリプカを含めて話合わなければと思うのだった。





 作戦会議については、ひとまず明日以降にしようという話になり、カイとリプカは王が用意してくれた部屋で体を休めていた。先ほどまで一緒だったイリーナとスレイは、別の部屋を用意してもらったらしく、明日までは別々で過ごす事となっている。

 

 イリーナが王に居場所を尋ねていた「王冠の魔術師」については、リプカもスレイも口にする事は無かったので、あえて尋ねずにここまで来ていた。

 きっとイリーナが一人で旅をしていた理由に大きくかかわる事なのだろうが、本人がそれについて語ろうとしなかったので、あえて二人も話題に出さなかったのかもしれない。そのことを加味してカイは口を閉ざしていたのだった。


 用意してもらった部屋のベッドで横になっていたカイは、王から賜った青色の宝石を眺めているようだった。

 部屋の照明を受けて輝きを放つ姿は、何処からどう見ても高価なものに思える。


「こんな高そうなもの、本当に俺が持ってて良いのかな」


 混じり気の無い美しい青色の宝石は、カイの手のひらに収まるサイズではあったものの、小石程度の大きさがある。これに値を付ければ、かなりの金額になることは間違いないだろう。

 

 カイの近くで丸くなっていたリプカは、その言葉に欠伸をしながら気にするなと言葉を続ける。


『王自ら良いと言ったのだから良いのだろう。少なくともそれがあれば青の国からの顔が利く、なんせそいつは国石であり、初代青の王が水の精霊に捧げた貴重な宝石だからな』

「はぁ!?」


 のんびりとした口調で、眠そうに説明されたカイは、危うく掌からそれを落としかけて両手でキャッチする。

 危うく国石に傷をつけるところだったと、カイが狼狽えながら猫を見れば、黒猫はその姿を少し馬鹿にしたように鼻を鳴らしていた。


「ど、どういうことだよ?」

『そのままの意味だ。それがあれば少なからずお前は、この国の王に認められたという事になる。良かったな、更に国巡りがしやすくなったぞ。各国には国石と呼ばれる国を象徴する宝石が存在し、初代の王たちは七色の王冠に付けられた宝石を互いに分け合い、その力は均等である事を示したそうだ。その宝石は言わば、平和の象徴そのものという事だ』


 だから各国の王都は宝石にちなんだ名を持つのか。

 ここにきて、とんでもない物を貰った事に気が付いたカイは、顔を青ざめさせて呟く。


「そ、そんな大事なものを俺に渡して良かったのかな」

『それほど、お前はこの国に尽力したということだろう。水の精霊は長らく姿を見せずにいた、この国にとって最大の防衛システムである精霊が戻ったとなると、この戦の活路が見いだせたという事だ。俺の体を乗っ取った者がどんな顔をするのか楽しみだ』


 猫は急にスイッチが入った様子で、悪魔的な笑みを浮かべていた。

 その表情を見たカイは、急いで国石――アイオライトを鞄の中に仕舞い込み、質問を投げてみる。


「そういえば、詳しく聞いてなかったけど、どうやってあの王を止めるつもりなんだ?」


 キースは「偽物の王についてはリプカに一任する」と言っていたので、彼には何か作戦があって体を取り戻すつもりなのだろうと考える。


 すると、リプカは何でもない事のようにカイへと視線を動かすと。


『無論、力ずくでいくに決まっているだろう』


 なんて台詞を返してくる。


「……」


 一瞬、聞き間違いかと思ったカイだったが、頭の中でその言葉を理解した途端。盛大な声で。


「――はぁ!?」


 と叫び声を上げるのだった。

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