11 イリーナ・セイクリッド

 まさか、こんな場所で知っている少女と出会うことになるとは思わなかったカイは、動揺を静めつつ、急いで彼女の元へと駆け寄る。


「何で、きみがこんな場所に……それよりも、怪我は? どこか痛むところはあるか!?」

「私の方は大丈夫です」


 イリーナの苦笑混じりの返事に、カイは安堵したように肩の力を抜く。


 彼女の様子を見ていても、服の汚れ以外は特に変わったところはない。あの男たちに酷い事をされなかっただろうかと一瞬心配になったが、自分が側に来ても警戒する様子を見せなかったので、大丈夫なのだろう。


 彼女が無事と分かったカイは、周囲を見渡して危険が無い事を確認するなり、警備兵を呼んでこようと考える。


「そっか……良かった無事で……ひとまず、街の警備兵を呼んでくるから、少し待っていてくれ」


 カイがそう断りを入れて入口の方を振り返れば、突如目の前にあった扉が勢いよく開かれた。


「――っ!」


 眩しい光が倉庫内へと射し込んできたことで、反射的に目を細めたカイは、一瞬敵襲かと考える。

 すると、その影はカイを見つけると、親しげな様子で語りかけてきた。


「あ、もうそっちは終わった?」

「……スレイ?」


 カイがその名前を口にすると、彼のわきから、数人の兵士と思われる人々が次々になだれ込んでくる。どうやら彼は、カイを助けに来ると同時に、街の警備兵を連れてきてくれたらしい。


「急いで彼女たちの救出を! 怪我人は治療を優先するんだ!」


 一人の男がそう指示を出すと、慣れた様子で兵士たちが閉じ込められていた少女たちの元へと急ぐ。


「大丈夫ですか? どこかお怪我はございませんか?」

「もう安心してください、我々は警備の者です」


 周囲からそんな会話が聞こえると、倉庫の隅で警戒していた被害者たちも、安堵したように表情を和らげている姿が見えた。


(良かった)


 その様子を見てカイがホッと息を吐いていると、先ほど兵士たちに指示を出していた青年が、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。


 逆光の中ではよく確認できなかったが、そこに現れた栗色の髪の短い青年は、青を基調とした騎士服に身を包んでいるようだった。

そんな青年の胸元には、国境で見た兵士と同じ紋章があることから、その服が騎士団の団員を表すものであることが分かる。

 彼は髪と等しい色の瞳をカイに向けるなり、口を開いた。


「誘拐犯の確保のご協力、ありがとうございました!」


 規則正しく頭を下げらえて、カイは慌てて首を振る。


「い、いや。俺は成り行きでこうなってるだけですので……」

「貴方が居なければ、我々はここを突き止める事が出来ませんでした……まさか、国内部の人間に裏切り者が居たとは……感謝します」

「はぁ……」


 カイが思うより、この場所を特定する事に苦労していたらしい。

 詳しい事情はよく分からないが、「そうだったのか」とカイが思っていると、入口の方からわざとらしい足音が聞こえてくる。


「いやぁ、探したよ相棒」


 それはスレイが立てた足音であるようだった。そこに浮かぶニコニコとした表情は、何故だか妙に圧を感じさせる。普段は足音一つしない身のこなしの癖に、今は機嫌が悪いと言いたげに近寄ってくる光景が見えた。

 しかも、普段は気の合わないリプカも、今日はどういうわけか、スレイの肩に乗りこちらを睨むような視線を向けているのが分かる。

 その四つのまなこに気圧されたカイは、本能的に一歩後退っていた。


「まさか、街について早々トラブルに巻き込まれてくれるとは」

「悪かったって!」

「いきなり姿を消すから、何かあったのかと、珍しくリプカと協力してきみを探しまわっていたのに……まさか、どさくさに紛れてこんな可愛い子を口説いてたとは……」

「――はぁ!?」


 てっきり、迷惑をかけた事を咎められるのかと思っていれば、予想もしない事を指摘され、カイは素っ頓狂な声を漏らす。

 確かに、傍から見ればイリーナとカイは親し気に会話をしていたのかもしれない。だが、此方としては彼女の身を案じていただけで、決して口説いていた訳ではないのだ。


 また適当な事を言い始めたスレイに、カイは抗議の声を上げようとする。しかし、相手はもうカイの事など眼中にない様子で、彼の後ろに縮こまっていたイリーナへと視線を向けていた。


「――初めましてお嬢さん、俺はスレイ・クラウン。カイに酷いことされなかった? 大丈夫?」

「ちょっ、お前! どさくさに紛れてるのは、お前の方だろうが!」


 身を案じているような事を喋りつつも、さりげなく手を差し伸べて名乗る姿は、さすがと言えただろう。ちゃっかり彼女の手を握る事に成功した男は、カイが間に割った事で茶化すのをやめて笑みを漏らす。


「冗談だって、冗談」

「お前な! 状況を考えろよ! ごめんな、イリーナいきなり訳の分からない茶番に付き合わせて」


 ただでさえ怖い思いをしたはずなのにと、カイが背後を振り返れば、これまで強張った表情を浮かべていたイリーナは、カイとスレイのやり取りに緊張が解けたように小さく笑った。


「いえ、本当に私は大丈夫です……ふふふ、随分と賑やかになられたんですね」

「……見ての通りかな」


 その笑みに、カイは苦笑を漏らす。

 ふざけたことを言いつつも、実は彼なりに彼女の緊張をほぐそうとしていたのだろうか。人をよく見ているスレイだからこそ、出来た事だったのかもしれない。


 イリーナの反応にカイが油断していると、今度はスレイの肩に乗っていた黒猫からの叱咤が飛んでくる。

 スパンと頭を叩かれたと思いきや、肩に飛び乗った猫は大きな声を耳元で上げる。


『この、馬鹿者が!! 何を悠々と浚われている!』

「痛っ! ちょっ、耳元はやめろよ!」

『何の為に、貴様に魔術の稽古をこの俺が付けてやったと思っている!』

「ごめん、悪かったって!」

『何を油断して歩いているのだ、この阿呆が!』

「反論の余地もございません」


 リプカにこっぴどく叱られるカイは、反省の色を浮かべて項垂れていた。

 その様子を見ていたスレイは吹きだして笑い、イリーナは驚いたように目を見開いていたのだった。





 一通り、リプカの説教が終わったころ、周りの状況も落ち着いてきた中で、カイは周りを見ながらスレイに声をかけていた。

 先ほどまで声を荒げていたリプカは、不機嫌そうなままカイの肩に乗っている。


「そういえば、あの警備兵たちはスレイが連れてきてくれたのか?」

「まぁね。途中で伸されている男たちを見つけたから、これは何かあったなと思って。まぁ、相棒の心配と言うよりは、相棒の相手をしている奴らの方がちょっと心配だったから」

「そっか、助かったよ」


 スレイの考えは実に正しい。カイがあの状況ですぐに警備兵を呼んで来ようとしたのも、そういった理由があったからである。おかげで、誰一人犠牲者を出す事がなかったと、カイが礼を口にすれば、スレイは意外な言葉を口にする。


「けど、逆に攫われて良かったかもね」

「……は?」

「まぁ、見てなって」

「あ、おい!……何なんだ?」


 あれだけリプカにこっぴどく説教をされたというのに、何が良かったのかとカイが首を傾げれば、スレイは警備兵たちに指示を出している、栗色の髪の青年の元へ行ってしまう。

 彼はその人物と何やら暫く話し込んでいると、やがて話を終えた様子で戻ってくる。


「お待たせ! 彼が王様への謁見の件、取り次いでくれるってさ」

「……は?」

『どういうことだ?』


 スレイの言葉にリプカが説明を求めると、彼は得意げな表情で続けた。


「彼、騎士団の人間で……それなりに有名な人の弟だったりするんだよね」

「……知り合いなのか?」

「いや、全然。けど、顔と名前くらいは把握しておかないと、仕事柄ね。それで自分たちは王に会いに来たって事情を説明したら、ひとまず謁見の許可は取ってみるってさ」

「……お前って、やっぱりすごいんだな」


 今回の事を利用して臨機応変に立ち回れる姿は、さすがと言えただろう。さすがデュナイアルに所属するだけはある。その名は伊達じゃないらしい。

 今一度、この青年の立ち回りのうまさにカイが感心していると、スレイは得意げな表情で胸を張る。


「あはは、褒められて悪い気はしないから、もっと褒めても良いよ」

『調子に乗るな』


 そんな会話をすぐ側で聞いていたイリーナは、話の内容がよく分からないと言いたげな表情でカイとスレイたちを見つめていた。


 警備兵に治療の有無を尋ねられた際に、彼女はそれを断っていたので、ここに残っているのだろう。


 すっかり会話に夢中の二人とは違い、その視線に気づいた様子のリプカは、落ち着いた様子でイリーナに話しかけていた。


『怪我はないか?』

「は、はい!」

『騒がしくてすまない。俺たちはこの後、王への謁見の為に城に行くが、お前は今後行く当てがあるのか?』

「……いえ」


 瞳を伏せたイリーナの様子に、リプカは様々な状況を加味した様子でため息を吐く。


『俺たちはお前が思うよりも過酷な状況に飛び込もうとしている。こう見えて訳ありだからな……行く当てが決まっていないなら着いてくるか?』

「……良いんですか?」

『正直、回復役ヒーラーが居るのは、こちらとしても助かるからな』


 イリーナは一瞬考える素振りを見せたが、スレイと話し込んでいるカイの横顔を見つめると、覚悟を決めたようにその言葉をはっきりと口にする。


「……行きます、私も行かせてください!」


その返事を耳にしたリプカは、薄く笑うとカイに声をかける。


『――おい小僧』

「……え? なに?」


 スレイと話し込んでいたカイは、それまでの会話がすぐ側で行われていたにもかかわらず、耳に入っていなかった様子でリプカへと視線を向ける。

 リプカはそんなカイに説明もなくこう続けた。


『我々の旅にイリーナも同行する事になった』

「……はぁ!?」

「え、なになに、ついに俺たちの男所帯に、可愛い女の子が増えるの!?」


 驚くカイに反して、スレイは随分と乗り気の様子で口を挟んでくる。

 相変わらず飄々とふざけた態度をとっているが、こう見えていざというときは頼りになるので、リプカは眉を顰めながらも無視をして、言葉を続ける。


『回復役は居た方が良いからな』

「え!? イリーナは大丈夫なのか!? 俺たち、こう見えても割と大変な旅をしているというか……」


 カイが複雑な事情を説明するか迷っていると、イリーナは自身の胸元に手を当てるとしっかりとした口調で答えた。

 以前出会った時の、ふわふわの印象とは少し違い、そこには凛とした女性の顔つきが浮かんでいる。


「大丈夫です。私も、色々な場所を旅したいので」


 その言葉にカイが再度口を開こうとすれば、それを遮るように、スレイはどこか真剣味を帯びた声で告げた。


「――へぇ? 良いね、可愛い女の子なら俺は大歓迎!」


 珍しく真面目な事を言い出すのかと思いきや、やはりスレイはスレイだった。

 そんな男の様子に、カイはため息を吐いてからイリーナを見る。


「それがイリーナの望みなんだな?」

「はい。以前もお話しましたが、私も世界を旅しているんです……どうしても、私は行かないといけなくて……ですから、共に行かせてください。お願いします!」


 きっと彼女も、何か理由があって旅をしているのだろう。女性一人で世界を旅するなんて、普通は考えられないからだ。


 もしこのままそれを断り、彼女が再び危険な目に遭うなら、カイとしては同行を許すしかない。

 それに、このメンバーに唯一欠けているのは、サポートタイプの回復役だろう。

 だからリプカは彼女に「回復役」を頼みたいとわざわざ口にしたのかもしれない。


 その真っすぐな瞳に、カイは折れたように苦笑を浮かべた。


「分かった。じゃあよろしくな、イリーナ」

「はい! よろしくお願いします……あ、すみません。スレイさんは初めまして、でしたね。改めまして、私はイリーナ・セイクリッドと申します」


 少女の自己紹介を受けて、スレイはにこやかに微笑むと「よろしく」と手を差し出すのだった。

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