10 偶然の再会

 青の王国――エスイア。その国は水が豊かな大地として知られる。

 セオレム大陸に存在する6つの国の中でも、生命が多く存在し、美しい川や湖が幾つも点在するその国は、キース・コリエンテと呼ばれる王が統治する国だという説明をカイはリプカから受けた。

 外部からの入国者を厳しく制限しているその大地に、スレイの力を借りる事で足を踏み入れた一行は、王都――アイオライトを目指し馬車に揺られていた。


 王都に近づくにつれて、景色は少しずつ国境付近から変化し、今カイたちの目の前には、大きな湖とその中央に存在する大都市が映りこんでいた。


 そこにある首都アイオライトは、湖の中に浮かんでいると表現した方が正しい。

 どうやってその湖を通り抜けるのかとカイが外を眺めていると、馬車はためらわずにその湖に向かっていく。その光景を眺めていたカイは、信じられないものを目にしたように固まった。何故なら、湖の中に突っ込んだ馬車が、どういうわけか水面の上を走っていたからである。


 それを見ていたスレイは、隣に腰かけたまま薄く笑ってカイに声をかけた。

 どうやらその光景に驚いていたのは、カイだけのようである。周囲に居た客たちは、見慣れた様子で窓の外を眺めているようだった。


「ははっ、相棒はこの渡り方初めてだっけ? 最初はやっぱり驚くよね」

「これは……魔法なのか?」

「正確には、精霊の加護なんだって」

「へぇ? 凄いな……」


 火を操る精霊が居るのだから、水を操る精霊がいてもおかしくないだろう。

 その湖の下には、生き物の姿も見えるようで、随分と透明度が高い。

 遠くを見れば、水面が陽光を受けてキラキラと輝いているのが見えた。


「この国の御者は、許可を持った者のみが出来る仕事と言われていて。この湖を渡る為には、国から発行された特別な許可証が必要らしい。それがないと、ここは絶対に渡る事ができない湖なんだってさ」

「もし、許可のない人間が無理矢理渡ろうとすると、どうなるんだ?」

「溺れて魚の餌になるんじゃない?」


 サラリと恐ろしい事を言われて、カイは顔を引きつらせる。

 すると、カイの側に居たリプカが、いい加減な事を言うスレイの言葉を否定した。


『そいつの話を真に受けるなよ。そもそも許可無き者はここには辿り着けん』

「辿り着けない……?」

『貴様がいたファティルも、本来は深い森に囲まれた場所だ。フィリオールが国を発つ際に加護を与えたのも、貴様が樹海で迷わない為のものだ』

「……マジか」

「なんだよ、せっかくからかって遊んでたのに。そうそう、だから魚の餌になるのは嘘だから安心しな」

「お前な……」


 真面目な顔をして嘘を吹き込むのをやめろとカイが半目になれば、スレイはからからと笑って答える。


「俺の場合は紫の王から賜った剣があるから各国への侵入対策もバッチリだけど、割と面倒なんだよね、国を渡るのって。だから知らない国に行くときは、必ず馬車を使いなよ?」


 そうアドバイスを寄こした相手の言葉に、カイは「半信半疑で聞いておこう」と心に決める。

 疑うような目を向けたままスレイの話を耳にしていると、リプカは各国が何故そうなっているのかを説明してくれた。


『普段から和平条約により守られているとはいえ、王の代替わりを経て情勢が変わることもあるからな』

「そういうことか……じゃあ、マールスに行けたのも、あの御者のおかげだったんだな」

『いや、あの国はいい意味で攻め放題だ。だが、やる馬鹿はおらん』

「……?」

『向かってくる奴は力でねじ伏せるのがこの俺のやり方だからな』

「……なるほど」


 つまり、マールスだけ王都は何の防衛を施していないということか。確かに、あの国の兵士たちはやたら血の気が多くて強い印象だったが、その根本がこの猫――朱の王だと言われれば納得がいってしまう。

 

 カイたちがそんな会話を交わしている間に、馬車は王都の入口まで辿り着いたらしい、馬の鳴き声と共に、動きが止まると、御者の男が荷台の後ろから声をかけてくる。


「お待たせしました皆さま。王都アイオライトに到着です。降りる際は高低差がありますので、足元にお気をつけください」


 その声に従い、荷台から降りると、そこには美しい街並みが広がっていた。


 街の壁は白一色に染まり、足元には石畳の道が統一されて造られているのが分かる。

 空を見上げると、建物の隙間からは眩しい青空が広がり、落ち着いた色で染められる屋根は、その眩しさを和らげる色合いになっているようだった。


 街の中に一歩足を踏み入れれば、道の脇には水の流れる水路が通っており、その中には美しい色合いの魚たちが気持ちよさそうに泳いでいるのが見える。安全措置が施されたそこを、子供たちは楽し気に覗き込んでいるようだった。


 他国との戦争をしているというのが嘘と思えるほど、そこには人々の笑顔と美しい景色が広がっていた。

 その光景にカイが気を取られていると、スレイとリプカがこれからの予定について確認を始める。


「じゃあ、まずは城を目指すって事で良いよな?」

『無論だ』


 リプカは地面に座りながらスレイを見上げて答えていた。


「了解。じゃ行こうか」


 黒猫との確認を終えたスレイは、そう告げるなり慣れた様子で街の中を進んでいく。その背中をリプカが追いかけて進みだすと、街の景観に気を取られていたカイは、慌てて黒猫の後を追う。


 その街はどうやら、ゆるやかな傾斜になっているようだった。

 視界の奥にはひときわ大きな建物が見えることから、きっとあの建物が王の住まう城なのだろう。


「――そういえば、ここまで休みなしに来たし、相棒の腹の方は問題なさそう……あれ?」

『……?』


 ふと、飲食店の看板を見つけたスレイが思い出したように、燃費の悪いカイに空腹の具合を確認する。すると、先ほどまでリプカの後ろを追いかけてきていたカイの姿が何処にも見当たらない。


「相棒は?」

『先ほどまでそこに居たが?』


 リプカもスレイに声をかけられて初めて、カイの姿が見えない事に気が付いたらしい。

 辺りを見渡しても、見慣れた黒い服の青年の姿がなく、スレイは頭を掻きながら眉をよせる。


「まさかとは思うけど……人攫いに遭った?」

『……あの阿呆め』


 自分たちも完全に油断していた、そうスレイが思った時には既にカイの姿は何処にも見当たらなかった。



***



 一方、その頃。


 スレイの予想通り、道の脇からいきなり腕を引かれて路地に誘いこまれたカイは、見事に男たちに捕まって――いや、いなかった。


 寧ろ窮地に追いやられていたのは、集団で襲い掛かって来た彼らの方である。

 彼らをよく見ると、皆顔や体のいたるところに切り傷を受けているようだった。カイの足元から周囲にかけて、鋭利な何かが地面を抉った痕があることから、反射的に風魔法を使ったのだろう。

 狭い場所でそんなものを使ったものだから、男たちはあちこちに体をぶつけて伸びていたらしい。

 そこで唯一、彼の攻撃の範囲に入らなかったのが、顔面を蒼白にした状態でカイを見ている主犯格と思われる男。

彼はカイが静かに視線を向けてきた事に、怯えた表情を浮かべて両手を挙げる。


「ま、待ってくれ! いきなり襲って悪かった!」

「……」

「頼む、何でも言う事を聞く、だから命だけは助けてくれ!」


 悪党にありがちなセリフだ。何とも愚かな命乞いだろう。

 その様子に呆れてため息を漏らしたカイは、腕を組み仁王立ちになると告げる。


「俺以外に、お前たちは一体何人浚ったんだ?」

「わ、分からない。手当たり次第に浚っていたから……だが、まだ何もしてない。本当だ! 誘拐した奴らはみな同じ場所に閉じ込めている」

「何だって……?」


 カイが聞いても居ない事をペラペラと語り始めた男は、両手を挙げながら必死に訴えている様子だった。


「開放する、今俺たちが浚ってきた奴ら全員解放するから、命だけは助けてくれ!」


 一体、その男にはカイがどんなふうに見えているのだろう。

 勝手に襲ってきて、勝てないと分かると化け物扱いしてくる相手に、苛立った様子でカイは目を細めた。


「……他の人たちの居る場所は?」

「こ、この先に行った場所だ。湖の側にある倉庫に浚ってきた奴らは全員居る」

「今すぐ案内しろ。少しでもおかしな行動をしたら、お前を後ろから刺す」

「ヒィ! わ、わかった、分かりました!」


 男はカイの脅し文句に見事はめられたようで、震えながらに歩き出す。

 そのおぼつかない足取りの男に向かい、カイは眉を顰めて質問を投げた。


「――そもそも、何で俺を狙おうと思ったんだ?」

「あ、アンタが異世界から召喚された人間だって教えてくれた奴が居て……アンタみたいな人間は売れば高値になるって言われて」

「は? それを誰から聞いた」

「俺たちに情報を教えてくれたのは女だ! 髪の長い、少し幼い見た目の女だ。髪は黒色で、長髪だった。最初、ソイツを浚おうと襲ったら、返り討ちに遭って、俺たちが人攫いだと分かった途端、そんなことを教えてくれたんだ」


 両手を挙げたまま進んでいく男は、よく見ると随分と身なりの良い服に身を包んでいる事が分かる。

 男は、カイを襲おうと思った理由についてそう説明を口にしたが、挙げられた特徴と一致する人物にカイは見覚えがない。


「女? 何故そいつは俺を浚うようにお前たちに情報を流したんだ」

「し、知らない。だが、女は手の甲に変わった模様が付いていた」

「変わった模様……?」

「確か、花の模様だった気がする。そいつがお前の事を教えてくれたんだ。本当だ! 信じてくれ!」


 恐らくその言葉に嘘はないのだろう。何故なら、男の口から出たカイに対する情報があまりのも適格だったからだ。何者かがカイをこの男たちに襲わせたのは本当で、カイの邪魔をしたい何者かの犯行、またはカイを個人的に恨んでいる誰かという選択肢が挙げられる。

 可能性が高い方と言えば、やはり自分たちの目的を邪魔しようとする“敵”の存在だ。


(まさか、女の姿ってことは、もしかしたらそれが本体なのか?)


 カイはそう考えた後に、男に尋ねた。


「お前たちがその黒髪の女に出会ったのは何処だ?」

「ファティルの側だ」

「っ!……」


 まさかそんなに長い間人攫いに狙われていたとは思わなかった。それと同時に、ファティルの側で女が彼らに接触してきたという事は、はやりその情報を流したのが“敵”であることは間違いないだろう。

 カイが納得して黙り込めば、男は焦ったように訴える。


「本当だ! 信じてくれ!」

「それ以外で何か女に関する情報は?」

「他については分からない、嘘じゃないぞ!」



 どうやら男から引き出せる情報はここまでのようだ。

 心の中で、今囚われている人たちを助けた後、この男たちは街の警備に引き渡そうと考えて、カイは案内を急がせた。


「で、倉庫はどこにあるんだ? 早く教えろ」

「分かってる! 今向かってるよ! あと少し行けば、ほら、あれが見えるだろ? あの白い建物の中に――……」

「道案内どうも」


 カイは全ての説明を聞く前に、男を背後から勢いよく殴りつけて気絶させる。

 地面に倒れた男に、そう声をかけた後、彼は走った。

 人質を解放したら、急いで仲間たちの元に戻ろうと思ったからだ。





 建物に近づいて、入口を確認すると。倉庫は随分と大きな建物をしていた。本来であれば、湖を渡る為のボートなどを格納する場所なのだろう。

 両開きの大きな扉には、鎖でしっかりと固められた鍵が付けてあるようだった。


「やっぱり、鍵がしてあるにきまってるよな……うわ、何だこれ? 人攫いの為だけに、こんなガチガチの鍵なんか使うか普通?」


 カイがそこにある光景を見て驚くのも無理はない。扉を閉ざす鍵をよく見ると、魔法がかけられていたからだ。

 扉の取っ手には、内側から開けられないように黒い鎖が何重にも巻かれているようで、鍵はそれを固定するために使われていたらしい。


 カイが先ほど殴って気絶させた男は、相当質の悪い誘拐犯であるようだった。

 これでは普通の人間でも扉を開けるのに手を焼くことだろう。

 何故こんな代物を人攫いたちが持っているのか気になるが、今はとにかく中に居る人たちの救出を優先することにする。

 自分に鍵開けに特化したスキルがあってよかったと思いながら、カイは覚悟を決めた。

 

「よし、やるか」


 スキルを使用するのは久々だが、今の自分なら開けられる確信があった。

 錠が付けられている場所に手を翳すと、手のひらに魔力を集中させる。

 周囲から集まり始めた金色の魔力は、カイの呼びかけに呼応するように形を成していく。

 

 集中力を欠かさないように、自身が鍵を開けるイメージを脳裏に描くと、やがてそれは金色の鍵の形を作り出す。

 カイは、魔力で作り出した鍵を錠の穴に差し込むと、息を吐いて告げた。

 この瞬間は、何度経験しても緊張する。


『「汝よ、開け!」』


 カチッ、と何かが噛み合う音と共に、錠が外れる。


「よし!」


 声を漏らしたカイが集中力を失うと、一気に手に握られていた光の鍵が目の前から消えていく。

 カイは急いで絡んでいた鎖を外すと、重たい扉をこじ開けた。


「――皆さん、大丈夫ですか!?」


 そこには、どうやら数人の少女たちの姿があるようだった。

 中は随分と薄暗い。それでいて埃っぽい事がわかった。内側から閉ざされてしまえば、外には一切声が漏れない仕掛けとなっているらしい。中でボートの整備などが出来るように、防音効果もされていたのだろう。

 そこに居た少女たちは、警戒を顔に滲ませながらカイを睨んでいた。

 どうやら拘束などはされてないようで、互いに入口から遠くで身を寄せ合っているのが見える。

 まずは警戒を解こうと、カイは訴えた。


「俺は貴方たちを助けに来た者です、さぁ、外へ出てください!」


 すると、奥から驚いたような声が聞こえてくる。


「……貴方は……もしかして、カイさん、ですか?」

「え?」


 暗がりの奥から、誰かが驚いたように歩み寄ってきた。

 少しずつ入口に近づくにつれて、相手の姿が浮かび上がってくると、そこにはカイが見慣れた姿があった。


 色素の薄い水色のフワフワとした長い髪は、長い間埃っぽい場所に閉じ込められていた影響で少し土をかぶっているようにも見えた。

 美しい白い服も、ところどころ土がついているのが見える。

 そこにある愛らしい顔立ちの中にある美しい青い瞳が、カイを視界に捉えると安堵したように揺れたのが見えた。


「……まさか、きみは……イリーナ?」


 カイが名を呼べば、そこにいた少女――イリーナは、今にも泣きそうな顔で瞳を細めたのが分かった。

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