9 朱の王国を脱出

 朱の王国の王都――レッドベリルを脱出した一行は、王都のすぐそばに存在する大きな峡谷に足を踏み入れていた。

 長い年月を経て出来た谷には、斑模様の層が壁に浮かんでおり、美しい景観を彩っている。

 朱の兵士曰く、ここは人が滅多に足を踏み入れない場所であり、人目を避けて青の王国を目指すにはちょうど良い道という説明だった。


 兵士たちの説明の通り、周囲には動物の気配すら一つなく、順調に国境へ近づいているようだった。


『まさか、この場所が抜け道に役立つとはな』

「普通の人間は、こんな場所を通って逃げようなんて思いつかないだろうからね」

『そうだな』


 地の利に詳しいスレイとリプカは、そんな会話を交わしながら体を休めているようだった。

 ここに来るまで逃げる事に専念していたスレイは、ふと何かを思い出した様子で口を開く。


「……そういえば、さっきの騎士の口調から察するに、きみが王様なのは本当なんだ?」

『先もそう説明したはずだ』


 リプカの正体について改めて提言すれば、赤い瞳を細めたリプカは「何度言わせる」と言いたげな様子でその言葉を肯定した。


「なるほどね……それで、どうしてそんな姿になったのか、聞いても良いかい?」


 それは、カイも気になっていた事だ。スレイの言葉にカイが顔を上げてリプカを見れば、リプカはその視線を受けて一つ頷く。


『……まぁ、良いだろう……最近、あちこちでおかしな事が起きているのは知っているだろう』

「……それは、聖域が汚染されているってことか?」

『それ以外でも、貴様は既にもう見た筈だ』


 会話に混ざったカイの様子を、スレイは静かに見つめていた。

 リプカが口にした「おかしなこと」とは、白の王国で耳にしたイストーリアと呼ばれる虹の王国の話だろうか。それとも、フィリオールの暗殺を企んでいた彼らの事だろうか。それ以外にカイが思いつく事と言えば、生命の樹が呪いによって本来の動きを失っていたことも当てはまる。


 カイが考える素振りを見せると、リプカはその思考を読み取ったように続けた。


『まぁ、お前がいま思い浮かべたもので大方あっている……』

「なになに、二人だけで意思の疎通はやめてくんない?」


 カイとリプカのやり取りを見ていたスレイは、そう言って口を挟んでくる。しかし、リプカは、彼に一瞥を送るだけで先ほどの会話の続きへと戻る。


『俺自身、聖域の異変に気が付いたのは今から三年前の出来事だ。その際にフィリオールの元を訪ねたが、奴は既に結晶化により囚われの身となっていた』

「結晶化……? おいおい、待ってくれ、王が結晶化ってどういう事だ?」


 スレイは自分の質問に答えられなかったことよりも、その言葉が引っかかった様子で質問を重ねていた。

 

『そのままの意味だ――だが、案ずるな。その件は既に解決済みだ』

「……解決済み……ね、何が起きたのかは知らないけど、問題ないなら良かった」


 その反応から察するに、やはりあの件については自分たち以外、誰も知らない事実なのだろう。

 厳密に情報が守られていた事を加味して、カイは口を挟む。


「スレイ、このことは……」

「黙ってろって言うんだろ? 当たり前だ。下手に他国を刺激するようなこと、俺が口にするわけないだろ」

「有難う」

「……それにしても、二人の王が異変に襲われたのか……この世界には一体何が起きてるんだか……続けてくれ」


 カイの意思をくみ取ったスレイは、独り言のようにその言葉を呟くなり、続きを促してくる。 

 その反応に、一瞬眉をよせたリプカは「俺に命令するな」と零すと、淡々とした口調で再び語り始めた。


『フィリオールに、結晶化の原因を尋ねたところで答えは出ず終いだった。原因を突き止めようにも情報が少なすぎる上に、フィリオールがあれでは、いつ自国に異変が起きてもおかしくないと思った俺は、一度国に帰る事にした……朱の国に戻り、自室で休んでいたところ、目を覚ますと何故か俺は紫の国に居た。それが三ヶ月前の出来事だ。原因は分からん、だが気が付くと既に体はこの姿になっていたというわけだ……そして、俺には三年もの間の記憶がない。恐らくその間俺の魂はこの世界のどこかを彷徨っていたのだろう』

「……魂が彷徨う? しかも三年もの間って、一体何が起きてるんだよ。もしかして、リプカが目を覚ましたのは、自分が契約してた火の精霊の中にたまたま魂が入れたからって事になるのか?」

『恐らくそうなるだろう。何故こうなったのかは分からん、それを調査するために色々と手がかりを今は探しているところだ。手っ取り早くあの器を取り戻せば、俺がこの三年あの器で何をしていたのかが分かるかと思ったんだがな』


 スレイの冷静な指摘に、黒猫は一つ頷く。

 結局誰がどんな目的で、アルヴァールの体を乗っ取ったのか、分からないという事だ。

 状況は思っていた以上に難航しているということか。

 すべての説明を受けたスレイは、頭を抱えると、苦笑混じりに質問を投げた。


「なるほどね。分からない事だらけなのは理解できたよ。それで、青の王に会いに行ってどうするんだ? 自分がアルヴァール王そのものです、なんて馬鹿正直に訴えるわけじゃないよな? 何か作戦があるのか?」

『作戦……? そんなものあるわけなかろう。奴に直接話をつけにいく』

「いやいや、待て待て待て! 青の王がいくら優秀な人でも、そんな馬鹿げた話に耳を傾けてくれる訳がないだろ!」


 スレイの訴えは最もだ。

 世界中の何処を探したところで、黒猫の言葉を真に受ける王は居ないだろう。

 だが、どういうわけかリプカは狼狽えるスレイに、ハッキリと告げる。


『奴は必ず俺の話を聞く。これは絶対だ』


 急に自身満々に断言したリプカに、これまで黙っていたカイは怪訝そうに尋ねた。


「どうしてそう言い切れるんだ?」

『奴に会えば分かる』

「……」


 結局理由は教えてくれないらしい。ただ、リプカは青の王を心底信頼しているようにも見えた。

 その様子に、カイはよく分からないと言いたげな表情を浮かべる。


 これで話は終わりだと言わんばかりの黒猫に、スレイは諦めた様子で口を開いた。


「……じゃあ、それを信じるしかないってことか」


 スレイがそういうのであれば、カイも言葉に従うしかない。

 そして一行は休憩を終えると、青の王国を目指し歩きだすのだった。





 戦争の影響は、以前カイ達が旅の途中で耳にした通り、青の王国側に存在するようだった。

 いきなり戦争を仕掛けてきた朱の王の主張はこうだ。


「我が国の聖域の異常は、青の王国が大地を枯らしている事が原因……ね。そんなこと、あるはずがないのに」


 民が聞いた話によると、朱の王は青の王国との戦争の理由を「聖域を元に戻すために行っている」と主張しているらしい。詳しい話をよく知らない民たちは、戦う事で聖域が元に戻るなら仕方がないと受け入れてしまっているようだった。

 だが、それは全くのでたらめだ。

 エスイアにある水源が枯れているのも、その国にある聖域汚染による影響であり、誰かが意図的に枯らしているからそうなったわけではないからだ。


 その話をスレイから耳にしたカイは、さすがに腹が立った様子で口を開いた。


「それなら、俺たちは何の為に、白の王国に召喚されたんだよって話になる」

『そもそも、他国の聖域に干渉など出来る筈がない。そんな常識も知らぬ阿呆に体を乗っ取られているとは……』

「あの偽物の王様、この辺の住民が聖騎士の存在をまだ知らないからって、良いように理由を付けて荒らしまわってるみたいだよ」


 さすがのスレイも、その話には苦笑を浮かべている様子だった。

 彼が口にしていたのは、大きな街から来たという商人が教えてくれた情報だ。

 そんな彼らの前には、入国を規制するバリケードがしかれているようだった。


「許可なきものは立ち去れ! 我が国エスイアは、現在マールスとの戦争により、入国できるものを制限している!」


 バリケードの前に立つ騎士が、厳しい声で叫んでいるのが分かる。騎士はどうやら周囲に集まった人々と入国について揉めているようだった。

 視界の先でそんなやり取りが行われているのを目にしたカイは、困ったように隣を見る。


「やっぱり揉めてるようだな……スレイ、どうする?」

「まぁ、任せな」


 皆が入れろ通せと訴える中で、人ごみに紛れて移動してきたスレイは、カイの質問に得意げに答えると行動に出る。


「あの、すみません」

「何だ? 許可証がない者は通すことは出来ない」


 スレイの呼びかけに、怪訝そうな声を出した騎士は、突然目の前に現れたスレイを警戒している様子だった。

 彼は瞬時に人当たりが良さそうな笑みを浮かべると、話かける。


「私は、むらさきの王国――シャヘルより遣わされた、王直属護衛部隊のデュナイアルが一人、スレイ・クラウンです。紫の王より賜った親書を青の王に届けに参りました。入国を許可いただきたいのですが」


 デュナイアルという単語を耳にした瞬間、相手は驚いたように息をのんでいた。

 カイはその言葉に聞き覚えがなかったが、スレイが懐から取り出した手紙を目にした事で、相手の態度が明らかに変わったのを目にすることとなる。


「シャヘルだと!……確かに、紫の紋章だ……そちらに居る方は貴殿の関係者だろうか?」

「えぇ、そうです」

「分かりました、どうぞお通りください」

「有難うございます」


 事情を理解した兵士は、すんなりとスレイの前から体をどけると道を譲ってくれる。どうやらスレイが立ち去るまで、敬礼をして見送ってくれるらしい。

 その様子にカイが驚いていると、目の前にいたスレイが声をかけてくる。

 

「行くぞ、相棒」

「あ、あぁ」


 きっと、スレイには見慣れた光景だったのかもしれない。「ご苦労様」なんて言いながら、その傍らを通り抜けている姿が見えた。

 改めて目の前の男の存在にカイが驚いていると、カイの肩に乗っていたリプカが声をかけてくる。


『まさか、お前があのデュナイアルだったとはな』

「まぁね、言っただろ? こう見えてもちゃんとした職業についてるって」

「デュナイアルって?」


 何も分からない様子でカイが質問を口にすれば、彼の肩に乗っていた黒猫はため息をつきながら、仕方なさそうに説明を始めた。


『紫の王国――シャヘルには、王を直接守る為に組織されたデュナイアルと呼ばれるメンバーが居る。その者たちは、王の命により各国を飛び回り、様々な任にあたっているという噂だ』

「へぇ、そんな凄いメンバーの一人だったのか」

「そういう事」


 得意げに笑って見せたスレイに、カイは感心したように視線を向ける。


「けど、有難うな。スレイのおかげで青の国に入れた」

「礼を言うのはまだ早いんじゃない? 王に会って、リプカが王様だって認めて貰わないと話が進まないわけだし」

「……まぁ、そうなんだけど」


 スレイの冷静な言葉に、カイは最もだと思い、歩みを進めていく。


「まずは王都に向かう馬車を探さないとだね」

『それなら、この先に少し大きい街がある。そこなら今日中には着くはずだ』


 スレイとリプカが次の目的地についての会話を交わせば、カイは気を引き締めるように歩き出すのだった。

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