8 リプカの正体

 そこに別れたはずのスレイが姿を現し、カイは驚きに目を瞠る。一方、カイの側に居たリプカは、既に相手の正体を見抜いていた様子で、冷静に声をかけていた。


『お前が何故そのような恰好をして王宮に紛れ込んでいた?』

「あれ、黒猫くんは俺を見ても驚かないんだ?」

『俺は猫ではない!』


 そのやり取りは、少し前にも見たことがある。

 スレイは以前と同じように猫の攻撃を素早く避けると、笑みを浮かべて事情を語りだす。


「あはは、ごめんごめん。実は俺もあの王様に用があったんだよ。前にも言ったけど、俺ちゃんとした職業に就いてるからさ」

『勿体ぶらず早く言え』

「まぁまぁ、そうイライラしないで。俺がこの国を目指していた理由は、むらさきの国から派遣されたからだよ。目的は停戦の要請……けどあの王様、勅命で手紙を持ってきたって言っても門前払いで取り次ごうともしてくれなくて。それなら、直接手紙を渡しに行こうと隙を窺ってた時に、きみたちがやって来たってわけ」

「そう、だったのか……有難う助かったよ」


 それは、カイが初めて聞かされる彼の素性だった。普通の人間ではないと思っていたが、まさか他国の使者だったとは。

 カイが驚いたように助けて貰った事に礼を言うと、彼は笑みを浮かべたまま、そこにある灰色の瞳に若干の苛立ちを浮かべて。


「で、俺の計画をぶち壊してくれたきみたちは、一体何者なの?」


 と、質問を投げるのだった。





 こうなった以上、全ての事情を説明するしかなかったカイは、簡易的であるが自分が白の王国を介し召喚された身である事を説明した。それに加えて、自身の力の秘密や、とある目的を理由に各国を旅していた事も説明を加えれば、スレイは納得したような表情を浮かべて、腕を組んでいた。

 いつの間にか、カイの話を聞きながら変装のために着ていた鎧を脱ぎ捨てたらしい。そこには見慣れた彼の姿があった。


「白の王国で召喚された二人のうちの一人がまさかきみだったとはね……しかも、天使様の力を使えるなんて……ただ者じゃないとは思っていたけど、思ったよりも訳ありだったんだ」

「……一般人だけどな」

「それのどこが一般人だよ」


 頑なに一般人と言い張るカイに、スレイは呆れた声を上げる。それから、彼は何を思ったのか、思い出した様子で眉を顰めた。

 

「ーーってことは、やっぱりあの時手加減してたんじゃ……」

「してないって言ってるだろ!」


 前にもそんなやり取りをした記憶を思い出せば、スレイは薄く笑った後に今度は黒猫へと視線を落とす。


「で、次はきみだ。きみも何か事情があるんだろ?」

『……』


 先ほどの宮殿での会話を聞いていた以上、この黒猫がただの火の精霊ではないことはもはや明確だ。

 それでもリプカは、どこか言いづらそうな雰囲気を出していた。だが、スレイはそんな様子にも折れることなく、ずけずけと質問を投げていく。


「あんな騒動を起こしておきながら、自分はただの黒猫ですって言えるわけないよね」

『俺は黒猫ではない』

「はいはい、じゃあ何? ただの精霊ってわけでもないんだろ?」


 普段は飄々としているスレイだが、その口調には真剣さが含まれていた。

 やがて、諦めたようにため息を吐いたリプカは、何かを確認するように口を開く。


『ならば、貴様に問おう。あの玉座に座っていた男は一体誰だ』

「は? 誰って……朱の王でしょ? 朱の王……アルヴァール・エクスハティオその人だ」


 スレイは、リプカの質問の意味が分からないと言いたげに答える。


 そういえばあの時、王の側に控えていたアグライアとリプカは意味深な会話をしていたような気がするが、あれはどういう意味だったのだろう。


 その真実を語るように、リプカは続けた。


『そんな筈がない』

「そんな筈がないって……どういう意味……」


 未だに、リプカの言わんとする言葉の意味が分からない様子で、スレイは眉を顰めた。すると黒猫は、真剣な表情を浮かべて彼を見上げる。


『朱の王であるアルヴァール・エクスハティオは、この俺だからだ』

「…………は?」


 一瞬空気が固まる。


 沈黙にして数秒、その後にスレイが間の抜けた声を漏らせば、黒猫はため息を吐き、言葉を続ける。その近くにいたカイも、当然驚いた表情を浮かて固まっていた。


『あれは、俺の体を使った何者かだ』

「何者かって言われても……あれ、俺もしかして揶揄われてる?」


 スレイにとって、リプカの言葉は俄には信じられない話だっただろう。だが、カイには一つだけ心当たりがあった。


「まさか……?」


 それは、白の王国で遭遇した未だ正体不明の“敵”の存在である。あの時も同じように、体を乗っ取られていた人物が居たことを、カイは思い出していた。


 カイの呟きに、リプカは一つ頷くとスレイに訴える。


『あぁ、お前が今思った通りのことが起きている……そこで、スレイお前に一つ頼みがある。お前が誠に紫の王国の使者だというのであれば、青の王との謁見を取り次いで貰いたい……あの王に俺が朱の王であることを証明し、あの体を取り戻し、この馬鹿げた戦争を終わらせる』

「ちょっと待ってくれ! いくらきみが変わった精霊だと言っても、さすがにそれを信じられるわけがないだろ。体を乗っ取るって、そんな芸当普通出来るわけが……」


 そう口にしたスレイは、珍しく動揺しているようだった。それもそうだろう、いきなり自分は朱の王で「体を乗っ取られています」なんて説明をされても、信じられる話ではないからだ。

 そんなスレイに、今度はカイが口を挟む。


「出来る奴が居るって言ったら、スレイはどうする? 実は俺にも、一人だけそれが可能の人物に心当たりがあるんだ」

「相棒までそんなこと言い出すのか……」

『貴様が俺を信じる信じないはどうでも良い、だが貴様もこの無駄な争いを止めたいのだろう? ならば力を貸せ』

「凄い言いようだな……」


 リプカの変わらぬ態度に、スレイは呆れたような表情を浮かべた。

 これではダメだと、カイが代わりに説得を始める。


「スレイ……俺からもお願いしたい。多分、リプカの言ってることは本当なんだ」

「その根拠は?」

「……白の王であるフィリオールさんを狙った“敵”が教会関係者の体を乗っ取り、暗殺しようとしてきたのを俺たちは阻止した。だから、その話は本当だと思う。リプカが朱の王に会いに行ったのは、きっとそれを確かめるためだったんだ」

「……白の王……なるほど」


 カイの真剣な訴えを聞き、スレイは整った髪の毛をくしゃくしゃとかき乱すと、覚悟を決めたようにため息を吐く。


「ここは相棒の言葉を信じてやるよ……じゃあ、まず青の国を目指そう」


 それは、つまり協力してくれるという事らしい。どのみち、あの王がスレイの持って来た手紙を受け取らないというのなら、ここに居ても状況は変わらないという事になる。それを見越して、青の王にかけあう事にしたのだろう。


「まぁ、ちょっとハードになるかもだけど……まずはこの街を脱出しないとだね」


 スレイの言葉は最もである。今後の方針が決まったことは良いが、今自分たちは「王の命を奪おうとした暗殺者」という話になっているのだ。

 周りにいる朱の兵士たちを、どう掻い潜って街の外を目指すか、作戦が必要だろう。

 スレイが考えるような仕草を見せると、リプカは冷静に口を開いた。


『その必要はない』

「……え?」


 カイが驚いた声を漏らすと、背後から聞き覚えのある、凛とした女性の声が響いた。


「――ここに居らしたのですね」

「――っ!」


 気配もなく現れた声に、スレイとカイが警戒を滲ませると、そこには騎士服に身を包むアグライアの姿があった。

 突然の出来事に、当然武器を構えた二人だったが、彼女は敵意が無いことを示すように手を挙げて静止を訴える。


「待ってくれ、私に敵意はない!……少しその方と話をしたかったんだ」

「……リプカと?」

「……あぁ……」


 カイの質問に素直に答えたアグライアは、カイの側にいるリプカを見るなり眉を寄せた。


「……やはり、貴方様なのですね」


 その言葉には、どこか確信があるようだった。

 オレンジ色の瞳を向けられたリプカは、彼女の足元に歩み寄るとその言葉を肯定する。


『どうやら無事だったようだな、アグライア』

「っ!……王……」


 どうやら彼女は、そこに居るリプカが朱の王であり、自分が忠誠を誓った相手だとすぐに分かった様子だ。

 彼女はすぐさまその場に跪くと、頭を下げる。


「申し訳ありません! 貴方様と知り得ながら刃を向けた事、ここに謝罪致します。どのような罰も受ける所存です」

『やめろ、頭をあげろ。全く、貴様と言う奴は……』


 その様子から本当に、リプカの中には朱の王が居るという事で間違いないのだろう。呆れた声を出すリプカの声音は、カイが聞いた言葉の中でも、随分と柔らかなものに聞こえた。

 それを見ていたスレイも、さすがにリプカの言葉を信じざるを得なかったようで「マジか」と呟く。


『他の者たちも命を奪われたりはしていないだろうな?』

「はい、皆には私から時を待てと命じております」

『ならばよい。我々はここを発ちエスイアを目指す』

「……青の王に会われるのですね?」


 リプカの言葉を耳にした途端、全てを察したようにアグライアは目を細める。

 きっと、この二人の間にはカイたちには分からない絆があるのだろう。アグライアは、目の前に居る猫に絶対的な忠誠を示すように、膝を着いたまま会話を続けていた。


『あぁ。あの者に会い、あの体を取り戻す』

「承知いたしました……それまでは、私が責任を持ち、皆を守ります」

『任せたぞ』

「はい……では、脱出経路は我々が確保します」


 アグライアとリプカの会話を近くで聞いていたカイたちは、驚いたように互いに顔を見合わせた。

 

 するとリプカが、そんな二人を振り返る。


『そういう事だ。まずはそれをしまえ』

「……あ、あぁ」


 リプカの言葉でカイは未だに自分たちが武器を手にしていた事を思い出し、慌ててその手から武器を離す。

 すると剣は光の粒子となり、その場から消え去る。

 その様子を確認したアグライアは、合図とともに走り出すのだった。



 アグライアが最も信頼する部下数名により、脱出経路が確保された道を通って街の外まで来ていたカイは、彼女に引き止められ、足を止めていた。

 そのすぐ側にはスレイとリプカが、彼女の部下たちにエスイアまでの最短ルートを教わっている光景が見える。


 急に引き止められたカイは、不思議そうに振り返った。


「どうかしましたか?」

「……その、突然すまない……貴殿に我が王を頼みたいと思い……」


 どうやら、彼女はそれを言う為にカイに声をかけたらしい。

 ぎこちなくも真剣な様子に、カイは薄く笑って頷く。


「はい、任せてください。アグライアさんたちもどうか気を付けて」

「あぁ……それと……王は冷たい方に見えるかもしれないが、根はとても優しい方だ……これまでの事で貴殿の気に障る事をしていたらすまない」

「ははっ、大丈夫です。それはもう分かってます」

「……そうか」


 カイの言葉を受けて、アグライアは安心したように笑った。

 普段は厳しい雰囲気の彼女も、そうしていると美人なのがよく分かる。


「っ!」


 そのギャップにカイが驚いていると、背後から大きな声がかかる。


「そろそろ行くぞ相棒!」


 その声にカイがハッとすると、アグライアも我に返った様子で口元を引き締めた。


「では、健闘を祈る」

「はい、行ってきます!」


 その言葉をかけられたカイは、気を引き締めて仲間たちの元へ走る。


 アグライアは、そんな三人の背中を見守ると、祈るように瞳を伏せるのだった。

 


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