7 朱の王

(この状況で、本当にバッジ一つで会わせてくれるものなのか?)


 リプカに言われるがまま、王都にある宮殿を目指していたカイは、その街の中央に佇む大きな建物に向かって歩いていた。


 隣国との戦争状態にあり、街の中はピリピリしているのかと思っていたが、意外に人々は変わらずに生活を送っているようだった。

 スレイの話の通り、ここは固い岩盤の上に、街が作られているのだろう。しっかりとした足場を進んでいくと、壁に囲まれた宮殿の前へとたどり着く。

 そこには立ち入りを制限する鎧を身に纏った兵士たちの姿があった。

 しかも、その鎧姿にカイは見覚えがある。


「あれは……」


 思わず声を漏らすと、肩に乗っているリプカが、自分にだけ聞こえるように答えた。


『貴様も見覚えがあろう。あの森で出くわした連中だ』

「あの兵士はマールスの兵だったのか」


 どうやら、濃霧に包まれた森でカイたちが出会ったのは、マールスに属する兵士のようだった。


 そこに居る兵たちは門番のようで、王への謁見を申し出ている人たちを選別しているらしい。鎧の奥からでも、鋭い視線を送っている事がそこに漂う空気感で伝わってくる。

 ファティルで目にした城の兵たちとは随分様子が違うことに、カイは緊張の面持ちを浮かべながら、声をかけた。


「あの、王様への謁見をお願いしたのですが」

「何か身分を証明出来るものは?」


 固い声で尋ねられて、カイは手に握っていたバッジを見せる。


「これなんですが……」

「これは……!」


 兵士は驚いたような声を漏らすなり、カイの素性を怪しむように観察してくる。それもそうだろう、通りすがりの旅人が、王から賜る物を持っていれば、誰だって怪しむのは当然だ。


「これは一体どこで手に入れられたのですか?」


 その質問を受けて、カイは強張った表情のまま事情を説明する。


「これは白の王から直接預かった物です。俺の身分はの王が保証してくださっています。朱の王への謁見をお願いします」

「……少し待っていてください」


 その言葉を受けて、流石に無視できない案件だと思ったのだろう。兵士はそう言葉を残し、宮殿の奥へと姿を消す。

 そんな様子を見ていたカイは、ホッと息を吐いて兵士が戻ってくるのを待った。


(ひとまず、第一段階はクリアしたかな)


 改めて一国の王に謁見を申し込む大変さを理解する。

 きっとフィリオールがあのバッジを渡していなければ、門前払いで終わっていただろう。

 カイは心の中でフィリオールに感謝を述べて、肩に乗っている黒猫にこっそりと声をかける。


「そういえば……朱の王様って、何て名前の人なんだ?」

『アルヴァール・エクスハティオと呼ばれる人間だ』

「……なんだか強そうな名前だな」

『事実、6つの国の王で一番強いと言われている』


 朱の王について語るリプカの口調は、どこか得意げでもあった。だが、緊張によりそのことをカイが気にする余裕はない。何故なら、カイの頭の中には、スレイが口にしていた「怖い王」という言葉がこだましていたからだ。

 どんな状況にも対応できるようにと思考を巡らせていたカイは、リプカが何故そんな王に会いたがっているのか、理由を聞いていなかった事に気がつき、尋ねてみる。


「そういえば、まだ目的を聞いてなかったよな? リプカはどうしてその王様に会いたいんだ?」

『言ったはずだ、確かめたいことがあると』

「確かめる……?」

 

 一体、何を。


 カイがリプカの返事に疑問を抱いていると、門の奥から先ほどの兵士が戻ってくる。

 兵士の後ろには、一人の女性の姿もあるようだった。彼はその女性にカイを紹介するように説明を始める。


「この黒衣の人物が、先ほど説明した者になります」


 その案内と共に、連れてこらえた女性は、険しい表情を浮かべてカイへと視線を走らせた。

 オレンジ色の髪を団子に縛っている女性は、鋭い眼光を光らせてこちらを一瞥してくる。

 そんな彼女の腰には剣が携えてあり、相当身分が高いことが分かる。赤を基調とした騎士服の胸元には、朱の王国を表す紋章が付けられているようだった。


「貴殿が王への謁見を希望する白の使者か?」

「……はい。カイ・エレフセリアと申します」


 あのバッジを持っている以上、使者という扱いで問題ないだろう。

 自身の名を口にすれば、女性は右手を差し出して挨拶をしてくる。


「初めまして、私はアグライア・バーン。遠渡遥々、我が国へようこそ。王からは謁見の許可が下りた。私が王の元まで案内しよう」

「……宜しくお願いします」


 カイが手を握り返せば、アグライアと名乗った騎士は踵を返すなり歩き出す。

 リプカの存在に対し、特に触れられることはなかったので、共に門を通ってよいという事なのだろう。

 カイは慌てて、宮殿の中へと足を踏み入れるのだった。





 朱の王が住まう宮殿は、建物が入り組んだ造りになっており、その内部には随分と細かい装飾が施されているようだった。

 以前、白の王国で見た教会も、美しい造りとなっていたが、ここはそれとはまた違う芸術性を感じさせる場所だ。白一色で統一されたのが教会なら、この王宮は、様々な色合いにより彫刻が施されている印象を受ける。

 そんな宮殿の廊下には武器を手にした兵たちが頻繁に行きかっており、アグライアが通る度に敬礼をして道を譲っている光景が見られた。


 カイの一歩先をスタスタと歩くアグライアは、周囲の景色に気を取られているカイに静かな声で話しかけてくる。


「貴殿は白の王国から来られたのだろう? 国境を超えるとき、我が兵たちが粗相をしなかっただろうか?」

「あ、はい。バッジを見せれば皆さん事情を理解してくださったので……」


 突然の質問に、カイは出来るだけ声が震えないように注意を払って言葉を返す。

 まさか境界線を無理矢理割って入ってきました、とは言えなかったからだ。

 カイの言葉を受けた相手は、薄く笑みを浮かべて続けた。


「そうか、それなら良かった。少し前に、東の森で部下たちが不審な者たちに襲われたと言う情報が入ったので、それに巻き込まれてはいないかと思ったのだ」

「そう、なんですか……自分はファティルから真っ直ぐ向かってきたので、特に不便なくここに来れましたよ」

「なるほど。貴殿の特徴が上がってきた情報とそっくりだったので、事情を聞かずに戦闘になったのではと思ったのだが、違ったようなら良かった」

「そ、そうなんですか……だから皆さん厳しい顔で俺を見ていたんですね、知らなかったなー」


 笑みを浮かべながら対応するカイだったが、内心冷や汗が止まらない。

 まさか疑われているのかと焦ったが、相手はただ確認をしたかっただけのようで、それっきりその話題には触れてこなくなる。


 やがて、大きな扉の前に立つと、彼女は振り返るなり声をかけてきた。


「この先に王が居られる。くれぐれも無礼のないようにな」

「……はい」


 白の王の時とは全く違う緊張感で、カイは顔をひきつらせた。


 そして次の瞬間、目の前にある大きな扉がノックと共に開かれる。扉の中へとアグライアが進んでいけば、彼女はひときわ大きな声を上げて王の間へと足を踏み入れた。


「――アグライア・バーンただいま戻りました。白の使者を名乗る人物が謁見を申し込んだとの事で、連れて参りました」


 その空間には、王の従者と思わしき人物や、騎士と思われる身分の高そうな者たちが多く集っている様子だった。何かを話あっていたのだろうか、アグライアの入室により、ピタリと会話を止めると王と話をしていた一人の男がこうべを垂れて脇へと下がる。

 広い空間の中央には、玉座に腰かける一人の男の姿があった。


(あれが、朱の王……)


 カイの視線の先には、玉座に腰かけながら足を組んでいる男の姿がった。

 髪は長く、癖があり、肌は健康的な焼けた色をしている。顔立ちは凛々しく整っており、鋭い切れ長の瞳は深紅の色をしているようだった。民族衣装を思わせる、金と赤の美しい衣を身に纏い、手首には金色のブレスレットをしているのが分かる。

 目が合えば、相手がスッと目を細める姿が見えた。


 王の側に立ち、カイの方を振り返ったアグライアは、凛とした声で言い放つ。


「王の御前であるぞ、頭を下げろ!」


 体に重くのしかかるような重圧を感じ、カイはハッとして頭を下げようとする。しかし、玉座に腰かけた男はスッと長い手を動かしてそれを制した。


「――いい、よせ。それに、この者はではないのだ……」

「っ!」


 意味深なその言葉は、まるで全てを見透かしているようだった。カイが驚きに目を見開けば、王は頬杖をつきながら続ける。


「何故という顔をしているな。この俺に分からぬはずが無かろう……それで、白の王より遣わされた貴様は、ここへ何をしに来た。聖騎士としての使命も持たぬ貴様がこの俺に何の用だ」


 どうやら相手は、カイの素性など全てお見通しらしい。

 カイがこの世界の人間でないことも。聖騎士でもないことも、全て知っている口ぶりだった。

 その質問を受けて、カイはゆっくりと肩の猫へと視線を動かした。


「王に用があったのは、実は私ではありません……この精霊が貴方を訪ねてやって来たのです」

「精霊だと……?」

「はい――リプカ」


 カイが名前を呼べば、リプカと呼ばれた猫がカイの肩から降りてその場に腰かける。

 深紅の瞳をした猫は、周囲の空気にも負けず劣らずの態度で、王と対峙した。


『――朱の王、アルヴァール・エクスハティオよ……何故、青の国を攻めた? この世界には、和平条約があったはずだが?』


 その言葉を受けて、アグライアも、周囲に控えていた者たちも一瞬息を呑むのが伝わってくる。すぐそばで話を聞いていたカイも、ギョッとしたようにリプカを見下ろしていた。

 しかし、黒猫はそんなことなどお構いもせずに、王への質問を投げかける。


『今、世界にはおかしな事が多く起きている。お前の使命は、隣国を攻め落とす事ではなかったはずだ。東の森の濃霧は、聖域の異常によるものだ、何故自国の異常を治めずに、他国を攻めている?』

「ちょっ、リプカ!」

 

 それは流石に言い過ぎではとカイが声を挟めば、玉座に腰かけていた王は急に腹を抱えて笑い出す。


「ふっ……あはははは……くくくっ……!」


 そして、一瞬にして表情を消すと、狼狽えるカイを見て告げる。その瞳には、薄っすらとした殺意すら、込められている気がした。

 

「――おい小僧、ソレが貴様の従えている精霊だというのであれば、躾はしておけ。今回は白の王に免じて見逃してやる」

「っ!」


 低く告げられた言葉に、カイが言葉を失えば、これで謁見は終わりだと誰もが思った。

 その時だった。


「王よ……僭越ながら、一つご質問をさせていただきたいのですが……」


 そう言って手を挙げたのは、朱の王の側に使えていたアグライアだった。


「何だ?」


 鋭い視線を向けられたアグライアは、表情を引きつらせたまま視線を彷徨わせると、狼狽えつつも口を動かす。


「その……実に、申し上げにくいのですが……そこに居られるのは……“王が契約”されているリプカ様ではありませんか? 何故、その使者と契約を行っていると申されたのでしょうか?」

「――っ!」


 アグライアの言葉を受けて、そこにいた誰もが朱の王を見つめていた。

 カイですらそれは知らなかった事実だ。何故ならリプカは「誰とも契約していない」と言い張っていたからである。

 どういう事かとカイが驚きに目を瞠っていると、ニッと口元を笑ませた黒猫が告げた。


『――よくぞ言ったアグライア!……さて、貴様に一つ尋ねたいことがある……リプカはが幼いころから契約している精霊だが、何故国の誰もが知るその事実を王たる貴様が知り得ないのだ?』

「……」


 その言葉に彼は答えない、ただ静かな表情を浮かべたまま、黒猫を見下ろしていた。

 すると、リプカははっきりとした声で告げる。


『それは、貴様がアルヴァール・エクスハティオではないからだろう?』


 周囲にいた誰もが驚いたように、朱の王を見つめていた。朱の王は黒猫の確固たる言葉を前にしても、冷静な顔のまま、言葉を吐き捨てるように続けた。


「――何を言い出すかと思えば、くだらない戯言だ」

『何だと?』

「この俺が朱の王ではないというのであれば、一体誰だと説明するつもりだ?……王たる者には印がある、印がある以上……この国の王はこの俺だ――アグライア今すぐこの者たちを侮辱罪で始末しろ」

「……っ!」

「どうした? 出来ないというなら、貴様もこいつらの仲間だという事になるが?」


 静かな男の言葉に、アグライアは瞳を震わせてリプカたちの方を見た。

 その瞳にはどこか迷いが窺える。

 その様子を見ていたリプカは、何かを悟った様子でカイの肩に飛び乗ると、口を開いた。


『アグライア……良い、貴様の命を優先しろ』

「……」


 リプカの言葉により、覚悟を決めたアグライアは、腰に携えていた剣を抜くなり叫んだ。


「――っ、この者たちを、王を侮辱した罪により断罪する! 皆の者、武器を構えよ!! 王の怒りをかったこの者たちを、決して逃すな!!」


 周囲は突然の事にどよめきに包まれるが、統率の取れた兵士たちは、アグライアの指示により武器を構えて向かってくる。


「ちょっ、リプカ!! どうするんだよ!」

『仕方が無かろう、下手に手出しをすれば、あの者らが殺されかねん』


 先ほどの様子から分かった事は、きっとアグライアは、目の前の朱の王を疑っている。そして彼女はリプカを知っているという事だった。

 それはリプカも同じようで、彼女に声をかける姿は、誰よりも親しい間柄のように思えた。

 そしてきっと、ここに居る全員、朱の王からの命令には逆らえないのだろう。


 それが分かったからこそ、リプカは自分たちの命が危険に晒されようとも「命を果たせ」と口にしたのかもしれない。


『確認は出来た……今はとにかく、脱出するぞ!』

「は!? でも、どうやって!?」


 リプカの本来の目的は果たせたらしい。だからと言って、それで脱出しろと急に言われても、無茶な話である。

 カイがその言葉に狼狽えていると、側に居た一人の兵士が突如カイの腕を掴み、声をかけてくる。


「こっちだ!」

「――っ!」


 その声に導かれるように走れば、相手は窓を突き破り下へと逃げる。


「何をしている、追え!!」


 アグライアの叫ぶ声が聞こえたと同時に、カイもその兵士に従い窓を突き破って下へと飛び降りていた。

 そして、体が浮遊感に包まれたと思えば、下にはクッションになりそうな大きな樹が枝をいっぱいに広げている光景が見える。


「リプカ!」

『俺に構うな』


 とっさにカイが受け身の体勢を取りながら猫を気遣えば、彼の肩から離れたリプカは着地の体勢になりながら答えた。


 顔を庇うように腕をクロスすれば、体は勢いよく木へと突っ込む。葉がクッション代わりになりながら、地面へと落下すれば、カイは着地に失敗して無様にも、柔らかな緑の芝生の上に尻もちを着く。


「痛っ!!」

『ふん、下手くそめ』


 勢いが殺されていたおかげで、大した衝撃にはならなかったが、尻を強打したカイは痛みに顔を顰めながら立ち上がる。

 その隣では、可憐に着地を決めた黒猫が呆れた表情を浮かべていた。

 カイとリプカがそんなやり取りをしている間に、遠くから事情を聞きつけた兵たちが追いかけてくる姿が見える。

 すると側に居た鎧の人物が、そんな彼らを急かすように声を上げた。


「急げ!」


 その声にハッとしたカイは、先に走りだした相手の背中を慌てて追いかける。

 兵士がカイを案内する道は、どうやら街へと繋がっている道のようだった。


「どうして俺を助けてくれるんだ?」


 走りながらカイが声をかければ、兵士は鎧の向こうで小さく笑った気がした。


「今に分かるさ」

「……?」


 やがて街の裏路地に兵士が逃げ込めば、相手は物陰に隠れるように指示を出す。


「ここに隠れて!」

「あ、あぁ!」


 とっさに大きなゴミ箱の裏に身を顰めれば、慌ただしい足跡が近くを通り過ぎていくのが分かる。


「何処に行った?」

「向こうだろ!」

「王の命を狙った暗殺者だ、絶対に逃がすな!」


 いつの間にか自分たちは「王の命を狙った暗殺者」ということになったらしい。

 カイは大変な事になってしまったぞと、近くに居る黒猫へと視線を落とす。


「おい、どうしてくれるんだよ!」

『ふん』


 カイの咎める言葉に全く反省の色が見えない黒猫は、そっぽを向いて短い尻尾を地面に何度も叩きつけていた。多分苛立っているのだろう。

 この状況でもまだ喧嘩を続ける二人に、兵士が咎めるような声を出す。


「静かにしろよ」


 その言葉に、カイは仕方なく口を閉じる。


 そして暫くすると、追っ手の気配が周囲からなくなったのを確認して、鎧を着た人物はため息を漏らした。


「滅茶苦茶だな、きみたち」

「……アンタは一体……?」


 カイが怪しむように視線を向ければ、鎧を着た兵士はまだ分からないのかと言いたげな声を漏らす。


「俺だよ、俺……」


 自分を指さした後に、顔の鎧を相手が外せば、そこには見知った人物の顔が現れた。


「お前は……!」


 カイがその人物を見て驚くと、彼は唇に笑みを浮かべるなり。


「や、相棒」


 そう呟くのだった。

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