4 旅は道連れ

「……今度こそ、本気で死ぬかと思った」


 そう呟いたカイの髪からはポタポタと雫が滴っているようだった。

 あの崖の下にはどうやら川が流れていたようで、二人は暫く流されてここに辿り着いていた。

 カイが普段身に纏っている漆黒の服は、水を吸ったことで重量をまし、普段は明るい彼もその表情に険しさを滲ませている。

 水の中から何とか陸に辿り着いたカイは、負傷して意識を失っている青年を担いで近くの洞窟へと避難していたのだった。


「確かイリーナに貰った回復薬ポーションがあったはず」


 自身の鞄をあさって、そこから回復薬を見つけ出すと、カイは意識のない青年の口にそれを流し込む。

 崖から飛び降りた時に、兵士から放たれた弓を受けたらしく、水に落ちた時には意識が朦朧としていたようで、溺れかけていたのを助けたのだ。

 こうなってしまったのも、全てこの青年のせいだが、見捨てるわけにもいかずここまで連れてきたのだった。


 イリーナがくれた貴重な回復薬を使うと、見る見るうちに青年の顔色が回復する。傷も薬のおかげでふさがっているようだった。


(凄い効果だな)


 あの時、彼女から受け取っておいてよかったと思いながら、カイは自身の服に付いた水滴を絞り思考を巡らせる。


「さて、どうするか」


 洞窟の周囲は森林におおわれており、自分たちが流されてきた川以外、特に何も見当たらない。そもそも、ここが何処なのかも分からない以上、どう動けばよいかも分からず、ため息を漏らす。


(これだけ流されたら、リプカとも合流は難しいだろうな)


 ひとまずは暖を取る為に、木の枝を集めてこようとカイは立ち上がる。

 落ち込んでいても状況は変わらない。それなら自分が出来る事をやろうと、思考を切り替える。


 洞窟の入口は一つしかないので、出来るだけ青年を入口から見えない場所に寝かせてカイは出口へと向かった。

 すると、入口に差し掛かったところで、外に居る何かが枝を踏む音が聞こえた。


「っ!」


 まさか、あの兵たちがもう追って来たのかとカイが警戒を滲ませると、日の射す方向から見慣れた何かが現れる。

 それは、黒い色をしていた。影と思われたそれは猫の姿をしており、赤い瞳をカイに向けるなり口を開く。


『漸く見つけたぞ』


 その声に聞き覚えがあった。カイは驚いたように目を見開くが、現れた猫は普段のフォルムからは想像もつかないくらい、ヒョロッとしている。


「……リプカ?……ぶっ! お前、その恰好……!!」


 普段とのギャップに、思わず吹き出して笑えば、舌打ちを零した猫がカッと目を見開き怒りの声を上げる。


『黙れ小僧』

「熱っ!! うわっ、俺の髪が!!」


 猫の一喝が入れば、その直後カイの髪が容赦なく爆発してチリチリになってしまう。

 周囲に髪が焦げた匂いが漂えば、猫は魔法で自分自信を乾かした様子で、いつも通りの姿へと変貌を遂げる。


『ふん、丸焦げにしなかっただけ寛大な心に感謝するんだな』


 その様子を見ていたカイは、燃やされた髪を抑えながら謝罪を口にした。


「悪かったよ」


 きっとあの後カイを追って川に飛び込んでくれたのだろう。まさかそこまでして助けに来てくれるとは思わず、カイは燃やされた髪を気にしつつも笑ったことを反省する。


 猫は普段通りの恰好に戻ると、ずぶ濡れのカイを一瞥して静かな声を発した。


『そう思うのであれば、とっと燃える物を持ってこい』

「え?」

『いつまで俺の前で無様な恰好を晒すつもりだ』


 それはつまり、火を起こしてやるから枝を拾ってこい、と言う意味だろうか。

 一瞬驚いたように目を見開くカイだったが、すぐさま目を輝かせると、急ぎ洞窟の出口を目指す。


「分かった、行ってくる」

『迷うなよ』

「大丈夫だよ、近くで拾ってくるから……あ、そうだった奥にあの男が居るから」

『は?――おい、それはどういう……あの阿呆め』


 カイは去り際に思い出したように、青年の事を伝えて洞窟を後にする。

 そのことについて聞き出そうとしたリプカだったが、カイが振り返らずに立ち去った事で、諦めたようにため息を零すのだった。





 すっかり外は日が暮れてしまったらしい。洞窟の入口より少し奥まった場所で空気を確保しながら火を起こしていたカイは、焚火の火を眺めながら膝を抱えて座っていた。

 その傍らには黒猫の姿もある。


 洞窟の中は少し湿ったい空気が流れており、ごつごつとした岩が目立つ。その中で出来るだけ平坦な場所を見つけて体を休めていたカイは、視界の奥に未だに意識を失ったままの青年を一瞥して様子を確認する。

 カイの服はあれから時間が経ったこともあり、すっかり乾いていたようだった。


「そういえば、ここまで追ってきてくれたんだろう? 有難うな」

『ふん、朱の国に俺を連れていくという約束だからな。今死なれては困る』

「そっか……で、これからどうすればいいんだ? 朱の国がどの方角かリプカは分かるのか?」

『川の流れに従い進んで行けば時機に朱の国に辿り着く』

「へぇ、そうなんだ」


 やはり「困ったときは物知りな猫に聞くのが一番だな」とカイが感心していると、黒猫は大きなため息を漏らし、咎めるような視線を向けてくる。


『――それよりも貴様、アレを助けてどうするつもりだ』

「どうするって言われても……一応誤解は解けたっぽいし、襲ってくることはもうないかと思って」

『馬鹿か貴様は、命を狙ってきた奴だぞ』

「まぁ、そうなんだけど……かといって、あのまま溺れるのを、見捨てるわけにもいかないだろ?」

『あの兵たちを殺したのがそいつでもか』

「……」


 真剣な声音と共にカイは言葉を詰まらせる。


 薄々気が付いていた。あの兵士たちを殺したのは、きっと彼なのだろうと。

 絶命した兵たちの顔を思い出し、カイは眉を寄せて視線を逸らす。


 人の死をこれほど間近に感じたのは、生まれて初めてで、どんな顔をすればよいのか分からない。

 この世界に連れて来られて改めて実感する。自分がいかにこれまで平和な世界で生きていたのかを。

 人を殺めた彼を助けて良かったのかは分からない。今のカイにその答えは出せなかった。


『愚か者め』

「……否定はしない」


 それはただの自己満足かもしれない。リプカの厳しい声に、カイは何も言い返すことが出来なかった。

 沈黙が暫く流れた。

 焚火のバチバチと燃える音だけがそこに響く中で、カイは話題を切り替えるようにリプカに尋ねる。


「……そういえば、どうして朱の国と青の国は戦争なんて始めたんだろう?」


 その言葉を耳にした瞬間、リプカの目つきが鋭くなる。それを知りたいのはきっとリプカも同じなのだろう。

 カイが言葉を待てば、ふと猫が居る方向とは別の方角から声が届く。


「――それは、朱の王が青の王に宣戦布告をしたからさ」

「!」


 声に導かれて顔を動かせば、身を起こした青年の姿があった。

 青年と目が合えば、彼は初対面の時とは打って変わって穏やかな雰囲気で話しかけてくる。どうやらその様子から見て元気になったらしい。


「きみが助けてくれたんだろ? 有難う」


 何を考えているのか分からない笑みを浮かべた相手に、黒猫が鋭い視線を向けながら低い声を放つ。


『どういう事だ?』

「へぇ? きみ精霊なんて連れてるんだ? 驚いた。初めて見たよ」


 リプカの姿を目で確認した青年は、飄々とした態度で唇に笑みを浮かべている。質問を無視される形となったリプカは、苛立った声で再度尋ねた。


『どういう事だと聞いている』

「どうもこうも、言葉通り朱の国の王が条約を破り攻めたのさ」

『何故……そのようなことに……』

「さぁ、もともと戦いが好きと噂の王だったからね」


 血でも浴びたくなったんじゃない、と答えた青年は、立ち上がると伸びをして体の調子を確かめている様子だった。

 問題なく体が動くことに満足した彼は、カイの方へと視線を向けるなり友好的な雰囲気で話しかけてくる。


「それより、きみの名前教えてよ」

「え、俺?」


 まさか相手に名前を聞かれるとは思わず、カイは戸惑いを浮かべつつも怪しむように眉を寄せた。その質問の意味が分からなかったからだ。

 すると青年はにこやかに笑いながら、自身の名を口にする。


「人に尋ねる前に、自分から名乗らないとか。俺の名前はスレイ・クラウン。改めて助けてくれて有難う。いやぁ、参ったよね。森を通りたかっただけなのに、いきなり襲われてさ」


 それはつまり、カイたちと同じ状況だったということだろうか。

 森を通り抜けようとして兵たちに襲われ、正当防衛で戦っていたと。

 それの証明のしようがないので、カイはどうすべきか迷いつつリプカへと視線を向ける。

 するとリプカは特に何も言わずに、スレイと名乗った人物の様子を眺めていた。リプカが止める素振りがなかったので、ひとまず名乗ることにする。


「……俺の名前は、カイ・エレフセリア。こっちが火の精霊のリプカ」

「カイにリプカね。ところで、あそこに居たってことは朱の国を目指してたりする?」


 その言葉にカイは一つだけ頷く。その返事を受けたスレイは表情を明るくして続けた。


「やっぱりそうだよね! ねぇ、きみさえ良ければ俺と一緒に朱の国を目指さない? ほら。今国の情勢が不安定だから何かと物騒だろう? だから協力してくれないか?」

「アンタと……?」

「きみを追っ手だと勘違いしたことは謝るよ。ごめん」


 その口調は随分と軽いものだった。

 カイが怪訝な表情でスレイを見ていると、リプカが口を挟んでくる。


『あの国に一体何の用がある』

「あー、それはヒミツ。ごめんね、俺こう見えても仕事で用があって。でも、兵士に襲われるような内容じゃないことだけは確かだよ」

『胡散臭いな』

「手厳しいな……けど、何かあったら俺が護衛できるよ。きみ、その猫に守られていたし戦いが得意じゃないんだろ?」


 いきなり知らない人間に図星を突かれて、カイは言葉に詰まる。

 そんな反応を見ても飄々としたままのスレイは、にこやかに続けた。


「俺の実力は既に証明済みだし、悪くない話だと思うけど?」

「……」


 カイが視線をリプカへと向ければ、猫はため息を吐きつつ答えた。


『まぁ、こいつがあの国を目指しているのは本当だろうよ……少しでも裏切るようなそぶりをしてみろ、その時はコイツの髪のような火力では済まんからな』


 その言葉を耳にして漸く、スレイはカイの髪の異変に気が付いたらしい。暗がりで見えにくいが、よく見ると、カイの髪は先端が燃やされた影響で縮れているのが分かる。

 そのことに気が付いた青年は、カイを指さして笑う。


「な、何その髪……ふ、ふふふ……あははは!」


 笑い死にそうだと腹を抱えて爆笑する相手に、カイはさすがに恥ずかしくなった様子で、「笑うなよ!」と抗議の声を上げる。


「はぁ、久々にこんなに笑わされた」

「お前が勝手に笑っているだけだからな」


 笑いが漸く収まったころ、今日は自分が見張りをするとスレイが言い出す。


「あはは、きみ面白いね。そろそろ時間も遅いし今日は俺が見張っておくよ。さっきまで十分休ませてもらったし。傷の手当ても助かったよ」

「アンタが見張り……? 寝首をかかれそうだな」

「酷いな」


 カイが容赦のない本音をぶつけると、本人は気にした様子もなく笑っている。

 

 確かに、顔立ちは整っている印象だが、カイの言う通り背後から裏切って襲い掛かってきそうな雰囲気が彼にはあった。

 それはリプカも同様だったらしく、ジッと探るような視線を向ける。

 カイとリプカの反応に、さすがの彼も苦笑を浮かべて肩をすくめた。


「いきなり襲い掛かったのは悪かったって言っただろ。俺も切羽詰まってたんで、確認する余裕がなかったんだよ。大丈夫、俺も朱の王に用があるし、こう見えてもしっかりした職業についてるから、そういうのには厳しいんだよ」

『あの兵を殺したくせにか』

「正当防衛だろ。先に手を出してきたのは彼らだ」


 リプカの痛い指摘を受けてもなお、彼の態度は変わらない。

 暫く探るような視線をリプカは送っていたが、やがて諦めた様子でカイに声をかける。


『寝るぞ』

「え、良いのか?」

『少なくとも朱の国までは裏切らんだろう。戦力が多い方が良いのはコイツも同じだからな』

「俺が裏切る前提で話を進めるの、やめてくれよ。約束はきっちりと守るよ、こう見えても」


 そう口にする彼の本心は、一体どこにあるのだろう。何を考えているのか、本当に分からない男だ。

 カイは相手の様子をジッと探るように見つめてから、小さく声をかけた。


「じゃあ、よろしくな」


 カイが素直に笑ったものだから、本人は一瞬不意を突かれたような顔をする。

 しかし、ゆるく笑って手を振ると、スレイは背を向けて入口の方へと進んでいく。

 カイは近くで丸くなった猫と寄り添いながら、鞄を枕にして目を閉じるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る