3 ピンチ到来

(さすが、四足歩行動物)


 急に走りだした黒猫を追いかけて、カイはある場所までやってきていた。いくらカイが聖騎士試験で体を鍛えたとはいえ、四足歩行動物には到底敵わない。

 息を弾ませながら先に目的地に到着した黒猫に追いつくと、黒猫は涼やかな顔でカイに声をかける。


『遅いぞ小僧』

「お前が早いだけだろ!……急に走りだして、どこに行くんだよ? 森?」


 何とか猫に追いつくことが出来たカイは、荒く呼吸を繰り返して足を止めると、周囲の景色を見て怪訝の表情を浮かべた。

 エスイアとファティルの国境は自然豊かな空気が漂っていたというのに、カイの目の前にある森は何やら薄暗く、濃い霧に覆われている。カイがイリーナと出会ったあの森よりも、その雰囲気はどこか不気味悪かった。


『ここは唯一、三国が交わる場所だ。この森の向こうを超えれば朱の国がある』

「まさか、ここを通るのか!?」

『無論だ。今は時間が惜しい。とにかく封鎖される前に朱の国に入らなければ不味い事になる』

「不味い事って、既に戦争がはじまりそうだって言うのに、これ以上不味い事があるのか? って、おい! あぁ、もう!!」


 リプカはそう手短に説明をすると、返事も待たずして森の中へ飛び込んでしまう。

 霧に覆われた視野の悪い場所は、見るからに何かが居そうな雰囲気だった。黒猫が「ここなら手薄だ」と言っていた理由がなんとなく分かる。こんな場所、普通の人間であれば絶対に立ち寄ろうと思わないからだ。


 こうなってしまった以上、リプカを追いかけるしかないと、カイは文句を言いながらも、森の中へ足を踏み入れる。

 中は想像していた通り、真っ白でほとんど何があるか分からない状況だった。森の向こうには川が流れているのだろうか、水の流れる音も耳に届く。


「ここ、一体どうなってるんだ? 川が近いせいで霧に覆われてるのか?」

『……いや、以前はこうではなかった』


 そこに来てようやくリプカはカイと歩幅を合わせてくれる様子で、肩に飛び乗ってくる。

視界も悪い上に、足元も少しぬかるんでいる事を確認したからだろう。ここではぐれると色々と面倒な事になると考えたようだった。おかげで、道に迷う心配がなくなったカイは、ホッと息を吐いて周囲を見渡す。


 相変わらず、森は静けさに包まれていた。魔物が居るかどうかも、この視界ではよく分からない。ここに入る前は空に太陽が見えていたが、空を見上げても何も見えないことから、広範囲にこの霧が広がっていると分かる。


 周囲を共に見渡していたカイは、リプカの返事を受けて首を傾げた。


「じゃあ、どうして急に……?」

『恐らく、聖域が侵されている影響だろう。この辺りにも狂暴化した魔物が住み着いていたからな……』

「え? じゃあ、この霧は聖域の浸食が原因ってことか? もしかしたら、霧に魔物が潜んでる可能性があるのか?」

『いや、恐らくそれは無い。少し前に、ここに居た魔物たちは朱の国の兵たちが一掃したからな』

「……なるほど」


 やたら国の内部事情に詳しい黒猫に、カイは感心したような声を漏らす。足場が悪い事も加味して、慎重に周囲に気を配りながら歩いていく。

 しかし、魔物の糞や足跡どころか、生き物の気配が周囲には感じられない。カイがイリーナと出会った森ですら、時々木々の隙間を鳥たちが飛び交っていたのだが。


(何だ?)


 森の深さが一体どの程度なのかは知らないが、ある程度真っすぐに歩いていくと、少しだけ道が開けた場所に出る。

 周囲を木が円形に囲むように生えているのだろうか。本当だったら空には青い空が見えるはずなのだが、その気配すら感じられない。


 そんな場所で、カイは地面に横たわる影を見つけた。それはリプカも同じだったようで、静かに声をかけてくる。


『気をつけろ』


 すぐ隣からの声を聞き、表情を引き締めて気配を殺す。ゆっくりとした動作で影との距離を詰めれば、やがてそれが何かをはっきりと目視する事が出来るようになる。

 視界の中でそれが何かを理解すると、カイは慌てて駆け寄っていた。そこに倒れていたのが、人の形をしていたからだ。


「大丈夫ですか!?」


 安否を確認しようと声をかけるが、反応がない。

 服装から見て、そこに倒れていたのが兵士である事が分かった。そこには、見たことのない紋章があるのが分かる。

 体には鋭い何かで斬られた痕が残っており、周囲には交戦した血の痕跡も散らばっている。念の為に息を確認するも、既に事切れているようだった。


「……死んでる」

『何故このようなことに……』

「一体この森で何が起きてるんだ?」


 せめて霧が晴れてくれれば、弔うことくらいはしてやれるのだが。しかし、今は他人の事を気にしている状況ではない。兵士がここで死んでいたということは、何か脅威となるモノがすぐそばに居るという事だ。

 魔物か、それとも狂暴な動物か。


「いっそ、俺の魔法で霧を吹き飛ばしてみるとか?」

『やめておけ、どうせすぐに霧は戻る。これは、周囲に漂う魔力異常によるものだ』


 カイの提案をすぐさま切り捨てたリプカは、随分と落ち着いた様子を見せていた。


「結局、聖域を浄化しない限り同じってことか」


 それに関してはもうルクスに頼むしかない。

 今の自分に出来ることはないと分かると、カイは顔を上げて森の奥を目指す。そんなカイに、リプカは確信めいた様子で口を開いた。


『それよりも、気をつけろ。何かが居るのは間違いない』

「分かった……さっきの人は魔物にやられたんだろうか?」


 小さな声で会話を交わしながら進んでいくと、血痕の跡が幾つもある事が分かった。それに加えて、先ほどと同じように兵士が何人か地面に倒れているのも確認できる。

 木々の枝が鋭い何かにより寸断されている事から、想像できるのは刃物か、はたまた魔物の鋭い爪による斬撃の後だと考えられた。


『これは一体……?』


 リプカがそう呟いた時だった、ガサッと森の中から音が聞こえてくる。


「っ!!」


 とっさの出来事に、身構えたカイが剣を手に握れば、リプカも静かに地面へと降り立つ。

 二人が緊張の面持ちを浮かべると、音は少しずつ、少しずつカイ達が居る方向へと近づいてくる。


(何だ? 何がくる?)


 目を凝らし、その正体を掴もうと固唾を呑んで見守れば、茂みの中からは、人の形をした何かが飛び出してきたのが分かった。しかも、相手は血の匂いを漂わせているのが分かる。


(人……?)


 そこに現れた誰かが顔を上げた瞬間、冷めた灰色の瞳と視線が合う。それでいて、相手は片腕を負傷しているのが分かった。服装は、どこか騎士を思わせるような出で立ちだ。濃い紫色の服を身に纏っている。

 髪は少し落ち着いたミルクティーベージュの色で、後ろ縛りの高い位置で結ばれているのが分かる。

ハーフアップにされた長い前髪の、覗けた片側からは青いピアスをしているのが分かった。目は少し垂れ目の形をしており、口元にホクロがあるのが印象的で、美形と言われる類の整った顔立ちをしているようだった。


 突然の事に驚くカイだったが、相手の身を案じて声をかけようとした。

「大丈夫か」と尋ねようと口を開けば、その直後、自嘲気味に笑った相手――男が呟く。


「……なんだ、まだ残ってたのか」


 気怠げな言葉が耳に届くと同時に、視界の端を何かが掠める。

 

「なっ――っ!?」


 とっさの出来事にカイが身を捩れば、視界の中で鋭く光る切っ先が確認できた。それはどうやらカイの髪を軽く掠り、触れた個所を切りつけていたようだった。

 正に間一髪。反応が後少しでも遅れれば、今頃大惨事だっただろう。

 彼の手には、刀身が黒い剣が握られていた。


『小僧!』


 リプカの声が聞こえた直後、お互いの剣が交わり火花を散らす。

 その切っ先の向こうにあった冷めた瞳は、明確な殺気をこちらに向けていた。それでいて、相当な手練れだという事が分かる。

 間合いを詰めてきた相手の動きがあまりにも戦闘に慣れていたためだ。しかも、速度がある上にその身のこなしは、足音一つ聞こえない。カイとは歴然の差があった。


「っ!? いきなり何するんだよ!」


 知らない人間に敵意を向けられるのはこれで二度目だと、カイが苛立ちに叫ぶ。

「この世界の人間は初対面で剣を交えないと気が済まないのか」と考えていると、剣を受け止められた事で、相手が一旦距離を取り再び剣を構えたのが見えた。


「アンタも俺を殺りにきた追っ手なんだろ」

「はぁ? 違っ――!!」


 相手はカイの言葉に耳を貸すつもりはないらしい。こちらが口を開こうとする度に、容赦なく斬りかかってくる。


「くっ! 人の話を聞けよ!」


 防戦一方のカイの動きを見ていた青年は、濃霧を利用して霧の中に身を顰めると、それからカイの気配を頼りに、死角からの攻撃を仕掛けてくる。


(流石に霧に隠れられるとまずい)


 視界不良の戦いは、こちらの方が圧倒的に不利だ。とてもじゃないが、手加減なんてしている余裕はない。

 リプカも相手の気配を探っている様子だが、視界が悪いせいもあって焦点をうまく合わせる事が出来ないのだろう。下手に魔法を放ちカイに当たる事を裂けているのか、苛立った様子で舌打ちをしているのが聞こえた。

 こうなればもう、やれることはただ一つ。とにかく、相手の誤解を解かなければと、カイは焦る気持ちを落ち着けるように呼吸を吐いた。


「――っ!」


(来た!)


 こちらの気配に相手が動いたのを察知したカイが、咄嗟に魔法を展開して自身の間に真空の壁を作る。

 切っ先がカイに届かなかった事を悟った青年は、一瞬だけ目を瞠り、口元を緩ませた。


「――へぇ、やるじゃん! じゃあ、次はこれならどうかな?」

「っ、いい加減に……!」


 人の話を聞け、と叫ぼうとすれば、素早い斬撃が何度も風の障壁ヴォート目がけて放たれる。

 力で押し切られれば、まだ安定した魔法を発動できないカイにとって、突破されかねない。カイが一旦相手の間合いから離れる為に後方へと下がれば、互いの視線が交差する。


 そんな二人は睨み合いながら、どちらが先に動くのかを探りあっていた。

 そして静寂が落ちる。

 お互いが剣を構え動こうとした直後、森の茂みから突如何かがなだれ込んでくる。


「――見つけたぞ!!」

「……え? なっ!?」


 今度は何だとカイが顔を上げれば、そこには兵士たちの姿があった。

 彼らはカイと青年に目がけて特攻すると、容赦なく襲い掛かってくる。剣を振り下ろしてきた兵士の一撃を、咄嗟に受け止めたカイは、彼らが道中何者かに惨殺されていた兵士の仲間だという事を理解する。


「ちょっと待ってくれ、俺はただ、ここを通りかかっただけで……!」

「黙れ! よくも仲間を殺したな!」


 やはりそういう流れになっているのかとカイが眉を顰めれば、その向こうで兵士たちを次々地面に投げ飛ばしていく青年が、漸く状況を理解したような声を上げた。


「え? アンタ、こいつ等の仲間じゃ……」

「だから、俺はただの通りすがりなんだって!!」


 兵士の剣を薙ぎ払い、相手から距離を取るように下がったカイは、近くに居るリプカを呼んだ。


「リプカ! とにかくここから離れるぞ!」

『俺に命令するな!』


 カイの声に素早く反応した猫が肩に乗ってくると、カイは兵士たちを撒くために走り出す。

 視界不良の中で何処に向かえば良いのかも分からないが、あの集団を相手に戦い続けるのは、こちらが不利と判断したようだった。


「待て!!」

「逃がすな、追え!!」


 当然、それで見逃がしてくれるはずもなく、殺気だっている集団はカイ達を追いかけてくる。

 視界の中で青年が同じように、兵士たちと距離を取り、着いてくるのが分かった。


「何で着いてくるんだよ!」

「たまたまだよ、方向が一緒だっただけだって」

「元を正せば、お前のせいで――……」

『待て小僧!』


 カイが恨み節を放っていると、突如肩に乗っていた猫が叫ぶ。

 ハッとして顔を向けると、危うく地面が無い場所に突っ込みかけている事に気が付き足を止めた。

 目の前は断崖絶壁だった。どうやら自分たちは知らず知らずのうちに追い込まれていたらしい。


「くそっ」


 このままではまずいと、カイが来た道を引き返そうと身を翻せば、そこには武器を構える兵たちの姿があった。

 弓を構えた兵士がすかさずこちらの動きを封じようと、それを放ってくる。

 だが、それがカイに届くことは無かった。


『愚か者めが』


 その刹那、弓は空中で燃え尽きて地面に落ちていく。恐らくリプカが魔法を放ったのだろう。

 カイの肩から降りて兵士たちの間に割り込んだリプカは、唸り声をあげて兵士たちを威嚇した。すると、黒猫を目にした兵士たちは、何故か驚きの声を上げて固まってしまう。


「猫? いや、まさか精霊か!?」

「その姿は……」


 その口調は、まるで見覚えがあるような口ぶりだった。

 その様子を見ていたカイがどういうことかと驚いていると、隙を見た青年がいきなり声をかけてくる。


「逃げるぞ」

「は?」


 その声と共に腕を引かれる。「何処に逃げるんだ」と思った時には、既に遅かった。

 青年に引かれるままバランスを崩したカイは、そのまま背中から崖の下に向かって落ちていく事となる。


「うわぁあああああああぁぁ!?」

『――小僧!!』


 兵たちに気を取られていたリプカがその異変に気が付き慌てて振り返る。だが既に間に合わない。

 カイの体は霧に包まれた奈落へと呑み込まれ、やがてその声も遠くへとかき消されてしまう。


『くそっ!!』


 一匹だけとなった状況で、リプカはそう苛立ちの声を上げるのだった。

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