2 森での出会い

 その時、カイの脳裏に浮かんでいたのは、人の脳は死を覚悟した時、そこに見える映像をスローモーションとして映し出すという言葉だった。


(あぁ、これは不味い……)


 突然の出来事に、咄嗟に魔法障壁を張る事も考えたが、今のカイの反射では到底間に合わない。落下してくる槍の切っ先を目で追いながら、バクバクと騒ぎ立てる心臓の鼓動を耳にした。


その時だった。


『小僧、伏せろ!』


 聞きなれた声が静寂の中に落とされる。

 その言葉を耳にした直後、カイは咄嗟に膝を曲げて屈んでいた。


「――っ!!」


 すると、上空の方から灼熱の熱気と、何かが激しくぶつかる音が聞こえてくる。

 恐らく聖魔法により作られた光の槍が、リプカの放った炎の障壁デフェールにより防がれたのだろう。炎と熱の交わった衝撃が空気を振動させて森を震わせる。


 その光景を目の当たりにした少女は、突然の出来事に、信じられないと言いたげな声を漏らした。


「……何で」


 まさかあの一撃を防がれるとは思わなかったのだろう。少女が悔しそうに唇を噛んで、杖を構えた。どうやら彼女からの敵意はまだ消えないらしい。

 先ほどの魔力のぶつかり合いでお互いの実力は十分に計れた筈だが、カイの事を人攫いと勘違いしている以上誤解を解かない限り、倒れるまで徹底的に交戦するつもりなのだろう。

 それを理解したリプカは、次の手段を彼女が講じる前に、素早くカイの間に割り込むと、静かな声で話しかける。


『おい小娘、これ以上無駄なことは辞めろ』

「……え? 猫が、喋った?……まさか、精霊……?」

『こちらに敵意はない、その杖を下ろせ』


 暗がりの森の中という事もあり、そこに真っ黒な猫が突然現れたことに少女は驚いている様子だった。しかも人の言葉を喋るという事もあり、困惑の面持ちを浮かべる。だが、リプカのお陰で注意をひくことには成功したらしい。

 その隙を見てカイは、慌ててポケットから彼女の物と思われる髪飾りを取り出した。

 こちらの話に耳を傾けてもらうには、これを見せる方が手っ取り早いと思ったからだ。


「あの、俺たち本当にただの通りすがりなんだ! これ、君が落とした髪飾りだよね?」

「それは!」


 蝶をモチーフにした髪飾りを見て、少女はカイが思った通りの反応を見せる。事情を説明するために、彼は早口に言葉をまくしたてた。


「さっき、ここに来る途中に見つけたんだ。一本道だから、落とし主が戻ってくるかもしれないと思って拾ったんだけど、君の物……で間違いないよね?」


 相手にそれを差し出すように近寄れば、少女は構えていた杖を下ろし、ゆっくりと歩み寄ってくる。

 その青い瞳には未だに警戒の色を滲ませているが、カイは相手を刺激しないように、出来る限り柔らかな表情を浮かべて、彼女が落とし物を受け取るのを待った。

 少女はカイが差し出した物を受け取ると、手のひらに包み込むようにしてそれを握りしめる。


「……良かった……」


 その様子から、相当大切な物だったことが伝わってくる。

 相手の緊張が解けたのを確認して、カイも安心した様子で肩の力を抜いた。すると、漸く我に返った少女がハッとした様子で頭を下げた。


「あの……本当に、ごめんなさい!」


 長いフワフワの髪が動きによって揺れる様子は、先ほど鋭い一撃を放ってきた姿とは、とても似つかない雰囲気だった。


「私、てっきり人攫いかと思って、それで……本当にごめんなさい!」


 カイが訴えた事を理解した様子で、相手は申し訳なさそうに謝る。

 誤解が解けたことで相手から向けられる敵意が消えたことを確認して、カイは笑いかけていた。


「良いよ、俺も武器を構えてたし、勘違いされても仕方ないから。むしろ驚かせてごめん」


 暗がりの森の中で男が剣を構えていたら、正当防衛で身構えるのも仕方がない。それに一人でこんな場所をうろつくならなおさら警戒は必要だろう。

 自分も確認不足で相手に敵意を持たせてしまった事を謝り、カイは視線を足元の黒猫へと落とす。


「助けてくれて有難うな、リプカ」

『ふん、あの程度の魔法も防げぬとはな』


 カイの礼を受けて、黒猫は短い尻尾を振りながら肩の上に戻ってくる。すぐ隣から「未熟者め」という言葉が聞こえてくるが、礼を言われて悪い気はしていない様子だった。


 その様子を見ていた少女は、カイと黒猫の姿に目を輝かせて声をかけてくる。


「もしかして、本当に精霊なんですか?」

『だったら何だ』

「凄い、初めて本物に出会った」


 きっと本物の精霊に会えて感動しているのだろう。カイもリプカと会った時は似たような事を思ったので気持ちは分からなくもない。しかもリプカは見た目が黒猫の姿をしているので、更に興味深いのかもしれない。

 一方のリプカは少女から向けられる視線に全く興味がない様子で、明後日の方角を見ていた。 


「えっと……どうしてこんな場所に一人でいたのか聞いても良いかな?」

「あ、すみません! 実は旅をしていて。今色々な場所を回ってるんです」

「旅? 一人で?」

「はい」


 屈託なく笑った少女の姿に、カイは不意を突かれる。

 

(どこからどう見ても、俺より年下……だよな?)


 フワフワとした雰囲気の少女は、背中にリュックを背負っており、確かに旅をしている見た目だった。だが、一人で各地を回るにはあまりにも年齢が若いように感じる。推定で14~16歳くらいだろうか。

 振る舞いや雰囲気からして、一般人でない事は見て分かるし、何より彼女の手にする杖は相当質の良いものに見える。


(家出少女か?)


 その一瞬で色々と勘ぐってしまうカイだったが、逆に彼女からカイに向けて質問が投げられる。

 相手はカイが違和感を抱いている事に気が付いていないらしく、穏やかな表情を浮かべていた。


「その、私からも一つ尋ねて良いですか?」

「あぁ、うん。どうぞ」

「貴方こそ、この森をどうして通って来たんですか?」

「どうしてって……青の王国に用があったからだけど……?」


 それほど不思議に思う話なのかとカイが首を傾げれば、少女は大きな瞳を何度か瞬かせて呟く。


「わざわざ遠回りをして、ですか?」

「……え?」

「だって、青の王国だったら、大通りから直接進める道がありますよね……?」

「っ!?」


 その言葉を耳にした瞬間、カイは腰に下げているバッグから地図を取り出すと場所を確認する。確かに、その地図には、白の王国から青の王国まで直接繋がっている道が記されていた。位置関係でいえば、自分が今足を踏み入れている森は、彼女が口にする遠回りの東経由で国を目指す位置にあった。


「……おい黒猫、どういう事だ」

『フン、告げたはずだ。貴様のへなちょこ魔術の練習に良いと思ったと……結果魔物どもが一切出て来なかったから無駄足に終わったが』

「最初から、そうならそうだと教えてくれても良いだろ!」

『貴様に、気色の悪い魔物がうじゃうじゃいる道を通ると説明して、付いてきたのか?』

「それは確かに嫌だけど!」


 どおりで足場が悪い場所を進まされたわけだ。カイはこれまでの道のりを思い返してそう納得する。

 フィリオールの説明では、数日も歩けばそれなりに大きな街に出て、青の王国まで出ている馬車に乗れる説明だったというのに、一向に大きな街が出てくる気配が無いため不思議に思っていたのだ。

 地図なんて必要ないと言った黒猫に案内を任せたことを、ここにきて後悔する。


 そんなカイとリプカの言い争いを近くで見ていた少女は、カイがこの森にいる理由に納得した様子で笑みを漏らす。


「なんだか、訳アリみたいですね」


 そんな彼女に、リプカは隣から未だに文句を言っているカイを無視して質問を投げた。


『そういう貴様は何故一人でこのような場所をうろついている?』

「私は薬草を取りに来たんです。さっき採取が終わって、それで気づいたら髪飾りが無くなっている事に気が付いて」

「薬草……?」

「はい! あ、そうだもしよかったらこれ、受け取ってください。さっきのお詫びと髪飾りのお礼です」


 少女は何かを思い出した様子で背負っていたリュックから小瓶を取り出すとカイに差し出してくる。その小瓶には、何やら青い液体が入っているようだった。


「これは……?」

「私が自分で調合した回復薬ポーションです。見た目は怪しい色に見えるかもしれませんが、効果はちゃんとありますので、信じてください!」

「俺が受け取って本当に良いのか? 回復薬っていえば、貴重な物じゃ……?」

「大丈夫です! 今回たくさん薬草が採れたので」

「有難う、じゃあ遠慮なくいただきます」


 今回は少女の厚意に甘える事にして、カイは回復薬を受け取る事にする。


 回復薬と言えば、カイが元居た世界でも高価な値で取引される代物だった。

 主に国の兵や、冒険者が持っている印象があり、あまり一般に出回る事がない飲み薬である。実際にそれを目にしたのは聖騎士試験以来だろうか。

 腰に下げているバッグにカイが回復薬を大切にしまうと、少女は意を決したように口を開く。


「あの、私イリーナ・セイクリッドって言います。良かったらお名前を窺っても良いですか?」

「あぁ、俺はカイ・エレフセリア。こっちがリプカって言う炎の精霊だよ」

「カイさんに、リプカさんですね。今日は本当に有難うございました!」


 少女はカイとリプカの名を耳にすると、舌の上で大切に転がすようにその名を復唱する。

 笑った表情は年相応で愛らしい雰囲気だ。きっと長い間髪飾りを探していたのかもしれない。

 無事に落とし物の主を見つけられたことにカイは安堵して、その場を去ろうと声をかける。


「それじゃ、気を付けて」

「はい、カイさんたちこそ」


 そうして笑顔で少女と別れたカイは、森の出口を目指し歩き出す。

 周りに魔物が居ないのなら彼女なら大丈夫だろうと、そっとしておくことにして。



***



 それから、数日が経過した。森の中ではちょっとしたトラブルはあったものの、目立った問題が起こる事もなく、カイたちの旅路は順調に歩みを進めていた。

 今日はいよいよ待ちに待った国境を超える日だ。

 近くの町を経由して青の王国を目指して進めば、緑が多かった景色は一変して美しい川が流れる道へと繋がる。これまでだと空に高く伸びる木々が多くみられていたが、今はどちらかと言うと、背丈の低い草花が道端には咲いている印象だ。

 

 道の脇を流れる小川は流れが穏やかで、中には魚のような魚影も確認できる。青の王国が水が豊富で生き物が多いというのはきっと本当なのだろう。

 国境付近という事もあり、少しずつだが商人や馬車といった人通りも多くみられるようになってきた。

 その中でのんびりと道を歩いていたカイは、肩に乗っている猫に声をかける。


「いよいよ青の王国だな」

『そのようだな』

「ここに来るまでなんだか凄く長かった気がする……」

『ふん、貴様の足が鈍いだけだろう』

「いや、全てはリプカのせいだからな? 最初からフィリオールさんが教えてくれたルートを使ってれば、こんなに日付がかからなかったのに」

『貴様の魔法訓練にはちょうど良いと思ったまでだ、寧ろ感謝しろよ小僧。付け焼き刃程度には魔法が扱えるようになったのだから』


 カイとリプカの様子は相変わらずだが、ここに来るまでの変化と言えばリプカが口にする言葉通りだろう。

 時々遭遇する魔物とカイを、容赦なく戦わせるものだから、初歩的な魔法を扱える程度には鍛えられていた。

 無茶ぶりが多いやり方ではあったが、結局リプカの教えは的を射ており、少しずつだがカイも成長を遂げていたのである。

 

 故に、魔法の成長に関して、カイは言い返すことが出来ない。


「ぐっ……」


 カイが悔しそうに俯けば、肩に乗ったままの猫は得意げな声を上げる。


『ふん、この俺に口で勝とうなんぞ、500年早い』

「数字が具体的すぎる!」


 何故500なんだ、というカイの質問はその通りの奥から聞こえた声によりかき消された。


――おい、どういう事なんだ!!


「……なんだ?」

『国境の方からのようだな』


 男の怒鳴るような声と共に顔を上げたカイは、黒猫からの返事に急ぎ足でその方向へと進んでいく。

 国境に近づけば何やら、大きな人だかりができていることが確認できた。どうやら兵士がその付近で侵入を拒むバリケードを設置しているらしい。


「あれは……?」

『何の騒ぎだ?』


 カイと黒猫がその光景に違和感を抱いていると、兵士と揉めている男たちが声を荒げて入国を訴えている様子が見えてくる。


「国境を封鎖ってどういう事だよ!!」

「こっちは数日かけて物資を運んできてるんだそ!」

「そんなの聞いてないぞ、中に入れろよ!」


 興奮気味に訴える男たちはみな商人のような風貌だった。きっとここに来るまでに色々な苦労があったのだろう。

 それに対して、行く手を遮るように立っている兵士たちは毅然とした態度でバリケードに近づく商人たちを追い払っているようだった。


「とっとと下がれ! これは青の王による命令だ。これより、青の王国はあかの王国との戦争に備え、外からの人間の出入りを制限する事となった。許可のない者は即刻立ち去れ!」

「青の王国と朱の王国が戦争?」

「戦争ってどういう事なんだよ、じゃあ青の国に居る家族はどうなるんだ!?」


 一人の兵士の言葉に、周囲が一瞬でどよめきに包まれる。

 衝撃を受けていたのは、そこに居る人々だけではない。カイの肩の上に乗っていた黒猫も、信じられないと言いたげに目を見開いていた。


『どういう、ことだ?』

「……リプカ?」

『何故、戦争を……?』


 茫然と言葉を呟くリプカの様子に、ただならない事が起きている事を悟り、カイは手を挙げて近くの兵士に声をかける。


「すみません」

「なんだ」

「戦争っておっしゃられていますが、いつぐらいに終わる予定なんでしょうか?」

「そんなもの、我々が知るわけもないだろう。とにかく、青の国への入国は正規の手続きを踏んだ者にしか許可が下りない、とっとと国へ帰れ」


 まるで動物を追い払うような仕草で手を振った兵士の様子に、近くにいた人々が重たい足取りで離れていく。中には納得がいかないと兵士と揉めている人間も居たが、カイは素直に引き下がる事にする。


(戦争って、どういうことだ……?)


 各国の王同士は共に仲が良いと語っていたフィリオールの言葉を思い出し、ますます訳が分からなくなる。

 色々と大変なことになっている事だけを理解したカイは、どうすべきか答えを探しあぐね、そこに立ち尽くす。

 すると、黒猫は冷静さを取り戻した様子でカイを呼んだ。


『おい小僧』

「どうした? 何かいい案でも浮かんだのか?」

『予定変更だ』

「は?」


 これまでカイの肩に乗っていた猫は、先を急ぐように地面に降り立つとカイを振り返って告げた。


『すぐに朱の国を目指すぞ』

「朱の国? けど、そこは青の王国と戦争するんだろ? なら状況は一緒じゃないのか?」

『封鎖される前に潜入する。恐らくならまだ手薄な筈だ』

「……あそこ?」

『ついて来い!』

「あ! ちょっ、リプカ!」


 カイの返答を待たずして走り出した猫に、カイは慌ててその背中を追いかけるのだった。

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