第1章:青の王国-エスイア-編
1 魔法について
白の王国を離れて数日、カイ・エレフセリアとひょんなことをきっかけに出会った炎の精霊のリプカの姿は、木々の中を切り拓いて作られた森林の中にあった。
彼らが今目指している場所は、白の王国から北に位置する青の王国と呼ばれた場所である。
水に恵まれたその場所は、数多の生命が溢れる大地とされており、若き王により統治されているとのことだった。王都を離れてリプカとの旅が始まったわけだが、ここまでの道のりは順調と言えただろう。
しかし、カイの肩に乗りながら道中を移動しているリプカは、周囲の様子を眺めて残念そうな声を漏らしていた。
「どうしたんだ、さっきからキョロキョロして?」
『ここなら良い狩り場になると思ったんだがな……』
「え?」
『どうも、魔物の数が少なすぎる……本来であれば、大物がこの時期は多く存在するのだが、周囲に気配がない』
リプカの悩みはどうやら、魔物の数が少ない事だったらしい。
「魔物が少ないなら戦闘が避けれるし、普通ラッキーだろ?」
『阿呆め、魔物が居たのであれば、貴様のへなちょこ魔術の良い的になっただろうが』
「あぁ、そう言う事……」
「へなちょこ」と呼ばれたことに少し複雑そうな顔をしたカイだったが、魔術の基礎がなっていない事は自覚しているので、文句を言うことはなかった。
任された仕事はきっちりとこなす主義の黒猫は、その事を気にかけながらここまでやって来ていたらしい。
一方、リプカに指摘されて初めて魔物が少ないという事実に気がついたカイは、周囲の光景を見て確かに不思議だなと思う。
こういう木々の覆い茂った場所は、魔物が好き好んで住処を作る傾向にあることが多いからだ。辺りには、姿を隠すにはちょうど良さそうな木が多く生息していることもあり、カイは首を傾げる。
「何かあったのかもな」
『冒険者辺りが主でも殺したのか?』
ボソリと呟かれた言葉を耳にして、カイはなるほどと納得した。
森の主となる魔物が人間に倒されたとあれば、暫くは人に対する恐怖心から魔物は寄り付かなくなると聞いた事がある。魔物が居ないなら奥に進むだけだと、一人と一匹はそうして木々が覆い茂る薄暗い道を進んでいく。
この道を抜けると、いよいよ青の国への国境が近くなる。国境から王都へはまだ暫く距離があるようだが、国を跨れば見える景色も一変すると聞いていたので少しだけ胸が躍る。
これからの景色にカイが少しだけ口元を緩めていると、何かが視界の端でキラリと輝いたことに気が付いた。
「あれ、なんだ?」
『何か見つけたのか?』
その声に答えるように、カイは何かを見つけた方角を指差す。それは、道が整備されている場所から少し外れた草木が茂る場所だった。
「何か光ってるような……」
『髪飾り……か?』
「え? この距離からでも見えるのか?」
『なんとなくだがな』
「驚いた……精霊って、目も良いんだな」
早速その場所に近づいてみると、リプカの言う通り、そこには装飾が施された髪飾りが落ちているようだった。
蝶があしらわれた、女性物と思われる髪飾りは、落とされてそう時間は経っていないように感じる。何故なら、シルバーの素材であるにも拘わらず、土をかぶっているわけでも、雨に打たれて錆びた様子もみられなかったからだ。
「誰かが落としていったのか。落としてそう時間は経ってなさそうだな」
『魔物から逃げている最中に落とした可能性もあるぞ』
「確かに……ここは一本道だし、落とし主が取りに来た時のために、一応拾っておくか」
親切心からなのか、思いついたような言葉を口にするカイに、黒猫は怪訝そうに肩の上から視線を向けてくる。
『おい貴様……持ち主が見つからなかった場合はどうするつもりだ?』
「その時は、目立つように木にぶら下げておけば良いだろ?」
周囲に髪飾りの落とし主がいないことを確認したカイは、そうして大切にポケットの中にしまいこむ。
整備された道から少し離れた場所に足を踏み入れた事で、カイの視界に再び何かが飛び込んでくる。そこにあったのは、周囲に落ちている木の枝を燃やしたような跡だった。
「あれ、なんだ? 野営の後……か?」
『……なんだあの骨は』
しかも、その周囲には何やら大きな骨がところどころ散乱している。
その骨の在り処はどうやら地面の中からだったらしい。明らかに掘り起こされた痕跡があることから、匂いにつられた動物がやった仕業なのだろう。それにしても、随分と大きな骨だ。
形からして、牛や豚などといったサイズよりも大きく思える。
「冒険者が食べた後……とか?」
『だとしても、あまりにもでかすぎるがな……』
「まさか、現地調達……なんてことしてないよな?」
『……』
「そこで黙るなよ!」
ほんの冗談で零した言葉にリプカが真面目な顔をして黙ったものだから、カイの中で嫌な想像が膨らんでいく。
骨のサイズから想像して、あれが魔物だと説明されれば納得が出来てしまうからだ。しかも、そのサイズの魔物にはカイも見覚えがあった。
全身が毛むくじゃらで、見た目からして気味が悪いダゴンダラと呼ばれる生き物だろう。外観は大蜘蛛を思わせるが、脚一つ一つが巨木のような太さを持ち、胴体部分にはギョロギョロと赤く光る眼が一つあるのが特徴だ。しかも、目の下には大きなギザギザの歯が生えており、その姿はまるで笑っている印象を受ける魔物だった。一番驚きなのは、あの魔物が毒を持っているということだ。
あんなものを食べた人間がいると想像するだけで、魔物たちが成りを顰めたくなる気持ちもわからなくもない。
お互いに顔を見合わせて微妙な表情を浮かべたカイとリプカは、それ以上を口にするのをやめて、目的地へと急ぐことにする。
『まぁ良い、行くぞ』
「……あぁ……」
この世界には、カイが想像もつかない逞しい人たちも居るのだと、改めて世界の広さを実感した瞬間だった。
*
それから暫く歩いた。相変わらず、道中で魔物に遭遇することはなく、薄暗い森の中を一人と一匹で進んでいく。魔物が姿を現さない事で、実演により練習を行う事は出来なかったが、その間カイの肩に乗ったままのリプカは、魔法について少しだけ詳しく説明してくれていた。
『そういえば、貴様はどこまで魔術についての知識を得ている?』
「どこまでって、どういう事だ? 魔法の属性が七種類あるって話?」
『そんな基本的な事は聞いておらん。魔法には表と裏があるという話だ』
「表と裏……?」
『……やはりそれも知らんか』
リプカはカイの反応を見てため息を吐く。
その反応を見るからに、この世界にはカイがまだ知らない基礎知識があるようだった。
黒猫は何も知らないカイにも分かるようにかみ砕いて説明を始める。
『良いか、よく聞け。各魔法には
「……なるほど」
『ものによって様々だが、裏魔法を扱える者は魔術操作に優れた人間だと思え。そして戦場で出くわした際は、まず今の貴様では勝てん。それを忘れるな』
「……分かった」
淡々と語ったリプカの言葉は、それだけで信憑性があった。
それと同時に、各属性による裏魔法の特徴をカイに説明し始める。
『まず、聖魔法と闇魔法は転移魔法を操れる。フィリオールが鏡を使って見せたあれが良い例だ』
「あの時のあれは、フィリオールさんの魔法だったのか!」
カイも聖魔法の転移については一度目にした事があった。鏡を通して場所を移動できたのは、聖魔法による恩恵だったらしい。改めて彼女の凄さを実感する。
『それから、火属性は言うまでもないな……水魔法に関しては、魔力操作により、氷へと状態変化が可能となる……時間魔法は重力を操り、土魔法は引力を操る……その二つにおいては戦闘中に使われると非常に厄介になる。気をつけろ』
「重力と引力……」
想像も出来ない力だと思う。そもそも、カイはまだ一度も自分の目で時間魔法を見た事が無いのだ。この先そんな能力者に出会う事があるのだろうかと考えてしまう。
すると、リプカは終わりとばかりに話題を切り替える。
『――以上だ。まずは魔力行使についての初歩から貴様には解いてやろう』
「……え? あれ、風魔法は? 風魔法には裏表がないのか?」
『風魔法については知らん』
「知らない!?」
『そもそも、この世であの天使だけが扱うとされている魔法だ。目にしたのはお前が初めてだからな』
堂々とそう言い切られてしまえば、何も言えなくなる。それほど、カイの与えられた能力は、未知数ということなのだろう。
『まぁ、鍛えればそれなりに扱えるのではないか? 裏魔法が使えるかは知らんが』
「……なるほど、教えてくれて有難うな」
『それから……貴様は出来る限り普段から多く食事を摂るようにしろ』
「え?」
魔法の話から、何故食事の話になったのか分からずにカイが猫へと視線を向ければ、黒猫は真面目な表情のまま答えた。
『貴様が世界の境界線を越えた後に食欲が増えたと言っていたが、あれはどうやら貴様の体質によるものらしい』
「俺の体質?」
『フィリオールから聞いた話だが、貴様は食事を大量に摂る事で自身に足りない魔力を補い、貯蔵しているという話だ。あの戦いで何故貴様が呪いを解いた後に風魔法を行使出来たのか疑問に思っていたが、どうやらそれが影響していたらしい。とはいえ、城に居た時のような飯は道中では食えんだろうから、こういった場所で木の実など摂取できるものがあれば食っておけ。くれぐれもキノコは食うなよ、死んでも知らんからな』
「……分かった、色々と調べてくれてたんだな」
『フィリオールの奴が勝手に調べただけだ。俺はそれを伝えたまでに過ぎん』
「ははっ、うん、有難う」
きっと、カイが知らないところであの王に伝えるように言われたのだろう。
素直じゃない部分がありながらも、親切な猫にカイは口元を緩ませてしまう。
『ニヤニヤするな、気色悪い』
すると、隣から猫に素早く頬を叩かれてしまい、カイは何とも言えない気分になるのだった。
一人と一匹がそうして道を進んでいると、ふと近くの茂みがガサガサと音を立てる。
「――っ!」
これまで魔物の気配が一切しなかった事もあり、完全に気が緩んでいたカイは、咄嗟に身構えて肩に乗っているリプカへと視線を動かした。すると猫は一つ頷いて合図を出す。
その合図によって、カイの手には一本の剣が握られる。その顕現方法も道中でリプカから学んだことだった。少し細身なシルエットの剣は、恐らくカイの腕力に合わせて重量が軽いものを選んだのだろう。
カイが気配を殺すように息をひそめたのを確認したリプカは、肩から静かに降りて一歩先を歩き始める。
(魔物か? でも、全然気が付かなかった)
魔物について旅をして分かった事が幾つかある。森に住む魔物の場合、近くにいると獣臭さや魔物独特の匂いが漂う事が多い。それに、魔物が近くにいる場合は足跡や生き物の痕跡が残されている事が殆どという事もあり、その気配を探るのはそう難しい話ではなかった。
だが、今回茂みの中から音を立てている影は妙に大きさも小ぶり見える。
カイとリプカが、緊張の糸を張り巡らせていると、茂みの奥から何やら人間の声が聞こえてくる。どうやらそれは、カイとリプカが魔物だと警戒した方角から聞こえてきているようだった。
「おかしい……どうして何処にも無いの?」
その声は、何かを探して泣いているようにも聞こえる。
「何処に落としてきちゃったんだろう……どうしよう、あれが無いと私……」
黒猫とカイがお互いに視線を見合わせていると、そこにいた誰かは突如茂みの奥から姿を現す。
そこから現れたのは、可憐という言葉がよく似合う少女だった。
「……あ」
カイと目が合うなり、驚いたように瞳を震わせていた少女は、大きな目を零れんばかりに見開く。そこに見えた青い瞳はまるで宝石を思わせるように美しい色をしていた。
色素の薄い水色の髪に、キメの細かい白い肌。可愛らしい見た目の少女は、白いフードが付いたローブを身に纏っており、腰ほどの長さの髪の毛は、毛先がふわふわとしていて少し癖があるようだった。
フードには、美しいレースが袖の部分にはあしらわれているようで、羽織る事が出来るように紐が正面で結ばれている。その服の中には、白のワンピースがひざ下ほどの長さまで覗けて、模様が描かれているのが分かる。
胸の隆起は少し小さめで、カイよりも随分と背が低く華奢だ。
今にも泣きそうな相手と目が合った事で、カイは困ったように頬をかいて挨拶を口にする。
「……えっと、こんにちは?」
すると、少女は途端に警戒の色を浮かべて、身構えた。
「何者、ですか」
鈴のような愛らしい声が聞こえたと思えば、それと同時に少女の手に杖が握られた事で、カイはギョッとする。しかもあろうことか、初対面の人間に容赦なく杖先を向けてくるではないか。
カイは身の潔白を示すように手にしていた剣を消して両手を上げる。
「ちょっと、待った! 俺は、ただの通りすがりなだけで……」
「――こんな魔物がうろつく森を一人でなんてあり得ません! さては人攫いですね!」
「違っ――……問答無用かよ!」
人の話に一切耳を傾ける様子がない少女に、カイは距離を取って相手の間合いから逃れる。すると、少女は容赦なく魔力を杖に込めると宣言した。
『「――クレアシオン!」』
彼女がそれを唱えた直後、その足元に白い魔法陣が出現する。
すると少女は、何かの呪文を唱え始めた。
『「閃光よ集え、刃を持ちて裁きを下さん!
詠唱と共に、術の名前が開示されれば、視界の中で眩しい輝きを放つ光の槍が、カイの上空に作られる。
ハッとして見上げた空からは、聖なる裁きの槍が降り注ぐ光景が見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます