17 旅の準備

『漸く目が覚めたようだな』


 瞼を開くこと数秒、視界の中に見慣れたシルエットを見つけたカイは、そう声をかけられて相手を見つめた。そこには、カイの様子を窺うように見下ろしている黒猫の姿があった。

 天井がその背後に見えることから、自分が横たわっていることを自覚する。

 背中には柔らかな感触があるため、恐らくベッドの上に居るのだろう。その状況を把握したカイは、心底悔し気に呟く。


「に、逃げられた……」

『おい、何の話だ』


 起きて早々、カイがそんな言葉を呟くものだから、リプカは怪訝そうに声をかけた。


「天使様に夢の中で会ったけど、とんでもなく厄介な仕事を押し付けられた……」

『ほう? それは一体どのような内容だったのだ』

「あの時俺たちを襲った敵の思惑を阻止して、天使様の代わりにあいつらを倒せって言われたけど……無茶苦茶すぎる……」

『はっ、あの天使らしいな』

「もしかして、リプカも会ったことあるのか?」

『人の夢に現れては、自分の都合だけ押し付けて消える奴だ。諦めろ』


 どうやら、彼女は毎回あんな調子で用事がある相手を夢の中に呼びつけては、用件を押し付けて帰還させているらしい。

 慣れた様子で説明するリプカに、カイはゆっくりと身を起こしながらため息を漏らす。


「いつもあんな感じなんだ?」

『まぁ、そうだな』


 カイの言葉を否定しないリプカの目には、少しだけ同情の色が滲んで見えた。


(考えておくって言われても……)

 

 夢の中の出来事を思い返し、再び悔しさを募らせる。何よりカイが納得いかなかったのは、口にした願いに対して、彼女が明確な発言をしなかった事だ。

 あれでは約束を取り付けたとは言い難い。

 そこで、ふと顔を上げる。視界の先には、一人で悶々と考えているカイを見守るリプカがいた。そこにある深紅の瞳は、カイの視線を不思議そうな目で見返している。


(俺にはリプカみたいに、魔法を精密にコントロールすることは出来ないし、ルクスみたいな力だってないわけで……そもそも、俺が全力で走り抜けたところで、たかが知れてるよな?――ん?……と、いう事は……?)


 一つ冷静に考えればわかるが、やはり何をどう考えても、今の自分では到底彼らの思惑を阻止するなんて無理だ。

 あの時、天使セリカは明確な発言を避けたが、カイが思ったほど“役に立たない”と分かれば否が応でも「代役を探さなければ」という答えに辿り着くはずだと考える。


(そうか! 俺じゃ任された役目は果たせないと早めに分かってもらって、代役を見つけて貰えば、俺は晴れて鍵開け職人として生計を立てながら、旅をして回れる!)


 カイの中でその落としどころが見つかると、リプカは急にやる気を出した相手を怪しむように声をかけた。


『おい、大丈夫か? フィリオールの奴は、傷は完治させたと言っていたが……』

「あぁ、体は平気……そういえば、あれからどれくらい経ったんだ?」


 カイの中で漸く頭の整理が終わり、話題を切り替える。まるで頭の打ちどころが悪かったような心配をされたが、カイはいつも通りに答えて周りを見渡した。

 近くをよく見ると、ここが使い慣れた部屋の一角であることが分かる。

 ベッドから見える窓の外は、すっかり日が昇っているようで、雲一つない青空が広がっていた。


『まだあれから一晩しか経っていない。フィリオールもそろそろこちらに足を運ぶ頃だろう』

「そっか……あ! そういえば、お礼言ってなかった。あの時は助けてくれて有難う、リプカ」


 状況の説明を受けた後に、フィリオールの方はもう大丈夫だと分かったカイは、あの時の事を思い出す。それは、先の戦闘で黒猫が自分をかばって戦ってくれていた事だ。

 リプカが居なければ今頃、何度命を落としていたか。

 改めてカイが礼を口にすると、リプカは一瞬不意を突かれたような顔をして視線を逸らした。その反応は恐らく照れているのだろう。


『ふん、借りは返したからな』

「あはは。それにしても、リプカは火を司る精霊だったんだな」

『そうだな……――そういえば貴様、あの幼稚な戦い方は一体何だ? たかだか障壁を張るのに、あれほど魔力を削る馬鹿があるか!』


 これまで和やかな空気だったというのに、リプカは戦いでの出来事を急に思い出した様子で、右前足でパンチをしてくる。

 爪が出ていないので、あまり痛みはないが、説教をされても困るという反応を、カイは返した。


「いや、そういわれても。俺、魔法なんて使ったことなかったし、スキルの使い方しか知らないって説明しただろ」

『なに? 貴様まさか、ずぶの素人だったのか? 前の世界ではどうやって魔術なしに生きていたのだ?』

「どうやってって……魔法を使わない仕事で稼いでたけど……?」

『……あの天使は何故このような人間に力を与えたのだ』


 リプカにとってその返事は思ってもみなかった言葉だったのだろう。猫は若干引いた顔をしていた。

 その言葉に、カイも自分の事だと言うのに頷いてため息を吐く。


「本当だよな」

『全くだ信じられん……それで、貴様はこれからどうするつもりだ?』

「どうすると言われても……まぁ、代役が見つかるまで、ひとまず旅をしてあちこちで起きている事や、あの二人組の情報を集めていこうかと思ってる……あとは、魔法の使い方を修行したり、出来る事をコツコツしていくつもり」

『何だ貴様、まだ諦めてないのか……まぁ良い』


 セリカへの心変わりを望んでいる事を口にすれば、リプカは呆れたような声を上げつつも、とある提案を一つ口にした。


『ならば俺が魔術について、貴様に教えを説いてやっても良いぞ』

「え!? 本当か!?」

『ただし、条件がある』


 リプカの意外な提案にカイが食いつけば、黒猫は得意げな様子で爪を見せてきた。それは、人で言う人差し指を見せるみたいな仕草なのだろうか。

 なんだか少しだけ可愛いと思ってしまう。


「条件?」

『魔術について説く代わりに、俺をあかの王国に連れていけ』

「朱の王国……?」


 その国の名前は、カイも聞き覚えがあった。確か、フィリオールがイストーリアの話をしていた時に耳にした場所だ。

 もしかしたらその黒猫は、そこを目指している途中に力尽きていたのかもしれない。

 リプカからの提案に、カイは断る理由もなく頷く。


「分かった」

『ならば、交渉成立だな』


 そうして、一人と猫の握手が交わされていると、そこへ一人の人物がやってくる。


 扉のノック音と共に、視線を動かせば、開いた扉の向こうにフィリオールの姿が見えた。どうやら、部屋の扉は空けたままにされていたらしい。もしかしたら、カイの容体が急変した時に、リプカが彼女を呼びに行ける為の措置だったのかもしれない。

 カイと目が合うなり、彼女は翡翠色の瞳を嬉しそうに細めて笑いかけた。


「あらあら、随分と仲良くなられたんですね」

『単なる利害の一致で握手を交わしただけだ』

「ふふっ、そうですか――こんにちはカイ様。お体の調子はいかがですか?」

「フィリオールさん……おかげで、もうすっかり元気です。助けていただき、有難うございました」


 カイが慌てて頭を下げれば、フィリオールは美しい緑のローブを揺らしながら部屋へと入ってくる。

 どうやら彼女は一人で来たらしい。周りに側近の姿はなかった。

王であるなら、側近の一人や二人連れて歩くものだと思っていたカイは、その光景に慌ててベッドから降りようとする。


「どうぞそのままで、楽にされてください」

「……では、お言葉に甘えさせていただきます。すみません」


 彼女に止められたことで、カイはベッドから降りる事をやめて相手と向き合う。体の傷はすっかり癒えていたが、消費した魔力がまだ回復していないのが分かったためだ。

 そんなカイの容体を理解しているのか、ベッドの側まで歩み寄った彼女は、美しい金色の髪を揺らしながら優しく告げた。


「カイ様が謝ることは何もありません。それに、礼を述べるべきは私たちの方です。我々は、この祝福を決して忘れません」


 まるで祈るように両手を組んで目を閉じた彼女に、カイはギョッとして制止を訴える。


「やめてください、俺は何もしてません」

「いいえ、我が王国をお救いくださったのは、紛れもなく貴方様です。セリカ様の祝福を賜る貴方様は、本来であれば私たちが尊ぶべき存在なのですよ」

「俺は、異世界から来ただけのただの一般人です……お礼なら、俺たちを助けてくれたリプカにお願いします」


 バツが悪そうな顔をして、リプカを見たカイにフィリオールは少しだけ不思議そうな表情を浮かべた。

 すると、ため息を吐いたリプカが『その辺にしてやれ』と口を挟む。


『小僧が困っているだろう。コイツはお前が思うよりもただの人間だ、普通に接してやれ』

「……困らせるつもりは無かったのですが……申し訳ありません」


 フィリオールとしては、何もおかしなつもりは無かったのかもしれない。

 守護天使セリカを崇拝する立場として、彼女は普通の事を口にして、普通の事をしたつもりだったのだろう。それが逆効果となっていた事を初めて知った様子で、申し訳なさそうな表情を浮かべる。

 美女が悲しむそんな姿を目の当たりにしたカイは、罪悪感で心臓の辺りを掴んでうめいた。


「うっ……」


(逆にこっちが申し訳なくなってくる……)


 リプカはそんな二人の様子を眺めて、仕方なさそうに話題を変えることにしたようだった。

 戦闘の時もそうだったが、偉そうな口調の割には意外に面倒見が良いらしい。


『――コイツの容体が回復し次第、俺たちは国を発つ』

「あらまぁ、ご一緒されるのですね」

『あぁ。俺は一度朱の国に戻る』

「そうですか……では、旅の準備をしなければなりませんね」


 リプカの説明を受けたフィリオールは、魔法で何処からともなく出した何かを手にすると、張り切った様子でカイに声をかけた。

 

「カイ様、もし何かお困りの事がありましたら、こちらを他国の王にお見せください」

「……これは……?」


 そう言って渡されたものは、銀色の紋章が入ったバッジのようだった。そこには、十字架をあしらった模様と、それからセリカをイメージさせる天使の絵が描かれている。

 大きさは少し小ぶりで、服に着いているボタン程度のものだ。

 それを目にしたカイは、その紋章に見覚えがあった様子で顔を上げた。


「これって……」

「はい、ファティルの紋章になります。他国で困ったときは、これを王にお見せになれば、カイ様のお話に耳を傾けてくださると思います」

「……良いんですか? こんな大切なものを俺に渡して」


 国の紋章が入ったバッジと言えば、聖騎士のルクスが胸に背負っていたあの服と同じ効果を持つことになる。そのバッジ一つで、白の王国が存在を保証してくれる代物だった。

 戸惑うカイの言葉に、フィリオールは当然のように頷く。


「勿論。貴方様の旅路にどれだけお役に立てるか分かりませんが、カイ様は我が国にとって大切な存在ですので」

「有難うございます……」


 フィリオールの心遣いに、カイは大切そうにバッジを握りしめて礼を口にした。

 すると、彼女は更にあれもこれもと、魔法で色々なものを用意する。


「ふふっ……あぁ、あとはこの世界の地図と……方角が分かるものと、それから……まぁ、大切な事を忘れるところでした!」

「……え?」

「ほんの少しですが、カイ様自身に加護の魔法をかけておきます。カイ様のこれから歩まれる旅路は、きっと険しく厳しいものになるでしょうから」


 世界地図に、方角を知るための羅針盤に、物が大量に入ると言うフィリオール特性の鞄を次から次へとベッドに乗せた彼女は、それから思い出した様子で手に杖を出現させた。杖の先端には、緑色の宝石があしらわれており、全体的にシルバーで統一され、その本体には、細かい装飾が施されているようだった。

 杖は彼女の魔力に反応すると、緑色の美しい宝石を輝かせる。

すると、フィリオールとカイの居るベッドの足元に大きな魔法陣が出現した。


「っ!? これは……」


 暖かな光に一瞬だけ包まれたと思えば、足元に描かれていた陣が消える。加護の付与を終えた彼女は、普段通りに笑っていた。


「これでもう大丈夫です」

「……有難うございます、フィリオールさん」

「私に出来ることはこの程度ですから……朱の王国を目指されるという事は、まずはお隣のあおの王国へ向かわれると良いかもしれませんね」

「青の王国……ですか?」


 その説明に、カイは渡された地図へと視線を落とす。そこには、白の王国の隣に、青の王国が描かれているようだった。

 それからフィリオールは、地図を指さして語り始める。


「はい、青の王国は、とても水源が豊富で、多くの生命で溢れていることで有名な場所です。名をエスイアと言います」

「エスイア……」

「青の王国の王はお話が分かられる方なので、きっとお力をお貸しくださると思いますよ」


 その言葉を耳にしたカイは、胸が高鳴るのを感じた。


(いよいよ、旅が始まるんだ)


 地図に描かれている大地には、一体どんな景色が待っているのだろう。

 そんなカイの様子に黒猫が声をかけてくる。


『どうした、口元が緩んでいるぞ』

「ちょっと楽しみになってきて」

『――そうか……だが、本来の目的を忘れるなよ』

「分かってるよ」


(俺はこの世界で鍵開け職人として生きていく、そのためには、まずあの天使様に俺では役不足のところを見て貰わないと!)


 出来る限りの事はする。だが、それ以上もそれ以下でもない。

 どんな力を与えられたところで自分は、ただの一般人なのだから。


「本当にありがとうございます、フィリオールさん!」


 これからの旅に胸を躍らせているのだろう。礼を口にしたカイはどこか無邪気さを感じさせる表情で笑っていた。

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